こころ温まるアイスキャンディー

 

                                              木陰を求めて

    

 

私は先日、友人の家に遊びに行きました。

彼の家は、田舎の私の家と違って、町なかで便利な場所にあります。

 

彼の家で楽しい時間を過ごしましたが、冷たいものが食べたくなりました。

私は暑い中、歩いてコンビニにアイスを買いにいきました。

 

家から歩いて5分くらいのところにコンビニがあるのですが、たった5分歩いても

汗が流れ出て体が熱くなります。

 

コンビニに入ると、冷房が効いていて、とても気持ちがいいですね。

 

特に暑い時には、アイスクリームよりも、アイスキャンディーのほうが

さっぱりして好きです。

 

私は彼と一緒に食べようと思い、数本入りの箱に入ったアイスキャンディーを

買いました。

 

私がアイスを買って帰る途中、おばあさんが汗をかきながら辛そうに歩いていました。

帽子をかぶっていますが、この暑さでは、あまり役に立たないように思いました。

 

足取りが重く、よろけながら歩いているので私は心配になり、「おばあさん、こんなに

暑いのに外を歩いても大丈夫ですか?」と声をかけました。

 

私は少し休みましょうと、彼女を木陰に誘いました。

木陰に吹くさわやかな風は、少し彼女を落ち着かせました。

 

私はどうしてこんなに暑いのに歩いているのかと聞いてみました。

彼女は亡くなったご主人のお墓参りに行って、その帰りのようでした。

 

彼女はご主人を今年の初めに亡くし、毎日欠かさずお墓参りをしているようでした。

季節の移り変わりを感じることに少し鈍感になっているのかもしれません。

 

私は、「こんな暑い日はお休みしたほうがいいですよ」と言ったところ、彼女は、

「主人が亡くなる前は、病気で苦しんでいるのに何もしてあげられなかった、

 

それを思うと、これくらいの暑さなんかで、お墓参りを休むことはできない」と

言いました。

 

今彼女にできることは、一日も欠かさずお参りをすることだそうです。

彼女のご主人に対する愛情は、暑い日差しよりも熱かったのです。

 

彼女はひとり暮らしで、家にいても誰とも話すことがないので寂しくて、

ご主人のところに行って、話をするのが一番の楽しみだそうです。

 

この暑さの中を歩いて、汗びっしょりになった彼女を見て、私は熱中症

ならないかと心配になりました。

 

私は、「こんな暑い日には、お墓参りはしないで、家でゆっくりして

いたほうがいいですよ、そのほうが天国のご主人もあなたの健康を考えて

 

喜んでくれますよ」と言いました。

 

そして、さっき買ったアイスキャンディーを取り出し、彼女に食べてもらいました。

 

すると彼女は、「今まで食べたアイスのなかで一番美味しい、身体が冷めるのに

こころは温かくなる」と驚き、感激しました。

 

こんな人情の味がするアイスは生まれて初めて食べたと喜んでくれました。

一人暮らしで寂しい彼女にとって、私の気持ちがうれしかったのでしょう。

 

彼女は、「このアイスキャンディーの棒を持って帰って、仏壇にお供えする」と

言いました。

 

私はそれはさすがに冗談だと思って、ポケットからサインペンを取り出して、

「私はあなたをこころから愛す(アイス)」と書いて彼女に渡しました。

 

私は冗談のつもりで書いたのですが、彼女は真剣に受け取って帰りました。

人生にはこんなギャグで、こころを和ませるのもいいのではないでしょうか。

 

きっと、天国のお爺さんも笑っていることでしょう。

しあわせの見つけ方

 

私はお天気のいい日に山道をウォーキングしました。

 

澄んだ空気にとてもきれいな高山植物 、沢から発せられるマイナスイオン 

大自然の癒しを求めて山歩きをするのは最高のしあわせですね。

 

私がしばらく歩いていると、若い男性が何かを探しているのを見かけました。

 

その男性は帽子をかぶり、背中にリュックを背負い、変わりやすい山の天候に

そなえて上着は重ね着をして、山登りには慣れているようでした。

 

彼は何か落とし物でもしたのでしょうか。

 

私は大自然 の中でこころが広くなったのでしょうか、彼のことが心配になり、

「何かお探しですか」と声をかけてみました。

 

彼の話では、今の自分の生き方にしあわせを感じることができないようでした。

 

彼は思うような仕事に就けず、いつまでも誰でもできる単純労働しか与えられなく、

そのため給料が少なく生活が苦しくて、将来に不安を持っていたようです。

 

彼はもっと自分に合った好きなことができて、たくさんお金があればしあわせに

なれると思っていたようです。

 

しあわせを探している彼は、本を読んで、しあわせとは向うからやって来る

のではなく、自分で見つけるものだと知りました。

 

彼はそれを理解することはできましたが、どうすればしあわせを見つけられるのか

その方法がわかりませんでした。

 

なので彼は気分転換に山登りをして、自然の中に何かヒントがあるかもしれないと

思い、しあわせの見つけ方を求めてここに来たようです。

 

