3回目のワクチン接種

 

以前このブログにも書きましたが、私は臆病者なので、多くの人がコロナのワクチン

接種を受けてどうなるのか様子を見てから初めての接種を受けました。

 

接種を受けた人の副反応を見たり聞いたりして、こころの準備をしてから

やっと初回の接種を受けたので、3回目も遅くなり、先月の中旬に接種しました。

 

1、2回目はモデルナでしたが、3回目はファイザーでした。

 

仕事の関係で、休みが取れた日はあいにくモデルナを接種する病院が見つからず、

不安でしたがファイザーのワクチンを接種することにしました。

 

途中でワクチンをかえても大丈夫と聞いていたので覚悟を決めて打ちました。

 

モデルナを注射した時は、針を刺してからワクチンを注入し終えるまで少し

時間がかかったように思います。

 

ファイザーの時は、注射針を刺した瞬間にワクチンが注入され、あっという間に

接種が終わったような気がしました。

(注射を打つお医者さんの打ち方でそう感じたのかもしれません。)

 

私はワクチンの接種を終えて家に帰るまで、今までのことを思い起こしました。

 

もう、新型コロナの感染拡大が始まって、2年以上経ちましたが、最初の頃は、

見えないウィルスによる感染と死の恐怖、自由に移動できないストレスがありました。

 

不安な毎日が続きましたが、今ではワクチンのお陰で、少しは安心して生活

できるようになりました。

 

私は今回の新型コロナによって、よかったなと思うことがあります。

 

世界中の人々が年齢や性別や貧富に関係なく、みんなでコロナを克服しようという

気持ちになったことです。

 

私は世界中の人々のこころがひとつになることは平和に繋がると期待しました。

しかし、ロシアとウクライナの争いが起きたのはとても残念です。

 

私の周りのことでは、みんながマスクをする生活では、相手の顔を十分見ることが

できないので、なかなか気持ちが伝わりません。

 

なので、上司によく叱られる私は、上司の表情がよくわからないので、その怒りが

半分になったような気がします。

 

そして、今までのように上司の顔色を伺いながら仕事をしなくていいので気が楽です。

マスクは私の大切なお守りのような気がします。

 

そして私には、行き交う人々の顔が、とてもきれいに見えて楽しくなりました。

私も人前に出る時にはマスクは欠かせないものとなりました。

 

職場のみんなは、私にはマスクがよく似合うと言うので複雑な気持ちになります。

 

でも、私はこころにもマスクをして、汚れたこころをうまく隠している人を

見かけるととても残念に思います。

 

また、お葬式についてですが、コロナが流行する前では、あまり会ったこともない

遠い親戚でも、知らせがあれば、いかなければならないことが多くありました。

 

急な知らせに、会社を休むための段取りやお葬式のための服装やお金の準備

などで大変でした。

 

でも、コロナ禍では、家族葬が増え、集まる人数も少なくなったと聞きます。

 

私はお葬式に参列することが減りました。

そして、年回忌の法要にも招かれることも少なくなりました。

 

お経を聞いても、退屈で、早く終わらないかとお祈りする私は助かります。

(お寺関係の人がいたら不謹慎な私でごめんなさい。)

 

そのほか家にいる時、訪問セールスが来なくなったり、あまり好きではない

会社の飲み会の誘いなどがなくなりました。

 

今回の接種はまったく熱も出ず平熱で、肩も全然痛くなりませんでした。

私はだんだんワクチンに慣れてきたのかもしれません。

 

不便なことはたくさんありますが、コロナが収束しなくても、田舎暮らしで

密にならない環境の私は、ウィズコロナで生きていけるのかもしれませんね。

足の人差し指

 

私のブログは、今までの人生の中でこころに残ったことを思いだして

書くので、現在のことよりも過去のことが多くなっています。

 

今回は、以前、私がある支店に人事異動で赴任したばかりの頃のことです。

 

新しい環境と、初めて会った気ごころが知れない人たちと仕事をするのは、

慣れるまでとても神経を使います。

 

私の所属する部署の人たちとは1週間も経てば大体の性格はわかってきます。

大まかに、にぎやかな性格とおとなしい性格くらいはわかります。

 

その中間の人はそれから時間をかけて微妙な違いを理解していきます。

 

私は小心者なので、仕事をしながら、無難に思えるおとなしいタイプの人と

最初に仲良くなろうとします。

 

しばらくすると、そのタイプだけではなく、私に好意を持ってくれる人が

自然と見つかります。

 

私は相手がどんなタイプの人でも、私と仲良くしてくれる人は拒みません。

 

また、私とは性格が真逆で、私にはないものを持っている人にはとても

魅力を感じます。

 

話しは変わりますが、職場に慣れた頃、他の部署にとてもきれいな女性社員が

いるのに気付きました。

 

笑顔がとても素敵で、時どき私に挨拶してくれましたが、そんな時の私のこころは

とてもさわやかになりました。

 

彼女は私にはない、美しさと品格を持った、私とは真逆な人に見えました。

私は彼女と一緒に仕事ができたらしあわせだろうなと思いました。

 

でも私のように、仕事ができなくていつも上司に叱られるダメ人間と比べて

彼女は同じ会社にいながら、住む世界が違う人のように感じました。

 

それから数か月後に、会社の飲み会がありました。

 

私はあまり会社の飲み会は好きではありませんでしたが、誘われると断り切れず

いつも参加していました。

 

そのとき、先ほどの彼女と偶然にも隣の席に座ることになりました。

 

私はラッキーと思う反面、何をしゃべろうかと緊張しました。

その前に、私と仲良くしゃべってくれるのかどうか不安でした。

 

最初、彼女は私を無視したかのように、私と反対側に座っている女子社員と

ばかり話をしていました。

 

そのうち飲み会も盛り上がり、私もアルコールが入り、だんだん気が大きくなって

彼女に話しかけてみました。

 

話しをしてみると、とても気さくな女性で、第一印象とはまったく違っていました。

とにかくおしゃべりで、友達と話すように、べらべらしゃべりました。

 

彼女は私に、昨日、家の中を歩いていた時、足の人差し指を椅子にぶつけてしまい

今でも痛いと言いました。

 

私は彼女に、あなたは足で人を指さすのかと言うと、彼女は、足に人差し指が

あるなんて変ですねと言い、ふたりは大笑いしました。

 

それをきっかけに彼女との会話は弾んでいきました。

私は彼女の足の人差し指に感謝したいと思いました。

 

しかし、彼女と話しているうちに、私がイメージしていた人とはだんだん

かけ離れてきました。

 

その美しさとは裏腹に、彼女は内面が乏しい人のように思えました。

本当はそうでもなくて、私の期待が高すぎてそう感じたのかもしれません。

 

私は彼女と親しくなったのと引き換えに、高貴なダイヤのようだった彼女は

そこらに転がっている石ころのように思えてきました。

 

彼女はいつまでも、私のこころの中できれいに輝いてほしかったのですが。

 

それから別の日、私は会社で会って彼女に挨拶をしたとき、あなたはきれいだけど、

それに合ったおしゃべりや行動しないとその落差に人は驚くよと言いました。

 

