自分本位な彼

 

私の友人に診療放射線技師がいます。

彼とは中学校の時からの長い付き合いです。

 

彼は専門学校を卒業して国家試験を受け、その国家資格を取得しました。

 

診療放射線技師とは外から見ることができない骨や臓器などの人体の中身を

撮影して医師の診断の手助けをする人のことです。

 

彼は病院に勤務し、患者さんのレントゲンを撮っています。

 

以前私は彼に、今の仕事は被曝のリスクはないのかと聞いたところ、放射線

それを発生させる装置を安全管理しているからその危険性は低いと言いました。

 

私は彼に、給料は高いのかと聞くと、その病院の看護師よりは少し高い程度だと

言いました。

 

仕事の話はさておいて、彼は非常に自分本位な人間です。

 

コロナの前のことです。(嫌な世のなかですね、これを書いておかないと、

コロナ禍で飲んで騒ぐとはけしからんと怒られます。)

 

彼とは一緒によくお酒を飲みに行くのですが、私の都合を聞かないで

突然、今日一緒に飲みに行こうと誘ったり、彼が誰かと飲んでいるとき、

 

私に電話して、今お前のことで話が盛り上がっているからすぐ来いよと

私を誘うことがありました。

 

よほどのことがない限り彼に付き合いますが、突然の誘いは面倒くさいのです。

夜の食事を終えてゆっくりしている時の誘いは特に嫌です。

 

今から夜の街にタクシーで出かけるのかと思うとまったく気が乗りません。

断ればいいのですが、長年の付き合いで私の性格をよく知っていて巧みに誘います。

 

彼は私がものを頼まれたらいやとは言えない気弱な性格をよく知っているのです。

 

彼は若い頃結婚しましたが奥さんの気持ちを理解することができず、わずか

3か月で離婚し今まで一人暮らしなので、寂しいのでしょう、そんなとき私の都合を

 

聞かないで電話で誘ってきます。

 

メールであれば、断りやすいのでしょうが、直接、人情味あふれる声で訴える

ように誘ってくるので断り切れません。

 

私のこころは彼に握られているのかもしれません。

 

私と彼が一緒に回転すしのお店に行った時の事です。

彼は回ってくるお寿司を二皿取って、一つを私の前に置きました。

 

彼は一皿だけ食べて、これはうまいからお前も食べてみろと私に勧めました。

 

私は好き嫌いはないので何でも食べますが、彼は自分が美味しいものは

私が食べても美味しいだろうと勝手に思い込んでいます。

 

私は彼の性格をよく知っているので、悪気があってそうするのではないことは

わかっていますが、余計なお世話なんです。

 

私が病気で入院していた時の事です。

彼は私のことを心配してお見舞いに来てくれました。

 

私の手術後の経過が良かったのでとても喜んでくれました。

そしてお見舞いにと私に古銭をくれました。

 

私はどうしたのかと聞くと、この古銭は自分が趣味で古銭収集してきた中で

一番大切なものだから、きっと喜んでくれるだろうと思って持ってきたと言いました。

 

私は古銭には興味がないので彼がくれた古銭にはまったくありがたみを

感じませんでした。

 

彼が大切にしているものは、私にとっても大切なものだと思ったようです。

彼は人の言うことを聞きません、自分がいつも正しいと思っています。

 

彼は自分らしく生きていると思っているかもしれませんが違います。

彼は、人の気持ちを理解しようとしない、わがままで自分勝手なのです。

 

それでも彼とは縁を切りません、それが私という人間なのです。

たとえどんな人であっても、私はすべての人を愛します。

 

彼は仕事で人体の中を撮影しますが、たまには私のこころの中を撮影してほしいです

彼女が教えてくれたこと

 

コロナが流行る前で、随分前のことです。

 

私の会社では、忘年会、送別会など社員が集まってよく飲み会をすることが

ありました。

 

お酒を飲みながらワイワイがやがやと楽しい時間を持つことができました。

ある時、お酒を飲むと性格がいつもとはまったく違ってくる人がいました。

 

その人は20代後半で責任のある仕事を任されていました。

彼は仕事中はとてもまじめで、上司に逆らうこともなく、いい人でした。

 

そんな彼ですが、お酒を飲むとガラッと性格が変わり自己主張をするのです。

彼の周りにいる人に説教したり、人の悪口を言ったりしていました。

 

私は、いつもおとなしい性格の彼が、お酒を飲むとどうしてこんなふうに変わって

しまうのだろうかと不思議に思いました。

 

そんな飲み会があった翌日のことでした。

 

私はたまたまお昼休憩に彼と話をする機会がありました。

私は彼に、昨夜のことを覚えているかと聞きました。

 

すると彼は恥ずかしそうに、またやってしまいました、覚えていると言いました。

私は彼に、なぜあんなにいつもとは違う性格になってしまうのかと聞きました。

 

実は彼が子供の頃、彼は母親にいつも、ああしなさい、こうしなさいと指示・命令

ばかりされ、自分の考えや意見を持つことができなくなったようです。

 

そして彼は意見が衝突して揉めることが嫌だから、自分一人が我慢すれば丸く

収まると思うようになったようです。

 

彼は人から好かれるためには、自分が犠牲になることで周りからいい人と

見られたいと思っていたようです。

 

なのでその鬱憤がたまり、お酒を飲むことでそれが発散されるようでした。

 

私は彼に、今何かしたいことはないかと聞きました。

すると彼は、別に今、何かしたいと思うものはないと答えました。

 

私は彼に、人生で何か目的があれば人に嫌われてもいいから自分の気持ちを

貫くことができると助言しました。

 

そのとき彼は、私の教えを聞いてもあまり理解することはできませんでした。

 

そんな彼ですが、もう付き合って1年の彼女がいました。

 

彼女とデートするときも、どこへ行くのか、何を話せばいいのかを考えるのが

嫌で、いつも彼女まかせだったようです。

 

そして彼は、彼女とのこころの距離感をどれくらいとればいいのかわからない

ようでした。

 

彼女ともっと近づきたいと思っていても遠慮して、まだ近づくのは早いかなと

考えることもありました。

 

しかし彼女の気持ちとしては、もう1年も付き合っているのだから彼は

もう少し自分のことを理解してくれてもいいのにと思っていました。

 

それに対して彼は彼女に嫌われたくないので、キスをすることもなく

ただ手をつなぐことで精一杯でした。

 

ある時彼女から彼にメールが届きました。

今晩お話ししたいことがあるから会って欲しいとのことでした。

 

彼はレストランで食事をしようと返信しましたが、彼女はお茶だけでいいので

カフェにしてほしいとのことでした。

 

彼が時間通りに約束のカフェに着いたときにはすでに彼女は待っていました。

その時の彼女はいつもと比べて真剣そうな顔でした。

 

彼がいつものように世間話をしていると、そんな話はどうでもいいと言って、

彼女はまじめな顔で、私たちはこれからどうなるんですかと聞いてきました。

 

彼は彼女の突然の言葉に驚き動揺しました。

しかし彼は、動揺を隠し、今までどおり楽しくやっていこうよと答えました。

 

すると彼女は立ち上がり、もうあなたとは付き合っていられませんと言って

悲しそうな顔をしてひとりでお店を出ていきました。

 

彼には彼女が飲み残した紅茶のレモンがとても酸っぱそうに見えました。

 