彼は、「目の前にしあわせがあっても気付かずに通り過ぎてしまうことがあるのなら、

それは実にもったいないことだ」と言いました。

 

世の中にはしあわせを見つけられなくて苦しんでいる人がたくさんいる、

彼がその探し方を見つけてみんなに教えてあげたいと思っているようです。

 

「ところであなたはとてもしあわせそうに感じます、しあわせを見つけたのですか」と

彼は私に聞いてきました。

 

「私はあなたと同じで出世はしないしお金はありませんが、しあわせを見つける

ことができます」と答えました。

 

すると彼は、「僕にぜひそのしあわせを見つける方法を教えて欲しいです」と

私にお願いしました。

 

私は、「それは簡単なことですよ」と言いました。

 

それは多くの人を愛することです、どんな人でも人から愛されればしあわせです。

愛が多ければ多いほどしあわせな人は増えて世の中に広がります。

 

そしてしあわせである人々に囲まれる私は必ずしあわせになります。

 

私の言うことを聞いて、彼は、自分のこころの中にある愛をみんなに与えることで、

自分もしあわせになれるのだと気がつきました。

 

彼はしあわせの見つけ方を知って大喜びで山を下りていきました。

私は人やこの大自然を愛することでこころが癒されしあわせになれるのです。

 

みんなが人と地球を愛し、こころにも環境にも、やさしくありたいですね。

人生の公式

 

私は、最近仕事がとても忙しく、睡眠不足です。

やっと今日、ブログを書く時間が取れました。

 

私の甥で、高校でトップを争うくらい成績がよく、頭のいい子がいました。

彼は文系を選んで大学に進学しました。

 

彼は夏休みに私のところに遊びに来て、大学での勉強の様子を話してくれました。

彼が興味を持った授業は、哲学と心理学でした。

 

彼は前から人のこころの構造を詳しく知りたいと思っていました。

授業を熱心に聞いて、将来の自分の生き方を見つけたかったようです。

 

私は哲学と心理学はどう違うのかと彼に聞いてみました。

 

彼は私に説明してくれました。

 

心理学とは人のこころや行動のメカニズムを研究することで、哲学は認識や存在、

世界、言語など、根源的なことを追求することだと言いました。

 

彼はどちらかと言うと、哲学のほうに強く興味を持ったようでした。

私は彼に、実際、哲学でどんなことを学んでいるのか聞いてみました。

 

すると彼は、人生とはどうあるべきかと私に聞いてきました。 

頭の悪い私は、突然そんな事を聞かれてもすぐには答えられませんでした。

 

彼は、人類の歴史は長い、それを学者が研究し尽くして哲学として

考え出したのだから、生き方の公式はあるはずだと言いました。

 

私は、数学であれば、公式に従って計算すればひとつの答えが出るが、

哲学の問題には公式がなく、そんな大きな問題を解くのはムリだと言いました。

 

彼はもっと深く勉強して、よりよい人生を送るための公式を見つけ出したいと

思っているようでした。

 

彼は私に、分厚い哲学の教科書を見せてくれました。

 

私は彼に、その教科書は全部読んだのかと聞くと、最後まで読んでいないと

言いました。

 

全部を読まなくても、哲学者のゲーテの名言を学べば、人生とはどうすべきかが

わかったと言いました。

 

そうして彼は、哲学だけは誰にも負けない成績を取ることができました。

 

その後、彼は学生時代に学んだ哲学で、充実した人生を送ることができると思い、

自信満々で社会に飛び込みました。

 

彼の周りの先輩たちの仕事ぶりを見ると、とても辛そうで、将来が暗くなると

思いました。

 

人間関係や仕事の厳しさで、こころの病気になったり、身体を壊している人を

見ると、自分だけはもっとしあわせな人生を送りたいと思いました。

 

彼はゲーテの言葉の中で一番好きなのは「自分自身を信じてみるだけでいい。

きっと生きる道が見えてくる。」でした。

 

ところが彼は社会人となって、世の中は甘いものではなく、哲学で学んだ人生の

公式が通用しないことがすぐにわかりました。

 

彼は教科書で学んだことを実践しようとしましたが、それは彼のこころの傷と

なって苦しみました。

 

彼はゲーテの言葉を思い出しました、「涙とともにパンを食べたことのある者で

なければ、人生の本当の味はわからない」。

 

彼のこころの傷はだんだん深くなり、耐えられなくなり、私のところに相談に

来ました。

 

彼は私に、自分が生きていく道に迷ってしまった、どこに向かって行けばいいのか

教えて欲しいと言いました。

 

では君は一体どんな人生を送りたいと思っているのかと聞きました。

彼はそれがわからないから困っていると言いました。

 

社会人経験の浅い彼は、頭の中で漠然と将来の不安を抱えているようでした。

 

私は彼に言いました。

私は君のように教科書で勉強したことはないが、実際、体験したことから

 

私が社会に出て感じたことは、人はすべてのことはできない、だからそれぞれ

分担して仕事をしている。

 

