こころの繋がり

 

お久しぶりです。

仕事が忙しくてなかなかブログを書けませんでした。

 

以前、何年もブログを続けている読者の方から、「ブログって、無理して

書かなくてもいいんだよ、書きたくなった時書けばいいんだから」と

 

やさしいコメントをいただき、とても気が楽になりました。

そのほかにもこころ温まるコメントをいただきありがとうございます。

 

私の書くブログは読んでもらうことも嬉しいのですが、それ以上にこころが

繋がることの方が嬉しく思います。

 

私はとても寂しがり屋で、子どもの頃小学校から家に帰った時、どこに行ったのか

いつもいる母親がいないと、不安で寂しい思いをしていたのを覚えています。

 

私は誰かとこころが繋がっていないとどうしようもない寂しがり屋です。

 

なのでしばらくの間、ブログを書かないでみなさんのブログを読むだけでしたが、

こころの一方通行は寂しくなり、たまらずブログを書いてしまいました。

 

話しは変わりますが、私と妻は先日ショッピングセンターに買い物に行きました。

 

今の時期はお歳暮とクリスマスがメインのテーマとなっているように思いました。

お歳暮コーナーには、何人かの人がイスに座って、順番を待っていました。

 

私はそれを眺めながら、私の子どもの頃のことを思い浮かべました。

 

私が子どもの頃、父親は建設会社の支店長であり、不景気で会社が倒産するまで、

お中元・お歳暮の時期にはたくさんの贈り物が家に届いていました。

 

特にもらって嬉しかったのは百貨店の商品券でした。

 

私は母親に連れられて百貨店に行き、これで美味しい食事をしてマンガの本や

おもちゃを買ってもらって、とても嬉しかったのを覚えています。

 

いつもこんなにたくさんの贈り物が届くのを見て、父親はどんなに

立派な人なんだろうと子ども心に思いました。

 

本社が遠方にあったので、地元の取引先との決裁はほとんど父親がしていたようです。

近所の子どもたちは私のことを社長の息子だと思っていたようです。

 

そんな父親ですが私に、「お父さんとお母さんはどっちが好き」と聞くことが

ありました。

 

父親は自分のほうが好きだと言われるのを期待していたようですが、

私はそんなことを聞かれて困り、どっちも好きと答えていました。

 

でも、本心は、仕事で夜遅くまで帰らない父親より、いつも一緒にいる

母親のほうが好きでした。

 

それから、父親の会社が倒産してからは取引先は豹変しました。

今までお歳暮を贈ってくれた取引先は鬼になり、借金取りに変わりました。

 

私の父へのお歳暮は父親の支店長という立場に贈られたもので

父親個人の人間性に対して贈られたものではありませんでした。

 

私はもう少し大人になって、利害関係による薄っぺらい繋がりは、

弱くて脆いものだとわかりました。

 

それから私の家族はご飯も満足に食べられない貧乏のどん底に落ちました。

私は子ども心に世の中の厳しさを肌で感じました。

 

お金がない貧乏な暮らしはとても心細いものだと知りました。

寂しさの中で私は、無性に誰かとのこころの繋がりが欲しくなりました。

 

私はできるだけ自分をさらけ出し、深入りし過ぎない程度に相手のこころの

中に入って相手の気持ちを理解する努力をしました。

 

私は人の悩みをきいたり話しを聞くことで少しでも気が楽になってもらう

ようにしました。

 

小さな親切にも大きな感謝をするようにしました。

物ではお返しできませんが、こころでお返しをしました。

 

私がそんなことを続けていたら、私を友人として受け入れてくれる人が

たくさんできました。

 

お歳暮をもらっていた時よりも貧しい時のほうが、人との間に共感や友情が生まれ、

しあわせがたくさん見つけられるようになった気がします。

 

私は最近、ほとんどお歳暮はもらうことはありません。

 

今では、どんな高価なお歳暮よりも、職場の仲間から「お歳暮よ」と言って

あめ玉をひとつもらったり、私の誕生日を覚えてくれていた友人から、

 

お歳暮代わりに、「お誕生日おめでとう」のメールをもらう方が嬉しく思います。

 

なので私は、ブログを通じて、みなさんとのこころの繋がりが嬉しいのです。

いつも私のブログを読んでいただきありがとうございます。