そのとき彼は、私が言った、何かしたいものはないかということを思い出しました。

もしかしたら彼女は自分に何かを求めているのではないかと思いました。

 

実は彼女は、彼から嫌われてもいいから結婚したいという自分の気持ちを彼に

伝えたかったのでした、そして彼の気持ちを知りたかったのでした。

 

彼女は彼に、目的があれば嫌われてもいいから自分の気持ちを貫けるという

私の助言と同じことを身をもって教えたのでした。

 

その時彼は、自分の気持ちが彼女と結婚したかったのだと気が付きました。

 

人は何か目的を持つことで自分が何をしたらいいのか気づき、自分の意見が

言えるようになるのでしょうね。

 

その後ふたりは結婚しまし

しあわせのお店

 

今回はこころを売るお店のお話です。

 

あるところに、とても繁盛しているお店がありました。

そのお店の前を、人生に疲れ果てた女性が通りがかりました。

 

お店の看板には 「しあわせの店」あなたにすてきなこころをお選びします と

書いてありました。

 

彼女はどんなお店なのか気になって、お店の中をのぞいてみました。

 

そのお店は、ガラス張りで明るく、中の様子がよく見えました。

たくさんのこころがやさしそうな店員さんによって陳列されていました。

 

入り口のガラスには、「しあわせへの入り口ですどうぞお入りください」と

書いてあり、彼女は導かれるように店内に入りました。

 

お店に入る前、彼女はまず、ドアマットで憎しみや不機嫌なこころを取り除きました。

 

お店に入るとまず歓迎のこころが陳列されていて、上の棚にはたくさんの明るい

こころがあり照明がいらないほどです。

 

お店はとても広くて解放感があり、平穏でワクワクしたこころは彼女に喜びを

与えました。

 

お店の売場は、楽しみのこころ、嫌気のこころ、悲しみのこころ、恐れのこころ、

怒りのこころの5つのコーナーに分かれていました。

 

店員さんは、彼女がどんなこころを探しているのか、たくさんのこころの

整理をしながら彼女の様子をうかがっていました。

 

彼女は楽しみのこころのコーナーに行き、陽気なこころと愉快なこころのどちらが

いいのか手に取って迷っていました。

 

すると先ほどの店員さんが彼女に近づき、今、何かお困りごとはありませんかと

聞いてきました。

 

彼女は複雑な人間関係に疲れ、孤独で寂しい思いをしていると答えました。

 

店員さんは、でしたら安心のこころと共感のこころを一緒に買うことをお勧め

しますと笑顔で彼女に言いました。

 

彼女はそれはいいと思い、店員さんに値段を聞きました。

でもそれはとても値段が高くて彼女には手が出ませんでした。

 

彼女は店員さんに、もう少し安くはならないかと聞きました。

店員さんは、こころとは値切って買うものではありませんよと言いました。

 

貧しい彼女はとても高価な安心のこころと共感のこころは買えないと諦め

お店を出ようとしました。

 

そのとき店員さんは彼女に、あなたには嫌悪のこころ、裏切りのこころ、

わびしいこころ、悲惨なこころ、おびえるこころ、投げやりなこころは

 

ありませんかと尋ねました。

 

彼女は、それなら数えきれないほどあると言いました。

店員さんは、それならそれらを私の店で下取りに出せばそのぶんお安くなると

 

言いました。

 

彼女は早速、彼女のこころをお店のテーブルに並べました。

彼女が次から次へと並べているうちに、店員さんはもうそこで結構ですと言いました。

 

店員さんは、お客様にはあまりにも多くのこころがあるので、これだけで

もう十分ですと言いました。

 

彼女にはあまりにもたくさんの負の感情のこころがあったのです。

こんなにたくさんあれば人生に疲れるはずです。

 

店員さんは、これだけたくさんのこころを下取りに出してもらえば代金は

いりませんと言いました。

 

彼女はとてもいいお店だと感謝しました。

 

店員さんがふたつのこころを袋に入れて渡してくれた時、彼女は店員さんに、

あなたの好みのこころは何ですかと聞きました。

 

すると店員さんは、私が一番すきなこころは愛のこころですと言いました。

さっき彼女がお店の中で探していた中に、愛のこころは見当たりませんでした。

 

彼女はきっとそれは高価だと思いましたが、店員さんにお値段はいくらですかと

聞いてみました。

 

すると店員さんは、愛のこころはお金で売るものではありません、欲しい人には

いくらでも無料で差し上げますと言いました。

 

彼女はそれを聞いて、是非とも私にひとつくださいと言いました。

店員さんはこころの宝庫から愛のこころを取り出し彼女に渡しました。

 

彼女はとてもしあわせな気持ちになり、喜んでお店を出ました。

このように、このお店に来る人はみんなしあわせになって帰っていくのです。

 

このお店が繁盛するはずですね。  

 

無償の愛のこころって素晴らしいですね、あなたもおひとついかがですか。

家族のために

 

以前私が勤務していた支店に、とても人のいい支店長がいました。

私の会社では年に2回人事評価のために面接がありました。

 

私は家庭を大切にして、仕事はほどほどにして、無理はしていませんでした。

家族とのコミュニケーションを十分とりながら、趣味も楽しんでいました。

 

面接の時、その支店長はとても優しく、私の将来のことを心配してくれました。

 

彼は私に、家族のことを思うならもっと頑張って仕事をしなさい、

そうしないと家族が幸せにならないと言いました。

 

そして、頑張って働けば出世して給料は高くなるし、会社に必要とされれば

リストラに関係なく長く働き続ける事もできると言いました。

 

私は彼に、あなたは朝早くから夜遅くまで仕事をしていますね、

そして休みの日にも会社に来て仕事をしていますね、どうして

 

そんなに仕事をするのですか、辛くはないのですかと聞きました。

 

勿論、肉体的にも精神的にも辛いし、仕事がいやになって何度もやめてしまいたいと

思うことがあった、でも、家族を養うためには頑張らなくてはならない、

 

それが自分の生き方だと彼は言いました。

 

私は彼に、私は子供の頃から貧乏しているのでお金にも出世にも欲はありません、

私は自分が思うままに自由に、私らしく生きたいのですと言いました。

 

いつもふたりの考え方は平行線のように交わることはありませんでした。

 

彼の言葉はまるで、私の父親が私の将来のことを案じているようで

その気持ちは優しさもあり、ありがたくも思いました。

 

その支店長を見て私が思うことは、彼は人が良すぎるのです。

彼は人から嫌われることができない、いい人なのです。

 

私生活でも人に頼みごとをされたら断ることができない、いい人でした。

彼はNOとは言えない性格なのです。

 

本社から支店に届く連絡や指示は部下にきっちり伝え、やらせていました。

本社からのチェックが入った時、叱られるのがいやなのです。

 

彼は能力よりも会社に尽くすこと、つまり、愛社精神で出世してきたようです。

 

ところが私のように、やってもやらなくてもいいような仕事は後回しにし、

それがもしできなければ謝るようなタイプがいると困っていたようでした。

 

私は彼には自分がないと思っていました。

 

自分があれば、本社からの連絡や指示はそのまま部下に伝えるのではなく、

自分で解釈して、不明な点は本社に質問したり、意味のない指示は自分のところで

止めるはずです。

 

彼は本社から嫌われたくないと思っていても、実は、部下から嫌われていました。

 