みんなが協力して仕事をしているけれど、利害関係から人間関係がもつれる

ことがあり、それが生きていくことの辛さに繋がっている。

 

自分さえよければいいと言う考えはお互いを不幸に導いてしまう。

 

私は人生の先輩としてひと言だけ言わせてもらう。

 

君のできることを人を愛して全力で尽くしなさい、そうすれば、それ以外の

君の出来ないことは人が助けてくれる。

 

これが私が考える人生の公式だと言いました。

 

それを聞いて彼は、哲学の教科書を取り出し、再度読み返しました。

 

すると最後のページに、人は、人を愛することで最高のしあわせを得ることが

できると書いてありました。

 

彼は一番大切なことを見逃していたのでした。

 

おっといけない、私はブログを書く前にうたた寝をしていたようです。

夢を見ていました、疲れがたまったようです。

 

疲れを取るために、しばらくブログをお休みしたいと思います。

夏休みを取りますのでよろしくお願いします。

父よ、本当にあなたは強かった

 

私の父は、私が結婚して数年後、60代で亡くなりました。

父の日が近くなってきましたので、その思い出を書きました。

 

私が小学生のとき、不景気で、父の勤めていた会社が倒産しました。

 

父が営業所の責任者だったせいか、私の家には怖い人たちが

たくさん押し寄せてきて、大声で怒鳴ったり、ドアをたたいたりしました。

 

そんな日が続くので、私たち家族は、怖くて親戚の家に避難した記憶があります。

それまでは割と裕福な家庭でしたが、その時を境に貧乏生活が始まりました。

 

勤めていた会社が建設会社だったので、多くの取引先があり、その関係から、

父は土木関係の自営業を始めましたが、とにかく、収入が不安定でした。

 

次のお金がいつ入るのかわかりません、いい仕事だと思って請け負っても、

騙されて、お金をもらえず、ドロンされたこともあったようです。

 

父は仕事の資金繰りでとても苦労していたようで、お金がない時は

親戚を回ってお金を工面し、眠れない夜もあったようです。

 

辛かったことは、給食費が払えなかったのと、小学校の参観日に来る母親の洋服が

あまりにもボロで、恥ずかしくて自分の母親だと知られたくなかったことです。

 

とにかくお金がないんです。

ぜいたくを望むのではなく、普通の人のような暮らしがしたかったのです。

 

仕事で泥だらけになった作業服で家に帰る父を見た近所の子は、私のことを

土方の息子だとバカにしました。

 

私は父親が家族のために汗水たらして働いているのを知っていたので、

私は何を言われても平気でした。

 

でも、世間の人が、父のことをそんな目で見ているのかと思うと、私は不憫で

仕方がありませんでした。

 

でも父は立派でした。いくら貧しくても正直で人に喜んでもらえる

仕事を続ければ、きっと、将来幸せになれるといつも言っていました。

 

私はその言葉にいつも希望を感じていました。

父はいくら貧しくても、愛があれば生きていけるんだと私に教えてくれました。

 

どん底の生活にはこれ以上落ち込む不安より、将来に対する夢と希望しか

ありませんでした。

 

家族みんなで一心となり、節約して貧乏な生活を耐えました。

そんな生活の中で物のありがたさ、大切さが十分わかりました。

 

今振り返ると、物がなんでも手に入る今の時代より、貧乏で質素な生活でしたが、

みんなで助け合ったその当時のほうが、よほどこころは幸せだったと思います。

 

その後、私は学校を卒業し、社会人となり、なんとか念願の普通の暮らしが

できるようになりました。

 

私が社会人になり、結婚して子供ができ、父は孫である私の娘をとても

かわいがりました。

 

私は父が娘を抱っこして、嬉しそうに笑っている姿は今でも忘れません。

 

ある時父は、息子にはまだまだ負けるはずはないと思ったのか、力試しに、

腕相撲をしないかと私に言いました。

 

私は建設現場で鍛えられた父に、今まで一度も勝ったことはありませんでした。

私は右手に力を入れ身体を傾け、思い切り父親の手を押さえました。

 

しばらくはいい勝負だったのですが、歳のせいか、だんだん父の力が抜けて

いくのがわかりました。

 

ここで一気に力を入れれば、生まれて初めて父に勝てると思いました。

 

でも、私にはできませんでした、力の衰えている父が悲しくなり、涙が出そうに

なりました、私も力が抜け、今までのように父が勝ちました。

 

私はそれまで父の背中を見て育ちました。

それまでの父の生き様を思うと、父に勝ってはいけないと思ったのです。

 

私にとって父は、いつまでも追い越してはいけない偉大な人なんです。

 

その数か月後、父はクモ膜下出血で病院にはこばれましたが、治療の甲斐もなく

帰らぬ人となりました。

 

私は天国にいる父に感謝するとともに、あの時、父に勝たなかったことが

本当によかったと思います。

 

父は今でも、私のこころの中で強くたくましく生きています。

 

お父さんありがとう、今年の父の日には、お父さんが甘くてしあわせの味がすると

言っていた、大好きだったメロンをお供えするからね。

不老不死の薬

 

もし、この世の中に不老不死の薬があったら、あなたは飲みますか?

