ハートのエースはどこにある?

 

私の会社の若い社員に、トランプを使ったマジックが上手な男性がいます。

彼は人に対して温かい心遣いができるやさしい人間です。

 

私はお昼の休憩時間に、休憩室で、彼のマジックをよく見せてもらいました。

彼は見ている私に、一番好きなカードは何かと聞くことがありました。

 

私はいつも一番好きなカードはハートのエースだと答えていました。

 

彼がなぜかと聞くので、私の人生で悩んで苦しんだ時の最後の切り札は愛であり、

愛の最も強い札はハートのエースだと思っているからと言いました。

 

ある日彼は、私の誕生日を覚えていたようで、誕生日のお祝いにトランプ占いを

してあげようと言って、裏返しになったトランプの束を私の前に差し出しました。

 

そして彼に言われるまま、私は1枚のカードを抜き出し、彼に見られないように

そのカードを見てそれを目で覚えました。

 

そしてまた、そのカードが何か彼に見られないように、元のカードの

束の中に戻しました。

 

私が選んだカードは、偶然にも、私の大好きなハートのエースでした。

 

彼はカードの束を裏返したまま切って混ぜました。

 

そして彼は、どれかカードを1枚引いてほしいと言って、扇子を広げるようにして

トランプを私の目の前に差し出しました。

 

私は悩んだあげく、一番右端にある1枚を抜き取り、そのカードを見ると

びっくりしました、先ほど引いたハートのエースでした。

 

そして彼は私に、あなたが選んだハートのエースは、きっと将来、あなたを

しあわせの世界へと導いてくれるでしょうと占ってくれました。

 

彼は誕生日のお祝いだと言って、私にそのハートのエースのトランプをくれました。

私は占いはあまり信じませんが、その時はとても嬉しく感じました。

 

話しは変わりますが、もうすぐクリスマスですね。

 

昨年と同様に、スーパーに勤めている知り合いの女性から、クリスマス予約の

お願いの電話がありました。

 

早いもので、あれからもう1年が経ちました。

彼女はシングルマザーで6歳になる由香ちゃんという娘とふたりで暮らしています。

 

私は去年と同じように、コメダ珈琲店で会って、クリスマスのパンフレットを

見せてもらいました。

 

それを見ながら私は、最近のふたりの暮らしぶりがどうなのか聞いてみました。

 

由香ちゃんは病気で亡くなったパパが大好きで、一緒に公園に行って遊んで

もらったときが一番楽しかったそうです。

 

夜空を眺めながら由香ちゃんに、大好きだったパパはどの星なのと聞かれると

悲しくて彼女は涙が止まりませんでした。

 

彼女は由香ちゃんと公園のそばを通るとき、父親と楽しそうに遊んでいる

親子を見ると、寂しい思いをしている由香ちゃんが不憫で仕方がないようでした。

 

彼女は生活のため、働く時間が長くて、由香ちゃんと一緒に過ごす時間が

少なくて申し訳ないと思っているようです。

 

また彼女はお金がないので、由香ちゃんに美味しいものを食べさせて

あげられないのがとても辛いようです。

 

でも彼女は由香ちゃんに、貧しくても人を愛して尽くせば、きっとしあわせに

巡り会えるのよといつも言っているようでした。

 

私は彼女の話しを聞いてかわいそうになり、今年も去年と同じように、

由香ちゃんの大好きなイチゴのケーキとローストチキンを注文しました。

 

そして昨年と同様に、クリスマスの申し込み書の送り主の欄に天国のパパ、

受取人に可愛い由香ちゃんと書きました。

 

そして備考の欄に、「パパは天国に行ったけど、辛いことがあったら

パパを思い出しなさい、パパはいつまでも由香ちゃんのこころの中で

 

生きているんだよ」と書きました。

 

私はふたりへのクリスマスプレゼントだと言って、その代金と申し込み書と

一緒に、彼からもらったしあわせを呼ぶハートのエースを彼女に渡しました。

 

私は彼女に、ハートのエースに込めた私の想いを伝えると、共感して涙を流して

喜んでくれました。

 

その後、彼が占ってくれたトランプ占いのカードは、必ず私がしあわせに

なれるようにと、すべてがハートのエースだったと種明かししてくれました。

 

私は彼のやさしさに、彼女と同じように感激で胸が熱くなりました。

ハートのエースを引くことができなければ、私の人生は辛いと思いました。

 

 

時間があったら昨年のクリスマスの彼女と由香ちゃんのことが書いてあるので

下の「愛のクリスマス予約」を読んでもらえるとうれしいです。

 

ssddggss.hatenablog.com

 

12月になると仕事が忙しくなるのでしばらくブログをお休みさせていただきます。

よろしくお願いします。(涙涙涙)

地獄の沙汰も金次第

 

最近はすっかり秋になり、私の大好きなウォーキングの季節となりました。

 

私は仕事のお休みの日に、お昼ご飯を食べて、今度はどんなタイトルの

ブログを書こうかなとゆっくり歩きながら考えていました。

 

すると私の後ろから、「あの、道をお尋ねしたいんですがいいですか」と

70歳くらいの男性が私に声をかけてきました。

 

その男性は公民館を探していたようで、私はいつもそこの2階にある図書館を

利用していたので、その場所はよく知っています。

 

私は歩いているとよく知らない人から道を尋ねられることが 多いようです。

 

そんな時、私は家に帰って洗面所で鏡を見て、声をかけやすい人畜無害な人って

こんな顔なんだと情けなく思いました。

 

話は戻ります、公民館までそこから歩いて15分くらいの距離でした。

私は暇だったので、公民館まで一緒に歩いて案内することにしました。

 

私が彼の家はこの近くなのかと聞いた途端、彼には普段話し相手がいなかったのか、

自分のことをべらべら話し始めました。

 

彼は奥さんに先立たれ、ここから遠く離れた場所にひとりで暮らしていましたが、

この近くに住む息子が一緒に住もうと強く言うのでこちらに来たようです。

 

彼の息子の家庭は嫁と小学校5年生の女の子の3人家族のようです。

一緒に住み始めた頃は何ごとも問題なく平和な生活だったようです。

 

息子の嫁は朝8時から12時までのパートで働いていて、午後からは子どもが学校から

帰るまで、彼とふたりっきりになる時間が多かったようです。

 

しかしだんだん彼と息子の嫁との相性が合わないのが分かってきました。

 

彼のそれまでの気ままな一人暮らしは、彼女にとって、許せないことが

多かったようです。

 

コーヒーを飲むとき砂糖を容器の周りに散らかしてもそのまま、トイレに

入ってもスリッパを揃えて出てこない、新聞を読んだらそのまま広げっぱなし。

 

みんなが揃って食べる朝ごはんも、好きなだけ眠る彼は遅れてひとりだけ。

その上、後片付けもしないで彼女にまかせっきり。

 

彼女はだらしない彼が大嫌いになり、軽蔑して罵るようになりました。

彼はする事なす事すべてを否定されるような気がして嫌でした。

 

そのうち、彼が何かをするとまた彼女が不機嫌になっていじめるんじゃないかと

おどおどするようになったそうです。

 

それで彼は、彼女と一緒になるのを避けて、いつも午後から出かけるようになり、

孫が夕方学校から帰る時間まで家に帰らなかったそうです。

 

ここまで話して公民館に着きました、私は帰ろうとしたところ、彼はこれから

話がいいところだから時間があるなら続きを聞いて欲しいと言いました。

 

ふたりは1階にある喫茶店に入り話しの続きをしました。

 

ある時、家族そろっての晩御飯のとき、彼はお酒を飲んでいい気分になったそうです。

嫁とふたりっきりの時は憂鬱ですが息子と孫がいれば楽しくお酒が飲めました。

 

そのとき彼は酔いに任せて自分の財産のことを話しました。

彼は定年まで同じ会社に勤め、入った会社は最初は小さな会社だったそうです。

 

その会社には従業員の持ち株制度があり、彼は若いうちから毎月の給料から一定額、

給料天引きで積み立てたそうです。

 

それから彼の会社はだんだん大きくなり、株式市場に上場することになったそうです。

上場して株価がついて彼は驚きました。

 