彼は家族のためにと寝る時間を惜しんで働いているつもりでも、実は、家族は

父親のいない母子家庭のように寂しく思っていたかもしれません。

 

彼のようにいい人というのは、本当はいい人ではないのかもしれません。

自分が嫌われるのが嫌で相手に合わせることで自分を殺してしまうのです。

 

私は相手に自分の気持ちを伝えて、嫌なら嫌と伝えることが大切だと思います。

そのほうがお互いに理解が生まれると思います。

 

私は彼の働きぶりを見て、こんなに無理をして大丈夫なのかといつも思っていました。

彼が他の支店に異動になってしばらくしてのことです。

 

彼は仕事中に突然脳卒中で倒れ、病院に運ばれましたが帰らぬ人となりました。

残された彼の奥様や家族はとても悲しみました。

 

そのとき私は、彼の生き方は本当に幸せだったのかと思いました。

 

彼は家族のために働いていると言いましたが、私は家族のために生きているのです。

 

私は彼のことを思うと、もっと自分らしく生きてほしかったなと悲しく思います。

 

下に、私は彼が亡くなった時、彼の奥様に贈った花束のことが書いてあります。

時間があれば読んでみて下さい。

 

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しあわせを呼ぶ嘘つき

 

私の会社にはとても嘘つきな女性がいます。

 

嘘つきと言っても、人を不幸にするような嘘つきではありません。

 

私が彼女と会った最初の年のバレンタインデーには、かわいいリボンの

ついたチョコをくれました。

 

私は家に帰って、包装紙からチョコを取り出すと、中にはメッセージカードが

入っていました。

 

「いつもお仕事おつかれさまです。これは私のこころからのプレゼントです。

これを食べて元気になってくださいね。誠実なあなたへ💛」

 

手書きで丁寧に書かれていてこころがこもっていました。

 

これは私への愛のメッセージではなく義理チョコメッセージなのですが、

本命ではなく嘘とわかっていても嬉しいものです。

 

それより前ですが、私が出張に行ったときのことです。

 

いつも頑張って働いている同僚にと名物のおまんじゅうを買って帰りました。

休憩時間にみんなで食べようと分けました。

 

ところが私の勘違いで一人分足りなくて、気まずい雰囲気になりました。

 

そのとき嘘つきの彼女が、「どうしておまんじゅうなんか買ってきたの、

私はおまんじゅうが大嫌いなのを知らないの」と怒った振りをしてその場を

 

立ち去りました。

 

私は彼女がおまんじゅうが大好きなのを知っていました。

嘘をついた彼女に私は救われました。

 

そのほか彼女は、待ち合わせの時間に10分遅れた友達に、待ったかと聞かれても

私も今来たばかりと嘘を言います。

 

子供の入試の心配をする同僚に、知りもしないのに、あなたの子供さんなら

合格すること絶対間違いなしと嘘を平気で言います。

 

彼女はいつも嘘を言っています。

 

話しは戻りますが、バレンタインのプレゼントをもらった私は、次の日彼女に

お礼を言いました。

 

話しのついでに私は彼女に聞きました。

 

あなたはいつも見え透いた嘘ばかり言っているけど、そんなに嘘ばかりついて

あなたはしあわせですかと。

 

すると彼女は言いました。

人ってみんなしあわせになりたいと思っているはずです。

 

お金持ちになりたい、出世したい、恋愛をしたい、これらはみんなしあわせに

なるための通り道だと思います。

 

私はしあわせへの道が、回り道にならないように時には嘘をつきます。

私はみんなにしあわせになってもらえればそれでいいのですと言いました。

 

彼女は噓つきだけどとてもやさしい人だなと思いました。

 

私は妻に彼女を見習ってほしいと思いました。

私は彼女に私の妻のことを話しました。

 

私の妻は、私と一緒に外出した時は、私のことを立ててくれて、とても良妻の

ように振舞います。

 

人はみんな、いい奥さんを持ってしあわせですねと言います。

ところが家に帰ったとたん、いつも私をバカにして邪魔もの扱いします。

 

私はもう慣れましたが、人がその豹変ぶりを見るときっと驚くでしょう。

猫を被るとはよく言ったものですが、家では妻はいつも鬼の面を被っています。

 

私の妻は世間に対して嘘の姿を見せています。

あなたと私の妻とは同じ嘘つきでも全然違いますねと言いました。

 

私は彼女に、バレンタインのメッセージで私はとてもしあわせな気持ちになったので

私はお返しに、ホワイトデーにはすてきなものを用意するつもりだと言いました。

 

すると彼女は私に、あなたからプレゼントしてもらいたいものがあると言いました。

私は彼女に何が欲しいのかと聞きました。

 

彼女は、ホワイトデーには、あなたにしあわせになってほしいと言いました。

あなたがしあわせになってくれるのが私への最高のプレゼントですと言いました。

 

私に用意すると言われたプレゼントはあなたの奥様に感謝してあげてください、

そうすればあなたも奥様もきっとしあわせになれるはずですと言いました。

 

さすがの私も彼女のすばらしい気配りには参りました。

私は彼女に、嘘も方便ということを勉強させてもらいまし

人が見ていないと思ったら

 

先日、私のクルマの車検が終わり、クルマを引き取りに行ったときのことです。

手続きが終わるまで少しの時間、ガラス張りのお部屋で待っていました。

 

すると、前のお客さんが車検を終え、店員さんが外に出てそのお客さんが

帰るのを丁寧に見送っていました。

 

クルマが見えなくなるまで見送りしていましたが、振り向いた瞬間大きなあくび。

私はここであなたを見ているのですよ。

 

私がパソコンのプリンターが古くなって調子が悪くなり、電気屋さんに行った

時の事です。

 

お店にはたくさんのプリンタ―が並んでいました。

私はあまりプリンターのことはよくわからないので店員さんにいろいろ聞きました。

 

いろいろ説明を受けた挙句、あまり多機能のプリンターは必要ないと思い、

1万円もしない一番安いものにしました。

 

そしてプリンターを買ってお店を出たところ、電池を買うのを忘れていたのに

気が付きお店に戻りました。

 

するとさっき接客してくれた店員さんが私に気付かなかったのでしょう、

他の店員さんに「さっきのお客はあんな安いプリンター買うのにどうしてさっさと

 

決められないのか」とぶつぶつ言っていました。

私には、あなたのこころの声が聞こえるんですよ。

 

私が不動産屋さんに用があって営業の方を待っていた時でした。

別の営業員にお客さんから電話がかかり、どうやらクレームのようでした。

 

「申し訳ありません」と電話に向かって謝っていました。

 

ところがその営業員、お客さんから姿が見えないことがわかっているせいか、

足を組んでとても謝っているような態度ではありませんでした。

 

見ている私には、あなたの誠意を感じませんよ。

 

人が見ていないと思ったら、人は何をするのかとても興味深いですね。

 

人のことばかり言っていてはいけませんね。

 

私も外では紳士のように振舞っていますが、実は、誰も見ていないところでは

とても恥ずかしいことをしています。

 

お風呂に入って浴槽に入る前、お湯で体を流すとき、よくおしっこをします。

お風呂で緊張感が解け、リラックスすると自然に出てしまいます。

 

おしっこも垢と同じ老廃物なのです、きれいに流してあげましょう。

できるなら、過去のにがい思い出も一緒に流してあげたいものです。

 