すると彼女は、私は気取って生きるよりも、ありのままに普通に生きるのが

好きなんですと言いました。

 

彼女の外見の美しさは、普通である彼女の内面と比較することで、彼女の品格を

引き下げてしまうような気がしました。

 

彼女は美人だけに、普通にしているとそのイメージとの落差で、損をするんですね。

 

もし私が美男子だったら、品格をそれに合わせるためには彼女以上に相当努力を

しなければならないでしょうね。

 

それを考えると、私は美男子に生まれなくてよかったとこころから思いました。

 

私は見栄えが悪いので、彼女とは正反対で、普通にしていても上品に見えるのです。

人生で一番高い買い物は私の出産費用

 

今週のお題「人生で一番高い買い物」

 

 

私は今回初めて、今週のお題について書いてみました。

 

いつもとは少し違ったブログになりましたがよろしかったら読んでみて下さい。

 

          空っぽのコーヒーカップ

 

 


私はこのコーヒーカップを買ってから心が満たされなくなってしまった。

 

熱しやすく冷めやすいこのコーヒーカップは私の心と一緒。

 

熱い心はほんのわずかなひと時、いつも冷たい私の心。

 

純白なコーヒーカップに注がれるのは、どす黒い濁った心。

 

赤ちゃんの頃の真水のような純真な心が噓のようだ。

 

辛くて苦い人生に、甘い砂糖となめらかなミルクでごまかす人生。

 

どうせ飲むなら、私のしょっぱい涙で酸味を増した方がいい。

 

香りの良さで人の同情を買い、人に助けを求めることで生き延びる私。

 

このカップで飲むコーヒーに幸せを求めるのはとてもつらい。

 

ブルーマウンテンを飲むふりをして、安いブレンドコーヒーを飲む人生には疲れた。

 

そんな心の隙を見せた私を、きっと、あなたはあざ笑うことでしょう。

 

コーヒーなんてぜいたく品、落ち着いて飲むコーヒーなんて私には似合わない。

 

こんなコーヒーカップを買ってしまった私はとても後悔している。

 

こんなにだらしなく生きている私にとって、このコーヒーカップは人生で

 

一番高い買い物だろうか?

 

いや違う、私の考えは間違っている。

 

私にとって人生で一番高い買い物は、私がこの世に生まれた時の出産費用だろう。

 

こんな私に命を授けるのはとても大変だったに違いない。

 

こんな私を産んでくれた天国のお母さんごめんなさい。

 

(内緒話、この写真のコーヒーカップは買ったものではなく、景品でもらった

ものです。嘘ついてごめんなさい。)

人情の味

 

私の友人でスーパーに勤めている人がいます。

先日、彼と会って食事をしたとき、とてもいい話を聞きました。

 

彼が勤務するスーパーには学生のアルバイトが何人もいるそうです。

その中で、4年間アルバイトを続けた男子大学生がいたそうです。

 

平日は授業が終わった夕方から、土日祝祭日、夏休みなどの長期休みは

朝から勤務していたそうです。

 

彼は母子家庭で、母親と彼と妹の3人家族でした。

 

彼が大学を卒業するためには、家から通える大学に入り、アルバイトを

しながら勉強をしなければなりませんでした。

 

彼の仕事は食品レジで買い物客の会計をする仕事でした。

 

彼はとてもまじめで気のやさしい性格であり、商品を大切に扱い、スムーズな

レジ打ちだったので、お客からよく褒められていたようです。

 

そして彼の笑顔がとてもいいので、女性客には好感を持たれていたようです。

私の友人がそのお店に人事異動で赴任した時にはアルバイトの彼は大学3年生でした。

 

その頃には彼は仕事に十分慣れていて、私の友人と気が合い、仲良く仕事をする

ようになりました。

 

レジが暇になると、お惣菜の割引シールを貼るのを手伝ったり、食品の補充を

手伝っていたようです。

 

そんな彼ですが4年生になったばかりの頃、母親が病気で亡くなり、お店を

2週間休みました。

 

彼は仕事に来るようになりましたが、以前のような明るさはありませんでした。

ある時友人は、夜の休憩時間に彼と一緒になり、ふたりで話をしました。

 

彼の父親は彼が中学生のとき亡くなり、母親が苦労しながらふたりの子供を

育てていたようです。

 

彼はいつも、父親が生きていれば、もっと母親が楽をすることができただろうにと

思っていたそうです。

 

彼は子供の頃、父親と近所の公園でよくキャッチボールをしていたそうで

今でもその時の楽しそうな父親の顔が目に浮かぶそうです。

 

彼は大好きな父親を失った上に、今回、頼りになる母親を亡くしてとても

不安そうでした。

 

お葬式の段取りは親戚の叔父さんがしてくれたのでとても助かったと言いました。

 

友人は彼に、これからの生活はどうするのかと聞きました。

 

母親が掛けていた生命保険が少し入るので、何とか就職が決まるまでこの1年間

高校生の妹とふたりで頑張るつもりだと言いました。

 

その話を聞いて涙が出そうになった友人は、話の途中、彼を待たせて売場に行き、

すぐに戻ってきました。

 

友人は、私には君に何もしてあげることはできないが、これは私の気持ちだと言って

売場で買ってきた、お店で一番値段の高いお寿司を彼に食べさせました。

 

彼は父親が亡くなってから、今まで家族以外からこんなに親切を受けたことは

ありませんでした。

 

そのとき彼は、親身になってくれた友人のことを、亡くなった父親のように

思いました。

 

そして1年後彼は卒業して就職することになりました。

友人は彼に、どこに就職することになったのかと聞きました。

 

すると彼は、お寿司のチェーンを展開する企業に決まりましたと言いました。

 

友人がどうしてそこに決めたのかと聞くと、友人がごちそうしたお寿司がとても

美味しくて、その人情の味が忘れられなかったそうです。

 

彼はお店をやめても時どきお店に来て、買い物をしながら、就職した仕事のことを

友人に話しましたが、まるで父親に報告するようでした。

 

友人は頑張って働いている彼の話を聞いて、実の息子のような気がしました。

 

それから4年後、彼はお店の店長となり、友人をお店に招待してくれたそうです。

友人がお店に行くと彼は元気な笑顔で迎えてくれました。

 

そして彼の握ってくれたお寿司を食べた時、友人も彼と同じように、人情の味を

とても美味しく感じたそうです。

 

私は友人の話を聞いて、お前のちょっとしたことが彼の人生に大きく影響を

与えたんだねと言いました。

 

私は、友人と彼は、こころの中で本当の親子のように繋がっていると思いました。

 

そして彼は私に、人情の味ほど美味しいものはないよと言いました。

花言葉の愛

 

少し時間ができました、ブログの書き方を忘れそうなので書いてみました。

 

 

以前私の部下でとても快活な性格の女性がいました。

 

とても器用な女性で仕事をテキパキこなす頭のいい人でした。

私は彼女のおかげで仕事が順調に進み、いつも感謝していました。

 

私が食事休憩の時、ふたりの若い女性社員が近くで食事をしながら、部下の彼女の

ことを話していました。

 

私は聞くつもりはなかったのですが、自然に話しが耳に入り、彼女に好きな

男性ができたようでした。

 

