しあわせの涙

 

私たち夫婦のお金の管理は、男性である私がいつもしています。

 

多くの人から聞くと、ほとんどが奥さんがお金の管理をしていて、その中から

ご主人はお小遣いをもらっているようです。

 

私の家も結婚当初は妻がお金の管理をしていましたが、お金の使い方が下手で、

使いすぎて次の給料日までになくなってしまうことがよくありました。

 

そのため今では、私がもらった給料は食費と光熱費などだけ妻に渡して、

残りは私が管理しています。

 

私の妻は以前、軽い脳梗塞にかかり、それ以来仕事はしていないのですが、今では

私の毎月の少ない給料から渡すお金の中で、きちんとやりくりするようになりました。

 

でも、最近物価が上がり始めましたが、私の給料は全く増えていません。

 

給料の中から妻に毎月渡す金額を増やしてあげたいのですが、将来のことを

考えると余裕はないし、私のお小遣いを減らすのも辛いです。

 

日々の家の食事も、おかずがだんだん質素になってきたような気がします。

 

話しは変わりますが、以前、私がテレビを見ていた時、何かの番組の中で、

もしあなたが生まれ変わったら、いまの奥様やご主人ともう一度結婚しますかと

 

街行く人々にインタビューしていました。

 

答えた人の声は様々で、男性では、絶対今の妻とは結婚しないという人と、

生まれ変わっても今の妻と結婚すると言うのが半々くらいだったと思います。

 

私はそれを見て、私だったらどうするだろうかと考えてみました。

 

新婚当時はやさしかった妻ですが、だんだん妻の座に胡坐をかき、強くなって、

私を粗大ごみのように、丁寧に扱わなくなってきたような気がします。

 

私はそれを考えると、世界中にはたくさんの女性がいるわけだから、

別に今の妻ではなくても、私と気が合う女性はたくさんいると思いました。

 

私は、同じ人間ならどんな女性とでも相手のことを理解してこころが通じれば

うまくいくはずだと思いました。

 

なので私は生まれ変わったら別の人と結婚してもいいと思いました。

 

話しは戻ります。

 

最近私が妻と買い物に行った時、妻は少し足を引きずり、時々立ち止まり、

歩きにくそうにしていました。

 

私はそのときあまり気にしていませんでしたが、ある時妻が本屋さんで

健康本のコーナーで立ち読みをしていました。

 

私は横からのぞき込みました。すると膝の痛みについての本でした。

私はその時初めて妻の膝が悪くなっていて歩きにくいのだと知りました。

 

私は妻に膝は大丈夫かと聞いたところ、妻は大丈夫だから気にしないでと

言いました。

 

いつも我慢強く弱音を吐かない妻が、膝の痛みの本を読んでいたのは

相当辛かったのだと私は思いました。

 

私が家に帰って話を聞いたところ、お金がなくて、膝の薬を買えないよう

でした。

 

私は思いました、もし私が妻の膝のことに気付かなければ、妻はどんなに

痛みを我慢し続けたのだろうかと。

 

私の不甲斐なさで、こんなに妻に苦労をかけたのかと思うととても情けない

気持ちになりました。

 

でも、先日、少ないお金の中から、私の誕生日にはステキなハンカチを

プレゼントしてくれました。

 

そのハンカチを見て、私は妻が、私の悲しい涙をこれで拭いて頂戴と言って

いるように思いました。

 

私はすぐにお小遣いの中から膝の痛みを和らげるお薬を買って妻に飲ませました。

すると1週間も経たないうちに効き始め、今ではとても楽になったようです。

 

その時までは、私は生まれ変わったら別の女性と結婚してもいいと思っていましたが、

妻はどう思っているかはわかりませんが、私は生まれ変わっても、今の妻と

 

結婚して、今度こそは妻を楽にしてあげたいと思うようになりました。

 

そしてこのハンカチで、妻のしあわせの涙を拭いてあげたいと思います。

 

こころが繋がっていれば、人と人との縁は死んでも簡単に切れるものでは

ありませんね。

採れたての新鮮なタケノコ

 

私の会社にも毎年春には人事異動があり、新しい出会いがあります。

 

今年も私のいる支店でも数名の社員が入れ替わりました。

みんな張り切っていて、早く新しい環境に慣れようとしているようです。

 

私はその人たちを見て、私が以前、この支店に人事異動で赴任してきた頃の

ことを思い出しました。

 

私は生活環境の変化に対応するのが苦手な人間です。

私はいつも人事異動の時期になると不安な気持ちで働いていました。

 

もし県外の遠くの支店に異動になるとしたら、引っ越しのために

家を探さなくてはならないし、引っ越しシーズンでは引っ越し業者の手配も大変です。

 

引っ越し前後の荷物の整理の大変さを考えると憂鬱でした。

そのときは運よく、家から通える近くの支店に異動となりました。

 

引っ越しはしなくて済みましたが、職場環境が変わることが不安でした。

一番の不安は、新しい支店で一緒に働く人たちとうまくやっていけるかどうかと

言うことでした。

 

新しい支店に初出勤の日は少し早めに家を出て、緊張した気持ちで会社の

通用口を通りました。

 

そこには警備の人がいたので、今日からここでお世話になりますと挨拶をすると

とても人の良さそうな人で、笑顔で、こちらこそよろしくお願いしますと言いました。

 

その親しみのある笑顔は私の不安と緊張感をやわらげてくれました。

そして事務所に入ると、支店長が早めに出社してひとりで仕事をしていました。

 

私が挨拶をして名前を名乗ると、彼は、初めまして私が支店長の○○ですと言い、

まだ仕事始めまで時間があるから、食堂でコーヒーでも飲もうと私を誘いました。

 

そして私の今までの経歴や趣味などを聞き、その後の朝礼で支店のみんなに

私のことを紹介してくれました。

 

そして私はみんなの前で自己紹介しましたが、みんなの目は興味本位で珍しい

ものでも見るように私に向けられました。

 

私はそのとき、よそ者が来てこれからどんなことをするのか見てやろうと

言うような視線を感じました。

 

前にいた支店の人たちは私と仲が良く優しい人ばかりだったのに、この人たちは

とても冷たそうな人ばかりだと思いました。

 

朝礼が終わって私の部署に行きましたが、さっき私を注視していた人たちは

打って変わって、私を無視したように自分の仕事に入りました。

 

私は遠慮がちに必要最低限の仕事の話だけはしました。

 

そしてお昼になり、食堂でお昼ご飯を食べましたが、周りは知らない人ばかり、

ひとりで黙って食べるご飯はとても味気ないものでした。

 

それから男子休憩室に行くと、数人が休憩をしていて、テレビを見たり本を

読んだりスマホを見たりしていました。

 

私はみんなから少し離れたところで黙って、テレビを見るのではなく眺めました。

お笑いのような番組をやっていましたが、私にはちっとも面白く感じませんでした。

 

私がひとりで寂しそうにしているのに気付いたのか、近くにいた私と同年代くらいの

社員が、私に話しかけてきました。

 

彼はとても優しそうな人で、私の不安な気持ちを理解してくれたのでしょう。

話してみると彼とはとても気が合い、仲が良くなり、すぐに親しくなりました。

 

その後、彼は家の近くで朝採れた大きなタケノコを会社に持ってきてくれました。

採れたばかりの新鮮なタケノコは自然の香りが漂っていました。

 

彼は私に、採れたてのタケノコのおいしさを是非とも味わってほしいと言いました。

彼は親切にも、米ぬかと唐辛子も用意してくれていました。

 

家に帰って茹でて食べたタケノコは柔らかくてとてもおいしいものでした。

 

私はタケノコを食べながら彼の素朴で飾り気のないこころに愛を感じました。

それから私は、彼を起点としてだんだん同僚とのこころの輪が広がりました。

 

こうして私は今の支店に慣れてきました。

それから私は彼を大切な人だと感じるようになり、今でも友情が続いています。

 

今では、前の支店以上に仲のいい同僚に囲まれて仕事をしています。

 

世の中にはいい人がたくさんいるのに、人事異動の度に不安になる私は

まだまだ人生の未熟者なんでしょうね。

 

みなさんは私のように人事異動で不安な気持ちになりませんか?

