愛があふれるドッグカフェ

 

私が以前勤務していた支店に、気さくな性格でとても優しい人がいました。

その人は40代半ばの女性でパートで働いていました。

 

彼女は初対面の人でも自分のことを包み隠さず話してくれるので、相手は

警戒心がなくなり、すぐ打ち解けてくれるようでした。

 

彼女は誰とも平等に話をするので、何人か集まった時、いつもその場の雰囲気を

明るくする存在でした。

 

私が彼女と初めて会った時もとても明るく、フレンドリーでオープンな性格に

感じました。

 

私が彼女と一緒に働き始めてすぐに気づいたことがありました。

彼女が働く左手には親指がありませんでした。

 

彼女はいつも気にしているのでしょう、私の視線が彼女の指に止まった時、

「この指はね、私が20歳の時、交通事故でなくなちゃったのよ」と言いました。

 

そんなあっけらかんとして言う彼女に対して、私は返す言葉がまったく

見つかりませんでした。

 

それからよく話をするようになりましたが、彼女は、何かの拍子にその交通事故の

当時の話をしてくれました。

 

彼女は交通事故で左親指だけではなく、左目も失い、義眼をつけているようでした。

その当時彼女のご両親は、嫁入り前の彼女の運命を嘆き、とても悲しんだようです。

 

まだまだ若い彼女のこれからの人生のことを考えると、とても不憫に思いました。

親の気持ちとしてみれば、できることなら彼女と代わってあげたいと思いました。

 

そんな両親の自分に対する気持ちを考えると彼女はやりきれませんでした。

 

彼女はいっそのこと死んでしまいたいと思いましたが、自分が死ねば、残された

両親が更なる悲しみを味わうことになると思いました。

 

それで彼女は、自分の辛さを隠し、両親の前では目いっぱい明るく振舞うように

しました。

 

そんな彼女ですが、数年後、彼女のことを理解してくれる男性が現れ、彼女は

めでたく結婚することができました。

 

彼女はこんな自分を愛してくれる彼の気持ちに、感謝しても感謝しても、

感謝しきれないほどありがたく思いました。

 

彼は彼女の目となり、指となり、彼女をやさしく支えてあげました。

 

そしてふたりの間には女の子がひとり生まれ、しあわせな生活が続きました。

しかしながら、そのしあわせはいつまでも続きませんでした。

 

娘が中学校に入ったばかりの頃、ご主人が重い病気にかかり、回復することを

切に願いましたが、その願いは叶わず、帰らぬ人となりました。

 

ご主人は犬が大好きで、ペットとして家族同様にかわいがっていました。

彼女は彼が、娘と同様にかわいがっていたペットの犬を抱きしめて泣きました。

 

毎日彼の愛した犬を散歩に連れて行くと、いつも亡くなったご主人のことを思い出し、

涙が止まらなかったようです。

 

神様、私は何か悪いことをしたのでしょうか、私がそんなに憎いのでしょうかと

こころの中で叫びました。

 

でも彼女は2度の試練を乗り越え、人間的に大きく成長し、人のこころの痛みや

辛さを理解し共感することができるようになりました。

 

そして彼女はとても優しく気さくな性格になりました。

 

私が彼女と会って1年ほど過ぎた頃、彼女は会社を退職することになりました。

 

私は彼女に、ここをやめて何をするのかと聞いてみました。

すると彼女はドッグカフェをやると言いました。

 

ご主人は彼女の将来のことを心配してたくさんの生命保険に入っていました。

彼女は何年も前からそれを使ってドッグカフェを作る計画をしていたようです。

 

私は彼女に、なぜドッグカフェをやるのかと聞いてみました。

 

彼女はペットの犬を愛していたご主人を忘れることはなく、犬を愛するお客と

毎日接することで、いつまでも彼女のこころに残しておきたいからだそうです。

 

そして彼女はご主人を愛する気持ちと同じようにお客を愛したいと言いました。

 

私は神様に今度こそは彼女をしあわせにしてくださいとお願いしました。

私は世のなかの人が決して彼女を見捨てることはないと信じました。

 

でもその心配は杞憂に終わり、彼女の気さくな性格は多くの客を呼び、常連客となり

今でもお店は安定的に続いているようです。

 

そして今でも、彼女のこころのなかにご主人は生き続けているようです。