その男性は、私がよく知っている、彼女とは部署が違う同い年のイケメンでした。

私は恋愛感情が芽生えたせいなのか、最近彼女がきれいになったような気がしました。

 

彼女は彼とは部署が違っていましたが、仕事で移動するときに通路ですれ違ったり、

休憩時間に食堂で出会うことはよくありました。

 

彼女は誰にでも、すれ違う時には笑顔で「お疲れ様です」とあいさつをしていました。

 

彼女は彼とすれ違う時は胸がドキドキしたようですが、いつも満面の笑みで

彼の目を見て、やさしく「お疲れ様です」とあいさつをしました。

 

でも彼は彼女に無関心で、ちっとも彼女に振り向いてくれませんでした。

 

ある時彼女は髪を切って、彼の前でさりげなくその変化に気付いてもらおうと

しましたがまったく彼は無反応でした。

 

なんとか彼と親しくなりたかった彼女はあきらめきれませんでした。

そのうち、彼女の彼に対する態度は変化してきました。

 

彼とのすれ違い様には、彼の名札を見て「名札が傾いていますよ、きちんとなおして

下さい。」と厳しく注意しました。

 

また、彼が食堂で手を洗ったあとに拭くハンカチを見て「不潔ね、何日同じハンカチを

使っているの、くしゃくしゃじゃない」と軽蔑をしたような顔で言いました。

 

彼女の母性本能を刺激し、それがこのような愛情表現となったのかもしれませんが

私はその時の彼の困惑した顔を見て、彼女の気持ちが理解できませんでした。

 

私は彼女に、どうして彼にそんな態度をするのかと聞いてみました。

彼女は彼に対して、こころの中の本音を打ち明けることができなかったようです。

 

それで彼女は、やさしくしても振り向いてくれない彼に、きつい言葉をかける

ことで彼女の存在を気付いてもらいたいと思ったようでした。

 

彼女のそんな気持ちを理解してくれない彼にだんだんいらいらしてきたようでした。

でも普通に考えれば、そんな愛情表現が彼に理解されるはずはありません。

 

そんな頃、彼は人事異動で他の支店に赴任することになりました。

 

それを聞いた彼女は急に彼に優しく接するようになりましたが、

今までの彼女の態度を見てきた彼には、その気持ちはまったく伝わりませんでした。

 

残り少ない時間に焦る彼女は、なんとしても自分の気持ちを彼に伝えようと思い、

私にどうしたらいいのかと聞きました。

 

私の過去の経験から、そんな彼女の切ない気持ちは十分わかりました。

私は彼女に、変な小細工はしないで正直に自分の気持ちを伝えなさいと言いました。

 

でも彼女はストレートに愛の告白はできない気弱な性格でした。

 

彼との最後のお別れに、彼女は思い切って、白やピンクと紫色のきれいな花束を贈り、

これは私の気持ちですと言いました。

 

その花束はマーガレットとアゲラタムで「この花の花言葉は、真実の愛と

お返事くださいです」と書かれたメッセージカードが添えられていました。

 

彼が異動でいなくなった後、彼女は彼からの返事をこころ待ちにしていました。

そして2週間ほど過ぎた頃、彼から宅配便が届きました。

 

メッセージカードに「先日きれいな花束ありがとうございました、これは僕の

気持ちです受け取って下さい」と書き添えられていました。

 

そして彼女に届いたお返しは紫色のきれいなムシトリナデシコの花束でした。

 

その目立つ紫色の花びらは、その美しさに近づく虫たちを茎から出る粘液で

捕まえると言われています。

 

花言葉を熟知している彼女は彼の気持ちがすぐにわかりました。

その花の花言葉は「偽りの愛」でした。

 

彼女の「真実の愛」に対して彼は「偽りの愛」と解釈したようです。

 

結局彼女の気持ちは彼に伝わることなく、恋ははかなく消えてしまいました。

 

私は彼女からそれを聞いて、どうして自分の言葉で愛を伝えなかったのかと

とても残念に思いました。

 

きっと彼女には、彼のこころを捕まえる愛の粘液が不足していたんですね。

ブログをしばらくお休みします

 

 

いつも私のブログにお越しいただいて本当にありがとうございます。

 

振り返ってみると、私のブログは野球場でサッカーの試合をやっていた

ような気がします。

 

観衆は驚き、どうしたんだろうと思いながらも、汗をかく私を見て、

ルールは違うけど、一生懸命にやっているから大目に見てあげよう。

 

そんな温かい気持ちの読者のみなさまに支えられてこれまでブログを

書き続けることができました。

 

ブログとはこころとこころが繋がる架け橋だと思います。

知らない人同士がこころで繋がる、そして感動と涙の世界かもしれません。

 

熱いこころをたくさんいただき、ありがとうございました。

 

私は仕事が忙しくなり、ブログを書くための時間の余裕がなくなりました。

まだまだ書きたいことはたくさんありますが、今の仕事が落ち着くまで

 

しばらくブログを書くことをお休みしたいと思います。

 

またブログでみなさまと再会した時にはよろしくお願いします。

 

希望の星

 

私は本を読むことが好きなので、いつもたくさん本を読んでいます。

 

私は図書館の利用カードを持っていますので、読みたい本が見つかれば予約して

本を借りています。

 

図書館のホームページにカード番号とパスワードを打ち込めば、最近入った

本の情報が見られるので便利です。

 

人気があって、予約がたくさん入って、なかなか順番が回ってこない本もあります。

 

いろいろなジャンルがあり、すべての本の情報を見るわけではありませんが、私には、

人気のある本は、お金に関する本と、こころに関する本のような気がします。

 

世の中には、お金がなくて困っている人や、人間関係などによるこころの悩みが

ある人が多いのかもしれませんね。

 

ブログの中にもお金や仕事のことや、こころの悩みや病のことが書かれているのを

よく見かけます。

 

私は亡くなった祖父に、祖父が若かった頃の話をよく聞くことがありました。

随分昔の話なのであまりよく覚えていませんが、祖父は戦争を体験しており、

 

食糧も不足していて、明日のことより、どうやって今日生きるのかのほうが心配

だったようです。

 

今の時代は様変わりですね。

 

今日はなんとか生きていける、それよりも、みんな、これから数十年先の

100歳まで生きるための心配をしているような気がします。

 

これからはお年寄りの一人暮らしが急激に増えると予想されていますね。

 

年老いてお金がなく、孤独で寂しい人生の最期を迎えるのは嫌だと思うのでしょうか。

誰にも気づかれず、一人寂しく自宅で孤独死なんて考えたくないのでしょう。

 

寝たきりになれば誰が介護してくれるのでしょう。

そのためにはお金はたくさん必要でしょうし、悩みもたくさんあることでしょう。

 

私の祖父は私に、昔はその日を生きるためにはみんなが助け合い、その日その日を

精一杯生きていたと言っていました。

 

今のように長生きすることがリスクではなく、長生きすることはラッキーだと

思える時代だったようです。

 

今日生きることができたことに感謝し、明日のしあわせを夢見ていたようです。

不自由で貧しい暮らしでも、今よりも、愛と希望にあふれていたと言っていました。

 