愛の欠乏症

 

私の会社の同僚で、いつもいつも上司から叱られている人がいました。

 

その人は私より5年後輩の男子社員です。

私はいつも叱られている彼を見て、かわいそうになりよく慰めていました。

 

私の場合、上司が私の能力のなさをよく知っていたので、あまり期待されて

いませんでした。

 

なので私は彼ほど叱られることはありませんでした。

 

彼の場合はまだ期待されていたようで叱られていましたが、かなりストレスを

感じていたようです。

 

彼は仕事以外に家庭や世間でもストレスを感じることがよくあるようでした 。

 

私はのんびり屋であまり物事にはこだわらない性格です。

 

彼は、短気で感情的になりやすく、思うように物事が進まないとイライラする

神経質なタイプでした。

 

性格が正反対なふたりでしたが、私が彼の気持ちを理解してやさしく対応して

いたので、いつも彼は私を慕ってくれて、彼はとても仲の良いかわいい後輩でした。

 

しかし彼をまったく理解しない人に対しては、彼はとても強い態度で口撃しました。

 

ある日の夕方、彼はスーパーでふたりの子供のために同じお弁当を2個買いました。

 

家に帰って子供が食べようとしたところ、1個のお弁当にだけ、半分に切った

ゆで卵が入っていませんでした。

 

早速彼はスーパーに、1個のお弁当にゆで卵が入ってなかったので、これから

10分以内に家までゆで卵を持ってきてくれと怒って電話しました。

 

彼はふたりの子供が一緒にお弁当を食べるために待つのは、10分くらいが限度だと

思ったからでした。

 

でも、クルマで急いでもスーパーから家までは10分くらいはかかる距離でした。

 

スーパーの担当者は慌てて材料を探して急いで持ってきましたが、結局20分以上

かけてゆで卵を持ってきました。

 

彼はどうして10分以内に持ってこなかったのかと、子供がお弁当を食べ終わるまで

延々とスーパーの担当者に苦情を言い続けました。

 

それでなくても夕方の忙しいスーパーの担当者は、彼の理不尽な要求と苦情に

時間を取られ悲痛な思いで耐えました。

 

彼はスーパーの担当者に恨みでもあったのでしょうか。

スーパーの担当者は、彼のストレスの発散のための犠牲になったのかもしれませんね。

 

別の日のことですが、彼が家電量販店行ったとき、買いたいと思った商品が

品切れでした。

 

彼は販売員を呼び、すぐほしい、この商品はいつ入荷するのかと聞きました。

しかし、その販売員は入荷予定日がはっきりわかりませんでした。

 

販売員は彼が急いでいるようなので、親切に、在庫のある同じタイプの別の商品を

勧めました。

 

彼は販売員が気が弱そうだったので、この商品が欲しいと言っているのにほかの

商品を勧めるとはどういうことか、誰がそんな教育をしたのかと怒り始めました。

 

困った販売員は店長を呼んできますと言って店長が対応すると、彼は別人のように

おとなしくなりました。

 

彼は立場の弱い人には強いのかもしれませんね。

 

また、お昼に彼がお店にご飯を食べに行った時のことです。

ちょうどみんなの食事どきでお店は混んでいました。

 

彼は注文したランチがなかなか来ないので店員に、もう10分以上も待っているのに

まだか、早くしてくれと言いました。

 

その店員は、ごめんなさい、今は一番忙しい時間帯なんです、みなさん待って

いらっしゃいますと言いました。

 

彼はその店員の対応した言葉が許せなくて頭に血が上りました。

彼は、激怒して、客を待たせるのが当たり前なのか店長を呼べと言いました。

 

その店員は彼の剣幕に驚き、慌てて店長を呼びに行きました。

そして多くのお客の前で、店長は何度も何度も彼に頭を下げました。

 

店長は大勢の前で恥をかき、周りのお客は楽しいはずのランチタイムが

台無しになりました。

 

彼はこのお店に恨みでもあったのでしょうか。

 

実は、彼は会社だけではなく奥さんからもダメ人間と評価されていたようです。

 

なので彼は、お客の注目を集めることで自分の存在感を示したかったのかも

しれませんね。

 

このように彼はストレスのせいで自分の感情をコントロールできなくなったようです。

彼は自分のストレス発散のために周りに苦情を寄せるのでしょう。

 

もしかしたら世間の人は、彼のことをクレーマーと呼ぶかもしれませんね。

クレーマーの存在で悩んでいる人たちはたくさんいると聞きます。

 

でも私が思うには、私が彼のことを理解してあげることでとても仲がいいのは、

彼は愛に飢えているのではないかと思います。

 

私は彼のことをクレーマーと呼ぶのではなく、愛の欠乏症と呼びたいと思います。

愛があれば、私にだけではなく、彼は誰にでもやさしくなれると思います。

 

最近クレーマーが増えているのは、世の中に愛が不足しているような気がします。

 

私はこの地球が、みんなで助け合う、愛で溢れる世の中になることを

こころから願います。

ペットを愛する人

          今年最後のお花見に行った時の写真です。

 

   



先日お天気がよかったので、公園の周りをウォーキングしました。

 

そこでは子供たちが野球をしたり、テニスをする大人たちもいました。

広い公園なのでいくつもの階段がありました。

 

そのとき私の前に、子犬を連れた男性が歩いていました。

 

その男性が階段を上っていると、子犬が彼の足元にまとわりつき戯れていました。

私はあまりにも足元近くを動き回るので、子犬が足で踏まれないかと心配しました。

 

そしてしばらくすると、子犬は先に階段を上り切り、早く上っておいでよと

その男性を呼んでいました。

 

私はそれを見るととてもかわいく感じました。

 

遅れて階段を上り切った男性は、飛び込む子犬を両手で抱き上げました。

抱き上げた子犬は男性の顔を舐めまくり、大喜びしていました。

 

無邪気な子犬はきっとその男性に愛されているのだろうと思いました。

私には、まるで本物の親子のように思えました。

 

日本ではペットを飼育する人が増えているように感じます。

ペットを子供代りにしたり、独身の人が家族のような気持ちで飼うのかも

しれませんね。

 

動物が好きだと言うだけではなく、寂しいこころの穴を埋めるためにペットを

飼う人もいるのかもしれません。

 

ブログを読んでいても、ペットを家族のように可愛がることで、生きていく辛さや

孤独の寂しさを紛らわせ、人のこころは癒されているような気がします。

 

以前、私の会社の一人暮らしの女子社員が、ペットのウサギが餌を食べなくなり

心配なので病院に連れて行くから、午前中休ませてくれと連絡がありました。

 

まるで自分の子供を心配するような気持ちだったのかもしれません。

でも、困った時に頼ることができる友人や親せきがいないのは悲しいことです。

 

話しは変わりますが、私の記憶では、2021年の世界の幸福度ランキングを見ると

日本は56位だったと思います。

 

日本はGDPが世界第3位で経済的には豊かな国のはずですが、幸せはあまり

感じられていない様です。

 

日本の幸福度ランキングが低いのは、「人生の自由度」と「他者への寛容さ」の

ポイントが低かったからのようでした。

 

前者では職場の中で自分に合った働き方を自由に選択できない、

後者は積極的に寄付をしたりボランティア活動に参加する風習が根付いていないと

 