 

むかしむかしあるところに寂しがり屋の少年がいました。

彼には大好きなお爺さんがいました。

 

ところがそのお爺さんは病気で死んでしまいました。

彼は大好きだったお爺さんが亡くなってとても悲しみました。

 

彼だけではなく、お爺さんと親しかった人はみんな悲しくて泣きました。

 

彼は、人が死んでしまうということは、とてもつらいお別れだと思いました。

彼はなんとか自分が死なない方法はないかと考えました。

 

すると風の便りに、この世には不老不死の薬があると聞きました。

 

彼は近くに住むお年寄りに、不老不死の薬があったら飲んでみたいかと

聞いてみました。

 

お年寄りは彼に、そんなものは飲みたくないと言いました。

 

彼は、長生きできるのにどうして飲みたくないのかと聞きました。

するとお年寄りは、そこにいるキジについて行きなさいと言いました。

 

山奥に仙人が住んでいるから、欲しければ、不老不死の薬をくれるはずだと

言いました。

 

そうすれば、私がなぜ不老不死の薬を飲みたくないか、わかると言いました。

 

彼はキジに連れられて仙人の住む山奥に行きました。

そこには白髭をはやしたひとりの老人がいました。

 

彼は仙人で、身が軽く空を飛んだり、水の上を歩いたり、座ったままで千里の向こう

まで見通せたり、火中に飛び込んでも焼けないなど素晴らしい能力を持っていました。

 

仙人の一番素晴らしいことは、不老不死の薬を飲んでいるので、死なないことでした。

彼は仙人に、ここには不老不死の薬があると聞いてやってきたと言いました。

 

仙人は、ここにその薬があるのを誰から聞いたか知らないが、確かに一粒だけ

不老不死の薬があると言いました。

 

仙人は彼に、この薬を飲むと決して楽しいことばかりではないが、その覚悟は

できているかと聞きました。

 

彼は、自分が死ぬことほど悲しいことはないので、その覚悟はできていると

答えました。

 

それを聞いて仙人は彼に不老不死の薬を渡し、彼はそれを飲みました。

 

彼は十分すぎるほどの時間をかけて、たくさんの親友を作り楽しく過ごしました。

そして数十年が経ちました。

 

彼がいつまでも若いのに、彼が作った親友は、年老いて寿命が尽き、次から次へと

死んでいきました。

 

彼は気付きました、自分だけが長生きしても、楽しいのは数十年だけ、

それからは、周りの親しい人が次から次へと死んでいくのを見届けることになり、

 

それはとてもつらいことでした。

 

親友を作れば作るほど、お別れの悲しみは増えました。

彼はこんなはずではなかったと思いました。

 

以前、お年寄りが不老不死の薬を飲みたくないと言った理由がわかりました。

 

彼は仙人のところへ戻り、自分だけが長生きしてもつらいことがわかりましたと

言いました。

 

彼はこれからどうしたらいいのでしょうかと仙人に聞きました。

 

すると仙人は、ここに不老不死を止める薬がある、これを飲みなさいと言いました。

彼は、それを飲むと自分は死んでしまうのですねと仙人に言いました。

 

仙人は、そうではない、たとえお前の肉体は死んでも、お前が人を深く愛せば、

お前は人のこころの中でいつまでも生き続けるのじゃと言いました。

 

仙人は彼に、永遠に長生きするよりも、人を愛して今を大切に生きなさいと

教えてくれました。

 

彼は、そのとき、天寿を全うするという言葉の意味を知りました。

 

彼は仙人からもらった薬を飲んで、寿命が来るまでの限られた時間の中で

多くの人を深く愛しました。

 

そして彼は死にましたが、彼は愛した人のこころの中で、子孫に受け継がれ、

今でも永遠に生き続けています。

 

実は、愛こそ彼が探していた、不老不死の薬だったのです。

世の中には鬼はいない

 

私がまだ若くて独身で、今の会社に入社して7、8年目の頃のことです。

 

本社の社員で、いつも機嫌が悪く、支店に来るとみんなから嫌われる人がいました。

その人は私の課の課長で、支店を回り、できていないところを見つけて叱ります。

 

彼は数年前に奥さんと別れて、ひとり暮らしでした。

 

社員の噂では、奥さんが彼の思うように動いてくれないので、いつも

小言を言っていたところ、奥さんは嫌気がさして出て行ったとの事です。

 

そんな彼ですが、ある日、私が出社したところ、彼はすでに支店に来ていて

私の職場をチェックしていました。

 

私は彼に、おはようございます、今日は随分早いんですねと挨拶しました。

 

彼は私の顔をチラッと見ましたが、挨拶も返さず、無表情で職場のチェックを

続けました。

 

そして報告書にびっしり改善点を書いて支店長に提出して本社に帰りました。

 

その報告書には点数がつけられていて、私はいつも平均点以下でした。

その後、私はその報告書を見た支店長からのお叱りを受けます。

 