私は大好きだった祖父の話を聞いて、私も今を大切にすることと、

人を愛し、できるだけみんなで助け合いながら生きていきたいと思いました。

 

でも、生きることって大変なんでしょうね。

 

人が生まれたばかりの頃はみんな純真なこころを持っていても、成長していく過程で

だんだんこころが汚れていくのは、生きることの難しさなのかもしれませんね。

 

生きるために人はお金を稼ぎ、人も自分もこころが傷ついていくのかもしれません。

 

でも、私は世界中の人はすべて善人だと思っています。

 

ただ、お金がないと暮らしていけない世の中が、善人を悪人に変えてしまうことが

あるのはとても悲しく思います。

 

それならいっそのこと、私はこの世の中にお金がなくなってしまえばいいと思います。

そして私は愛でものが買える時代になってほしいと思います。

 

愛がたくさんあればあるほど、そこにモノも人も集まり、しあわせになる。

これが私が理想とする、愛でご飯が食べられる世界です。

 

私は、祖父もそうですが、お年寄りが大好きです。

お金がなくても愛があれば、お年寄りがしあわせになれればいいと思います。

 

お年寄りは人生を教えてくれる大先輩で貴重な宝物だと思います。

 

若い人がお年寄りを見て、その哀れさに目をそらして絶望するのではなく、

愛されるしあわせな姿を見て、明るい希望の星だと思ってほしいですね。

 

私は若い人たちが、老いるって素敵だなと思える世の中になってほしいと思います。

 

私は将来、日本が老人大国ではなく、しあわせ大国になることを願います。

こころに輝く一番星

 

今回はとても仲が良かった家族のお話です。

 

その家族は若い両親と幼稚園児の女の子の3人でした。

女の子の名前は静香と言い、父親が大好きな甘えん坊でした。

 

父親は長距離トラックの運転手の仕事をしていました。

彼は人と話をするのが苦手で、接客業には向いていませんでした。

 

ひとりでトラックを運転し、きちんと時間通りに荷物を届けることで世の中の

役に立つ仕事は、彼の性格に合っていたようでした。

 

そんな彼ですが、荷物を運ぶ途中の何度かの休憩の時に、天気のいい夜には空に

輝くきれいな星を眺めました。

 

星を見ながら彼は、静香ちゃんはもうぐっすり寝ているかなと思いながら

温かいコーヒーを飲んで、娘の寝顔を思い浮かべました。

 

彼の仕事の休みにはいつも静香ちゃんと遊んでいました。

人付き合いの苦手な彼は、静香ちゃんと遊んでいる時間が一番しあわせでした。

 

静香ちゃんは父親とおままごとをするのが大好きで、いつも彼にハンバーグと

目玉焼きを作ってあげました。

 

静香ちゃんはそんな時、「パパ、私が大きくなったら私はパパのお嫁さんになって

もっともっと美味しいごちそうを作ってあげるね」と言っていました。

 

それからある日、彼の仕事が休みの日に、3人でドライブをした時のことでした。

少し帰りが遅くなり、日が暮れて夜になりました。

 

その日はお天気がよく、空にはたくさんの星が輝いていました。

3人はクルマから降りて、しばらく星の輝く夜空を見ることにしました。

 

父親は静香ちゃんに、「人は死んだらあのお星さまになるんだよ」と言いました。

 

彼は一番星を指さし、「見てごらん、あの一番明るいお星さまを、あれはきっと

静香ちゃんが大好きだったおじいちゃんだよ、静香ちゃんの大好きな気持ちが

 

おじいちゃんに伝わって明るく見えるんだよ」と言いました。

静香ちゃんは明るい星は大好きだった人だと父親から教えられたのでした。

 

それからしばらくしてこの家族に不幸が訪れました。

 

父親が仕事で荷物を運んでいましたが渋滞で時間が遅れ、休憩なしで運転を

続けたため、居眠り運転をしてしまい大事故を起こし、帰らぬ人となりました。

 

大好きだった父親を亡くした静香ちゃんは、おままごとのお料理セットを

見るたびに、一緒に楽しく遊んだ時のことを思い出しました。

 

大きくなったらパパに美味しいお料理を作って食べさせてあげようと思ったのにと

いつまでも泣きました。

 

それから数か月が経ちました。

 

静香ちゃんは母親に、この前3人で一緒にお空の星を見たところに連れて行って

ほしいとお願いしました。

 

しばらくして母親は、お天気がよく星のよく見える夜に、静香ちゃんを連れて

思い出の場所に行きました。

 

静香ちゃんはたくさんある星からパパの星を探しましたがどれも同じようで、

明るく見えるはずのパパの星が見つかりませんでした。

 

静香ちゃんは、パパはもう私のことなんか忘れてしまったのね、お星さまに

なるなんて嘘だったのかと思いました。

 

静香ちゃんは母親に、「私はこんなにパパが大好きだったのに、どうしてパパは

私のために明るく輝いてくれないの」と言いました。

 

すると母親は「そうね、今夜は静香ちゃんのパパはいないようね、でも、

明日になったらきっとパパは見えるから楽しみにしてね」と言いました。

 

そしてふたりはお家に帰り、お風呂に入って早めに寝ました。

 

そして翌朝になりました、母親は暗いうちに静香ちゃんを起こしました。

母親は「これからパパの星が見えるから一緒に見ましょうね」と言いました。

 

静香ちゃんは眠い目をこすりながら空を見ていました、すると東の空から

まぶしい大きな星が見えてきました。

 

静香ちゃんは母親に、「これって太陽さんじゃないの」と言いました。

 

母親は「そうよ太陽さんよ、あなたの大好きなパパを想う熱い気持ちが伝わって

パパは明るく輝く太陽さんになったのよ」と言いました。

 

空に輝く太陽は、静香ちゃんにとって、すべての星を足し合わせたよりも

明るい一番星になりました。

 

それから静香ちゃんのこころにはいつまでも大好きなパパが生き続けました。

 

ふたりはまぶしい太陽を見ながら、元気だったパパのことを思い浮かべました。

 

きっとふたりはこれから、太陽の暖かい陽ざしを浴び、悲しみを乗り越えて

いくことでしょう。

 

その日は雲ひとつない、とても澄んだ青空でした。

自信のない人がスーパーに勤めたら

 

私の姪で、今年学校を卒業してスーパーに入社した子がいます。

彼女が4月に入社してほぼ1か月が過ぎました。

 

彼女は食品売り場で、牛乳とかヨーグルトとかパンなどを販売する部門に

配属されたようです。

 

私は彼女を幼いころから見ているので彼女の性格はよく知っています。

彼女はとても心配症で、何事にも自信を持って行動できないタイプでした。

 

そんな彼女ですが、先日、彼女の仕事が休みの日に、私の家に遊びに来ました。

家が近くなので、彼女が子供の頃から家族ぐるみの付き合いがありました。

 

私は彼女に、仕事に慣れて頑張っているかと聞きました。

 

すると彼女は、なかなか仕事が覚えられなくて、いつも上司に叱られていると

言いました。

 

その上司は、これくらいのことができなくてどうする、仕事を覚える気が

あるのかと彼女を厳しく指導しました。

 