彼の積み立てた株は上場で何十倍にもなり、その後も株価は上昇し、なんと、

今売れば5000万円になるそうです。

 

それを聞いた嫁はその瞬間から鬼から女神に大変身したそうです。

それから彼が何をしても笑顔でやさしくしてくれるようになったそうです。

 

あれほど彼を罵っていた彼女はお金に目がくらみ、愛がある素振りをしました。

彼は嫁の豹変ぶりを見て、地獄の沙汰も金次第ということわざが浮かんだそうです。

 

彼は、偽りの愛でごまかしやさしくする嫁の態度が許せなくて、今でも午後から

出かけるそうです。

 

彼はお金の話をしたことで人のこころの醜さを見てしまい、後悔しているようです。

 

私はお金には無縁な人間ですが、彼の話しを聞いて、お金って人のこころを

大きく変える魔物のようなものだとつくづく思いました。

 

私はお金がなくても、誠実に生きれば、本当の愛は見つけられるものだと思いました。

愛のメロディー

 

私は車を運転している時も、歩いている時も、あのブーという

ラクションのけたたましい音が大嫌いです。

 

それも長く何度も鳴らされると、とても不快に感じます。

 

私の住んでいる所は田舎なのですが、職場は街中にあり、車通勤の私は

朝の通勤時間の渋滞には少しイライラします。

 

私は会社に遅刻するのが嫌なので、いつも、朝少し早めの時間に家を出ます。

先日、朝の通勤途中、私は左折のために信号待ちをしていました。

 

そこは青信号の時間が短く、左折した先には横断歩道があり、歩行者が

多い時には青信号でも数台しか左折できません。

 

左折待ちの車が多いときは信号2、3回待ちになってしまいます。

 

信号が青になって私は左折しようとしましたが、前に数台車が待っていて、

運悪く左折直前で信号が黄色に変わりました。

 

朝の忙しい時間帯、他の車は黄信号でも無理して左折するようでしたが、

私は安全運転を心がけているので停止しました。

 

すると後ろの車からどうして進まないのかと激しくクラクションを鳴らされました。

恐らく、私が左折すれば後ろの車も私の車について左折しようとしたのでしょう。

 

後ろの車は急いでいたのかも知れません、1回の信号待ちが我慢できなかった

ように思いました。

 

でも私はクラクションを鳴らされていい気持ちはしませんでした。

 

私が間違ったことをしたら注意されても仕方ありませんが、そんなことは

ありませんでした。

 

私は一瞬、煽り運転のドライバーの気持ちがわかるような気がしました。

私はこころの中の悪魔を暴れないように鎮めました。

 

私は悔しくてバックミラーで後ろの車のドライバーの顔を見ました。

 

驚きました、後ろの車のドライバーは見るからに真面目で善良そうな

中年の女性です。

 

こんな人がどうして私の運転にクラクションを鳴らしたのか不思議に思いました。

でも人は見かけによらないもの、その女性のこころの正体を見たような気がしました。

 

ラクションは言葉を発しません、ただ大きな音を出すだけです。

 

ラクションは人の気持ちを気遣うものではありません。

なので、鳴らす人と聞く人によって感情が大きく違うことがあります。

 

車の運転をすると普段とは人格が変わる人がいると聞きます。

彼女は、車から一歩出ると私と同じで、お人好しで小心者かも知れません。

 

もしかしたらその人は私が黄信号で急に止まったので、急停止は危ないから

流れに沿って運転しないと危ないですよと注意してくれたのかもしれません。

 

私は車を降りてなぜクラクションを鳴らしたのか理由を聞きたかったのですが、

そんなことをしたらきっと相手は怖がるでしょう。私がされても怖いです。

 

私はほとんどクラクションを鳴らすことはありません。

 

あるとすれば、他の車が駐車場からバックで道に出る時、私の車が近づいて

いるのに気付かない時くらいです。

 

今のイライラしてこころに余裕のない人が多い時代に、あの非情なクラクションの

音は合わないと思います。

 

危険防止には役立ちませんが、私はブーという音ではなく、アイ ラブ ユー  愛のメロディーを鳴らせば世の中が平和になるような気がします。

 

でもよく考えると、私はクラクションの音くらいで腹を立てるこころの

狭くて貧しい人間なのでしょうね。

 

生きていくことの厳しさに、人を愛する気持ちを忘れていたかも知れません。

 

ラクションは、私に、もっと人生にゆとりを持って穏やかに暮らしなさいと

警鐘を鳴らしているのかも知れませんね。

 

彼女のクラクションの音は不快でしたが、実は、私の生き方を考えさせてくれた

やさしい愛のメロディーだったのかも知れません。❤❤❤

 

こころの繋がり

 

お久しぶりです。

仕事が忙しくてなかなかブログを書けませんでした。

 

以前、何年もブログを続けている読者の方から、「ブログって、無理して

書かなくてもいいんだよ、書きたくなった時書けばいいんだから」と

 

やさしいコメントをいただき、とても気が楽になりました。

そのほかにもこころ温まるコメントをいただきありがとうございます。

 

私の書くブログは読んでもらうことも嬉しいのですが、それ以上にこころが

繋がることの方が嬉しく思います。

 

私はとても寂しがり屋で、子どもの頃小学校から家に帰った時、どこに行ったのか

いつもいる母親がいないと、不安で寂しい思いをしていたのを覚えています。

 

私は誰かとこころが繋がっていないとどうしようもない寂しがり屋です。

 

なのでしばらくの間、ブログを書かないでみなさんのブログを読むだけでしたが、

こころの一方通行は寂しくなり、たまらずブログを書いてしまいました。

 

話しは変わりますが、私と妻は先日ショッピングセンターに買い物に行きました。

 

今の時期はお歳暮とクリスマスがメインのテーマとなっているように思いました。

お歳暮コーナーには、何人かの人がイスに座って、順番を待っていました。

 

私はそれを眺めながら、私の子どもの頃のことを思い浮かべました。

 

私が子どもの頃、父親は建設会社の支店長であり、不景気で会社が倒産するまで、

お中元・お歳暮の時期にはたくさんの贈り物が家に届いていました。

 

特にもらって嬉しかったのは百貨店の商品券でした。

 

私は母親に連れられて百貨店に行き、これで美味しい食事をしてマンガの本や

おもちゃを買ってもらって、とても嬉しかったのを覚えています。

 

いつもこんなにたくさんの贈り物が届くのを見て、父親はどんなに

立派な人なんだろうと子ども心に思いました。

 

本社が遠方にあったので、地元の取引先との決裁はほとんど父親がしていたようです。

近所の子どもたちは私のことを社長の息子だと思っていたようです。

 

そんな父親ですが私に、「お父さんとお母さんはどっちが好き」と聞くことが

ありました。

 

父親は自分のほうが好きだと言われるのを期待していたようですが、

私はそんなことを聞かれて困り、どっちも好きと答えていました。

 

でも、本心は、仕事で夜遅くまで帰らない父親より、いつも一緒にいる

母親のほうが好きでした。

 

それから、父親の会社が倒産してからは取引先は豹変しました。

今までお歳暮を贈ってくれた取引先は鬼になり、借金取りに変わりました。

 

私の父へのお歳暮は父親の支店長という立場に贈られたもので

父親個人の人間性に対して贈られたものではありませんでした。

 

私はもう少し大人になって、利害関係による薄っぺらい繋がりは、

弱くて脆いものだとわかりました。

 

それから私の家族はご飯も満足に食べられない貧乏のどん底に落ちました。

私は子ども心に世の中の厳しさを肌で感じました。

 

お金がない貧乏な暮らしはとても心細いものだと知りました。

寂しさの中で私は、無性に誰かとのこころの繋がりが欲しくなりました。

 

私はできるだけ自分をさらけ出し、深入りし過ぎない程度に相手のこころの

中に入って相手の気持ちを理解する努力をしました。

 

私は人の悩みをきいたり話しを聞くことで少しでも気が楽になってもらう

ようにしました。

 

小さな親切にも大きな感謝をするようにしました。

物ではお返しできませんが、こころでお返しをしました。

 

私がそんなことを続けていたら、私を友人として受け入れてくれる人が

たくさんできました。

 