言われているようです。

 

経済優先で豊かになった日本ですが、個々の人を見ると所得格差が広がり

生活に困っている人がたくさんいるような気がします。

 

お金のために自分を犠牲にして社畜のように働く人生はかわいそうですね。

家族のために寝る時間を惜しんで働いても、幸せになるとは限りません。

 

思うように生きられないし、人と人とのこころの繋がりがないギスギスした

世の中でこころの病を抱えている人が増えているような気がします。

 

幸福を感じられない日本人は、生活の中でペットを飼うことにより幸福を感じようと

しているのでしょうか。

 

日本人がペットを愛する気持ちがよくわかります。

ペットは人の気持ちを癒してくれるとても大切な存在かもしれませんね。

 

ペットは汚れのない純真なこころを持つ子供のようにかわいいのでしょう。

孤独な人には、こころを許すことができる唯一の存在かもしれません。

 

その反面、人に愛を感じることができなくて、ペットしか愛せない人が

いるとすればとても悲しく思います。

 

私はペットと同様にもっと人と地球を愛するこころを持ってほしいと思います。

 

ペットを愛する人には悪いのですが、出世を望まないで自分らしく生きることと

すべての人を愛したい私には、ペットはいてもいなくてもどちらでもいいのです。

 

私はお金がなくて貧乏ですが、田舎に住み、自由な気持ちで、人と人とのこころの

繋がりがあるスローライフを満喫しています。

 

私は人と自然を愛し、お互いを助け合う生活こそ幸せではないかと思います。

私はお金よりも愛のほうを大切にしていますがそれでも十分生きてきました。

 

私はみんなが自由に生き、人と自然を愛することで、日本の幸福度ランキングが

少しでも上ればいいなと思います。

愛ある発注

 

私の友人に食品スーパーの店長がいます。

随分前のことですが、彼と会って仕事の話を聞いたことがあります。

 

店長と言っても、本社からのメールチェックや部下への連絡業務だけではなく、

忙しい時は売場に出て、商品の補充を手伝うようでした。

 

彼は店長になったばかりで、まだお店のことはよくわかっていませんでした。

 

そのスーパーには多くのパートさんが働いていましたが、彼はそのうちの

ひとりがとても優秀だと思いました。

 

そのパートさんは、調味料やお菓子、インスタントラーメン、缶詰、砂糖など

比較的賞味期限の長い商品を販売する部門で働いていました。

 

彼は彼女の働きぶりを見て、こんな人がお店を支えてくれているんだなと思いました。

彼女は毎日精力的に働き、常に工夫をし、売り場をしっかり管理していました。

 

彼女はパートでありながら、責任感が強く、毎日1,2時間は残業していました。

彼は忙しく働いている彼女のお手伝いをしながらよく話しかけました。

 

あなたはいつも頑張って働いていますね感心しますと彼女に言いました。

 

すると彼女は、私はこのお店が大好きで、お客様の期待を裏切らないように、

絶対品切れがないように発注をするのが私の仕事ですと言いました。

 

彼は仕事に真剣に取り組む彼女を優秀社員として表彰してあげたいと思いました。

そんな彼女ですが、同じ部門の女性たちからはとても嫌われていました。

 

実は彼女、多くの在庫を抱えて必要以上に時間をかけて働いていたのでした。

 

彼女は絶対に品切れがないようにと、多くの数量を発注するので、いつも

在庫置き場には商品が山積みでした。

 

あまりの商品の多さで中が見えないゴミの山のようでした。

同じ部門で働く人たちは、その商品の山を見ていつもうんざりしていました。

 

そのため、売り場でお客に、この商品もっと欲しいので在庫はありますかと

聞かれ、在庫置き場に戻って商品を探すのにはとても時間がかかりました。

 

3,4分かけてやっと商品を見つけて売場に戻ると、待たされるのが嫌なお客は

すでにどこかへ行ってしまったということがよくありました。

 

また彼女の休みの日に、お店が忙しく、売場の商品整理が十分できないことが

ありました。

 

次の日彼女が出勤して開店前の売場を見て、昨日の出勤者は誰?、全然仕事を

していないじゃないとみんなに言いました。

 

みんなの顔は一瞬青ざめて、その場には冷たい空気が流れました。

 

彼女はこの部門で10年以上働いているベテランです。

他の女性は長くても3年でほとんどが勤続年数が少ない人ばかりです。

 

彼女はベテランなのでたくさん商品があっても管理できますが、

他の人はその管理が難しく、たくさんの在庫は仕事を遅くする原因でした。

 

彼女は新しい人が入ってくると自分の思うように働いてくれないといやでした。

 

気に入らない人には、在庫置き場の整理ができていないと、ここはあなたの

お家のように散らかしっぱなしにしないでよ、ここは会社なのよと言いました。

 

そんな屈辱的なことを言われると、プライドのある人はすぐやめてしまいました。

 

多くの在庫は商品を愛する気持ちを奪い、その扱いに負担を感じさせました。

そんな彼女の部門は人が定着しなくて、いつも人手不足で大変でした。

 

ある時、彼女が家で家事をしている時、躓いて打ちどころが悪く、足の小指を

骨折してしまいました。

 

当分彼女は仕事を休むことになり店長は困りました。

 

そこへ同じ部門の中から、もっと商品に愛情を持って発注したいと言う女性が

手を上げました。

 

その女性は商品のことはよく知っていましたが発注は初めてでした。

 

彼女は商品を大切にするために在庫を極端に絞り、ひとつひとつの商品に大きな

愛を注ぎました。

 

最初は品切れもありましたが、次第に慣れて品切れも減ってきました。

 

在庫削減で在庫置き場がすっきりし、誰が見ても、何がどこにあるのか

わかるようになりました。

 

そして仕事がやりやすくなり、お客の在庫の問い合わせにも時間がかからなくなり、

みんなの仕事が楽になりました。

 

みんなが商品を大切に扱い、大量のゴミの山のように見えていた在庫が

希少な宝物のように見えるようになりました。

 

限りある資源、大切にしなければなりませんね。

 

彼女の愛ある発注はみんなを幸せにしたのです。

 

どうぞ骨折したパートさん、ゆっくり休んで下さいねとみんなが思いました。

こころに汗

 

                                          お花見をした近くの風景

 

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昨日、私がブログを書いていると、近所に住んでいる幼なじみの親友から

今日はお天気がいいし、暖かいのでお花見に行かないかと誘われました。

 

桜の大好きな私は喜んで彼の誘いにOKしました。

コンビニでお弁当とビールを買って桜の下に座ってふたりで乾杯しました。

 

桜の咲いた自然の中で飲むビールは、生きているしあわせを胸いっぱい

感じさせてくれます。

 

彼とは中学校の時からの親友で、時どき会って居酒屋で飲むことはありましたが

お昼から飲むのは初めてでした。

 

この素晴らしい雰囲気の中で話は盛り上がりました。

 

周りを見るとほとんどが家族連れで、男ふたりで飲んでいるグループは

あまりいませんでした。

 

広場では中学生と小学生の男の子がサッカーボールで遊んでいました。

 

私たちのすぐ近くで遊んでいたので、そのボールが私たちの食べている

お弁当の上をワンバウンドで飛び越えました。

 

危なく、私たちのお弁当を直撃するところでした。

私は男の子たちに注意しようとしましたが、彼は笑顔でボールを投げ返しました。

 

LINEでいじめられたり、仲間外れにされたりするより、桜の近くで遊ぶ方が

よほど健康的だと彼は言いました。

 

彼は、桜は昔から変わらず美しく咲くけれど、人のこころは昔と違って大きく

変わってしまったなと言いました。

 