外でおならをするときは、誰にも気付かれないように、換気の良い広い場所で

こっそりします。

 

家では自分の部屋で思いっきりブリブリと音を出してします。

 

我慢強く生き続ける私にとって、どこかで息抜きすることも必要です。

辛い気持ちが音とともに放たれ、とても気持ちがいいのです。

 

外でみんなとお茶を飲むときは、音がしないように静かに上品に飲みます。

家で飲むときは下品でも大きな音を出してごくりごくりと飲み込みます。

 

貧しくても、私の周りにはしあわせがたくさんあります。

音とともに、しあわせを思いきりいっぱい飲み込みたいのです。

 

仕事でいろいろ叱られたり人間関係で腹が立っても、いつもおとなしくしています。

でも、ひとりで通勤するクルマの中では、大声でバカやろーと叫びます。

 

このときこそ、自分の失敗を人のせいにすることができる貴重な瞬間です。

 

私は会社でいつもニコニコしているので、同僚に、何事も心配がなく幸せそう

だねとよく言われます。

 

とんでもありません、失敗だらけの人生、信じられないかもしれませんが

私は家ではどんな人よりもくよくよしています。

 

だって、会社では明るく元気なふりしていなければ辛くてやり切れません。

 

私は会社で上司として部下をしっかり教育して尊敬されています。

しかし家に帰った私は、だらしないと言っていつも妻に教育されています。

 

私は妻に逆らわないことが家庭の平和だとつくづく思うからです。

 

いろいろ書きましたが、人は見かけによらないってことなんでしょうね。

 

みなさんは、人が見ていないときはどうしていますか。

赤ちゃんの教え

 

こうやって好き勝手なブログを書き続けている私にも悩みがあります。

 

以前にも書きましたが、私は安い給料でも今までなんとか生活してきました。

贅沢をしなければ、日々の暮らしに困ることはあまりありませんでした。

 

お金は天下の回りもの、何とかなるさと思っていました。

 

ところが、最近、よく老後破産とか下流老人とか厳しい現実を耳に

するようになりました。

 

その頃から私はお金についての不安と悩みを持つようになりました。

 

先日コメダでひとり、コーヒーを飲みに行った時の事です、お店の方に案内され

座った席のとなりで70歳位の男性が二人で話していました。

 

大きな声で話すので、聞く気はなかったのですが、私の耳に入りました。

 

ひとりが、年金が少なくて喫茶店でコーヒーを飲むのは久しぶりだと言いました。

このコーヒー代で1日過ごすこともあると言いました。

 

いつも食費を削っていて家でもコーヒーなんか飲むことはない、惨めなもんだよ

と言いました。

 

もうひとりの男性は、一番怖いのは病気だと言いました。

 

病気にかかってもお金がないので病院にも行けない、最近歯が抜けたけど、

入れ歯もできないと言いました。

 

でもこうやって、たまにふたりで話をすることができるのは幸せだと言いました。

近所には奥さんに先立たれ、ほとんど外出することがない男性がいるようでした。

 

その男性には話し相手もいなくて、いつもひとりで寂しくご飯を食べているらしい、

孤独死するのではないかと心配そうでした。

 

私は彼らの話を聞いて、ますます私の将来が不安になりました。

 

以前、老後2000万円問題の話題が活発に取り上げられたことを思い出しました。

私にはとても2000万円の貯蓄などありませんし、将来できることもないでしょう。

 

人生100年といわれる時代ですが100歳近くまで働く自信は全くありません。

私は暗い気持ちで冷めたコーヒーを飲みました。

 

彼らが話し終えて帰った後、赤ちゃんをつれた若い夫婦がその席に座りました。

お母さんは赤ちゃんを抱っこしたまま、話に夢中でした。

 

赤ちゃんはご機嫌がいいのか泣くこともなくおとなしくしていました。

 

しばらくして、私がその赤ちゃんを見た時、偶然、その赤ちゃんは私に向いて

大きな口を開け、目を細めて笑顔を返してきました。

 

私も思わず赤ちゃんに笑顔のお返しをしました。

 

その笑顔は、何の苦労もない幸せいっぱいのように見えました。

私は可愛いなと思ったと同時に、生きていることの素晴らしさを感じました。

 

この赤ちゃんはまさに今、人生のスタートラインに立ったばかり。

これから力強く生きていこうという生命力を感じました。

 

私はこの赤ちゃんを見て、私はなんと小さなことで悩んでいたのだろうかと

思いました。

 

この赤ちゃんのように、今のこの瞬間を精一杯生きることが大切だと思いました。

私は先ほどのお年寄りを見て、長生きすることばかりを考えていたようです。

 

長く生きることだけが人生ではない、今を大切にしていかに充実した

人生を送るかということのほうが幸せだと思いました。

 

私はお金がなくても生きていける、かすかな希望が見えてきました。

 

そしてこの赤ちゃんは、今、お金よりも両親や周りの人の愛のほうが必要なのです。

私はこの赤ちゃんに教えられました。

 

人生とはお金ではなく、愛を与え合い、今を大切に一生懸命に生きることだと。

私は冷めたコーヒーのお代わりに熱いコーヒーを注文しました。

 

今回の投稿で200記事の目標に到達しました。

ここまでこれたのは皆様のおかげだと思っています。

 

ありがとうございました。

すき焼きの味

 

昨日の私の家の夕飯は、すき焼きでした。

 

いつも妻が作るのですが薄味なので、今回は私好みに作りました。

妻は自分が作るすき焼きにケチをつけられたと思い、ふてくされていました。

 

私は人生の切なさをすき焼きを作ることで表現してみました。

 

妻にお鍋はできるだけ厚めで重いものを用意してもらいました。

いつまでも冷めない温かいこころのようであってほしいのです。

 

鍋が熱くなったら最初に牛脂を入れて肉が焦げないようにします。

溶けた牛脂のように透明で滑らかなこころは人間関係の信頼作り。

 

次にお肉を入れます、今回は赤身の牛肉を用意してもらいました。

 

霜降り肉だと、愛と憎しみ、善意と悪意、男と女、上司と部下のように複雑な

気持ちが混ざった、まだら模様のこころのような気がして好きではありません。

 

妻が作るすき焼きは、割り下が少なく野菜から水分が出て薄味になります。

 

妻はあまり味が濃いと体に悪いと言いますが、私は割り下をたっぷり使って

濃いめの味付けが好きです。

 

愛をたっぷり注ぎ、人情味の濃い人間のような味が大好きなのです。

 

お肉は最初に1枚だけ入れます、さっと焼いてひとりですぐに食べました。

妻はまるであなたの性格のようね、自分さえよければいい、欲のかたまりねと

言いました。

 

私は妻に、長ネギの外側は固いので1枚皮を剥くように言いました。

あなたも仕事で一皮むけて、早く出世できればいいのにと妻は言いました。

 

そして長ネギを入れますが白い部分だけではなく、できるだけ青いところも入れます。

陰のような人生だけではなく、日の目を浴びて輝かしい人生も送りたいのです。

 

そして長ネギは斜めに切ります、時には人生、斜に構えることもあります。

妻は、そんなバカなこと言わないで早く作ってよとご機嫌斜めでした。

 

ハクサイは葉の部分と芯の部分は分けてください、葉の部分は縮むので大きめに、

芯の部分は固いので火が早く通るようにそぎ切りにします。

 

