「ごめんなさい」と「ありがとうございます」

 

もうすぐ母の日がやって来ますね。

私の母はもう何年も前に心筋梗塞で亡くなりました。

 

一緒に夕飯を食べ、そのときは何ともなかったのですが、食べ終わって

1時間もしないうちに、胸が痛くて苦しいと私に訴えてきました。

 

すぐに病院に運びましたが、その日のうちに心臓が止まり、亡くなりました。

あまりにも突然の死に、私のこころはついて行けませんでした。

 

数時間前まで私と普段通り話をしていたのに、どうして亡くなったのか

信じられませんでした。

 

私は毎年母の日が近づくと、亡き母の思い出が頭に浮かんできます。

 

私が子供の頃、家庭がとても貧しく、困ったことは、その日に食べるための

お金が十分なかったことでした。

 

私は食べ盛りでいつもお腹を空かしていたのですが、そんな時、よく母親は

スーパーのお肉売場にある、無料の牛脂をもらって帰りました。

 

それをプライパンで熱して溶かし、ご飯を入れて炒め、お醤油をかけて、

「ごめんなさいね、本当はもっと栄養のあるものを作ってあげたいのだけど」と

 

言って、私に食べさせてくれました。

お腹が空いていた私には、具のない牛丼ですが、とてもおいしく感じました。

 

この貧乏な生活は決して母親のせいではないのに、私は母親の「ごめんなさい」と

言う言葉に、とてもやさしさを感じました。

 

私の記憶では、母親はいつでもどこでも誰にでも「ごめんなさい」とよく

言っていたように思います。

 

私が小学校の時一番つらかったのは、お金がなくて給食費がなかなか

払えなかったことです。

 

今のように銀行口座から引き落としであればいいのですが、その頃は

毎月決まった日に、子供たちは先生から給食費を入れる袋を渡され、

 

翌日、子供がお金を持ってきて先生に渡していました。

 

でも私の家にはお金がなく、いつも持ってくるのを忘れたふりをしていました。

 

最初のうちは給食費を持ってくるのを忘れる子が数人いましたが、だんだん減り

いつも私が最後になりました。

 

ある時先生は私に、みんな持ってきているんだよ、持ってこないのはお前だけ、

明日は必ず忘れないで持ってきなさいと言いました。

 

でも私はお金がないと言うのは恥ずかしくてとても言えませんでした。

 

私の父親が個人で土建業を営んでいて、工事の進行度合いや、支払ってくれる

相手先の資金繰りの関係で、いつお金が入ってくるのかわからなかったと思います。

 

いつお金が入ってくるのかわからない中で、母親のやり繰りは大変で、もしかしたら、給食費を払えば、家族はその日のご飯が食べられなかったのかもしれません。

 

私は家に帰って、母親に「いつになったらお金が入るの?、僕は先生にいつも

叱られてつらい」と泣きながら言いました。

 

それを聞いて母親は、私と一緒に学校に行って、先生に「主人の仕事の関係で

今お金がないのでもう少し待って下さい」とお願いしました。

 

それを聞いた先生は、「そんな理由があるなら給食費はいつでもいいですよ

お金が入った時に持ってきてください」と言ってくれました。

 

そのとき母親は先生に何度も何度も「ありがとうございます」と頭を下げました。

 

そんな私の母親は、世間の人たちからいつも助けられ、いつでもどこでも誰にでも

「ありがとうございます」と言っていました。

 

今思えば、貧しかった私たちの家庭がなんとか暮らしていけたのは母親の

「ごめんなさい」と「ありがとうございます」の言葉があったからかもしれません。

 

自分の悪いところは素直に謝り、何事にも感謝する気持ちは人をしあわせに

導いてくれるのかもしれません。

 

私が貧しくてもしあわせな気持ちで生きているのは母親のおかげです。

私は大切なことを教えてくれた母親に感謝しています。

 

今度の母の日には、天国にいる母に、親孝行できなくて「ごめんなさい」、

そして私を愛してくれたことに「ありがとうございます」と

 

母の日のプレゼントとしてこころを込めて伝えたいと思います。