お歳暮をもらっていた時よりも貧しい時のほうが、人との間に共感や友情が生まれ、

しあわせがたくさん見つけられるようになった気がします。

 

私は最近、ほとんどお歳暮はもらうことはありません。

 

今では、どんな高価なお歳暮よりも、職場の仲間から「お歳暮よ」と言って

あめ玉をひとつもらったり、私の誕生日を覚えてくれていた友人から、

 

お歳暮代わりに、「お誕生日おめでとう」のメールをもらう方が嬉しく思います。

 

なので私は、ブログを通じて、みなさんとのこころの繋がりが嬉しいのです。

いつも私のブログを読んでいただきありがとうございます。

ご飯が美味しく食べられるしあわせ

 

私は慌て者なので、焦って失敗したことが何度もあります。

 

予定の時間までに仕事を終えようとしていても、何かのトラブルで、

予想以上に時間がかかってしまうことがあります。

 

私はそれを取り戻そうとして慌てて、ますます時間がかかってしまい、

パニックになることがあります。

 

先日、お客さんからクレームがあり、お詫びのために、約束の時間にお客さん宅を

訪問することがありました。

 

私は事前にお客さんの家を地図で確かめて、時間に余裕を持って会社を出ました。

 

その時は既に日が暮れて真っ暗で、不慣れな夜の家探しだったので、

地図で見るのと実際の場所はまったく違って見えました。

   

先のよく見えない暗い中で、私はとても不安な気持ちになりました。

そのうち私は、自分がどこにいるのかわからなくなり、道に迷ってしまいました。

 

暗い夜道をひとりで迷い、約束した時間に目的地に辿り着けなくなりそうで

慌てた私ですが、人生でも同じように迷うことがあります。

 

しあわせという明確な目的地がありますが、私はそこに辿り着くのに迷路の

ような道を通ってしまうんです。

 

真っすぐ行けば、辿り着けるしあわせがあっても気がつかないんです。

目の前には障害物がたくさんあって、それに気を取られて、先が見えないんです。

 

話しは変わりますが、ある時、私は家の近所をウォーキングしました。

そこにはいつも家の前の道を掃き掃除しているお婆さんがいました。

 

このお婆さんは以前、町内会の掃除の時一緒に草むしりをしたことがあり

彼女のことはよく知っています。

 

私は人生の大先輩である彼女に、私の先の見えない人生の不安について話しました。

 

すると彼女も少し若い頃は先の見えない人生に不安を感じた時もあったそうです。

彼女はお金持ちを見るとその暮らしぶりに、羨ましくて嫉妬したそうです。

 

自分の生き方に満たされないこころの彼女は、人のしあわせを素直に喜ぶことが

できなかったそうです。

 

彼女は辛い人生から逃れるためにはお金がたくさんあればいいと思い、

何かお金持ちになれる方法はないかと考えたようです。

 

その結果、彼女は強欲となり、しあわせを求め、人に相談すれば誰もが止める

ような儲け話に騙され、貯金の大半を失ってしまったそうです。

 

彼女は大儲けしてしあわせになるどころか、貧乏のどん底に転落してしまいました。

先の見えない未来に希望の光を求めても、思うようにはならないと気付きました。

 

彼女はそれから生き方を変えたそうです。

 

私利私欲に走ればキリがありません、そんな人が歳を取れば、まだまだ生きたい

もっとしあわせが欲しいと言って未練が残り、やがて来る死を恐れるでしょう。

 

人はいつかは死ぬもの、彼女は見えない先のことを心配するのではなく、

今を大切にして、まわりのすべての事に感謝しているようです。

 

彼女は今、毎日掃き掃除をしながら、貧しくても今日を生きることが

できるなら、それだけでしあわせだと思っているそうです。

 

そう言って、彼女はポケットから100円玉を1枚取り出して私に見せました。

 

彼女は毎日、今日も無事生きることができたと感謝して、それを貯金箱に

入れるそうです。

 

そして、1か月に一度、貯まった貯金を取り出して、友達を誘ってスーパー銭湯

行って、お風呂に入ってご飯を美味しく食べることが最高のしあわせだそうです。

 

彼女は私に言いました。

 

あなたは何を焦って先のことを心配しているの、今を大切にして感謝して

人を愛しなさい。

 

あなたの人生はまだまだ長い、楽しく生きなきゃ損よ。

 

暗い夜道で迷ったら、慌てないで立ちどまりなさい、そして周りの人に

道を聞きなさい。

 

暗くて見えなくても、あなたの周りには親切な人がたくさんいるのよ。

あなたに道を教えてくれる人にこころから感謝しなさい。

 

そしてあなたもご飯が美味しく食べられるしあわせを味わいなさい。

 

そう言って彼女は、私の手のひらに100円玉を乗せて、彼女の両手で

包み込むようにしっかりと握りました。

 

私はそのとき、愛情たっぷりの彼女の手のぬくもりを感じました。

 

私は彼女の言っている意味がわかりました。

 

しあわせってこころのなかにあるんですね、私が生きているかぎり。

今を大切にして感謝するしあわせがあるからご飯が美味しく食べられるんですね。

 

私はそのとき、彼女から人生の奥深さを教えてもらってとても嬉しく思いました。

バカになれる人

 

私はお笑い番組が大好きで、テレビやYouTubeでよく見ています。

こんなバカなことやってお金を稼いでいるなんていいなと思います。

 

でも、お笑い芸人さんって素晴らしいなと思います。

落ち込んでいる時、そのお笑いが私を救ってくれるからです。

 

私は今まで何度もお笑いに助けられました、お笑いは私にとって救いの神です。

 

私は複数の芸人がするお笑いよりも、一人でするお笑いのほうが好きです。

 

なぜかと言うと、複数の芸人のお笑いは相方との会話が中心で、ひとりの場合は

直接お客とのコミュニケーション密度が高いからです。

 

笑いが渦巻くお笑いの途中で、

 

「お客さん、立ち上がってもう帰るの?、えっ、トイレですか、トイレは

そこの出口を出てすぐ左だよ、これからいい話になるから早く帰っておいで。」

 

そんなお客との一体感のあるお笑いは、すごくこころが温まります。

 

楽しいお笑いの裏には、その芸人の過去の辛い経験があり、それを肥やしにして

お笑いに取り入れているのでしょう。

 

なのでお客に、辛いことがあっても自分のお笑いで少しでも元気になって

もらいたいという切なる思いがあるから、こころに響くのだと思います。

 

辛い思い出を笑いに変えるなんてとても素晴らしいと思います。

人の気持ちを理解できるからこそお笑い芸人は人気があるのでしょう。

 

私はお笑いを通してやさしい愛を感じます。

 

話しは変わります、私が若い頃、会社の同じ部署に女性の先輩がいました。

 

仕事に厳しく真面目で、私は彼女にいつも細かいことを注意されていました。

私の将来のことを考えて、若いうちにきちんと教育しようと思っていたようです。

 

でも、お昼の休憩時間になると、その女性は天真爛漫、バカ丸出しでした。

 

彼女の包み隠さない話しはみんなの興味を引くようで、彼女の周りには多くの人が

集まって一緒にご飯を食べていました。

 

彼女の恥を知らないバカ話は、周りの人のこころを惹きつけるんですね。

彼女の話しを聞く周りの人は爆笑の連続でうるさいくらいでした。

 

彼女は決して人の悪口は言いませんでした、なのでみんな警戒心がなく

場の雰囲気がとてもよく、楽しく食事ができました。

 

私は他の同僚と少し離れたところでご飯を食べていましたが、いつも、仕事中とは

別人のようだと思っていました。

 

私は彼女の話しているのを聞いて、彼女がバカになることで、職場のみんなが

元気になるような気がしました。

 

一緒に仕事をしない他の部署の人は、彼女を見て、それが本来の彼女の姿だと

思っていたでしょう。

 

私は知っています、彼女は若い頃ご主人と離婚し、ひとりで幼い子供を

育て上げるのに苦労し、辛い思いをしてきたことを。

 

辛くて心細くて、死んでしまいたいこともあったようですが、彼女は多くの人の

愛によって助けられたようです。

 

世の中にはこんなにいい人がたくさんいるのだとつくづく思ったそうです。

 