人にも頭が柔軟でこころの広い人もいれば、頭が固くて頑固な人もいます。

そこをうまく調整するのが人生の名料理人です。

 

妻はどうせ私は料理下手よと言って私の頬をつねりました。

 

豆腐はよく水を切って下さい、水臭い関係にならないように。

妻はどうせ私とあなたは水臭い関係だわとそっぽを向きました。

 

しらたきは食べやすいように2、3等分になるようにカットします。

人間関係がもつれないように。

 

そして、しらたきとお肉は離してくださいね、相性の合わないもの同士が

一緒になると美味しくありません。

 

それってもしかして私たちのこと、あなた浮気していないでしょうねと妻が

言いました。

 

しいたけは頭の部分をV字に切り込みを入れ飾り切りをしましょう。

見た目がよくなり火が通りやすく味が染み込みやすくなります。

 

妻は私に、あなたは見た目は悪いし、煮え切らないし、貧乏が染みついて

いると言いました。

 

そして再度残った牛肉を入れて煮えすぎて固くならないうちに食べましょう。

妻は、あなたの今までの態度で、私のこころは煮えたぎっていると言いました。

 

おっと忘れていた、最後に春菊を入れないと、春はもうすぐ、すぐに

柔らかくなります。

 

妻は私に、あなたには春は来ない、永遠に冬のままよと言いました。

 

さあ出来上がりました、これは私の人生の味だから食べてごらんと言いました。

すると妻は苦くて、辛くて全然おいしくないと言いました。

 

私はそれはそうだろう、私の人生は決して甘いものではないと言いました。

 

あなたの人生の味ってちっとも美味しくない、妻はもう2度と私にすき焼きは

作らせないと怒りました。

 

妻よ、世間はおまえの思うほど甘くはないと私は言いました。

 

なによ、あなたはいつも気楽にブログを書いているくせにと妻は言いました。

 

トホホ、私は妻には頭が上がりません。

みなさんも今晩、すき焼きはいかがですか。

ありがとうの言葉

 

私が若い時の、結婚したころのお話です。

 

私がある支店に勤務していた時、今の妻と結婚することとなり、私の上司である

課長に仲人をお願いしました。

 

課長は厳しい人でしたが、とても面倒見がよく、私は彼に仕事を丁寧に教えて

もらっていました。

 

課長はふたつ返事で仲人を引き受けてくれました。

 

結婚した後も私たち夫婦は、よく課長のお宅に招かれ、食事をしながらいろいろ

楽しくお話しをしました。

 

その中で私の記憶によく残っているのが、課長の奥様が話したことです。

 

彼女は専業主婦でした。

 

彼女はご主人が仕事に専念できるように、身の回りのことや近所付き合い、

町内会の行事、子供の学校行事など様々なことをこなしてきました。

 

毎日の食事も手抜きしないで、新鮮なものを使って工夫して料理していました。

 

ご主人が出張の時は、着替えや、常備薬、スマホの充電器、電気カミソリなど

旅先で困らないように揃えていました。

 

そのほか彼女は、ご主人のためにいろいろ尽くしてきたようです。

でも課長はその奥様に、一度もありがとうとお礼を言ったことがなかったそうです。

 

それについて課長は、男はそんなにありがとうなんていうものではない、

こころで感謝しているのだから、それを察してくれるのが妻だと言いました。

 

課長の奥様は私たち夫婦に言いました。

 

こころで思っているだけではダメ、やはり言葉で言ってもらえるほうが何倍も

嬉しいのよと言いました。

 

私は結婚生活の先輩からのアドバイスをとてもありがたく思いました。

私も妻に、ありがとうというのは照れくさくてあまり言っていませんでした。

 

そのとき夫婦というものは、気持ちがわかっていても言葉に出してあげないと

やさしさが伝わらないんだなと私は思いました。

 

それから数か月後のことです、私が課長と同じ部屋で仕事をしていた時の事です。

突然、課長が胸が痛くて苦しいと私に訴えてきました。

 

課長は以前から不整脈の持病があり、定期的に病院に通院して薬を飲んでいた

のを聞いていました。

 

不整脈が原因で血液が固まり血管が詰まると大変なことになると知っていたので

すぐ救急車を呼びました。

 

救急車が来るまで課長の背中をさすってあげました。

そのとき苦しみながら課長が、妻に伝えてほしいことがあると、私に言いました。

 

私が何ですかと聞きましたが、そのあとは弱って言葉にならず、何を言ったのか

わかりませんでした。

 

そのあとすぐに救急車が到着し病院へと運ばれました。

私はすぐに奥様に連絡し、運ばれた病院名を伝えました。

 

彼女はすぐに病院に駆けつけました、そして無事に治療が終わることを祈りました。

私は仕事を終え、急いでその病院に行き、奥様に会いました。

 

心筋梗塞だったようです。

 

そのときにはすでに彼は、お医者さんの懸命な処置にもかかわらず、回復することは

なく、永遠の眠りについていました。

 

その後葬儀も終わり、落ち着いたころ、私は課長の最期の様子をお知らせする

ために奥様を訪ねました。

 

私は彼の最期に、奥様に伝えたいことがあると言っていましたと伝えました。

彼女は、なんて言いましたかと、私の目をしっかりと見て強く言いました。

 

私はその目を見て、思わず、「ありがとうと言っていました」と言いました。

すると彼女は、両手で私の手をしっかりと握り、ありがとうと言って泣き崩れました。

 

彼女にとって、ありがとうの言葉は待ち望んでいて、本当にうれしかったようでした。

 

私はそのとき、本当は、彼が何を言ったのか聞き取れませんでしたと言う

つもりでした。

 

でも私の気持ちがそのような言葉となって口から出てしまいました。

私が彼女に言ったことは、嘘なのか真実なのかはわかりません。

 

彼が私に、何を言おうとしたのかは神様にしかわかりません。

 

でも、私が彼女に言った、ありがとうの言葉は今でも後悔していません。

 

私は今でも、彼の最期の言葉がありがとうだったと信じています。

息子への愛

 

数年前、私がコンビニにお弁当を買いに行った時のお話しです。

 

その日は、私は仕事がお休みでした。

お昼前に、家の近くのコンビニにお弁当を買いに行きました。

 

お店に入ってお弁当が置いてある場所に近づいた時、近くのパンのコーナーで

80歳くらいのお婆さんがパンを選んでいるように見えました。

 

私は彼女の様子がなんか変だなと思いながらお弁当売場に行きました。

 

私がお弁当を選んでいる時、ふと彼女に振り向くと、彼女が持っていた

手提げ袋に、棚からさっとパンを入れるのが見えました。

 

そして彼女は、店員が他のお客のレジ対応している間に、何食わぬ顔をして

お店の外に出ました。

 

私は万引きだと思い、彼女の後を追いかけました。

私は彼女に追いつき、あなたは今、お店のパンをその袋に入れましたねと言いました。

 

すると彼女は、お願いです見逃してくださいと目に涙を浮かべて私に言いました。

 

私は彼女に、なぜパンを万引きしたのか聞きました。

彼女は50歳になる息子と二人暮らしでとても貧しい生活のようでした。

 

息子は3年前まで会社勤めでしたが、厳しいノルマや劣悪な労働環境で心身ともに

疲弊し、会社を辞めて再就職しないで彼女の年金で暮らしていたようです。

 