彼女は仕事に対してすっかり自信を無くし、自分はここの仕事には向いて

いないと思い、1年先輩の社員に仕事を辞めたいと相談しました。

 

するとその先輩社員は、あの上司はあなただけではなく、みんなに厳しくて

私にも入社した頃はとても厳しかったと言いました。

 

それを聞いて彼女は、自分だけではなくみんなも同じ思いをしたのだと知ると、

とても気が楽になったようでした。

 

彼女の自信のなさが自分を苦しめていたようです。

それから彼女は少し自信を取り戻したそうです。

 

他にも彼女の自信を無くすことがあったようです。

 

ある時彼女が牛乳を補充していた時、お年寄りのお客が、近くの鮮魚コーナーから

コハダの酢漬けのパックを持ってきて、彼女にこれはおいしいのかと聞いてきました。

 

彼女は今までコハダが苦手でほとんど食べたことがありませんでした。

彼女は鮮魚の作業場にそれを持って行って、これは美味しいのですかと聞きました。

 

すると鮮魚のベテラン社員が、ここの売場には美味しくないものは置いていないと

怒って彼女を睨みつけ、とても機嫌を悪くしたようです。

 

彼女は叱られたような気がしてとてもショックでした。

 

スーパーには多くの商品が並んでいて、彼女がすべてを食べて、その味を知っている

わけではありません。

 

特に、新製品や新規取り扱いの商品は、よく美味しいのか尋ねられたそうです。

 

そんな時彼女は、お客から美味しいのかと聞かれても、食べたことがないのでよく

わかりませんと正直に答えました。

 

でもその時のお客の反応を見ると、彼女は何か冷たい接客だなと思ったようです。

 

それで彼女は、食べたことはないのですが、きっとおいしいですよと答えましたが

それでは説得力がまったくありませんでした。

 

どのように接客したらいいのかと先輩社員に聞いても、人それぞれの好みがあるから

よくわからないと言いました。

 

それで私に、どのように接客したらいいのかと聞いてきました。

 

私も商品の知識はないし、味についてはよくわかりませんが、

私は彼女に、自分の勤めているお店の商品に自信を持ちなさいと言いました。

 

よほど美味しくない商品ならクレームもあるだろうし、今の時代、そもそも

まずくて食べれないような商品はお店に置かないだろうと思いました。

 

私は彼女に、迷わず「美味しいですよ」と言い切って接客しなさいと言いました。

 

お客に笑顔で堂々と美味しいですよと言うことで、お客は安心して買うでしょう。

 

彼女は私に、もし、後日、あなたが美味しいと言ったから買ったあの商品、ちっとも

美味しくなかったと言われたらどうするのかと聞きました。

 

私はいちいちお客の嗜好に合わせて美味しいかそうでないか答えることや、

ひとつひとつの商品の味を言葉で伝えるのは無理だと思います。

 

私は言いました、その商品を作った人たちに感謝し、こころの中で味見をしなさい。

苦労して作った人の気持ちが伝われば、どんな商品でも美味しく感じるはずです。

 

そして自信を持って、私にはとても美味しく感じましたとお客に言いなさい、

人によって美味しさの感じ方は違うのだから。

 

先ほどの鮮魚のベテラン社員は商売とは何かということををよく心得ていますね、

自分の扱っている商品には美味しいと言う絶対的な自信を持っていたのです。

 

こうして自信を持つことで、彼女もだんだん一人前になっていくのではないかと

思いました。

 

読者の皆さまの中で、もしスーパーにお勤めの方がいらっしゃったらこれは

参考にしないで下さいね、これは私の素人的な考えです

「ごめんなさい」と「ありがとうございます」

 

もうすぐ母の日がやって来ますね。

私の母はもう何年も前に心筋梗塞で亡くなりました。

 

一緒に夕飯を食べ、そのときは何ともなかったのですが、食べ終わって

1時間もしないうちに、胸が痛くて苦しいと私に訴えてきました。

 

すぐに病院に運びましたが、その日のうちに心臓が止まり、亡くなりました。

あまりにも突然の死に、私のこころはついて行けませんでした。

 

数時間前まで私と普段通り話をしていたのに、どうして亡くなったのか

信じられませんでした。

 

私は毎年母の日が近づくと、亡き母の思い出が頭に浮かんできます。

 

私が子供の頃、家庭がとても貧しく、困ったことは、その日に食べるための

お金が十分なかったことでした。

 

私は食べ盛りでいつもお腹を空かしていたのですが、そんな時、よく母親は

スーパーのお肉売場にある、無料の牛脂をもらって帰りました。

 

それをプライパンで熱して溶かし、ご飯を入れて炒め、お醤油をかけて、

「ごめんなさいね、本当はもっと栄養のあるものを作ってあげたいのだけど」と

 

言って、私に食べさせてくれました。

お腹が空いていた私には、具のない牛丼ですが、とてもおいしく感じました。

 

この貧乏な生活は決して母親のせいではないのに、私は母親の「ごめんなさい」と

言う言葉に、とてもやさしさを感じました。

 

私の記憶では、母親はいつでもどこでも誰にでも「ごめんなさい」とよく

言っていたように思います。

 

私が小学校の時一番つらかったのは、お金がなくて給食費がなかなか

払えなかったことです。

 

今のように銀行口座から引き落としであればいいのですが、その頃は

毎月決まった日に、子供たちは先生から給食費を入れる袋を渡され、

 

翌日、子供がお金を持ってきて先生に渡していました。

 

でも私の家にはお金がなく、いつも持ってくるのを忘れたふりをしていました。

 

最初のうちは給食費を持ってくるのを忘れる子が数人いましたが、だんだん減り

いつも私が最後になりました。

 

ある時先生は私に、みんな持ってきているんだよ、持ってこないのはお前だけ、

明日は必ず忘れないで持ってきなさいと言いました。

 

でも私はお金がないと言うのは恥ずかしくてとても言えませんでした。

 

私の父親が個人で土建業を営んでいて、工事の進行度合いや、支払ってくれる

相手先の資金繰りの関係で、いつお金が入ってくるのかわからなかったと思います。

 

いつお金が入ってくるのかわからない中で、母親のやり繰りは大変で、もしかしたら、給食費を払えば、家族はその日のご飯が食べられなかったのかもしれません。

 

私は家に帰って、母親に「いつになったらお金が入るの?、僕は先生にいつも

叱られてつらい」と泣きながら言いました。

 

それを聞いて母親は、私と一緒に学校に行って、先生に「主人の仕事の関係で

今お金がないのでもう少し待って下さい」とお願いしました。

 

それを聞いた先生は、「そんな理由があるなら給食費はいつでもいいですよ

お金が入った時に持ってきてください」と言ってくれました。

 

そのとき母親は先生に何度も何度も「ありがとうございます」と頭を下げました。

 

そんな私の母親は、世間の人たちからいつも助けられ、いつでもどこでも誰にでも

「ありがとうございます」と言っていました。

 

今思えば、貧しかった私たちの家庭がなんとか暮らしていけたのは母親の

「ごめんなさい」と「ありがとうございます」の言葉があったからかもしれません。

 