最近はこころの病で苦しんでいる人が多いような気がすると言いました。

 

便利でモノがあふれる世の中になったが、ブログなんかを読むと、こころの

苦しみを訴えている人がとても多いような気がすると言いました。

 

ところでお前もブログを書いているようだが何を書いているのかと聞きました。

 

そして、中学校の頃お前が書いた作文を見たが、まったくセンスはなかったが

少しはマシな文章が書けるようになったのかと聞いてきました。

 

私の今書いているブログは、中学生の頃書いた文章と変わらないよと言いました。

 

彼は私に、お前はブログを1年以上続けているようだが誰か読んでくれるのかと

聞きました。

 

私は、何人かの人は読んでくれると言いました。

 

お前の書いたブログを読んでくれるような読者がいるのなら、俺が書いても

読んでもらえるだろうなと彼は笑って言いました。

 

君は私よりずっと文章表現力があるからとても素晴らしいブログを書くだろう、

でも、読んでもらえるかどうかはわからないよと私は言いました。

 

彼は、じゃあどんなブログを書いたら読んでもらえるのかと私に聞きました。

 

私が1年以上ブログを書き続けてわかったことは、私にとってブログとは

写真や文章がきれいなことではありませんでした。

 

私が人並みのブログを書くためには、恥ずかしさを押さえて、自分の気持ちを

十分すぎるほど表現することでした。

 

私は一生懸命にこころを働かせ、こころに汗をかいて文章を書き、読者のみなさんに

気持ちを伝えるようにしました。

 

文章が稚拙でも、できるだけ読みやすく書くことで読者のみなさんは温かい

気持ちで私のブログを読んでくれました、とてもありがたいことです。

 

そう言うと彼は、どうしてそんなに読者の気持ちがわかるのかと聞きました。

 

私が以前、「ブログを始めて1年を迎えることができました」というタイトルで

ブログを書いたところ、とても多くの方に読んでもらいました。

 

つまり、私のブログはよくできましたではなく、よく頑張りましたです。

 

そして私は彼に言いました、ブログとは読んでもらうだけでなく、読んであげる

ことでこころが繋がり、続けられるのだと言いました。

 

みなさんのブログからは読んで下さいという気持ちがひしひしと伝わってきます。

なので読んであげることでとても喜んでもらえます。

 

ブログは日記ではありません、こころとこころの会話なのです。

読んであげて読んでもらい、こころが繋がる、そして共感し感動する。

 

文章が下手でも一生懸命に書いているというこころが伝わればいいのです。

 

だから私はブログを書き続けることができるのです。

自分を大切にすること

 

前回は新型コロナの件でお騒がせしました。

 

今の体温は36.0度でいまのところ感染していないようです。

今回は新型コロナの体験談を書くことにならず、ホットしています。

 

安心して普通のブログを書きました。

 

私の知り合いに、とても人のいい女性がいました。

 

彼女はいつも自分を人に合わせ、周りのことを気遣う人でした。

彼女には自分というものがなく、人の言うことにいつも左右されていました。

 

彼女は人に嫌われるのはいやで、自分の気持ちをはっきり出すこともなく

誰にもいい顔をしていました。

 

そのため彼女は人からものを頼まれることが多く、いつも引き受けていました。

 

人から頼みごとをされると断ることのできない彼女は、自分が嫌になることも

ありました。

 

ある時彼女は友達から、休みの日に一緒にショッピングして食事をしようと

誘われました。

 

でも彼女は、その時気分が乗らず、その日は予定があるからと断りました。

するとその友達は「何の予定?」と聞いてきました。

 

痛いところをつかれ、ドキッとして、予定などなかった彼女は、「たいした予定

じゃないから付き合うわ」と言って断り切れませんでした。

 

自分の気持ちに正直になれない彼女は大きく落ち込みました。

結局、彼女は気分が乗らない友達とのデートで1日をつぶしました。

 

自分を犠牲にして人に合わせても、その気持ちを知らないで、いい人ねで

すまされる彼女は、自分の性格はとても損な性格だと思いました。

 

彼女はそんな自分の性格に嫌気がさし、周りのことばかり気にしないで

もっと自分を大切にしなければならないと思いました。

 

それから彼女は、少しずつ、人に合わせることなく自分の気持ちを出し

自分の想いのままに生きるようにしました。

 

そんな彼女の変化に周りは気付き、彼女は冷たくなったと思うようになりました。

今までは、彼女は何を言っても同調する薄っぺらい人だと思われていたのです。

 

彼女はお人好しとして軽くみられるのではなく、普通の人として尊重して

欲しかったのです。

 

でも彼女は、今までのイメージがとてもお人好しだったので、自分の想うままに

生きる姿は冷たく感じられるようになりました。

 

その頃、私も彼女がだんだん変わっていくのに気が付きました。

 

しかしながら、彼女は自分を大切にしたいと思って自分を変えたのでしたが

周りは全然彼女を大切にはしてくれませんでした。

 

人の気持ちがだんだん彼女から離れていきました。

自分を大切にしたいと思った彼女は、こんなはずではなかったのにと悩みました。

 

当たり前のことですが、その時彼女は、自分を大切にすることは必ずしも

自分が大切にされることではないと気付きました。

 

私はそんな彼女を見て、別の方法があったのではないかと思いました。

 

私は彼女の「自分を大切にする」を「人を大切にする」に置き換えてみました。

 

私は彼女が人に合わせるのをやめるなら、人の想いを理解するのがいいのでは

ないかと思いました。

 

周りの人の言動をよく観察して人のこころを広く深く感じ取るのです。

 

そして彼女と同じ気持ちを人の気持ちの中から見つけるのです。

つまり、共感できることを見つけるのです。

 

自分の気持ちにメリハリをつけ、共感できることから深く相手のこころに

入り込みます。

 

その共感したこころで人を大切にすれば愛が生まれると思います。

 

そうすることで彼女は人に合わせるのではなく、お互いを理解することが

でき、自分がなかった彼女に自分が見えてくると思います。

 

自分が見えれば、嫌なことは嫌と言えるようになり、人から尊敬されるように

なるのではないかと思います。

 

私は彼女に、自分を大切にするのではなく、人を大切にしてみてはと

アドバイスしました。

 

残念ながら彼女は私のアドバイスを聞いてくれませんでした。

彼女には私のアドバイスを受け入れるだけのこころに余裕がないようでした。

 

自分を大切にすることの難しさを理解した彼女は、元のようにお人好しに戻り、

人に好かれるようになりました。

 

彼女が選んだ人生、私はそれ以上何も言えませんでした。

愛の感染

 

昨日のことです。

 

とうとう私の勤務する支店の他の部署に、新型コロナの感染者が出ました。

感染者はパート社員で30代の主婦です。

 

その部署には全部で8名の従業員がいますが、そのうち4人が濃厚接触者とされ

残り3人で仕事をしています。

 

そして今日、濃厚接触者のうちのひとりの感染が確認されました。

 

私の会社はまだあまりテレワークできるような環境ではありません。

本社からふたりの応援者がきましたが、とても忙しそうです。

 

彼女も感染には気をつけていたでしょうが、今時、どこで感染するかわかりませんね。

年度末の決算を控えており、この時期の感染は致命的な痛手です。

 

もし私が最初に感染して、みんなに迷惑をかけることになったらどうでしょう。

私は責任感で胸が押しつぶされ、身体のことよりこころのほうが痛むかもしれません。

 

彼女は私の部署ではありませんが、いつも私に笑顔で挨拶をする礼儀正しい人です。

そう思うと、真面目に働いていた彼女がかわいそうに思います。

 

私は心配になって体温計で熱を測ったところ、36.3度で今のところ大丈夫です。

 