彼女は息子が会社勤めで苦労していたのを知っていたので、再就職のことは何も

言いませんでした。

 

生活費の不足は、息子が会社勤めしていた時の貯えで補っていましたが、

それもだんだん残り少なくなってきました。

 

そんな頃、息子が病気にかかり、その治療のため、息子はしばらく通院をしました。

 

息子は国民健康保険を滞納していたため、治療費の全額を負担しなければ

なりませんでした。

 

息子は治療のおかげで病気もだいぶ回復したようですが、治療費がかかったことで

お金がなくなって、ふたりとも、もう二日間何も食べていないようでした。

 

私は彼女にパンは何個取ったのか聞きました。

すると1個だと言いました。

 

私はなぜふたり分の2個取らなかったのか聞きました。

 

彼女は二日後には年金が入る、私は我慢できるが病後でやつれている息子に

だけは少しでも食べさせてあげたかったと言いました。

 

私はそれを聞いて胸が熱くなり、かわいそうにと思いました。

一瞬、私は彼女を見逃してあげようかと思いましたが、考え直しました。

 

もし私が今ここで彼女を見逃せば、きっと将来、彼女は後悔してこころが痛む

だろうと思いました。

 

私はこんな人こそ許してはいけないと思いました。

 

私はこころを鬼にして彼女をコンビニに連れ戻し、店長に彼女の万引きのことを

知らせました。

 

彼女は取ったパンを返し、店長に何度も何度も謝りました。

 

どんな事情があっても万引き行為は犯罪です、店長はすぐに警察に連絡し、

お巡りさんがきて彼女にいろいろ聞きました。

 

その後、お巡りさんは息子に連絡を取り、身元引受人としてお店に来てもらって

事情を説明しました。

 

それを聞いた息子は店長にだけではなく、母親にも申し訳ないと思いました。

 

本来ならこの場では、母親の行為に対して叱るのが当然なのですが

自分のふがいなさで母親がこんなことをしてしまったと思うとできませんでした。

 

ただただ謝りました、そしてふたりは反省してお店を出ました。

 

その時私はお店でパンを2個買い、これからあなたたちが再出発するための

お祝いだと言って渡しました。

 

それから数か月後、またそのお婆さんに偶然出会いました。

彼女はあの時のお礼を言った後、続けて嬉しそうに私に言いました。

 

あれから息子は自分のふがいなさを反省し、仕事をするようになり、パートながら

元気で働いているそうです。

 

あの時があったから息子は働くようになったと再度私にお礼を言いました。

私はそれを聞いてとてもうれしく思いました。

 

私はそのとき、愛とは優しさだけではなく、厳しさも必要だなと改めて感じまし

ブログを始めて1年を迎えることができました

 

皆さまのお仲間に入れさせて頂いてちょうど1年になりました。

息切れをしながらなんとかここまでたどり着きました。

 

私がここまでブログを続けることができたのは皆様のおかげだと思って

感謝しています。

 

私がブログを書くようになったきっかけは、私の気持ちを伝えることができる

場所を見つけたからです。

 

それまでは私の人生の中で、楽しかったことや悲しかったことなど感動した

場面はたくさんあったのですが、それを共感してもらうことはできませんでした。

 

私は口下手であり、多くの人の前で話すことはとても苦手だったからです。

 

そんな私でも、目の前のパソコンに向かって自分の気持ちをキーボードで

打てば、ブログを通して私の気持ちが人に伝わるのではないかと思いました。

 

しかし、私がブログを始めたころは考えが甘く、適当に何か書いていれば

そのうち誰かが読んでくれるだろうと思っていました。

 

そんな甘い考えは数日ではかなく消えてしまいました。

書いても書いても私のブログは人に読まれることはありませんでした。

 

私が投稿したブログは一体どこに行ったんだろうかと思いました。

 

それでもネットに繋がっていないのかと思えるようなブログの世界に向かって、

ひとり寂しく、こころを込めて、もくもくとブログを書き続けました。

 

そんなある時、パソコンに向かってブログを書いていると夜空に明るい一番星が

輝いているように見えました。

 

パソコンの画面の右上に、赤丸に白抜きの1が表示され、私に見てくれと誘いました。

 

私は驚いてそれを見ると、○○さんがあなたの○○に☆をつけましたと書いて

ありました。

 

私は大喜びで読んでくれた方のブログにお邪魔し、コメントにお礼を書きました。

中学生が書くような私のブログを読んでもらってとても嬉しかったのを覚えています。

 

それからブログを書き続けていると、コメントをいただくようになりました。

 

「とても読みやすく、引き込まれるようなブログですね」と言われ

とてもうれしく思いました。

 

時には、ブログを書きながら過去の思い出を振り返ると、書いているうちに

気持ちが高ぶり涙が出ることがありました。

 

そんなブログを投稿した後に、「感激で涙が出ました」とコメントが届き、

私の気持ちが伝わったのにはとても感動しました。

 

少し褒められた私は調子に乗って「ミツバチ」、「カレー」、「うさぎ」、

「ゴキブリ」、「クマ」などに変身してブログを書いたこともありました。

 

ブログの世界で大いに楽しみ、暴れまくってしまいました。

 

この1年の間には、私のようなブログを書き続けていいのかと思うこともありました。

 

ブログの世界で私のような常識外れのような変わったブログを書く人はあまり

いないのです。

 

こんなブログを続けていたらそのうちブログの世界から追い出されてしまうと

思い、その前に自分からやめてしまおうと思ったこともありました。

 

そして覚悟を決めて最後のブログを書き投稿しました。

 

すると、ブログを公開した後しばらくしてパソコンの右上に赤いマークが表示され、

○○さんがあなたのSSDDGGSSの読者になりましたと書かれていました。

 

こんな私のブログでも読者になってくれる人がいるんだと思うと、とても

嬉しかったです。

 

私は今読者になって頂いた方にここでブログをやめては申し訳ないと思い

その方の応援をもらってここまで続けることができました。

 

私のようなブログでも読んでもらえるのは、私が多くの人のブログを

読み続けたからだと思います。

 

私は何回も書いていますが、自分でブログを書くよりも、他の人が書いたブログを

読むほうが好きなのです。

 

他の人の書いたブログを読むと人生の勉強にもなるし、私がブログを書く時の

参考にもなります。

 

私はとにかくたくさんのブログを読み続けました。

そうするとその中から私のブログを読んで下さる方がいて、お友達になりました。

 

読んだり読まれたりすることでだんだん楽しくなってきました。

最初の頃の一人ぼっちでパソコンに向かっていたのとは全然違ってきました。

 

私のこれからの目標はなんとか200記事を達成することと

 

下の「ブログを書かないブロガー」として皆様のブログを楽しみに読み続ける

ことです。

 

これからもよろしくお願いします。

 

ssddggss.hatenablog.com

お金持ちになる夢

 

私の部下に、いつもお金が欲しいと言うのが口癖の社員がいます。

給料明細を見ては、これだけつらい思いをしてこれだけかとため息をつきます。

 

私は彼に、会社にこき使われた我慢料だとよく言います。

 

彼はお金がたくさんあったら我慢することなく楽しく生活ができるのにと言います。

私は彼に、お金があったら何をしたいのか聞いてみました。

 