自分の悪いところは素直に謝り、何事にも感謝する気持ちは人をしあわせに

導いてくれるのかもしれません。

 

私が貧しくてもしあわせな気持ちで生きているのは母親のおかげです。

私は大切なことを教えてくれた母親に感謝しています。

 

今度の母の日には、天国にいる母に、親孝行できなくて「ごめんなさい」、

そして私を愛してくれたことに「ありがとうございます」と

 

母の日のプレゼントとしてこころを込めて伝えたいと思います。

背中の大きなホクロ

 

私は昨夜とても悲しい夢を見ました。

忘れないうちにブログに書き残すことにしました。

 

あるところに両親と子供の3人家族がマンションに住んでいました。

父親は建設会社に勤め、母親は専業主婦でした。

 

子供の名前は智之で小学校の1年生でした。

 

父親は子供が大好きで、仕事の休みの日にはいつも智之を公園に連れて行って

一緒に遊んでいました。

 

父親は厳しい仕事で疲れる毎日でしたが、休みの日に智之と過ごす時間は

彼のこころを安らげるしあわせなひと時でした。

 

父親は智之が生まれたばかりの頃から、一緒にお風呂に入るのが習慣でした。

母親が夕飯の支度をしている間、父親は智之をお風呂に入れていました。

 

生まれたばかりの頃は、父親が抱っこして、母親が智之の身体を洗いました。

 

少し大きくなって智之が自分で体を洗うようになりましたが、シャンプーが

大嫌いでした。

 

智之が洗った頭に、父親がお湯をかけると、足をバタバタして首を振り、

「シャンプーはいや」と泣き叫びました。

 

智之は石鹸が目に入り、息ができないつらさをとても嫌がりました。

父親は智之のシャンプー嫌いを何とかしようとシャンプーハットを買いました。

 

それを使ってシャンプーをしたところ、智之はシャンプーに慣れました。

 

智之が小学校に入る前には、智之が父親の背中を洗ってくれるようになりました。

 

智之が父親の背中を洗う時、父親の首から少し下の右側の背中に大きな

ホクロがあるのに気が付きました。

 

智之は父親に、「お父さんの背中に大きなホクロがあるのを知っている?」

と言いました。

 

父親はそれまで背中にホクロがあるのを知りませんでした。

父親は智之にホクロがどこにあるのか手で触って教えてもらいました。

 

それから智之は、いつも父親の大きなホクロを見ながら背中を洗いました。

智之は父親に「いつまでもお父さんの背中を洗ってあげるね」とやさしく言いました。

 

それを聞いて父親は、いつまで洗ってくれるのかなと喜びました。

そんなしあわせなホームドラマのような生活に不幸が訪れました。

 

父親が会社の健康診断を受けた時、胃に異常があり、要精密検査という

診断結果が出ました。

 

以前から胃の調子が悪く、いつも胃腸薬を飲んでいた父親は心配になり、

病院で再検査を受けました。

 

するともう手遅れの末期がんでした。余命半年の死刑判決のようでした。

 

入院して抗がん剤で治療する父親は、看病する妻に、「智之にはこの病気のことは

黙っていてほしい、すぐに治るから心配するなと伝えてほしい」と言いました。

 

入院してしばらくは智之は母親と一緒にお見舞いに来ていましたが、

 

だんだん父親は智之を遠ざけるようになり、妻にしばらく智之を連れて

こないようにと言いました。

 

なぜならば、鏡に写る自分の姿をみて、驚きを隠せませんでした。

 

だんだん髪の毛や眉毛が薄くなり、頬は痩せこけ、目と耳が異常に目立って

きたからでした。

 

父親はだんだんやつれていく自分の姿を智之には見せたくなかったのです。

 

それから、彼の身体はがんにおかされ、太り気味で70kg以上あった体重は

半分以下にまで激減しました。

 

髪の毛もまゆ毛もなく、痩せこけた顔には、今にもこぼれそうな大きな目と

大きく開いた耳、そして骨と皮だけの身体。

 

医師からお別れが近づいたと言われ、何も知らない智之は、母親に連れられて

久しぶりに父親の面会に来ました。

 

智之は久しぶりの父との面会を楽しみに病室に入りました。

 

しかし、そこには父の姿はありませんでした、ベッドに横たわる人は今までに

見たことのない、人の姿とは思えない宇宙人のように見えました。

 

そしてその宇宙人は涙を流しながら智之に手をさし伸ばしました。

 

智之は思わず、「おかあさん怖いよう、化け物が僕を捕まえようとしている」と

母親に言いました。

 

母親は智之に「これはあなたのお父さんよ、しっかり手を握ってあげなさい」と

言いました。

 

智之は、元気だった父親のこんなに変わり果てた姿を見て、絶対これはやさしかった

父親ではないと思いました。

 

智之は母親に「気持ちがわるいからもう帰ろうよ」と言った時、宇宙人の着ている

パジャマの背中がはだけ、大きなホクロが見えました。

 

このホクロはいつも一緒にお風呂に入っていたお父さんのものだとわかりました。

 

それを見て智之は「これは本当に僕のお父さんだ、気持ちが悪いなんて言って

ごめんなさい」と言って父親の手を固く握りしめました。

 

私はここで目が覚めまし

あなたは仕事が好きですか? 

       

       昨年の夏に撮った田舎のこころ安らぐ青空

 

     



私は何度もこのブログに書きましたが、私は人生を犠牲にしてまで働くのではなく、

自分らしく生きるために働いています。

 

周りの多くの社員は、自分の人生を会社に託すように、会社のために忠実に

働いているように見えます。

 

中には胃腸薬を飲みながら、精神的苦痛に耐えながら働いている人もいます。

朝早くから深夜まで命を縮めるような無理な働き方をしている人もいます。

 

愛社精神と責任感があるのか、それとも逃れられない立場なのでしょうか。

 

君たちの能力はこんなものではない、もっともっと能力を発揮できるように

チャンスを与えてあげようと言う会社のありがたいお言葉。

 

非情にも、できない理由は言わないで、できる方法を考えなさいとか、

君にできなければできる人に代わってもらうと言う、屈辱的でこころが傷つく言葉。

 

何度も何度も修羅場を乗り越えて、その度に会社人間としての器が大きくなる

のかもしれません。

 

でも乗り越えられない人たちは、こころと身体を壊してしまうかもしれません。

それはあなたの働き方が悪いのですよと見捨てられればとても悲しいことですね。

 

こんな地獄のような会社人生から何十年も逃れられないのなら私はぞっとします。

他人事ですが私には考えられない働き方です。

 

私の会社の社員によく聞くことがあります。

あなたは今の会社の仕事が好きですかそれとも辛いですかと。

 

すると様々な答えが返ってきます。

もちろん仕事が好きで毎日が充実していると答える人もいます。

 

でも何人かの人は、仕事はつらいことが多いが生活のためには働かざるを

得ないと答えました。

 

ではあなたは今までに会社を辞めたいと思ったことがありますかと聞いてみました。

 

何度もあるという人もいるし、いつでも辞められるように、退職願いは

机の引き出しに用意しているという人までいました。

 

以前私のいた支店の支店長は人情味のある人で、私の仕事ぶりを見て心配して

もっとしっかり仕事をしなければ、きっと将来苦労するぞと言っていましたが

 