あるとき、別の支店の、私より優秀で真面目な、仲のいい社員から電話がありました。

何事かと思うと、その社員は会社を辞めると言うのです。

 

私は驚いて、どうして急に辞めるのかと聞きました。

 

彼は仕事熱心で、自分で考えて工夫し、成果が出ると思えば自分の判断で仕事をし、

会社の決めたことを守らないことがありました。

 

そんな彼の支店に例の課長が来て、彼が努力してきた仕事をまったく評価せず、

それどころか、決まり事を守っていないと支店長に報告しました。

 

報告書の点数は0点に近いものでした。

そして課長は支店長に、部下の管理ができていないと叱責しました。

 

血の気の多い支店長は、自分が責められたことに腹を立て、彼を呼びつけ、

課長の前で「お前のような、会社のやり方を守れない人間は会社を辞めてしまえ」と

怒鳴りました。

 

彼は強いショックを受け、仕事の途中、そのまま家に帰ったそうです。

それを見た課長は、彼が悪いのだ、仕事には情けは無用と思っているようでした。

 

そして彼は退職することにしたそうです。

今ではパワハラで問題になったでしょうね。

 

私には、課長は血も涙もない、鬼のような上司に思えました。

 

その話を聞いた数日後、その課長が私の支店に来ていつものように私の職場を

チェックしました。

 

私は優秀ではないので、課長から、たくさんできていないことを指摘されますが、

それは仕方がないと割り切っていました。

 

たくさんある仕事を決められた通りにするのは、言うは易し、行うは難しです。

 

でも、私は退職することになった社員から話しを聞いたばかりだったので、

私は課長の無情な仕事ぶりには腹が立ちました。

 

私は出世などまったく考えない人間です、嫌われてもいいと思って、

 

課長に、「あなたは鬼ですか、悪いところばかり見つけて支店長に報告する。

あなたの本来の仕事は、支店の人たちが仕事がしやすいようにすることでは

 

ないのでしょうか。あなたには愛がない、人の気持ちも考えて下さい。

これではあなたに誰もついてこなくなりますよ。」とハッキリ言いました。

 

私のこころはスッキリして、澄んだ青空のように晴れ渡りました。

私も課長も同じ人間、本音で話せば、きっとこころが通じると思いました。

 

課長は今まで部下からは、誰にもこんなことは言われたことはないでしょう。

その時彼は、思うところがあったようですが、何も言わないで帰りました。

 

私は彼が帰った後、少し言い過ぎたかなと思い、不安な気持ちになりました。

 

そして1か月後にまた課長が私の支店にやって来ました。

いつものように無言で職場をチェックしました。

 

その冷酷そうな表情を見て、私は前回のことで嫌われてしまったと思いました。

そして彼は書き上げた報告書を私に手渡し、私の目を見てひとこと言いました。

 

彼は穏やかな表情で、「何か心配事があったらいつでも相談してくれ」と言いました。

私は彼の言葉に驚きました。

 

彼は寂しかったんですね。

 

彼は奥さんに逃げられ、誰も彼のことを心配してくれる人がいなかったようです。

彼には、親身になって言葉をかけてくれる人が、誰もいなかったようです。

 

それで私の彼に真剣に訴えた言葉が、こころに染みたようでした。

彼が帰った後、報告書を見ると100点満点でした。

 

誰でも愛を感じるこころはあるんですね、私は世の中には鬼はいないと思いました。

ゴミ人間

 

私はブログをすらすら書けるときは楽しいのですが、書けないときはとても

つらく思います。

 

他の人が毎日記事を書いているのに、ただ読むだけ、情けないです。

 

勿論、読むことは書くこと以上に楽しいのですが、野球に例えれば、

観客として見るのも楽しいのですが、私も一緒にプレーしたくなるのです。

 

今回は野球選手として試合にはでませんが、練習に参加するような気持ちで

書きました。

 

            ゴミ人間

私はいつも仕事に行く途中、妻から頼まれてゴミを捨てます。

 

妻は私に、家のことは何もしないから、せめて、ゴミ捨てくらいしなさいと言います。

曜日によってゴミの種類が決まっているので、間違えないようにします。

 

私の家庭からは、可燃ごみとペットボトルがたくさん出るような気がします。

牛乳パックと食品トレーは、妻が、買ったスーパーに持っていくようです。

 

ゴミは収集日の朝8時半までに出さなければなりません。

 

私は捨てられたゴミの山を見て、よくもまあこんなにゴミが出るものだと

驚きます。

 

資源の枯渇が問題になっているようですが、私はとても心配になりました。

そんなに不要なものならば、家に持ち込まなければいいのにと思います。

 

私がゴミを倉庫に入れた時、横から、近所のお医者さんの奥様がゴミを持ってきて、

「お早うございます、ゴミ捨てですか大変ですね」と言って私のゴミ袋の横に

 

捨てました。

 

私は「お早うございます、ええどうも」と返事をしました。

 

私は彼女が立ち去るのを見ながら、同じゴミ袋でも、貧乏な私の家のゴミと

裕福そうなお医者さんの家のゴミは中身の質が違うんだろうなと思いました。

 