でも、支店にふたりも感染者が出たということは、もしかしたら感染しても

無症状な人が周りにいるかもしれません。

 

私はこれからお昼には、お天気のいい日は外に出て桜の下で、お天気の悪い日は

クルマの中で食事をするつもりです。

 

私は安心してはいられなくなり、感染した時の対応をネットで調べました。

大体の流れはわかりますが、実際なってみないとわからないことがあります。

 

感染した人は心身ともに、とても辛い思いをしているのではないでしょうか。

私の知り合いにはまだ感染した人がいないので聞くわけにもいきません。

 

私はブログでコロナに感染した人の詳しい体験談を探しましたが、探し方が

下手なのか、あまり見つかりませんでした。

 

もし私がコロナに感染したら、感染して困っている人のために、感染した時の

様子を詳しくブログに書く予定です。

 

でも、本当はそんなブログあまり書きたくないですね。

 

私がもし新型コロナに感染すれば、神様の力を借りて、こころの中で愛のコロナに

変えたいと思います。

 

愛を忘れて自分勝手なことをする人たちに、愛の大切さを思い出させます。

 

今の世の中、貧富の差の拡大、地球資源の無駄遣い、環境の悪化、不平等

など多くの課題を抱えていますね。

 

愛のコロナは人にも地球にも優しい思いやりのあるウィルスです。

愛のコロナはこころの密を好み、人から人へと愛を伝えます。

 

愛の感染で、限りある資源を大切にし、地球環境にやさしく平等で、みんなで

分け合い、助け合う、質素で無駄のない世界にしたいですね。

 

新型コロナのウィルスの感染が人の体を蝕むのなら

愛のコロナはきれいなこころの感染拡大です。

 

愛のコロナにはマスクはいりません、こころとこころが触れ合い、共感を呼びます。

愛は奪うものではなく与えるものです、与えた愛は大きくなって返ってきます。

 

私は愛が世界中に広まって、戦争のない、平和な世界がくることを願います。

 

愛でご飯が食べられる、そんな世界が私の夢です。

うさぎとかめ

 

春と言えば入社式ですね。

 

コロナの影響でオンラインで入社式を行うところもあるようですが、

私の会社は新入社員を会場に集めてリアルに行う予定になっています。

 

よく新入社員の気持ちは、緊張と不安のなかにも、新しいスタートに希望と

ワクワク感があると言われることがありますね。

 

私も何十年か前に入社式を経験しました。

正直言って、私は希望とワクワク感などありませんでした。

 

気ままで自由な学生生活から、厳しく規則正しい社会人生活に変わるわけですから

緊張と不安とともに憂鬱と束縛感がありました。

 

私は環境の変化に弱い人間でもあり、できることなら、ずっと学生のままで

いたかったのです。

 

私は今の会社に入りたくて入ったわけではありませんでした。

私を採用してくれそうな会社の中から仕事の楽そうな会社を選びました。

 

そして入社試験を受けて採用されたわけですが、特別嬉しかったわけでは

ありませんでした。

 

私が入れるような会社だからそんなにいい会社ではないと思いました。

私が面接のために、うまく作り上げた人物象を見抜けなかったからです。

 

私は入社式に集まった周りの同期の新入社員を見ると、緊張のせいか、みんな

冷たそうな人ばかりでした。

 

私が声をかければ嫌な顔をされそうでした。

これからこんな冷酷そうな人たちと一緒に働くのかと思うとゾットしました。

 

みんな真面目に社長のお話を聞いていました。

 

社長の言葉は「社会人となった皆さんはがむしゃらに働いてください、そして

必ず、困難にぶち当たります、それを乗り越えて成長してください・・・・・」。

 

私以外の人は社長の言葉を聞いて感動して胸が熱くなったかもしれませんが

それを聞いて私は、早くこの場から逃げ出したいと思いました。

 

その後、数日の新入社員研修があり、それが終わると現場で先輩社員に教育

されながら仕事を覚えていきました。

 

私は環境の変化は大嫌いなんですが、意外とそれに慣れるのは早い方です。

順調に仕事には慣れてきました。

 

その頃、同僚から聞いた話ですが、他の支店に配属された同じ新入社員で、

研修後の初出勤で、社員通用口が見つからなかったので辞めたという話を聞きました。

 

その建物の構造は複雑で、社員通用口を見つけるのが難しかったようです。

でも、人に聞くか少し時間をかければ見つからないはずはありません。

 

きっと不安な気持ちでの初出勤だったのでしょう。

私と同じような気持ちの新入社員がいたのだと思うとホットしました。

 

それから5年くらいは仕事を覚えるために、少し頑張りました。

毎日2、3時間の残業は当たり前でした。

 

そしてある程度仕事を覚えてからは考え方を変えました。

 

こんな仕事ばかりの人生はつまらない、無理をしなく自分らしく生きようと

思うようになりました。

 

仕事が休みの日には近くの畑を借りて野菜作りをしたり、今では、仕事の

合間にブログを書くこともできます。

 

そんな私をあざ笑うように、同期入社の社員は出世し、私の後輩がどんどん

私の上司になりました。

 

もしもしかめよかめさんよ、せかいのうちでおまえほど、あゆみののろい

ものはない、どうしてそんなにのろいのか と歌われているような気がしました。

 

しかしながら、現在、私と同期に入社した社員は半数以上退職しています。

残った社員もいつも忙しそうで、マイペースの私を羨ましがっています。

 

私は、出世を諦めるのと、年下の上司を気にしなければ、気持ちはとても楽です。

 

退職した一部の人は思い通りの転職に成功していますが、大部分は給料が下がり

会社を辞めなかった方が良かったという声を聞きます。

 

私はうさぎとかめの話のように、ゆっくり歩み、最後のゴールまでたどり

着ければいいと思います。

 

毎年社内報に、先輩社員から新入社員へのメッセージというのがあります。

 

「入社おめでとうございます。失敗を恐れず、自分の可能性を信じて何事

にもチャレンジする気持ちが大切です・・・・・・・・」などです。

 

もし私に先輩社員としてのメッセージの依頼があれば「入社おめでとうございます。

社員を長く続けるためには、決して無理はしないで、自分のこころと身体を大切に

 

かめのようにゆっくり歩むことが大切です・・・・・・・・」と伝えるでしょう。

こんなメッセージは絶対没になるでしょうね。

 

でも今のような時代、私のようなメッセージに共感してくれる人もいるのでは

ないでしょうか?

 

私が新入社員研修で出会った同期の彼との悲しいお話が下にあります。

時間があれば読んでみて下さい。

ssddggss.hatenablog.com

初恋の思い出

 

私は小学校5年生の新学期に、父の仕事の関係で、転校することになりました。

 

転校した学校は田舎の小学校で5年生のクラスが2クラスしかなく、転校生の私は

よく目立ちました。

 

転校してから半年くらい経った頃のことです。

 

雨の日の学校帰りに、傘を持ってこなかった私は、雨に濡れながら家に向かって

歩いていました。

 

すると同じクラスの女の子が、帰り道が一緒だから一緒に傘に入りましょうと

私にやさしく言いました。

 

ふたりは同じ傘の中で、無言で歩きました。

私の家に近づいたので、ありがとうと言って、彼女から離れようとしました。

 

すると彼女は突然「私のこと好き?」と聞きました。

 

私はその頃、愛情と友情の違いのわからない純情な男の子でした。

というより、異性に対する恋愛感情がまだ芽生えていなかったのです。

 

私は困惑して、何も言えないでそのまま家に帰りました。

彼女にとって私は、初恋の対象だったのかもしれません。

 

ウブだった私は、彼女とはそれきり何もありませんでした。

でも彼女は私に、異性に対する恋心の存在を気付かせてくれました。

 

