私が認知症になったら
早起きした私は、外を見るといいお天気で雲ひとつない快晴でした。
こんなにお天気のいい日は趣味のウォーキングには最適です。
娘に、少し早いけど、朝ご飯にしたいから準備してくれないかとお願いしました。
すると娘は、今ご飯は食べたばかりでしょ、何言っているのと言いました。
私は今起きたばかりでご飯なんか食べていません。
私は仕方なく朝のすがすがしい空気を吸って元気になろうと思い、娘に、
少し散歩のために出かけてくると言いました。
すると娘は、ひとりで外に出てはいけません、道に迷って帰れなくなるからと
私を外に出してくれません。
私がこれだけ元気なのはウォーキングのおかげ、歩きなれている道を
なぜひとりで歩いてはいけないのでしょうか。
新聞を読んでいると、私の好きなお刺身が特売価格でチラシに出ていました。
娘に、これから買い物に行くからお母さんを呼んできてくれと頼みました。
すると娘は、何言っているの、お母さんは3年前に亡くなったのよと言いました。
娘は何を言っているのだろう、昨日も一緒に買い物に行ったばかりなのに。
私は甘いものが食べたくなり、近くのコンビニでスイーツのおいしいものを
買いに行こうと、机の引き出しに置いてあった財布を取り出そうとしました。
ところがいつもそこに置いてある財布が見当たりませんでした。
娘に、誰か私の財布を持って行かなかったかと聞きました。
娘は、お父さんがどこかほかの場所に置いて忘れているのでしょうと言って
薄情なのか一緒に探してもくれません。
私は必ずいつも財布はそこに入れています、絶対誰かが私の財布を盗んだに
違いありません。
今日もそろそろ終わり、夕方になり日が暮れてきました。
娘に、今何時かと聞きました。
すると娘は、何回おんなじことを聞くのもう5回目よ、いい加減にして頂戴と
言いました。
驚きました、私が時間を聞くのは今日は初めてなんですよ。
娘が私に、どうしてお父さんはこんなになってしまったの、少し前はあんなにしっかりして、とても人の気持ちがわかるいい人だったのに、今は別人ですと言いました。
私は別人ではありません、私のすることなすことにいちいちケチをつけ、私の自由を
奪ったお前こそ別人だ、お前は昔はもっとやさしかった。
これは私の会社の同僚で、実際、親御さんの介護をしている人から聞いた話を
もとにして、私が認知症になったつもりでその気持ちを書いてみました。
その人たちの仕事と介護の両立が、精神的にも肉体的にも、いかに大変なのかが
わかりました。
高齢化でこれから認知症になる方が増えると予想されます。
いろいろな人から介護についてお話を聞きましたが、私が一番大切にしたいのは
認知症の方のこころの理解だと思いました。
認知症の方はボケてしまってなんにもわからないからと思って、強く叱っても
いいとは思いません。
その人たちも認知症と戦いながら苦労して生きているのです、人格を否定する
ようなことを言われるとこころが傷つくと思います。
また、認知症になってもできることはあります、何もかもできないと思わないで
できることは自分でやってもらった方がいいのではないかと思います。
何もできない絶望よりも、これならできるという希望を持ってもらいたいのです。
認知症の方は、自分の思わぬ頭の混乱に対しての周りの反応に驚き、こころが
ついていけないのではないかと思います。
あまりにも変わり果てた言動に、驚き嘆くのではなく、やさしくお話を聞いて
それに合わせてあげれば、きっと安心するでしょう。
仲良く手を繋いで横に並び、お互いの気持ちを確かめながら歩くのです。
例え、認知症になっても人のこころは愛を求めていると思います。
私は認知症になっても、安心して暮らしていくことができる、愛にあふれた
世の中になって