なので彼女はなんとかその人たちに恩返しをしたいと思っていました。

考えた末、彼女が自分でできることは、バカになって人を愛することでした。

 

彼女は自分の過去の辛さを笑いに変える話術を身につけたようです。

 

人のこころの痛みを知り尽くした彼女はまさしくお笑い芸人ですね、人はバカに

なることで周りをしあわせにするんですね。

 

今の世の中、こころの病で苦しんでいる人がたくさんいるように思います。

 

こころの中に閉じこもっていないで、時には彼女のようにこころの中を

あらわにしてバカになれば、あなたの気持ちを本当に理解してくれる人は

 

すぐそばにいて見つかるかもしれませんよ。

 

そんな訳で、私はいつもバカになって裸のこころでブログを書いています

美味しい料理の決め手はダシですね

 

私は大人になるまで味噌汁はあまり好きではありませんでした。

 

私の母親が作る味噌汁の具は、大根、ワカメ、豆腐、玉ねぎ、ジャガイモなど

日によっていろいろ違っていましたが、どれも美味しく感じませんでした。

 

私が社会人となってまだ独身の頃、ひとり暮らしの私は、夜は自炊しないで、

アパートの近くの食べ物屋さんを食べ歩いていました。

 

ある時、小さな定食屋さんで定食を食べた時のことです。

メニューには、本日のおすすめ定食として煮魚定食がありました。

 

カレイの煮付けとほうれん草のお浸しとひじきの煮物だったと思います。

それに味噌汁とご飯がついていました。

 

私はこれが美味しそうだったので注文しました。

 

味噌汁嫌いな私ですが、せっかく作ってくれた味噌汁を飲まないで残すのは

お店の人に悪いし、その日は少し寒かったので、体が温まると思い飲みました。

 

飲んでみて私は驚きました、味噌汁ってこんなに美味しいものだと初めて知りました。

家で母親が作ってくれた味噌汁とはまったく違っていました。

 

私はそのお店の味噌汁が大好きになり、週に2、3回そのお店で食事をすることに

なりました。

 

そのお店は小さなお店でしたが、小綺麗でいつも多くのお客で賑わっていました。

半年くらい通ってそこのご主人と気心が知れるようになりました。

 

私はお店のご主人に、「この味噌汁はとても美味しいのですが何か工夫を

しているんですか」と聞いてみました。

 

するとご主人は「こんなの当たり前だよ、煮干しを一晩水に浸けておき

ダシを取って、そのダシで作っているだけだよ」と言って笑いました。

 

私は後から知ったのですが、私の母親は家が貧しかったので、ダシを買う余裕が

なく、お湯に具を入れて味噌を入れるだけでダシが入ってなかったのです。

 

でも、いつも熱々の体が温まる味噌汁を作ってくれたので不味くても飲んでいました。

 

そしてご主人は「実はもうひとつ決め手のダシがあるんだよ」と私に言いました。

私がそのダシは何かと聞くと「それは企業秘密だから教えない」と笑いました。

 

そして彼は「そのダシが何かわかったら私に言いなさい、それが正解だったら

この店で一番高い、特上の焼肉定食をごちそうしてあげる」と言いました。

 

それから私はアパートでいろいろなダシを組み合わせて味噌汁を作りましたが

定食屋さんのような美味しい味噌汁はできませんでした。

 

私はしばらくして今の妻と結婚することになり、夕飯は家で食べるようになり、

しばらく、このお店に行くことはありませんでした。

 

私の妻は料理が下手で、美味しいものを作ってくれませんが、私に美味しいかと

聞くので、家庭の平和のために、いつも美味しいと言っていました。

 

そのため、いつまでたっても料理は上手になりませんでした。

 

ある時、私はひどい風邪をひいてしまい寝込んでしまいました。

高熱が続き体がだるく食欲がまったくありませんでした。

 

しかし、病院に行って注射を打ってもらって寝ていると、だんだん風邪の症状が

軽くなり、食事も少しできるようになりました。

 

その時妻は、私の風邪が早く治るようにとこころを込めて、熱々の茶碗蒸しを

作ってくれました。

 

私はそれを食べた時、いつもは料理下手な妻なのにとても美味しく感じました。

私は妻に、「この茶わん蒸しのダシはいつもとは違うの?」と尋ねました。

 

すると妻は、いつも作るのと同じだと答えました。

 

私は定食屋のご主人の言ったもうひとつのダシのことを思い出しました。

私はこれだと思いました。

 

私は風邪が治ってさっそく定食屋のご主人のところへ行きました。

そして「あの時あなたが企業秘密だと言っていたダシは愛でしょう」と言いました。

 

「大正解」、彼は笑顔で「よくわかったな」と言って特上の焼肉定食にビールを

つけてごちそうしてくれました。

 

美味しい料理とは熱いこころで食材を愛し、お客を愛し、ダシを加えることで

最高の味が出るそうです。

 

その料理を食べたお客に彼の想いが伝わり、お勘定の時、「美味しかったよ

ありがとう」と言って帰って行く時が最高にうれしいそうです。

 

そう言いながら私のコップにビールを注ぐ彼の目は輝いていました。

 

それから何年も過ぎた今、妻の作る茶碗蒸しは、あの時ほど熱くて

美味しくはありません、あの時のこころはどこに行ったのでしょう?

 

そうではないですね、せっかく作ってくれた妻の料理を感謝して美味しく食べない

私のほうが悪いのかもしれません。

死ぬまで自由でいたい

 

今年の初夏の頃のことです。

私は近所の畑を借りてちいさな家庭菜園をしています。

 

仕事のお休みの日曜日、まだ暑くならない早朝に、畑に行ってきゅうりや

トマトにナスなどの成長を楽しみながら追肥や水やりをしていました。

 

私がここの畑を借りて野菜作りを始めたのはもう10年以上前です。

そこへ畑の持ち主であるお婆さんがやってきて私に話しかけました。

 

彼女とは長い付き合いで、今まで野菜作りについて色々教えてくれました。

お陰で毎年美味しい野菜が作れるようになりました。

 

そんな彼女ですが、その時はいつもとは違って、とても深刻そうで暗い顔を

していました。

 

彼女の話しを聞いてみると、先日、遠く離れて生活している息子夫婦が

家に来て、ひとり暮らしをしている彼女のことが心配だと言ったそうです。

 

彼女はまだまだ元気なようですが、75歳をとっくの昔に越えていました。

それで息子は彼女にそろそろ老人施設に入ることを勧めたようです。

 

そしていくつかの老人ホームの入所案内のパンフレットを持ってきて説明

したそうです。

 

彼女はまだそんな気になれなく、説明を聞いてもうわの空でした。

どこの施設がいいか決めておいて欲しいと言って息子夫婦は帰ったそうです。

 

私は「老人ホームに入れば、食べることに不自由しないし、なんでも職員さんが

お世話してくれるから安心して暮らせるんじゃないの」と言いました。

 

彼女が今後のことを深刻に考えているのに、老後のことはあんまり考えていない

私は不用意なことを言ってしまいました。

 

彼女は私の言ったことに腹を立てて、彼女のご主人のことを話しました。

 

彼女のご主人は亡くなるまで老人ホームに入っていたそうです。

彼女はご主人の大好きだったりんごとプリンを持って面会によく行ったそうです。

 

ある時、彼女が家の近くで採れた柿を持っていくと、今年はいい柿ができたなと

家の近くの柿の木のある景色を思い浮かべ、懐かしそうに柿を食べました。

 

そして彼女がご主人に、今何か欲しいものはないかと聞くと、そこで聞く言葉は

いつも、家に帰らせてくれと願うこころの叫びでした。

 

ご主人は住み慣れた家での生活が忘れられなくて、家に帰りたくてたまらない

ようでした。

 

その施設では多くのお年寄りが生活していました、中には施設での生活を

エンジョイしている人もいましたが彼はそうではありませんでした。

 

毎日の変化がなく刺激のない生活は、だんだんこころが死んでいくようで怖いと

言っていたようです。

 

彼は施設のように冷暖房完備で栄養バランスの取れた食事や介護がなくても

外気の暑さ寒さを肌で感じ、採れたての新鮮な野菜を食べ、足を引きずりながらも

 

