家族のために

 

以前私が勤務していた支店に、とても人のいい支店長がいました。

私の会社では年に2回人事評価のために面接がありました。

 

私は家庭を大切にして、仕事はほどほどにして、無理はしていませんでした。

家族とのコミュニケーションを十分とりながら、趣味も楽しんでいました。

 

面接の時、その支店長はとても優しく、私の将来のことを心配してくれました。

 

彼は私に、家族のことを思うならもっと頑張って仕事をしなさい、

そうしないと家族が幸せにならないと言いました。

 

そして、頑張って働けば出世して給料は高くなるし、会社に必要とされれば

リストラに関係なく長く働き続ける事もできると言いました。

 

私は彼に、あなたは朝早くから夜遅くまで仕事をしていますね、

そして休みの日にも会社に来て仕事をしていますね、どうして

 

そんなに仕事をするのですか、辛くはないのですかと聞きました。

 

勿論、肉体的にも精神的にも辛いし、仕事がいやになって何度もやめてしまいたいと

思うことがあった、でも、家族を養うためには頑張らなくてはならない、

 

それが自分の生き方だと彼は言いました。

 

私は彼に、私は子供の頃から貧乏しているのでお金にも出世にも欲はありません、

私は自分が思うままに自由に、私らしく生きたいのですと言いました。

 

いつもふたりの考え方は平行線のように交わることはありませんでした。

 

彼の言葉はまるで、私の父親が私の将来のことを案じているようで

その気持ちは優しさもあり、ありがたくも思いました。

 

その支店長を見て私が思うことは、彼は人が良すぎるのです。

彼は人から嫌われることができない、いい人なのです。

 

私生活でも人に頼みごとをされたら断ることができない、いい人でした。

彼はNOとは言えない性格なのです。

 

本社から支店に届く連絡や指示は部下にきっちり伝え、やらせていました。

本社からのチェックが入った時、叱られるのがいやなのです。

 

彼は能力よりも会社に尽くすこと、つまり、愛社精神で出世してきたようです。

 

ところが私のように、やってもやらなくてもいいような仕事は後回しにし、

それがもしできなければ謝るようなタイプがいると困っていたようでした。

 

私は彼には自分がないと思っていました。

 

自分があれば、本社からの連絡や指示はそのまま部下に伝えるのではなく、

自分で解釈して、不明な点は本社に質問したり、意味のない指示は自分のところで

止めるはずです。

 

彼は本社から嫌われたくないと思っていても、実は、部下から嫌われていました。

 

彼は家族のためにと寝る時間を惜しんで働いているつもりでも、実は、家族は

父親のいない母子家庭のように寂しく思っていたかもしれません。

 

彼のようにいい人というのは、本当はいい人ではないのかもしれません。

自分が嫌われるのが嫌で相手に合わせることで自分を殺してしまうのです。

 

私は相手に自分の気持ちを伝えて、嫌なら嫌と伝えることが大切だと思います。

そのほうがお互いに理解が生まれると思います。

 

私は彼の働きぶりを見て、こんなに無理をして大丈夫なのかといつも思っていました。

彼が他の支店に異動になってしばらくしてのことです。

 

彼は仕事中に突然脳卒中で倒れ、病院に運ばれましたが帰らぬ人となりました。

残された彼の奥様や家族はとても悲しみました。

 

そのとき私は、彼の生き方は本当に幸せだったのかと思いました。

 

彼は家族のために働いていると言いましたが、私は家族のために生きているのです。

 

私は彼のことを思うと、もっと自分らしく生きてほしかったなと悲しく思います。

 

下に、私は彼が亡くなった時、彼の奥様に贈った花束のことが書いてあります。

時間があれば読んでみて下さい。

 

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