それから私は、小学校を卒業し、中学校に入学することとなりました。

 

入学して初めての夏休みになる少し前のことでした。

私が休憩時間に、机の端の角に手を置いて友達と話をしていました。

 

その時近くで別の友達と話をしていた女の子が、話に夢中になり、

私の手の上にお尻を乗せてきました。

 

私は慌てて手を引きましたが、彼女は驚いて私に振り向き、「エッチ」と

恥ずかしそうに言いました。

 

彼女は自分からお尻をくっつけてきたことがわかっていたようで

それ以上何も言いませんでした。

 

彼女はテニス部に入っていて、やせ型で目がぱっちりとしたかわいい子でした。

その時以来、私は彼女のことが気になるようになりました。

 

私にとってこれが初恋でした。

 

時どき教室で彼女と目が合うとドキッとして目をそらしましたが、

恋のときめきを感じました。

 

でも彼女は、私のことをどう思っているのかわかりませんでした。

 

ある時私は、ホームルーム(あまり覚えていませんが、学校生活に関する

授業だったと思います)で先生に司会を任され、生徒に何かのテーマに

 

ついて意見を言ってもらいました。

 

誰も手を上げないので、私は適当に生徒を当てて意見を言ってもらいました。

 

全員に発表してもらえる時間は十分あったのですが、私は意識して

彼女だけ当てることはできませんでした。

 

思い過ごしかもしれませんが、私のこころは彼女に見透かされたと思いました。

 

小心者の私は愛を告白することなく中学を卒業し、彼女とは別の高校に進学しました。

 

高校生活に慣れた頃、周りに彼女と付き合っている男の子を見て、私も彼女が

欲しくなりました。

 

それで私は中学時代の初恋の彼女にラブレターを書きました。

 

私のこころを燃え上がらせるような返事を期待しつつ、その反対に、嫌われたら

どうしようかと不安な日々を過ごしました。

 

でも、結局、いつまで待っても彼女からの返事は届きませんでした。

 

それから30数年後、私の友人で中学校の同級生から、今度、中学校のクラス会が

あるから一緒に行こうと誘われました。

 

私はその友人に、初恋の彼女のことを話し、気まずいから行きたくないと言いました。

 

すると彼は、そんな昔のこと気にすることはないと言って強引に私を誘いました。

私は仕方なくクラス会に行くことにしました。

 

そしてクラス会の当日になりました。

男女合わせて十数人が集まりました。

 

久しぶりに見た同級生は、名前と顔がすぐ一致する人もいましたが

まったく中学校のころの面影がなく、名前を聞いてやっとわかる人もいました。

 

集まった同級生を見たところ初恋の女性はいなくて、私はホットしました。

私はお酒を飲みながら、懐かしい昔の思い出話に花が咲きました。

 

クラス会が盛り上がってきた頃、ひとりの女性が私に話しかけてきました。

丸まると太ってその上厚化粧で、どこにでもいるおばちゃんという感じでした。

 

私はその女性のことをまったく覚えていませんでした。

 

すると彼女は私に、「ごめんなさい、私はあなたにもらったお手紙にお返事を

書くことができませんでした」と言いました。

 

私は驚き、今目の前にいる女性が中学校の時の初恋の彼女であることが

信じられませんでした。

 

あのか細く清廉そうな彼女の面影は全くありませんでした。

 

彼女の話はそれからしばらく続きましたが、私の初恋の思い出ははかなく

消えてしまいました。

 

でも人のことは言えませんね、私もだらしなく歳をとっています。

しあわせを運ぶ天使

 

私は毎日朝起きると、まずトイレに行ってそれから鏡の前で歯磨きと洗顔をします。

 

鏡に写る寝起きの顔は、覇気がなくとてもだらしなく見えます。

本当の私のこころを鏡が写しだしているのかもしれませんね。

 

私は鏡に向かってあっかんべ~をします。

すると鏡の中の私も同じようにあっかんべ~をします。

 

私は、鏡の中の私にも嫌われたようです。

 

恥ずかしいことに、私のこころは中学生から成長していないのです。

鏡を見ながら私は、好奇心旺盛な中学生から常識ある大人のこころに化けます。

 

それから朝食をとり、10分くらい新聞に目を通します。

そして着替えをして再度鏡の前に行き、電気カミソリで髭を剃り、髪を整えます。

 

鏡に向かって毎日、笑顔の練習をして優しさとさわやかさを作り出します。

そして上品で清潔に見えるように服装をチェックします。

 

そのときの気持ちは、今日も自分のだらしなさをごまかしちゃえです。

 

家でゴロゴロしている時の姿は、家族以外には誰にも見られたくありません。

そうやって私は、本来の姿より印象を良く見せようとします。

 

ところで私がいつも鏡に向かって笑顔を作る練習をするのには訳があります。

 

私の会社にはいつも真面目な顔をして、真剣に仕事に取り組んでいる先輩がいました。

いつもピリピリして気軽に声をかける雰囲気ではありません。

 

冗談でもいえば無視されるかそれとも、怒りで私をバカにするかもしれません。

でも、彼は自分のこころに正直であり、ごまかしがありませんでした。

 

私のように自分のこころを隠し、摩擦なく生きていくのではなく、彼のように

自分のこころに正直で、嫌われても自分の意志を貫く人は羨ましく思いました。

 

でも私は、彼のように仕事ができないので、彼を見習うことはできませんでした。

 

話しは変わります。

 

おなじ会社にとても笑顔が素敵な女性がいました。

 

特別美人という訳ではありませんが、彼女とお話をするとき、その笑顔が

いつも私のこころを明るくしてくれます。

 

実は、彼女は結婚生活に失敗し、離婚して寂しくひとりで暮らしていました。

 

彼女はどうにもコントロールできないこころの不調で苦しみ、夫の理解が

得られませんでした。

 

彼女は離婚の原因は自分のこころに問題があったと反省していたのです。

 

私はそんな彼女の気持ちを知らないで、不用意なことを言ってしまいました。

 

私は彼女に、あなたはいつも笑顔が絶えないけれど、しあわせな気持ちで

生きているのが羨ましいと言いました。

 

すると彼女は私に、私を見てしあわせを感じてくれますかと聞いてきました。

 

私は彼女に、あなたの笑顔を見ると、その優しさとさわやかさで、いやなことを

忘れてしあわせな気持ちになると答えました。

 

それを聞いて、彼女は、とてもうれしいと言いました。

 

実は彼女、離婚して落ち込んでいた時、自分の顔を鏡で見ると、まるで不幸を呼ぶ

悪魔のように見えたそうです。

 

彼女がいることで周りの人たちは暗い雰囲気になっていたようでした。

 

彼女はこれではいけない、しあわせを運ぶ天使のような顔にならなければと

思ったようです。

 

それから彼女は鏡の前で笑顔を作る練習をしました。

 

毎日鏡を見て、口角をあげ、かわいらしさを出し、楽しかったことを思い出し

目じりを下げる練習をしました。

 

すると彼女は、だんだん気持ちが楽になり、明るくなってきました。

 

彼女の笑顔は、前向きな印象を与えるようになり、周りの人にも笑顔が出るし、

親しい友達もできるようになりました。

 

そして彼女の笑顔は人にしあわせを感じさせるようになったようです。

それを聞いて、それなら私にもできると思いました。

 

それから私はいつも笑顔であいさつをし、明るく何の心配事もないように

振る舞いました。

 

すると多くの人が警戒することもなく、気軽に、私に話しかけてくれるように

なりました。

 

私の人生、笑顔のおかげで随分多くの人に助けられたような気がします。

 

笑顔っていいですね、なので私は毎日笑顔の練習をしています。

初めての写真

 