結局、彼は仕事のし過ぎで過労死しました。

 

人生100年時代と言われますが、多くの人は、80,90歳そして100歳まで生きる

長生きのリスクに備えて、現役時代にたくさん貯蓄をしなければならないと言います。

 

私は長生きがリスクとは思いません、むしろ長生きはラッキーだと思います。

でも私は、辛い思いをしながら100歳まで生きたいとは思いません。

 

楽しく60,70歳まで生きられればそれでもいいと思います。

 

一度しかない人生を、辛い仕事のために我慢して、長生きがリスクなんて

何か間違っていると思います。

 

私はお天気のいい日に美しい桜の満開を見て、生きるって本当に素晴らしいこと

だと思える人生が大好きです。

 

決して、風雨の中、散りゆく桜の花びらを眺めながら、人生のはかなさに涙を

流したくはありません。

 

若い人たちが、先輩たちのそんな辛い働き方を見たらどう思うでしょうか。

仕事に追われて疲れ切ったその表情に、希望の光を見出すことができるでしょうか。

 

最近の若い人は、責任のある仕事や出世するよりも、自分らしく生きたいと

思う人が増えていると聞きます。

 

自分の大切な時間を仕事のために多く奪われるのは嫌だと思っている人は

たくさんいるような気がします。

 

私は世の中が便利になったのと引き換えに、だんだんしあわせが少なくなって

きたような気がします。

 

私は貧しくて不便なこともたくさんありますが、自然豊かな田舎で、こんなに

ストレスがなくマイペースで生きていけるのはしあわせです。

 

私は働くために生きるのではなく、自由に楽しく生きるために働いています。

 

もしかしたら私の方が、60,70歳ではなく100歳まで生きられるかもしれませんね。

愛があふれるドッグカフェ

 

私が以前勤務していた支店に、気さくな性格でとても優しい人がいました。

その人は40代半ばの女性でパートで働いていました。

 

彼女は初対面の人でも自分のことを包み隠さず話してくれるので、相手は

警戒心がなくなり、すぐ打ち解けてくれるようでした。

 

彼女は誰とも平等に話をするので、何人か集まった時、いつもその場の雰囲気を

明るくする存在でした。

 

私が彼女と初めて会った時もとても明るく、フレンドリーでオープンな性格に

感じました。

 

私が彼女と一緒に働き始めてすぐに気づいたことがありました。

彼女が働く左手には親指がありませんでした。

 

彼女はいつも気にしているのでしょう、私の視線が彼女の指に止まった時、

「この指はね、私が20歳の時、交通事故でなくなちゃったのよ」と言いました。

 

そんなあっけらかんとして言う彼女に対して、私は返す言葉がまったく

見つかりませんでした。

 

それからよく話をするようになりましたが、彼女は、何かの拍子にその交通事故の

当時の話をしてくれました。

 

彼女は交通事故で左親指だけではなく、左目も失い、義眼をつけているようでした。

その当時彼女のご両親は、嫁入り前の彼女の運命を嘆き、とても悲しんだようです。

 

まだまだ若い彼女のこれからの人生のことを考えると、とても不憫に思いました。

親の気持ちとしてみれば、できることなら彼女と代わってあげたいと思いました。

 

そんな両親の自分に対する気持ちを考えると彼女はやりきれませんでした。

 

彼女はいっそのこと死んでしまいたいと思いましたが、自分が死ねば、残された

両親が更なる悲しみを味わうことになると思いました。

 

それで彼女は、自分の辛さを隠し、両親の前では目いっぱい明るく振舞うように

しました。

 

そんな彼女ですが、数年後、彼女のことを理解してくれる男性が現れ、彼女は

めでたく結婚することができました。

 

彼女はこんな自分を愛してくれる彼の気持ちに、感謝しても感謝しても、

感謝しきれないほどありがたく思いました。

 

彼は彼女の目となり、指となり、彼女をやさしく支えてあげました。

 

そしてふたりの間には女の子がひとり生まれ、しあわせな生活が続きました。

しかしながら、そのしあわせはいつまでも続きませんでした。

 

娘が中学校に入ったばかりの頃、ご主人が重い病気にかかり、回復することを

切に願いましたが、その願いは叶わず、帰らぬ人となりました。

 

ご主人は犬が大好きで、ペットとして家族同様にかわいがっていました。

彼女は彼が、娘と同様にかわいがっていたペットの犬を抱きしめて泣きました。

 

毎日彼の愛した犬を散歩に連れて行くと、いつも亡くなったご主人のことを思い出し、

涙が止まらなかったようです。

 

神様、私は何か悪いことをしたのでしょうか、私がそんなに憎いのでしょうかと

こころの中で叫びました。

 

でも彼女は2度の試練を乗り越え、人間的に大きく成長し、人のこころの痛みや

辛さを理解し共感することができるようになりました。

 

そして彼女はとても優しく気さくな性格になりました。

 

私が彼女と会って1年ほど過ぎた頃、彼女は会社を退職することになりました。

 

私は彼女に、ここをやめて何をするのかと聞いてみました。

すると彼女はドッグカフェをやると言いました。

 

ご主人は彼女の将来のことを心配してたくさんの生命保険に入っていました。

彼女は何年も前からそれを使ってドッグカフェを作る計画をしていたようです。

 

私は彼女に、なぜドッグカフェをやるのかと聞いてみました。

 

彼女はペットの犬を愛していたご主人を忘れることはなく、犬を愛するお客と

毎日接することで、いつまでも彼女のこころに残しておきたいからだそうです。

 

そして彼女はご主人を愛する気持ちと同じようにお客を愛したいと言いました。

 

私は神様に今度こそは彼女をしあわせにしてくださいとお願いしました。

私は世のなかの人が決して彼女を見捨てることはないと信じました。

 

でもその心配は杞憂に終わり、彼女の気さくな性格は多くの客を呼び、常連客となり

今でもお店は安定的に続いているようです。

 

そして今でも、彼女のこころのなかにご主人は生き続けているようです。

美味しかったよ、ありがとう

 

私は食べ物のことが書いてあるブログを読むのが好きです。

 

多くの方が食べ物についてのブログを書いていますが、すべての人の

生活に欠かせないものだからでしょうね。

 

中でも、お料理のことが書いてあるブログを読むのが楽しいですね。

 

こころのこもったブログからは、そのお料理の出来上がった写真を見た瞬間、

きれいな出来栄えだけではなく、美味しい味と香りに温かさが伝わってきます。

 

もちろん出来上がるまでの過程を読者にわかりやすく説明してあるからですが

私はそのていねいな説明に、書いた人のこころの優しさを感じます。

 

誰でも簡単に作れます、あなたも一緒に作りましょうと私を誘っている

ような気がします。

 

その優しい誘いに、つい、私もその隣に並んで一緒に楽しく作りたくなります。

 

旬の食材を使った手作りのお料理は、作った方のこころが生き生きと躍動

しているように感じます。

 

私もその気持ちをいただくと元気で新鮮な気持ちになってしまいます。

 

私のブログはほとんど文字だけの簡単なものですが、お料理のブログって、とても

手間がかかると思います。

 