彼はまず、働かなくていいので時間が自由に使えると言いました。

24時間が自分の自由な時間、誰からも束縛されない希望の生活。

 

それから好きなものが買える、例えば、タワーマンションの最上階、高級外車。

好きなものが食べられる、高級レストランでのフランス料理のフルコース、

和牛の特上ステーキ、松茸たっぷりのすき焼き。

 

好きな所へ行ける、超豪華客船による世界旅行、宇宙船による月旅行。

好きなサービスが受けられる、難病の時の最先端の高度医療。

 

彼はいくらお金があっても足りないかもしれないと言いました。

 

私は彼とはまったく考えが違っています。

 

給料明細を見ると、私の仕事に対して金額が多すぎると思い、いつも

会社に申し訳ないと思いながら感謝しています。

 

以前に何度も書きましたが、私は子供の頃、食べるのにも苦労するような

貧しい家庭で育ったので、給料は生活できるだけもらえれば十分なのです。

 

彼は私に、もっとお金はほしくないのかと聞きました。

私は、お金はほしくはないがお金持ちにはなりたいと言いました。

 

彼はそれはどういうことかと聞いてきました。

 

私が子供の頃、家が貧しくて、甘くておいしいメロンを食べたことは一度も

ありませんでした。

 

いつどんな人がメロンを食べることができるのか想像もできませんでした。

 

いつもマクワウリを食べながら、本当のメロンとはどんな味なのか未知の味

を頭に描いてこころで味わいました。

 

お店に並べてある、食べ頃の日付けが付いた高級メロンを見ては、いつかは

食べてみたいと思っていました。

 

私はその頃、大人になって自分で稼げるようになったら、一番高いメロンを

買って、ひとりで全部食べるのが夢でした。

 

そして今の会社に入社して初めてもらった給料で、今まで夢だったメロンを

買って食べました。

 

最初の一口は、この世のものかと思うほどの甘さと香りで私のこころは酔いました。

 

しかし食べ続けているとだんだんその感覚が薄くなり、最後はもういいやと

言う満足感と引き換えに私の夢は消えてしまいました。

 

私は、食べたことのないメロンを手に入れようとしていた時が、一番幸せだった

のかもしれません。

 

話しは戻りますが、私は彼の疑問に答えました。

私は彼に、お金持ちがどんな生活をしているのか知らないと言いました。

 

彼が言ったように、時間とモノとサービスを十分に手に入れることができて

夢のような生活をしているかもしれません。

 

でも、私の読んだ本には、何でも手に入るお金持ちは、今の何不自由のない生活が

壊れることの不安でびくびくしていると書いてありました。

 

でも私は貧乏なので失うものは殆どありません、あるのは、お金持ちになれる

かもしれないという大きな夢です。

 

だから私はお金が実際手に入らなくても、彼が言ったような夢のような生活が

できるかもしれないという希望があります。

 

もしかしたら、希望を持っている私は、お金持ち以上に幸せなのかもしれません。

 

メロンを食べる前の夢とお金持ちになる夢は同じだと思います。

食べたい、なりたいと思っている時が一番幸せだと思います。

 

実際にはお金がなくて辛い思いをしている方もたくさんいると思いますが、

少しでも気持ちが前向きになってもらえればと思います。

私が認知症になったら

 

早起きした私は、外を見るといいお天気で雲ひとつない快晴でした。

こんなにお天気のいい日は趣味のウォーキングには最適です。

 

娘に、少し早いけど、朝ご飯にしたいから準備してくれないかとお願いしました。

すると娘は、今ご飯は食べたばかりでしょ、何言っているのと言いました。

 

私は今起きたばかりでご飯なんか食べていません。

 

 

私は仕方なく朝のすがすがしい空気を吸って元気になろうと思い、娘に、

少し散歩のために出かけてくると言いました。

 

すると娘は、ひとりで外に出てはいけません、道に迷って帰れなくなるからと

私を外に出してくれません。

 

私がこれだけ元気なのはウォーキングのおかげ、歩きなれている道を

なぜひとりで歩いてはいけないのでしょうか。

 

 

新聞を読んでいると、私の好きなお刺身が特売価格でチラシに出ていました。

娘に、これから買い物に行くからお母さんを呼んできてくれと頼みました。

 

すると娘は、何言っているの、お母さんは3年前に亡くなったのよと言いました。

娘は何を言っているのだろう、昨日も一緒に買い物に行ったばかりなのに。

 

 

私は甘いものが食べたくなり、近くのコンビニでスイーツのおいしいものを

買いに行こうと、机の引き出しに置いてあった財布を取り出そうとしました。

 

ところがいつもそこに置いてある財布が見当たりませんでした。

娘に、誰か私の財布を持って行かなかったかと聞きました。

 

娘は、お父さんがどこかほかの場所に置いて忘れているのでしょうと言って

薄情なのか一緒に探してもくれません。

 

私は必ずいつも財布はそこに入れています、絶対誰かが私の財布を盗んだに

違いありません。

 

 

今日もそろそろ終わり、夕方になり日が暮れてきました。

娘に、今何時かと聞きました。

 

すると娘は、何回おんなじことを聞くのもう5回目よ、いい加減にして頂戴と

言いました。

 

驚きました、私が時間を聞くのは今日は初めてなんですよ。

 

 

娘が私に、どうしてお父さんはこんなになってしまったの、少し前はあんなにしっかりして、とても人の気持ちがわかるいい人だったのに、今は別人ですと言いました。

 

私は別人ではありません、私のすることなすことにいちいちケチをつけ、私の自由を

奪ったお前こそ別人だ、お前は昔はもっとやさしかった。

 

 

これは私の会社の同僚で、実際、親御さんの介護をしている人から聞いた話を

もとにして、私が認知症になったつもりでその気持ちを書いてみました。

 

その人たちの仕事と介護の両立が、精神的にも肉体的にも、いかに大変なのかが

わかりました。

 

高齢化でこれから認知症になる方が増えると予想されます。

 

いろいろな人から介護についてお話を聞きましたが、私が一番大切にしたいのは

認知症の方のこころの理解だと思いました。

 

認知症の方はボケてしまってなんにもわからないからと思って、強く叱っても

いいとは思いません。

 

その人たちも認知症と戦いながら苦労して生きているのです、人格を否定する

ようなことを言われるとこころが傷つくと思います。

 

また、認知症になってもできることはあります、何もかもできないと思わないで

できることは自分でやってもらった方がいいのではないかと思います。

 

何もできない絶望よりも、これならできるという希望を持ってもらいたいのです。

 

認知症の方は、自分の思わぬ頭の混乱に対しての周りの反応に驚き、こころが

ついていけないのではないかと思います。

 

あまりにも変わり果てた言動に、驚き嘆くのではなく、やさしくお話を聞いて

それに合わせてあげれば、きっと安心するでしょう。

 

仲良く手を繋いで横に並び、お互いの気持ちを確かめながら歩くのです。

例え、認知症になっても人のこころは愛を求めていると思います。

 

私は認知症になっても、安心して暮らしていくことができる、愛にあふれた

世の中になってほしいと思います

愛のお釣り

一昨日、仕事がお休みだった私は、お天気が良かったので家の近くを

ウォーキングしました。

 

20分くらい歩いた時、お年寄りが私の方に向かって歩いてきました。

足取りが重く、ゆっくりとした歩き方でした。

 