自分の生まれ育った家で生活をしたいと思っていたようです。

彼女は彼の気持ちが痛いほどわかったようでした。

 

でも彼は病弱で車いすでの生活なので、家に帰っても彼女が面倒を見ることは

できませんでした。

 

彼女が面会に行って帰るとき、ご主人に、一緒に連れて帰ってくれと涙ながらに

言われ、いつも後ろ髪をひかれるような思いで帰ったそうです。

 

私はそんな彼女の話しを聞いて、自分の思うように自由に生きれる環境がどれほど

素晴らしいものなのか理解ができました。

 

私は彼女の話しを聞いてもどうしてあげる事もできず、ただただ彼女の寂しそうに

帰っていく背中を見送るだけでした。

 

それから数か月が経ち、いつものようにお休みの日に畑に行き、私は秋植えの

野菜を植えるために畑を耕していました。

 

すると向こうから彼女が私に向かって走ってくるのが見えました。

 

彼女の顔を見るととても嬉しそうで、手招きをして私の話しを聞いてくれと

呼んでいます。

 

私は作業の手を止め、息を切らせてそばまで近寄った彼女の話しを聞きました。

 

彼女は開口一番、「今息子から電話があり、息子夫婦が帰ってくるのよ」と言って

私の手を強く握りました。

 

話しを聞くと、遠くに離れて住んでいた息子が、転勤で地元に戻ることに

なり、彼女は息子夫婦と孫と一緒に生活ができるようになったそうです。

 

私はそれを聞いて、自分のことのように嬉しく思い、感動で胸が震えました。

 

彼女はとても嬉しかったのでしょう、私に、近くで採れた栗をたくさん

くれました。

 

そして彼女は、今まで生きてきて、今が一番しあわせだと何度も言いました。

 

私はその時の彼女のとても嬉しそうな顔を死ぬまで忘れないでしょう。

私の人生は安全運転

 

私は田舎に住んでいるので車は必要不可欠です。

でも私は、自分の人生と同じで、車の運転は不器用で下手なんです。

 

特に苦手なのが狭いスペースにバックで駐車のとき、他人の車を傷つけないかと

とても緊張します。

 

人のこころを傷つけて自分も傷つくように。

 

私は何年運転をしていても、事故を起こさないかといつも不安な気持ちでいます。

 

私のこれからの人生、何が起こるのか、そしてそれを乗り越えることができるのか、

そんな先の見えない将来に不安を感じるように。

 

先日、運転免許の更新に行きました。

免許センターの受付には大勢の人が並んで待っていました。

 

私はこんなにたくさんの人がいる中で、私のような運転の下手な人が免許の

更新をしてもいいのだろうかと思いました。

 

同時に思ったのは、私ほど不器用な人生を送っている人でも、一旦生まれたからには

正直に生きていれば人生の更新を許してもらえるんだと。

 

私は受付でお金を払って証紙をもらい、申請書を書いてそれに貼付しました。

それから視力検査がありました。

 

私はブログを始めてからブログを読むのが大好きになり、視力が少し落ちました。

なので少し前、メガネ屋さんで私の視力に合ったメガネに買い替えました。

 

お陰でみなさんのブログの中のこころもよく見えるようになった気がします。

私はみなさんのブログからこころの栄養をもらって生きています。

 

話しはそれましたが、そのあと写真撮影がありました。

私の汚れたこころが写らないように、清楚な服装と、誠実そうな笑顔で隠しました。

 

私の免許証はずっとゴールド免許です。

 

私は運転が下手でも人生とおなじで、真面目に生きていれば、それなりに評価して

くれるものだと思います。

 

無事免許の更新を終え、家に帰る途中、私は周りのきれいな景色を見ながら

まるで人生を楽しむようにゆっくり走っていました。

 

すると私の横を猛スピードで追い越す車がありました。

 

何を焦っているのでしょうか、ここは広くて真っすぐな道ですが、

その先は狭くて曲がった道になります。

 

人生、急げばいいとは限りません、行く道の侘しさ寂しさを感じ取ることで

本当のしあわせへの目的地にたどり着けるかもしれません。

 

私は家に帰り、駐車場に車を入れて周りを見ました。

私の家の両隣は高級そうな普通車が2台ずつ並んでいます。

 

私は車は移動するためのものであり、その目的が果たせればどんな車でも

いいと思っています。

 

なのでどんな車が高くて高性能なのかは知りません。

 

私の車は軽自動車です、安くて燃費がいいので私とはとても相性がいいのです。

私は軽薄な人間で安い給料で質素な生活を送っています。

 

私は車の運転は下手、車は軽自動車ですが、こころは高級車に乗ったつもりです。

私の人生は運転と同じで、下手な生き方しかできませんが、丁寧に運転します。

 

私は人に対するときは助手席に乗ってもらうような気持ちで接します。

同じ方向を向いて、お互いのこころを共有して深く繋がりたいと思います。

 

同じ夕焼けを見ながら美しいねとこころがひとつになるように。

 

右折・左折で横断歩道を横切るときは、特に気をつけ、ゆっくりと止まります。

目の前を渡る人の気持ちは様々です、どんな人生を歩んできたのかはわかりません。

 

でも私は、どんな人にもやさしく愛を持って、人生という横断歩道をしあわせに

渡りきるのを見届けたいと思います。

 

私が今乗っている車は大切に乗っています、修理しながらも10年以上は

乗り続けたいと思います。

 

地球資源を大切にして、今生まれた赤ちゃんが、大人になっても、人にやさしい

環境で生活ができるように。

 

私の車は軽自動車でも、愛の積載制限はありません。

あなたに愛と安全を届けたいと思います。

 

私の人生は安全運転、人にやさしく地味に生きていければと思います。

 

死ぬまで一緒

 

私はみなさんが書いたブログを読むのが楽しくて仕方がありません。

 

ブログとはこころの履歴書であり、よりよい生き方・暮らし方を見つける

百科事典のような気がします。

 

私はみなさんのこころの中に引き込まれ、こころの世界を渡り歩きます。

そして私はブログを読んでいると夢中になり、時間を忘れてしまいます。

 

なので、ついついブログを読み過ぎて、最近、目が疲れるようになりました。

私は疲れ目に効く目薬を買いにドラッグストアに行きました。

 

いつもはショッピングセンターの中の薬局を利用しているので、何年振りかの

ドラッグストアです。

 

私は驚きました、最近のドラッグストアは、ここは食品売り場かと思うほど

食品の品揃えが充実していますね。

 

少しですが、お肉や野菜などの生鮮食品まであるんですね。

私は広い店内を歩き回りやっと小さな目薬を見つけました。

 

私が目薬を買ってお店の外に出た時、私の前を80歳くらいの男性が、足がふらつき

今にも転びそうに、ゆっくりとした足取りで歩いていました。

 

私は心配になって彼に追いつき、「大丈夫ですか、どこまで行かれるんですか」と

尋ねました。

 

すると彼は駐車場に止めてある彼のクルマを指さしました。

私はそんな弱々しい体で運転しても大丈夫なのかと思いました。

 

私は彼の車まで一緒に歩きながら少し話をしました。

 

彼は今まで毎日ずっと運転をしているし、歩くときほど足に力を入れなくて

いいので大丈夫だと思っているようです。

 

田舎では車がないと病院通いや買い物が不便で、車はなくてはならないそうです。

でも高速道路や夜間は危ないので運転しないようにしているようです。

 

本当はそろそろ運転免許証は返納したいと思っていても、車がないと奥さんの

面倒が見れなくなるそうです。

 

彼の家にはベッドと車いすで生活する寝たきりに近い奥さんがいるそうです。

 

週に何度か看護師さんが訪問して様子を見てくれるそうですが、それ以外は

彼がひとりで奥さんを介護しているようです。

 

彼は奥さんとは50年以上連れ添っていて、彼の仕事の休みにはいつもふたりで

買い物に行き、旅行にもよく行ったそうです。

 

ふたりには子供がいなくて、夫婦水入らずで、喜びも悲しみもお互いが共有し

とても仲が良い夫婦だったようです。

 

でもだんだん奥さんの身体の自由がきかなくなり、今では奥さんの身の回りのことは

ほとんど彼がやっているそうです。

 