私は比べられるのが嫌で、そっと私のゴミを遠くに離しました。

 

私はいつも、ゴミのような人間だと思われているので、ゴミの気持ちは

よくわかります。

 

私の妻が機嫌が悪い時、あなたを処分するときはお金がかかるので、直接

大型ごみセンターに行きなさい、そうすれば無料で引き取ってくれると言います。

 

どうやら妻は私を粗大ごみとして処分に困っているようです。

 

ゴミを捨てたら会社に向かいます。

多くの社員がいる会社では、ゴミもたくさん出ます。

 

上司は私のマイペースな仕事ぶりを見て、仕事に燃えない君は不燃ゴミだと言います。

 

私はそんな時、その時の気分でコロコロ変わる、理不尽な仕事の指示を出して、

いつも部下の仕事を邪魔するあなたは、捨て場のない、有害ゴミだとこころの中で

 

叫びます。

 

会社には不燃ゴミ可燃ゴミの大きなナイロン袋が用意してあって、

各自のゴミ箱にあるゴミはそれぞれ分けて捨てます。

 

私は同僚に、私のゴミはどちらの袋に入れたらいいのかと聞きました。

すると同僚は、あなたはゴミとくずの違いを理解していませんねと言いました。

 

私は同僚に、どう違うのかと聞きました。

 

すると同僚は、ゴミとは利用価値がなくて細かくて汚いもの、くずは良い部分を

取り去った後の残りかすと教えてくれました。

 

じゃあ私のゴミはどちらなのかと聞きました。

 

すると同僚は、あなたは人間のくずだから、燃える可燃ゴミの袋でいいのじゃないと

言いました。

 

私はゴミ人間かと思っていたら人間のくずだったようです。

 

ある日、ゴミを出すのが遅くなって、ゴミの収集場所に行くと、業者さんが

ゴミをトラックに積んでいるところでした。

 

私が急いでゴミを出すとそのまま受け取ってトラックに積み込みました。

 

私はせっかくゴミ業者さんに会えたのだから、私がゴミならどんなゴミかと

聞いてみました。

 

すると業者さんは、あなたは汚いゴミだね、こころを再生するために資源ゴミと

してなら引き取るよと言いました。

 

それを聞いてホットしました、どうやら私はまだまだ再生すれば使い物に

なるんですね。

 

次回はなんとか試合に出られるように普通のブログを書きたいと思います。

ペットの価値

 

私と妻は、昨日、ショッピングセンターに買い物に行きました。

 

妻は洋服を見たいと言うので、私は妻と別れて、ぶらぶら歩きながら他のお店を

見て回りました。

 

日曜日のお昼前とあって、お客が多くて、私は通路を歩くと人混みで、人酔い

しそうになりました。

 

私はどこでもいいからと思い、人が少なそうなお店に入りました。

そこはペットショップで、かわいい子犬がたくさんいました。

 

お店の中には10人くらいお客がいて、ペットを見ながら楽しそうに話を

しているのが聞こえました。

 

独身の女性らしきふたりは、ペットは赤ん坊のようで、母性本能がくすぐられる

ようなことを言っていました。

 

また、ひとり暮らしに見えるお年寄りの女性は、店員に、ペットと一緒にご飯を

食べることでこころが癒されると言っていました。

 

私はペットにはあまり興味がないので、なんとなく、ガラスのお部屋にいる

子犬が、動きまわったり、寝ているのを見て回りました。

 

するとその中の黒い一匹が、私が近づくと、ガラス越しに立ち上がりました。

目が大きくて耳が柴犬のように立っている、ブルドッグのような子犬でした。

 

その子犬はガラスが割れんばかりに、ガラスに体を預け、私の胸に飛び込んで

きそうなくらい夢中になって、前足をバタバタ動かしました。

 

私の目を見つめ、まるでお父さんに、早く抱いてほしいと訴えているようでした。

私はその時、目の中に入れても痛くないほどかわいい子犬に、こころが動揺しました。

 

ペットがこんなにかわいく思えたのはその時が初めてでした。

 

この子犬との運命的な出会いは、この子は私に飼われるために生まれてきた

のかもしれないと思ったほどです。

 

ガラスの上の面に説明書が貼ってあり、その子犬はフレンチ・ブルドッグ

生まれたのは今年の3月、今の体重は2kgで、成長すると10㎏くらいになるようです。

 

私は今までペットに興味がなかったので、その価値にはまったく無知でした。

そのペットの値段を見ると40万円くらいでした。

 

人の価値はお金で決まるものではないのに、ペットの価値には値段がつくんですね。

私にはその値段が高いのか安いのかまったくわかりませんでした。

 

妻との待ち合わせの時間になったのでお店を出ましたが、その人懐っこい

子犬のかわいらしさが忘れられませんでした。

 

家に帰って夕飯の時、ご飯を食べながら、その子犬のことを妻に話しました。

そしてペットを飼ってもいいかと聞きました。

 

妻は私に、ペットってお金がかかるのよ、美容のためにトリミングサロンに

連れて行ったり、病気になったら病院にも連れて行かなければならないし、

 