         昨年の春に撮影した桜の風景です。

 

 

   



 

今はもう春なのでしょうね。

 

今年ももうすぐ桜の満開が見られますね。

 

私は今までブログに写真を載せたことはありませんでした。

 

私が写真をブログに載せなかったのは、写真の撮り方が下手で自分の気持ちを

伝えることができなかったからです。

 

もうひとつは、私の掲載する写真がブログにふさわしくなく、人に迷惑をかけては

いけないと思ったからです。

(今回の写真が不適切なものであればコメントください、すぐ削除します。)

 

今までは、こころの中は写真では写すことができないので、文章で表現してきました。

少しこころが疲れたのかもしれません。

 

桜の写真の力を借りないとブログが書けなくなりました。

 

そのうち皆さんのブログには、桜の花がたくさん咲くことでしょう。

私の写真が埋もれてしまわないうちに少し早めに載せました。

 

これから皆さんのピンクに彩られるブログを読むのが楽しみです。

 

私は桜の花が開く時期が一番好きなのです。

桜の花を見ると、いやなことをすべて忘れてしあわせな気持ちになれるのです。

 

写真の力を借りなくてもブログが書けるように、皆さんのブログで

私のこころにきれいな桜の花を咲かせてください。

 

私は今まで、皆さんのたくさんのブログを読んできました。

とても素晴らしいブログがたくさんありました。

 

そんなブログと出会った時、私のこころに親しみと共感が生まれます。

初めて読んだのに、吸い込まれるような一体感で虜になります。

 

ひとりの方のブログを続けて読んでいると、親友でも話してくれないような

こころの悩みや生きるための考え方が書かれていることもあります。

 

その人のこころの履歴書を見るような気がします。

 

顔に表れるほどの感情の変化は見た目でわかりますが、平然としている時の

こころの変化はわかりません。

 

私はひとから、ストレスがない気楽な人生で羨ましいねと、よく言われますが

実際はそうではありません。

 

そのように見られるためにはこころの中で随分我慢をしています。

私だけではないですね、こころの痛みを抱えている人はたくさんいるでしょう。

 

こころの傷は見た目では治ったように見えても、他人にはわかりません。

ブログを読むと、その続く痛みに苦しんでいる方がいるのがわかります。

 

こころの病のない人に、いつまでも苦しまないで、気力や根性で治せと言われても

そんなに簡単にはいきません。

 

でも、その苦しみを共感してもらったらどんなに気が晴れることでしょう。

ブログを書くことでしあわせになってもらいたいです。

 

日記と違ってブログは、公開することで人に読んでもらいたい、そして

共感してもらいたいというのが伝わってきます。

 

裸のこころを伝えれば、どこか世界で、あなたのことを一番理解してくれる人との

出会いがあるかもしれません。

 

見えないこころの世界を見えるようにする。

 

私はブログにそんな魅力を感じます。

お麩の吸い物

 

おばあさんが家族に連れられて老人ホームにやって来ました。

実の息子は、情けない自分の気持ちを抑えきれませんでした。

 

自分のふがいなさで、母親を自分たち家族で面倒をみることができない

ことをとても辛く思いました。

 

息子夫婦は共働きで、年々老いて弱っていくおばあさんの面倒をみることが

できなくなりました。

 

困った息子は嫁に相談して、辛いけれどこころを鬼にして、泣く泣く母親を

老人ホームに入れることにしました。

 

家族が帰ったあと、老人ホームに残されたおばあさんはとても寂しく落ち込みました。

お昼になり食事の時間となりましたが、まったく食事が喉を通りませんでした。

 

気の知れた家族と一緒の食事と違って、周囲を気遣いながら見知らぬ人との食事は

暗くて冷たい感じがしました。

 

結局彼女は、一口も食べることはなく、自室に戻り悲しくて号泣しました。

 

そのうち、心配した介護職員になだめられ少しずつ食事をするようになりましたが

何を食べてもまったくおいしく感じることはありませんでした。

 

突然の気の休まらない集団生活に、年老いた彼女はなじめませんでした。

 

ところが彼女が入所して1週間後に、彼女より5歳くらい年上の女性が彼女の

隣の部屋に入所してきました。

 

食事の時、彼女の隣に座ることになりました。

 

年上の女性も彼女と同じように、入所したばかりの不安な気持ちで、食事をとる

ことができませんでした。

 

彼女は、自分と同じような気持ちを持つ年上の女性に、話しかけてみました。

年上の女性は同じ気持ちを持つ彼女に共感し、ふたりはすぐに仲良くなりました。

 

自分たちには未来はないけれど、今を何とか耐えましょうとふたりはお互いを

慰め合いながら、辛いながらも施設の暮らしに慣れようとしました。

 

それから数か月後のことです。

外は大雨で雷が鳴る嵐の日のことでした。

 

彼女がいつものように朝の食事のために食事スペースに行ったところ、

いつも一緒に食べる年上の女性が現れませんでした。

 

お昼になっても現れませんでした。

彼女はとても心配になって介護職員に、彼女はどうしたのかと聞きました。

 

すると介護職員はとても悲しそうな顔をして、彼女は昨夜遅く脳梗塞で病院に

運ばれたが、治療の甲斐もなく亡くなったと言いました。

 

昨夜まで一緒に仲良く食事をしていたので彼女には信じられませんでした。

 

辛い気持ちをふたりで共有しながら頑張っていた年上の女性の死を悲しく思いました。

彼女は唯一の友を失い、絶望のどん底に落ちました。

 

こんな気持ちでこれから生きていくのは辛い、彼女は年上の女性の後を追って

死んでしまいたいと思いました。

 

そのとき、施設の近くに雷が落ちました。

その稲光と轟音で彼女のこころに強い光りと震えの衝撃が走りました。

 

その瞬間彼女はハット気付きました、いつまでもこのまま沈んだ気持でこの施設で

暮していては何もいいことはないと。

 

彼女はどうせこの施設で死ぬまで暮らすなら、楽しく愉快に暮らした方が絶対に

いいと思いました。

 

彼女のこころの変化は、今まで気付かなかった身の回りのことを気付かせました。

 

その日の昼食には、あっさりとした薄味のお麩の吸い物がでました。

 

それを飲んだ時、彼女は、今まで全然おいしく感じなかった食事に温かさと

おいしさを感じ、とても驚きました。

 

お麩の吸い物は彼女に、人生のおいしさを味わいなさいと教えてくれたのです。

 

そして周りを見ると、今まで気付かなかった、壁に飾ってある雄大な富士山の絵や

花瓶に生けられたきれいな真っ赤なバラに気付きました。

 

今まで閉じていた彼女のこころの窓が大きく開いたのです。

 

彼女はそれ以来、活発になり、ほかのお年寄りに積極的に声をかけ仲良くなり、

 

毎日のラジオ体操では一番前に出て大きな声を出し、元気に身体を動かしました。

様々なレクレーションにも積極的に参加し、施設での生活を思いきり楽しむ

 

ようになりました。

 

春には次の冬のために手編みのマフラーを作り始め、生きる意欲が出てきました。

 

彼女は施設に入所した当時とはまったく別人に変わりました。

今では、施設で一番、笑顔の絶えない元気なお年寄りになりました。

 

人は考え方次第で、絶望の人生でも希望の人生へと大きく変わるんですね。

終活

 

私は病院が大嫌いです、なので体調が悪くなるととても不安です。

 

胃の調子が悪くなるとネットで胃の病気を検索します。

すると様々な胃の病気があり、どれも自分の症状に似ているように思えます。

 

軽い胃炎のようにも思えますし、胃がんのところを見ると私の症状に該当する

ような気もします。

 