痩せてやつれた奥さんを抱いてベッドから車いすに移乗する時、その軽さに

かわいそうで涙が出るようです。

 

彼も高齢であり、そろそろ奥さんを老人ホームに入れたらどうかと訪問する

看護師さんに言われることがあるそうです。

 

でも今までずっと一緒に暮らしていた奥さんを、老人ホームに入れるなんて

まったく考えていないようです。

 

奥さんを老人ホームに入れて自分が一人で暮すなんてそんな薄情なことは

できないし、そうすれば彼自身が寂しくてやりきれないそうです。

 

彼には奥さんがいない生活は考えられないようです。

 

奥さんがいつもそばにいてくれるだけでいい、たまに微笑んでいる顔を見るだけで

本当にしあわせに感じるそうです。

 

彼が車で外出する時はいつも奥さんに、もし、自分が帰って来なかったら

事故だと思ってくれと言うそうです。

 

万が一の時は、いつも来る看護師さんに電話するようにと奥さんの枕元に

携帯電話を置いていくそうです。

 

さすがに奥さんは申し訳なさと心配で涙を流すそうです。

 

彼は「大丈夫だよ、俺が死んだらお前の面倒は誰が見る、心配しないで」と

言って出かけるそうです。

 

そこで話は終わりました。

 

私は足が大丈夫でも反射神経が鈍っているのではないかと心配しましたが、

彼はゆっくりゆっくりクルマに乗り込み、さっと帰っていきました。

 

私は去って行く彼の車を見送りながら、彼の奥さんに対するやさしい気持ちに

こころを打たれました。

 

その時私はいつも口喧嘩をしている妻のことを考えました。

仲が悪い時もありますが、今まで辛抱してわがままな私についてきた妻です。

 

将来、妻の介護が必要となったら、その時は、妻のおむつは私が替えて

あげよう、それが妻への恩返しであり私の生きる道だと思いました。

なってみなければわからない

 

私は家の近所に小さな畑を借りて、家庭菜園で野菜を作っています。

 

そろそろ秋植えの野菜で何かいいものがないかと思って、近くのホームセンターに

行きました。

 

今の時期では大根、キャベツ、ハクサイ、ほうれん草、春菊、ブロッコリー

などがいいようですね。

 

私がどれにしようかと迷っていると、私の後ろから、「お元気ですか?」と中年の

女性が声をかけてきました。

 

私は彼女の顔には見覚えがあるのですが、すぐには彼女が誰なのか

思い出せませんでした。

 

私が困惑した顔で彼女を見ていると、「いつも義母のことで悩みを相談していた

○○よ、覚えていませんか」と笑顔で言いました。

 

私は思い出しました、もう10年以上前でしょうか、私の会社のある支店の

同じ部署で働いていた女性でした。

 

彼女に、「少し時間があるならお話をしませんか」ときれいなお花がよく見える

ベンチに誘い、自販機でコーヒーを買って座りました。

 

ふたりはコーヒーを飲みながら、一緒に働いていた当時のことを思い出しながら

話しが弾みました。

 

彼女は子供の頃から身体が弱く、よく病気で学校を休んでいたようです。

彼女の母親は病弱な彼女を心配して、やさしく彼女を育てたようでした。

 

そんな彼女は高校を卒業して私のいる会社に入社しましたが、病弱な彼女は

時々体調を崩して欠勤することがあったようです。

 

彼女が20歳の時、同じ支店の10歳年上の男性に、真面目な勤務態度が気に入られて

結婚することになりました。

 

彼は長男であり、ふたりは彼の実家で彼の両親と同居することになりました。

 

結婚当初、義母は彼女にやさしかったのですが、彼女の家での働きぶりを見て

だんだん厳しくなりました。

 

義母は学生時代スポーツ万能で身体を鍛え、家では母親から厳しく躾られ、

心身ともに頑強な女性でした。

 

若い頃は一晩、二晩徹夜しても全然平気なほど健康だったようです。

そんな義母から見る彼女は、とてもだらしなく思えたようです。

 

義母は朝早くから炊事、洗濯、掃除を完璧にこなし、率先して町内会の役員の

仕事に取組み、趣味でコーラスにも参加していました。

 

義母は彼女のすることなすことすべてケチをつけました。

 

ご飯の炊き方、洗濯物の干し方・たたみ方、掃除の終わったあとのホコリのチェック。

そして、あなたのお母様は今まであなたにどんな教育をしてきたのといじります。

 

病弱だった彼女をやさしく愛して育ててくれた母親の悪口を言う義母には

彼女は腹が立ちました。

 

彼女が一番悔しかったのは、親戚が集まるお正月、義母が親戚の人たちに、

「うちの嫁はさぼってばかりでちっとも仕事をしない」と陰口をたたいたのを

 

聞いた時でした。

 

でも彼女はいつも身体がだるくて、義母のように元気に振舞うことは

できませんでした。

 

彼女の旦那はいい人で、ふたりの仲が悪くてもどちらの味方にもならず中立でした。

もし彼が義母の味方をしたらきっと彼女は離婚していたと言います。

 

私は彼女の悩ましい話を聞いて、「まるであなたは悲しいドラマの主人公ですね」と

笑うと、「私の話しを茶化さないで」と真剣に怒られた記憶があります。

 

そんな彼女でしたが今はどうなっているのかと聞くと、あの鬼のようだった義母は

2年ほど前に脳梗塞で半身不随となったそうです。

 

母親からやさしく育てられた彼女は、身体の不自由な義母の面倒をみるのは

憎くても、人として当然のことだと思いました。

 

そんな彼女は義母の身の回りのお世話をすべてしていたようでした。

でもその義母も今年の春に亡くなったそうです。

 

私は彼女に、「やっとあなたの肩の荷が下りたね」と言ったところ、彼女は

「こころに穴があいたようでとても寂しい」と辛そうでした。

 

どうしたのかと思って理由を聞くと、彼女が身体の不自由になった義母のお世話を

していて、亡くなる少し前に言われた一言が忘れられないようでした。

 

「ごめんなさい、あなたはとても優しいのね、私はこんな身体になって初めて

あなたの身体の辛さがわかりました。

 

私は、あなたの体調が悪い時、怠けないで気合を入れて頑張りなさいと

カツを入れました、辛かったでしょう。

 

健康な私にはあなたの気持ちがわかりませんでした、どうか今までの私を

許してください」と涙を流して謝りました。

 

それを聞いた彼女は、今までの苦しみや義母に対する恨みがすべて消えました。

こころがつながることは憎しみが愛へと変わる瞬間でした。

 

私は彼女からいい話を聞きました、こんな話を聞くと生きることって

とても素晴らしいことなんだと感動しました。

 

その日はきれいなお花に囲まれて、とてもしあわせな気分でした。

こころに正直であること

 

みなさんは仕事が辛くて辞めたいと思ったことはありませんか?

 

どんな仕事でもお金をもらって働くということは大変だとつくづく感じます。

ストレスを抱えながら我慢して仕事をしている人もたくさんいるでしょう。

 

私は会社のみんなから、あなたはいつもマイペースで仕事をしていてストレスが

なさそうなので、羨ましいと言われます。

 

でも私は、朝起きて、今日も楽しく仕事をしようとワクワクする気分には

めったになりません。

 

私は学校を卒業してから今の会社でずっと働いていますが、会社を辞めたいと

思ったことは何度もあります。

 

一度や二度ではありません、両手両足で数えきれないくらいあります。

 

重要な仕事で失敗をして周りのみんなに大変な迷惑をかけた時、大嫌いな

上司に理不尽な扱いを受け、悔しくて力いっぱい両手の拳を握りしめた時などです。

 

私の会社員生活は失敗続きでした、よくここまで仕事が続けられたと思います。

 

でも私の給料で生活している家族のことを思うと会社を辞めることはできません。

この年齢で会社を辞めたら、どこも正社員で私を雇ってくれるところはないでしょう。

 

リストラで会社を去る上司に、涙ながら、お前は絶対会社に残れよと言われたことは

今でもこころの中に強く残っています。

 

そんな私ですが長く今の会社に勤めていると部下から何度か転職の相談がありました。

 