犬の食事代も高い、そして毎日お散歩にも連れて行かなければならないのよと

言いました。

 

わたしは妻にその子犬のかわいらしさを説明し、見たらきっと飼いたくなると

言いました。

 

妻は私に、その子犬の値段はいくらかと聞きました。

 

私は妻に、ワクチン代とかいろいろ合わせると50万円近くになると言いました。

 

すると妻は私に、100万円出しなさい、あなたがそれだけ払うだけの価値があると

思うのなら、私がその犬を買ってきますと言いました。

 

私は半値に値切ることはあっても、その子犬に100万円も払うだけの価値が

あるとは思いませんでした。

 

私は妻の言葉を聞いて、自分には子犬に対する愛情が小さいことに気づきました。

私はその子犬のかわいさに目がくらみ、危うく衝動買いしてしまうところでした。

 

私のような愛のない人間に飼われなかった子犬は、幸運だったと思いました。

 

私の性格では、かわいいうちは面倒をみるけれど、飽きてしまうとほったらかしに

して、その後の面倒は妻任せになっていたでしょう。

 

私は人を愛することも十分にできないのに、ペットを愛するなんて無理ですね。

 

ペットの価値とは、ペットを愛する人の気持ちで決まることがわかりました。

その愛が大きければ大きいほどその価値が高まるのです。

 

私は皆様のペットのブログをよく読んで、ペットに対する愛情を学んでから

ペットを飼いたいと思いますので、よろしくお願いします。

こころのお掃除

 

香織が目覚めると、外はとてもいいお天気でした。

カーテンを開けると、まぶしい陽の光が差し込んできました。

 

香織は両手を上に大きく開き、背伸びをして、大きなあくびをしました。

そして窓を開けるとさわやかな風が、香織に、こころのお掃除をしようと誘いました。

 

香織は最近こころのお掃除をしていなかったのに気付きました。

香織のこころの中には、お家と同じように小さなお部屋がありました。

 

さっそくこころのお部屋のお掃除です。

 

まずは冷蔵庫です、冷凍室には彼氏に裏切られて凍ったこころがありました。

こんなもの、いつまでも保存しないで、溶かして水に流してあげましょう。

 

冷蔵室には結婚したいという未練のこころがあります、そんなものとっくに

賞味期限が切れています、惜しまずさっさと廃棄しましょう。

 

次は洗濯機のお掃除です。

 

汚れたこころを、清楚な洋服を着て隠している香織は、しっかり汚れの染みついた

洋服を洗う度に、洗濯機が汚れて真っ黒です。

 

お掃除が大変だった香織は、洗濯の前に漂白剤でこころの汚れを落としましたが、

強すぎて、大切なこころ模様まで消えてしまいました。

 

お風呂のお掃除は大変です。

 

身の毛もよだつほど嫌いな会社の同僚にいつもいじめられていた香織は

そのこころの抜け毛の多さでいつも排水口が詰まっていました。

 

こころの育毛剤を使う前に、排水口の汚さを毛嫌いしないで、きちんと

お掃除しないといけません。

 

お風呂の出入り口の扉は入念にきれいにしましょう。

 

香織のありのままの姿を見られないように隠してくれる大切な扉です。

ありのままのこころを見られたら、恥ずかしくて香織は世間に顔向けできません。

 

それからキッチンです。

 

まな板が傷だらけで、洗っても洗っても汚れがきれいに落ちません。

香織のこころも傷ついていてなかなか治りません。

 

香織は知っています、傷ついたこころには、やさしくしてくれる人がいれば

治るのです。

 

彼女はこころを込めて包丁を砥いで、切れやすくしました。

 

よく切れる包丁は力を入れなくても、まな板を傷つけず、やさしくお肉が

切れるのです。

 

でも、よく切れる包丁は、人のこころもズタズタに、みじん切りにするので

気をつけましょう。

 

やさしさに飢えている香織は、よく切れる包丁で、肉を切らせて骨を断つような

傷つけ合う人生には疲れたようです。

 

次は洋服ダンスです。

 

汚れたままハンガーにかけられた香織のこころは虫食いだらけ。

防虫剤は効き目がなくならないうちに取り換えましょぅ。

 

でも、こころで感じる、かんの虫、腹の虫は防虫剤では防げません。

それでも香織の虫の居所が悪い時には有効かもしれません。

 

季節変りには、春物は片づけて、夏物を取り出し、中をきれいにお掃除です。

でも、自分のこころを入れ替えられない香織は、季節に関係なく、着たきり雀です。

 

そして最後はトイレのお掃除です。

 

香織のこころと同じで、掃除しないとすぐ汚れます。

 

こびりついたトイレの汚れは塩素の強い洗剤で落としますが、

優柔不断な香織のこころと同じで、取り扱いがとても難しいのです。

 

そして、都合の悪いことはすぐに隠してしまう香織は、臭いものにはふたをする

ように、消臭剤で念入りにこころの臭いにふたをしました。

 

さてこれでお掃除が終わりました。

 