彼はどこか具合が悪いように見えました。

すれ違う少し前に、そのお年寄りは地べたに腰を落としてしまいました。

 

じっと立ち上がらないので、私は彼に近づきどうしましたかと尋ねました。

すると彼は顔をあげ、辛くて情けないような複雑な表情で私を見上げました。

 

彼は近くのドラッグストアに行って、腰に貼る湿布を買って帰る途中、

急に腰に激痛が走り、立っていられなくなったようです。

 

ひとりでは歩けないほどの痛みで苦しんでいる彼を放っておくことは

できませんでした。

 

私は彼に、家はこの近くですかと聞くと、数十メートル先だというので

私は彼を支えて家まで連れて行きました。

 

家に着くと彼の奥さんが出てきて、私が事情を話すと家の中へと案内してくれました。

私は彼をソファーの上にゆっくり降ろしました。

 

彼は私にお礼を言いましたが、まだ痛みは取れていなかったようでした。

彼の奥さんは、彼が買ってきた腰の湿布を貼ってあげました。

 

私が帰ろうとすると、彼女はお茶でも出すから少し休んでいってくださいと

言いました。

 

私はお茶を飲みながら彼女と少しお話をしました。

 

腰を痛めている彼は、現役時代に仕事を転々とし、収入が少なかったせいで

年金が少なく、65歳まで働いたようです。

 

その頃彼は大きな病気をし、それからは働けなくなったようです。

蓄えていたお金もその時の入院費で大きく減り、少ない年金で暮らしているそうです。

 

本当は彼は、病院に行って治療すれば楽になるのでしょうが、お金がないので

湿布を買ってそれを貼って我慢しているとの事でした。

 

食費もできるだけ節約してなんとか生活しているようです。

 

彼女はこれからふたりが病気をしたり介護されるようになるとお金がかかるので

どうしようかと、とても心配していると言いました。

 

私はそれを聞いて私の将来も不安になりました。

 

私は給料が少なくても、贅沢をしなければ何とかやっていけると思っていましたが、

このふたりの暮らしぶりを見て、楽観的に考えていてはいけないと思いました。

 

いざという時に備えて、生活を見直さなければならないと思いました。

 

私はそろそろお邪魔しますと言って帰ろうとすると、彼はゆっくり起き上がり、

私からのお礼だと言って、先ほど買ってきた湿布の残りを私にあげると言いました。

 

私は今腰が痛くないから結構ですと言いました。

 

ところが彼は、今私が一番大切で必要なものはこの湿布です、私は貧しくて

あなたにお礼にあげるものはほかにありません。

 

私の一番大切なものをあなたにあげたいのです、それが私ができるただ一つの

恩返しですと言いました。

 

今、彼にとって一番大切なものが湿布なのです。

私は彼の気持ちが痛いほどわかりました。

 

私は彼からその気持ちをしっかりいただきました。

 

私は湿布はいりません、今あなたからこんなに大きな愛をいただき、私はあなたに

お釣りを返さなければなりませんと言いました。

 

それから私は近くのドラッグストアに行き、たくさんの湿布を買って

彼に大きな愛のお釣りとして渡しました。

 

愛が私のこころを動かし、彼に愛のお釣りをお返ししてしまったのです。

私は愛こそ人生の宝物だと思いました。

 

私は先ほど、将来が不安だと書きましたが、もしかしたらお金がなくても

愛があれば幸せに生きていけるかもしれません

一番おいしいコーヒー

 

私は1年くらい前からコーヒーを楽しむようになりました。

茶店やカフェで飲むと高くつくので、お店で買って家で飲みます。

 

私はYouTubeを見て、美味しいコーヒーの入れ方を勉強しました。

 

沸騰したお湯を少し温度を下げ、コーヒーの表面全体が濡れるまで

回すように、お湯をかけて蒸らします。

 

その時間は20~30秒ですが、私は30秒かけてしっかりした味に作ります。

そして中心部分にゆっくりと円を描き、お湯を乗せるようにして抽出します。

 

出来上がったコーヒーの香りと味わいは、こころを平和でしあわせな気持ちに

してくれますね。

 

私はいつもカルディのお店でコーヒーを買います。

 

お店が暇な時は、私はおすすめのコーヒーを店員さんにお任せして選んでもらいます。

苦さと酸味は、私の気分を伝えて、その時に合ったものを選んでもらいます。

 

私がブログを書き始めた頃は、気持ちを込めて個性的に書こうと思い、凝縮された

果実味で個性的な味わいのグアテマラフレンチを好んで飲んでいました。

 

向こう見ずな私は、ブログの世界を甘く見て、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるで

どんどん投稿し続けました。

 

そのときは、野性的な香りと力強いコクのマンデリンを飲みました。

 

そのうち私のブログは壁にぶち当たり、甘い考えから目が覚めました。

 

そのときは、目覚めの一杯にオススメのキレの良い苦みの、モーニングブレンド

勧められました。

 

私はこれではいけないと反省して、他の人のブログを読んで勉強しました。

私はもっと柔軟な気持ちで、読みやすく、続けて読んでもらえるようなブログを

書こうと思いました。

 

そこで飲んだのが、甘い香りの残る後味とコク、柔らかな苦みのイタリアンロースト。

 

それからも勉強のために、私は他の人のブログをたくさん読み続けました。

みなさんのブログはとても素晴らしく、優雅なブログを書かれていました。

 

私はそれを読みながら、花のように華やかでエレガントな風味の

フローラルモカを飲みました。

 

私はそれに刺激を受け、もっともっといいブログを書きたいと思いました。

 

そのときは、上質を求めたこだわりの逸品である、プレミアムブレンド

飲んでみました。

 

私はそのうち、重大な間違いを犯しているのに気付きました。

だんだん香りや味にこだわり過ぎるようになっていました。

 

いいブログを書こうとして、ブログを始めたときの初心を忘れていました。

ブックマークや☆をたくさん集めるのは私のブログの目的ではありません。

 

NO.1ですべての味わいが調和した、ブルーマウンテンを飲むためではないのです。

私のブログは楽しく読んでもらえればそれだけでいいのです。

 

私に似合うのは安くてすっきり、ライトで飲みやすいアメリカンブレンドです。

私はサザエさんのように、庶民的なブログが書ければいいと思っています。

 

話は変わります、昨年の12月のことです。

 

私は年末で仕事が忙しいなか重大なミスを犯し、同僚に大変迷惑をかけて

しまいました。

 

ただでさえ忙しい年末なのにみんなに負担をかけてしまいました。

 

私のミスでみんなは残業しなければならなくなり、家族が楽しみにしていた

クリスマスイブを台無しにしてしまいました。

 

私は同僚に合わせる顔がありませんでした。

 

みんなが遅くまで仕事をし、みんなが帰った後、私は事務所で落ち込んでいました。

楽しみに待ちわびる子供さんたちのことを思うと、やりきれませんでした。

 

そこに私の上司がそっと近づいてきて、誰にも失敗はある、気にするなと言って

自動販売機で買った、紙コップに入った温かいコーヒーを差し出しました。

 

そのとき私は、上司の優しさがとてもうれしく思いました。

 

そしてそのとき飲んだ温かいコーヒーは、思いやりの香りと人情の味がして、

今までで一番おいしいコーヒーでした。

 

私はコーヒーの香りと味は、飲むときの気持ちで大きく変わるものだと思いまし