理由を聞くと、今の仕事が面白くない、給料が安い、将来性がない、仕事が辛い、

人間関係がうまくいかないなどいろいろな悩みがあるようです。

 

私は特に、人間関係がうまくいかなくて会社を辞めたいと思っている人には、

絶対に会社を辞めてはいけないと言います。

 

私の会社には様々な家庭環境の人が集まって仕事をしています。

 

独身の人もいれば、家族持ちの人もいるし、幼い子を持つシングルマザー、

親の介護をしながら仕事との両立に苦労している人もいます。

 

また、元気で明るい人だけでなく、体調不良や様々な原因でこころの病で

苦しみながら働いている人もいます。

 

みんな自分が生きていくことに必死なんでしょう、他の人のことを気遣う余裕が

ない人もいるかもしれません。

 

そんな中ですべての人と良い人間関係を築くことはとても難しいことだと思います。

どこの会社でも自分とは合わない人は必ずいると思います。

 

なので、ここの会社がいやで転職しても、必ず良い結果が出るとは限りません。

 

会社には様々な人がいますが、唯一の共通点は、この会社で一緒に働いていると

いうことです。

 

私はこの広い世界で偶然にこの会社に集まった人たちとの縁を大切にしたいと

思います。

 

ある時、入社2年目の男子社員が会社を辞めたいと私に相談に来ました。

私は彼に、あなたはどんな仕事がしたいのかと聞いてみました。

 

すると彼は、今より精神的・肉体的に苦痛がなく、少しでも給料の高いところに

再就職したいと正直に彼のこころの中を話してくれました。

 

私も彼と同様、会社を辞めたいと思うことはよくあり、彼の気持ちも理解できます。

でも私は、安易な気持ちで転職を考えている彼の将来が、とても心配になりました。

 

私は噓も方便、彼を何とか引き止めたくて彼の転職の悩みに対して、こころにも

ないアドバイスをしました。

 

いくら会社の仕事が辛くても、あなたを愛して成長させてくれる試練だと思えば

気持ちが楽になります。

 

給料が安いのは仕事を愛していないからです、仕事を愛せば必ず業績がよくなり

給料は上がります。

 

仕事が面白くないのは感動がないからです、みんなで会社を愛せば共感が生まれます。

生きたこころで会社に活力が湧いてきます。

 

愛で結ばれた人間関係はしあわせの世界です。

 

私がこんな気持ちを熱っぽく語って彼を何とか引き止めようとしましたが、結局、

私の気持ちが伝わらず、残念ながら彼は会社を去っていきました。

 

会社を辞めたいと思いながら我慢して働いている私のアドバイスは、説得力が

まったくなかったのでしょうね。

 

私のこころは見透かされていたようです、私に相談しなければよかったのです。

今から思えば顔から火が出るような恥ずかしいアドバイスでした。

 

もう一度聞きます、みなさんは仕事が辛くて辞めたいと思ったことはありませんか?

 

そうなんです、宝くじが当たって早く仕事をリタイアしたいというのが私の本心です。

 

嘘をついてはいけません、人はこころに正直でなければいけませんね。

小いわしのお刺身

 

私の学生時代の友人にお魚屋さんに勤めている人がいます。

 

私は彼の謙虚で誠実な生き方が好きです。

学生時代から彼は真面目で人の面倒見のいいやさしい男性でした。

 

お魚屋さんの朝は早いようです。

毎朝、5時前には起きてクルマで仕事に出かけます。

 

夏の朝はいいのですが、冬の朝の寒さと暗さにはこころが折れそうになるようです。

そして辛いのは、仕事が終わった時の体に染みついた魚の生臭いにおい。

 

家に帰るとすぐお風呂に入って、着ていた衣類は専用の洗剤に漬けて

臭いを取り除きます。

 

そんな彼ですが、私にいつも言う言葉は、何も心配事がなく健康で少しのお金が

あれば、それだけでしあわせだと言います。

 

彼は人からよくしあわせそうだと言われるようですが、実はそんな振りをして

いるだけ、他の人と同じように心配事や悩みはあるそうです。

 

仕事が終わって彼が家に帰ると、うつ病で苦しむ、暗く沈んだ気持ちの奥さんが

彼を待っているそうです。

 

彼女はいつも睡眠不足で食欲がなく疲労感があるようで、どうにもできない

気持ちの落ち込みは彼には申し訳なく、死んでしまいたいと訴えてくるそうです。

 

症状がひどくなると追い詰められたような精神状態になり、顔つきが変わって

くるそうです。

 

本来なら家庭は仕事から解放された癒しの場ですが、重苦しい雰囲気の彼の家庭は

そうではなかったようです。

 

彼女は彼に、自分のどうにもならないうつ病に責任を感じて、離婚してもいいと

涙ながらに言ったそうです。

 

でも今まで連れ添ったのも何かの縁、見捨てるわけにはいきません、彼は人生を

かけても彼女のこころの病を治してあげたいと思いました。

 

彼は妻の涙を笑顔に変えてみせるとこころに誓いました。

 

話は彼の仕事に戻ります、彼はいろいろなお魚を調理しますが、いつも心がけている

ことは、鮮度のいいお魚を丁寧に調理して、お客さんに喜んで食べてもらうことです。

 

彼がお客さんにお勧めなのが小いわしのお刺身です。

 

小いわしのお刺身は手間がかかりますが、お財布にやさしくて、

とても美味しく、お酒の肴には最高だと言います。

 

いつも彼は、奥さんに早く元気になってもらいたいという気持ちを込めて、

小いわしのお刺身を作っているようです。

 

小いわしのお刺身の作り方ですが、たくさんの小いわしを冷水につけて冷やして、

よく洗います。

 

うつはいい加減にしてくれというこころの怒りを冷まして冷静に、そして彼女の

重く沈んだこころをきれいに洗い流すように。

 

新鮮な小いわしは触ると張りがあってぷりぷりしています。

彼のこころがいつも新鮮で、新婚当時の気持ちを忘れていないように。

 

そして包丁で頭を取って、腹から内臓を丁寧に取り除きます。

彼女がうつになった原因を見つけてそれを丁寧に取り除くように。

 

それが終わったら、親指で腹を開き、背骨が残らないように、やさしく

丁寧に取り除き、背びれも取り除きます。

 

彼のこころにトゲが残っていて、彼女のデリケートなこころを傷つけないように。

 

そしてボールの水を替えてよく洗います。7度洗えば鯛の味と言われます。

よく洗うことで青魚の臭みがまったくなくなります。

 

彼女のこころの傷を何度も何度も洗い直し、彼女のこころの傷を治すことで、

彼女の本来の素晴らしさを引き出すように。

 

最後に大根のつまを下に敷き、大葉を重ねて小いわしを乗せます。

そして生姜を添えれば出来上がりです。

 

彼女を支えながら愛してやさしく寄り添うように。

 

小いわしのお刺身づくりは奥さんに対する彼の人生そのものです。

彼女に対する熱い気持ちが伝わってきました。

 

彼は家でも彼女のためにこころを込めて小いわしのお刺身を作ります。

 

彼は妻とふたりで新鮮な小いわしのお刺身を食べながら、妻が美味しいねと笑顔を

見せる時がこれ以上ない、本当に本当に、最高のしあわせだと言います。

 

彼は彼女の笑顔を見ると勇気が湧き、生きていることのしあわせを感じるそうです。

彼の話を聞いて私は感動で涙が出そうになりました。

 

私はうつを治すには、彼が奥さんを愛することが一番の特効薬だと思いました。

 

彼の溢れんばかりの愛はきっと奥さんのうつ病を治し、彼が誓ったように、

いつかは彼女の顔には満面の笑みが戻ってくると私は思います。

敬老の日

 

先日、仕事のお休みの日に、私は趣味のウォーキングを兼ねてスーパーに

買い物に行きました。

 

そのスーパーは家から歩いて20分ほどのところにあるのですが、ウォーキング

するにはちょうどいい距離です。

 

私はウォーキングをすることで日頃たまったストレスを解消することにしています。

 

果物コーナーを歩いていると、とてもおいしそうな桃が並んでいました。

よく見ると、皮が薄黄色のものや赤くて黒ずんだものがありました。

 