私はあまりお料理はしないし、お料理のブログを書いたことはありませんが、

頭の中で、私がお料理のブログを書く時のことを想像してみました。

 

まず、どんなお料理を作るのか考え、食材の買い出しから、調味料・調理器具の準備、

そして下ごしらえ、そしてやっとお料理を作り始め、作りながら手を止め、写真撮影、

 

出来上がったお料理を自分で食べてその出来具合を確かめる。

 

そして写真の選択・貼り付け、文章の作成、こんな感じでしょうか、間違って

いたらごめんなさい。

 

こんな大変なこと、とても私にはできそうにありません。

でも、お料理のブログを読むと、私は嫌なことを忘れ、こころが安らぎます。

 

できれば作った方とお話をしながら、一緒にそのお料理を食べることができたら

きっとしあわせな気分になることでしょう。

 

少し話は変わります。

 

昔と違って今の時代、皆さん忙しくて、お家で、家族そろってみんなで食事する

ことが少なくなったような気がします。

 

たまにみんなで食事をするとしても、スマホやテレビ、新聞などを見たりして、

食卓に並ぶお料理には無関心のように食べている方もいるような気がします。

 

これでは作った人がかわいそうですね、美味しいのかそうでないのか全然

気持ちが伝わってきませんね。

 

世界中から溢れる情報に気を取られ、昔ながらの手作りの料理には飽きて興味を

示さなくなったのでしょうか。

 

そんな情報の中にしあわせになるような何かいいことがあるのでしょうか。

食事中の会話が少ないと、家族の絆が弱くなってしまうような気がします。

 

今では、お惣菜を買ったり、外食をすれば、手軽に美味しい料理を食べる

ことができます。

 

でも、せっかく奥様やお母様が手間暇かけて作ったお料理も、こんな食べ方を

されたら作り甲斐がないと思います。

 

私はお料理のブログを読んで、作った人の気持ちが伝わってきました。

 

同じように家庭でも、奥様やお母様は時間をかけて家族のためにお料理を

毎日作っているのです。

 

こころを込めてお料理を作った人は、一緒に食べてくれた人たちに

「美味しかったよ、ありがとう」と言われれば、それが何よりもうれしいのです。

 

また次も美味しいお料理を作ろうと言う意欲が湧いてくると思います。

そしてこころが繋がり、家庭の平和が築かれるのかもしれません。

 

私の妻はあまりお料理はうまくはありませんが、私はお料理のブログを読んで、

こころを込めて作ってくれた妻に対して感謝したいと思うようになりました。

 

せっかくのお料理に無関心なあなたが、作った人に感謝の気持ちを伝えれば、

遠い世界ではなく、しあわせはごく身近な家庭の中に見つかるかもしれませんよ。

 

私はお料理のブログって、人に優しさと愛を気付かせる素晴らしいものだと

つくづく思いました。

田舎の道路

 

私は先日、1泊2日で都会に出張しました。

田舎暮らしの私には久しぶりの都会への出張でした。

 

仕事は順調に進み、2日目のお昼過ぎには終わりました。

時間に余裕ができたため、都会の街中を歩いてみました。

 

銀行に用事があったので探してみると、道路の向こう側に目的の銀行が見えました。

その道路は片側3車線の広い道路でしたが横断歩道が近くにありませんでした。

 

目の前に銀行があるのにどうやって行けばいいのだろうかと悩みました。

歩き行く人の流れの中、田舎者丸出しで立ち止まって周りをキョロキョロしました。

 

都会の人はみんな忙しそうなので人に聞くのは躊躇しました。

すると目の前に地下道の入り口が見つかりました。

 

私は階段を下りて地下道に行きましたが、そこにはたくさんのお店が並んでいて

どれもオシャレなお店ばかりでした。

 

とても私が入るようなお店ではないと思い、横目で見ながら通り過ぎました。

 

私は地下道を通って銀行にたどり着きましたが、私はびっくりしました。

 

銀行に入ると、まず、文房具や食器など、地域のこだわりの商品をセレクトした

お店があり、中央にはカフェがあり、壁側にATMがあるだけで、最初、ここが銀行

 

だとは思えませんでした。

 

私はATMで用を済ませましたが、通常の窓口業務は2階にあるようでした。

田舎者の私にとっては、まったく別の世界に入ったようで落ち着きませんでした。

 

警備の人に、ここは田舎者が来るところではないと言われないかと心配しました。

それから電車に乗って百貨店に行きました。

 

私が住んでいるところは、クマやマムシにご注意の看板が立っているような田舎で、

百貨店に行くのは久しぶりでした。

 

エスカレーターで売り場を眺めながら上の階へと上っていきました。

すると上のほうの階に紳士服売り場がありました。

 

私は何も買うつもりはありませんでしたが、スーツ売り場を見ていると

 

若くてきれいなお姉さまが、「いらっしゃいませ、お仕事帰りですか?・・・・」と

やさしく親しそうに声をかけてきました。

 

私のような田舎者にとっては、どんな高級なスーツよりも、彼女の声かけのほうが

よほど素晴らしく思えました。

 

何年も前に買った安物のよれよれのスーツを着た私に、ひとりのお客として声を

かけてくれたことが嬉しかったのです。

 

結局私はスーツを買いませんでしたが、都会の洗練された接客に危うく買わされる

ところでした。

 

そろそろ夕方になりました。

早くしないと私の大嫌いなラッシュの時間になります。

 

その日の朝は、あのラッシュの速足で歩く人たちに、邪魔だ早く歩けと押し倒され

そうになりました。

 

田舎はそんなに急がなくてもゆっくり歩けるのです。

 

都会でラッシュ時にゆっくり歩くと、乗降客で駅が溢れてしまうので

仕方なく速く歩かされるのなら、それはかわいそうなことですね。

 

こうやって私の出張は終わり、家に帰ってほっとしました。

 

そして出張の翌日のことです。

 

私の会社は駐車場が少し離れたところにあり、会社に行くまでには道路を渡って

いかなければなりません。

 

その道路はクルマの交通量は少ないほうで、都会と違って道幅が狭く、

まっすぐで見通しのいい道路です。

 

しかし横断歩道が50mほど離れているのでそこまで歩くと時間がかかるので

みんなそのまま横断歩道を無視して直進して渡ります。

 

都会と違って、地下道や横断歩道がなくても渡れます。

 

私が出勤時にそこに差し掛かった時、私の会社の女性社員がその道路を渡ろうと

待っていました。

 

私は彼女に気付き、ゆっくり停車して、どうぞ渡って下さいと合図しました。

 

すると彼女は笑顔で頭を下げ、私に手を振ってクルマの前を横断しました。

私は朝からとても気持ちがよく感じました。

 

その後職場で出会い、彼女は、さっきはありがとうございました、あなたは

思った通りのやさしい方ですねと言いました。

 

彼女の言葉は、百貨店の販売員のように巧みな話術で私を誘うのではなく、

素朴で私のこころにやさしく響きました。

 

都会ではこんなことはあまりありませんね。

 

田舎は都会と違って華やかさはありませんが、やはり私にはのんびりした

田舎のほうが似合っています。