そして最後に病気は早期発見、早期治療が大切ですと書いてあります。

でも私はなるべく病院には行きたくありません。

 

病院に行って診察を受け、医師に、あなたは末期がんですと言われるのが

怖いのです。

 

目の前が真っ暗になり、絶望感で気が狂いそうになるかもしれません。

今、私の人生のドラマの最終回を迎えるのは心残りです。

 

そんな死刑の判決を受けるために病院に行く必要はないと勝手に決めます。

 

私は自分を落ち着けるために、軽い胃炎の症状と決めつけ、市販の胃薬を

買って飲みます。

 

運よく今まで、ほとんど数日で胃の調子は回復しました。

私は胃腸に関しては大きな病気を患ったことはありませんが、

 

こんなことを続けていたら手遅れで、本当に人生のドラマの最終回を

迎えることになるかもしれませんね。

 

話しは変わりますが、少し前のことです。

 

私は仕事のお休みの日に、たまたまコンビニで、私の会社で以前支店長をしていた

男性と出会いました。

 

私と彼とは、ずいぶん歳が離れていて会社員時代にはたまにしか話をすることは

ありませんでしたが、彼は私のことを覚えていたようでした。

 

たまたま私を見つけて私に話しかけてきましたが、多忙な会社員時代と違って、

私とゆっくり話しをするのがとても楽しそうでした。

 

私たちふたりはコンビニの駐車場で少し立ち話をしました。

 

彼は会社を定年退職してからもう3年になったようです。

彼は今、仕事をしていないようでした。

 

そして奥様とはいわゆる熟年離婚で、ひとりで暮らしているようでした。

 

会社員時代は趣味もなく、仕事ばかりしていたので、退職後は時間を持て余す

ようになり、生活に張りがなくなったそうです。

 

生活にメリハリがなく、マンネリな生活が続き、何事にも感動することもなく

ただただ、時間だけが過ぎていく無味乾燥な日々だそうです。

 

忙しそうに先を急いでいる人を見ると、何か目的があって羨ましく思うそうです。

 

その日の仕事を終えた充実感で飲む、風呂上がりのビールのおいしさがとても

懐かしいと言いました。

 

彼の一番つらいことは、社会との繋がりがなくなり、自分が社会から必要と

されなくなって、たったひとりだと思うことのようでした。

 

会社員時代には多くの仕事仲間に慕われ、充実した人生を送っていましたが

今は誰とも付き合うことがなくて孤独な生活のようでした。

 

そして彼は、自分の健康のことをとても心配していました。

病気になっても頼れる人や看病してくれる人がいないのです。

 

私は相づちを打ちながら、彼の目を見て、こころから関心を持って、真剣に

彼の話を聞いてあげました。

 

彼はいつも話し相手がいないのか、私が熱心に彼の話を聞くので、気がつけば

30分以上時間が経っていました。

 

彼は孤独で寂しかったのかもしれません。

私は彼のおしゃべりに、繋がりを求める人間の本能を感じました。

 

その後、私は別れて去っていく彼の後ろ姿に人生のわびしさを感じました。

 

また話しは変わりますが、最近、終活という言葉をよく聞くようになりました。

 

私は終活と聞いて、残り少ない人生を嘆き悲しみ、自分の思い出と持ち物を

沈んだ気持で整理する活動だという、暗いイメージでした。

 

しかし、終活のことを調べて見ると、終活とは最期まで自分らしく生きるために、

そして後を託された人が困らないように人生最期に向けた準備を行うことのようです。

 

人生100年時代と言われますが私はさきほどの彼を見て、最期まで自分らしく

生きることの難しさを感じました。

 

私の病院嫌いは私のわがままであり、もし、大病を患えば最期まで自分らしく

生きていけなくなるかもしれません。

 

私は終活の意味を知って、自分のためにも後を託された人のためにも、体調が

少しでも悪くなれば病院に行こうと考え直しました。

 

私は終活と聞くとあまりいいイメージではありませんでしたが、長寿社会では

必要なものかもしれませんね。

 

元気でいつまでも自分らしく、こころ豊かに生きたいですね。

制服の似合う女性

 

私は田舎住まいなので、通勤はクルマを使用しています。

 

会社のある街中に入りますと、だんだん仕事の緊張感が増してきます。

今日も仕事辛いだろうなと思いながら暗い気持ちで運転します。

 

そんな気持ちで赤信号で停止している時、目の前の横断歩道を歩く着飾った女性を

見ると、なぜか私のこころは緊張感がほぐれ、安らぎを感じます。

 

通勤途中見る優美な女性は、私の仕事前の緊張感と憂鬱な気持ちを平和な気持ちに

してくれる天使のような気がします。

 

私はこの世の中に女性がいてよかったなと思います。

 

私の会社にもたくさんの女性が働いており、いろいろな服装で通勤しています。

 

季節感あふれるファッションや、地味でシンプルなカジュアルなど様々な洋服で

通勤しています。

 

しかし会社では制服が決まっているので、みんな制服に着替えて仕事をします。

 

ところが同じ制服でも、制服が似合う人も似合わない人もいますね。

私の部下の若い女子社員に、会社の制服がよく似合うなと思う人がいます。

 

彼女は特に美人だとかスタイルがいいという訳ではありませんが、清潔感があって

とても上品に見えました。

 

私は彼女に、制服がとてもよく似合うねと言いました。

すると彼女は私に、ありがとうございますと言って喜びました。

 

そして彼女は、制服だと服装を気にしなくていいし、洋服代がかからないので

助かると言いました。

 

私の会社の制服は、まるで彼女のために作られたもののような気がしました。

 

私は、彼女が地味な制服でもこれだけよく似合うのだから通勤の時に着る洋服は

どうなんだろうかと思い、興味が湧きました。

 

それから私は、時々、彼女が通勤の時着てくる洋服を見ることがありました。

ほとんどはシンプルな服装でしたが、清楚で彼女によく合ったものでした。

 

でも、時には派手な服装でおしゃれをしてくることもありました。

そんな時私は、制服を着た時の彼女と比べると全然魅力を感じませんでした。

 

それどころか、着飾った周りの女性の方がよほど魅力的に見えました。

私は彼女の魅力がぼやけたような感じがしてなりませんでした。

 

私は彼女が制服を着た時、なぜ魅力的に見えるのか不思議に思いました。

そこで私は、彼女のことをいろいろ聞いてみました。

 

彼女の話では、彼女が子供の頃、父親が何度も失業し、夫婦共働きでやっと生活が

できる貧しい家庭に育てられ苦労してきたようです。

 

彼女は今の仕事でもなんとか生活はできるのですが、決して楽な生活では

ありませんでした。

 

そのため、将来、両親を楽にしてあげたいと思い、なんとか今の生活から

抜け出したいと思っていたようです。

 

彼女には舞台俳優になる夢があり、そのために演技力と表現力の勉強をいつも

しているようでした。

 

彼女は主役を目指すのではなく、脇役として主役を引き立てながら良い演技を

することを目指していました。

 

彼女は舞台俳優になる夢と両親を楽にしてあげたいという優しさでこころが

輝いていました。

 

人が目標に向かって努力する姿はとても美しく見えます。

 

私は気がつきました、制服やシンプルな洋服は彼女のきれいなこころを

立派な主役として目立たせるための脇役だったのです。

 

なので彼女はきれいな洋服を着るより、制服や地味な服の方がよく似合いました。

 

私は、きれいな洋服を着てこころの汚れを隠す人より、地味な制服を着ても

きれいなこころを際立たせる彼女はとても素晴らしいと思いました。

 

その後彼女は舞台俳優にはなれませんでしたが、すてきな男性に巡り合い、

結婚し、ご主人を引き立てる名脇役としての役割を演じています。