私は店員さんに、この皮の黒くなった桃は鮮度が悪いのですかと聞きました。

 

すると店員さんは、これは袋かけしないで育てると赤黒くなるのであって

糖度が14度以上で甘くて美味しいですよと教えてくれました。

 

桃について何も知らない私は、その時とても恥ずかしく思いました。

 

私はここまで歩いて来たご褒美に、2個入りの桃を1パック買いました。

私はウォーキングが大好きなのでいろいろ理由をつけて歩きます。

 

こうやって自分で目的を作って歩くのは楽しく、クルマでさっと行って買い物を

するのとは違って充実感があります。

 

私はもう少し歩いてみようと思い、いつもは歩かない、家とは反対方向の

道を歩くことにしました。

 

するとその先に、道路の横に生えている草を黙々とむしっているお年寄りの

男性を見かけました。

 

私はすれ違いざまに、こんにちはと声をかけてみました。

すると彼は少し恥ずかしそうに私のほうを向いてこんにちはと返事をしました。

 

私はその時の彼の表情に一抹の寂しさを感じました。

私は彼に、いつも草むしりをしているんですかと続けました。

 

彼はそうですよと答えながら草むしりを続けました。

私はさらに、どうしていつもここで草むしりをするんですかと尋ねました。

 

すると彼は手を止め、立ち上がってこちらを向き、何か用があるんですかと

怪訝そうな顔をして私を見ました。

 

彼はこんな年寄りにのんびりと話しに付き合ってくれるのは何かの訪問販売の

営業員くらいで、騙されないように気をつけていると言いました。

 

私は彼に、私は訪問販売員ではありません、あなたの表情を見ると悲壮感が漂って

いたので声をかけたのですと話しました。

 

彼の話を聞くと、こうやって草むしりすることで少しでも世の中の役に立てばと

思っているようでした。

 

私は、あなたはとてもいいことを続けているんですね、と彼に言いました。

 

私に対する警戒心がなくなったのか彼はすぐ目の前の自宅に私を誘いました。

彼の家の庭は美しい木や花で囲まれこころ安らぐ場所でした。

 

そこには椅子がふたつあって、亡くなった奥様と以前、バーベキューのために

使っていたようです。

 

私たちはそこに座って話をしました。

 

彼の奥様は数年前に亡くなり、子供たちは遠くに住んでいて彼は今、一人暮らし

のようです。

 

彼は買い物に行ってお勘定の時店員と話をするくらいで、ほとんど人と話をする

ことはないようです。

 

周りの若い人たちはいつも忙しそうにスマホを見ていて、話しかけるのも勇気が

いるそうです。

 

彼には親しい仲間や話し相手がいなくて物足りなく寂しい気持ちだったようです。

 

最初は人見知りのように感じた彼でしたが、こころを許すと堰を切ったように

話し始めました。

 

私はあまり話しをすることはなく、彼がほとんど話し続けたような気がします。

 

30分くらい話しを聞いてそろそろ帰ろうとしたところ、冷蔵庫によく冷えた

梨があるから一緒に食べようと言って皮をむいて持ってきてくれました。

 

ウォーキングで喉が渇いた時に食べる梨は、とてもジューシーで冷たく

美味しく感じました。

 

それから彼は、自分の懐かしい昔のことを思い出しながら、今までの長い人生の

喜怒哀楽のシーンを語ってくれました。

 

たまたま私が話を聞いてあげたのがとてもうれしそうで、彼の表情が生き生きと

しているのを感じました。

 

彼が今まで孤独でひとり、とても寂しい思いをしていたのがよくわかりました。

 

お別れにスーパーで買った桃をひとつ彼にあげました。

 

私は帰り道を歩きながら、私はいつも妻と口喧嘩をして負けてしまい家庭生活に

不満を持つこともありますが、本当はしあわせなのかもしれないと思いました。

 

人間って愛がないと楽しく生きていけないんですね、孤独の辛さを改めて感じる

出来事でした。

 

もうすぐ敬老の日ですが、お年寄りにはこころと体の両方を大切にして

元気で長生きしてもらいたいと思います。

人生の主役

 

私の会社のある支店に、32歳でパートで働いている男性がいました。

 

彼は最初の就職先で仕事が合わず、正社員だった彼は4年でそこを辞め、

この会社で非正規雇用で6年働いていました。

 

私がその支店に人事異動で赴任して彼のことを知った時、結婚もしないで

このまま非正規で働いていてこれからの将来はどうするのかなと思いました。

 

私と同じ部署ではなかったので、彼とはあまり話をすることはありませんでしたが、

上司の指示をきちんと理解して、真面目に働く素直な人物だと思いました。

 

私は彼の働きぶりを傍から見ていると、正社員と同じように仕事ができる

優秀な人物に見えました。

 

私が特にいいと思ったことは、いつも笑顔が絶えず、明るく、生き生きと働いて

いたことでした。

 

彼の仕事は特に難しいものではありませんでしたが、会社にとって必要であり

誰かがやらなければならない仕事でした。

 

でも私は彼の仕事ぶりを見ると脇役的な仕事だけではなく、この会社では

主役として十分活躍できると思いました。

 

ある時私が昼食を終えて休憩室でテレビを見ていると、彼が入ってきて私の

そばに座りました。

 

支店で唯一の男性パートである彼は、他の社員に遠慮して、いつも休憩室の片隅で

ひとりスマホとにらめっこしていました。

 

私はたまたま近くに座った彼に話しかけてみました。

話をすると言っても共通の話題がないので仕事のことになります。

 

勤務シフトを聞くと、毎日朝8時から15時までの勤務で休憩が1時間、週のうち

5日勤務で時給は少しいいようでしたが、正社員と比べると給料はかなり

 

少ないようでした。

 

働き方はそれぞれ個人の考えで決めればいいので、別に私は彼にとやかく言う

つもりはありませんでした。

 

でも彼と話をしていると彼の人柄の良さがわかり、いつも彼の働きぶりに感心

していた私は、つい、「もし私が人事部長だったら君のような人には正社員として

 

働いてもらうのですが、そんな権限がなくてごめんなさい」と言いました。

 

すると彼は、「自分は今のままで十分です、楽しく仕事をさせてもらっています、

気を遣ってもらってありがとうございます」と笑顔で返してきました。

 

話題を変えて私は彼に、正社員の私と比べて彼には自由な時間がたくさんあるので

私は羨ましくて、その時間をどのように使っているのかと聞いてみました。

 

彼は仕事のない時にはボランティア活動をしているそうです。

 

私はボランティアについてはあまり詳しくはないのでどんなことをしているのか

彼に聞いてみました。

 

ボランティアにはいろいろな種類があり、例えば、災害、環境、農業、動物愛護、

貧困、障がい者、介護、医療、まちづくりなどたくさんあるようです。

 

そしてボランティアには様々な年代や職種の人が参加しているので職場や

日常生活では知り合えないような人との交流が深まるようです。

 

さまざまな価値観の人との交流は視野を広げ、活動を通して意気投合することで

信頼できる人間関係が生まれ、悩みの相談相手になってくれることもあるようです。

 

私はその時、話している彼の目がやさしく輝いているのがわかりました。

彼が生き生きと働いていた理由がわかりました。

 

私は彼のことが少し理解できました、彼はボランティアと同じように愛を持って

この会社で仕事をしていたようです。

 

彼にとって仕事とは、出世してお金を稼ぐというのが目的ではなかったようです。

 

決して自分が主役になるのではなく、周りの人に役に立つことが自分の仕事だと

思っていたようです。

 

私は彼のような生き方にはとても感動しました。

 

彼は「そろそろ休憩時間がなくなるので失礼します」と言って仕事に戻りました。

 

気がつくと、彼の話に夢中になっていた私は休憩時間が20分もオーバーしていました。

職場に戻ると、私は同僚から冷たい視線を感じました。

 

この世の中には主任、係長、課長、部長などそれぞれ仕事で主役を演じているような

人でも、実は、心理的に会社の奴隷のように働いている人もいると思います。

 

彼は今の職場では決して主役ではありませんが、人生の主役は誰よりも上手に

演じていると私は思いました。

 

彼はすべての人を愛することで自分らしく生きているようです。