お掃除が終わってこころがすっきりするはずなのですが、香織のこころはなにか、

やり残したことがあるような気がしました。

 

不完全燃焼のこころのまま香織は、押し入れから出てきたゴミを捨てようとしました。

するとその中からきらりと輝くものが見えました。

 

香織は何かと思って取り出してみると、それはなんと愛でした。

香織は愛を押し入れの奥にしまい込んだまますっかり忘れていました。

 

なくしてしまったと思った愛が見つかり、香織は大喜びでした。

香織のこころは愛によって完全燃焼となりました。

 

香織はこころのお掃除をすることで、大切な愛を見つけることができたのです。

そして香織のこころは、お掃除で、きれいに入れ替わりました。

 

こころのお掃除はこまめにしないといけませんね。

こころの物差し

 

この春に、ふたりの男女が私の職場に新しく入って来ました。

ひとりは20歳の女性社員で他の支店から異動で入って来ました。

 

もうひとりは60歳の男性で、定年退職後、年金だけでは生活できないので

アルバイトで入社してきました。

 

彼と彼女のふたりは年齢が離れているせいかあまり話をすることはありませんでした。

私はふたりとの間の年齢なのでふたりとはよく話をします。

 

若い彼女は多くの先輩の下で働くので、仕事に慣れていても、多くの先輩に

気を遣い、こころに余裕がないようでした。

 

私の若い頃を思い出すと、先輩の目を気にして、とにかく身体を動かし、

彼女と同じようにがむしゃらに仕事をしていたと思います。

 

年配の彼は、入社したばかりで仕事には慣れていませんが、人生の大先輩であり、

仕事が遅くても、きちんと仕事をしてもらえればいいと思っていました。

 

私がそれぞれふたりに仕事の指示をすると、彼女は私の言ったことをすぐ理解して

思った通りの仕事をしてくれます。

 

一方彼は、私が教えたことを時間をかけてでもきちんとやってほしいのですが、

なかなか思うようにできなくて、早く済ませようとして手を抜いてしまいます。

 

私が注意するといつも言い訳をして反省がありませんでした。

決して無理はせず、自分のペースで働き、身体は動かないが口だけはよく動きました。

 

彼は、少し仕事がきついと、歳を取ると若い頃のように体が動かないし、すぐ疲れると

言ってみんなの同情を買います。

 

私は彼に、なんども仕事の取り組み方を教えましたが、年下の私が細かく指示を

するのが嫌になったのかすぐに会社をやめてしまいました。

 

人は歳を取るとやる気も体力も衰えてしまうんだなと情けなく思いました。

私もそのうちあんなふうになるのかと思うと、とても暗い気持ちになりました。

 

その後、彼の代わりに別の男性が入社してきました。

その人は、少し若く見えましたが65歳の男性でした。

 

今までいた男性よりも5歳も年上で、私はもう勘弁してよと思いました。

どうせ私のことは聞いてもくれないし、すぐやめてしまうだろうと思いました。

 

ところが実際、一緒に働いてみると、思っていたのとは違って、前にいた男性よりも

元気でとても生き生きと働くのです。

 

彼は私が教えたことをよく理解してくれて、気持ちよく働きました。

仕事は若い人ほど早くはありませんが、私の教えた通りきちんとていねいにしました。

 

同じ部署の人が器用にこなしている仕事を見て、あのように自分もやってみたいと

言って、気持ちが若く好奇心と向上心があふれる彼でした。

 

そして彼は、なぜか20歳の彼女と話しがよく合うんです。

 

仕事中、彼は彼女に話しかけることがありますが、微妙な乙女ごころを

理解して、彼女のこころを惹きつけました。

 

彼女は緊張した仕事の中でも、彼が存在することで、こころが安らぎ、彼との

会話には笑顔が見えました。

 

私は彼に、どうしてそんなに年が違うのに彼女の気持ちを理解できるのかと

聞いてみました。

 

彼は熟年離婚をし、そのとき自分の身勝手さに気づき、こころから反省し、

若い頃の純真な自分に戻ろうと決めたようです。

 

彼は、若さを保つために、毎日ジョギングを欠かさないことと、恥ずかしながら

この年でブログを書いていると言いました。

 

ジョギングは身体の健康を維持するのに役立ち、ブログは読み書きすることで

共感が生まれ、感動で胸が震え、こころを若返らせると言いました。

 

私は彼がブログを読むことで老若男女問わず、人の気持ちを理解できるように

なったに違いないと思いました。

 

なので彼女のこころを読んで、彼女のこころに熱い気持ちで飛び込めば共感が

生まれるはずです。

 

私はそれを聞いて、こころとは年齢で測るのではなく、その熱さで測るものだと

思いました。

 

同じブログを書く私は、彼に共感しました。

そして私と彼とは、これから長い付き合いになるだろうと予感しました。

3回目のワクチン接種

 

以前このブログにも書きましたが、私は臆病者なので、多くの人がコロナのワクチン

接種を受けてどうなるのか様子を見てから初めての接種を受けました。

 

接種を受けた人の副反応を見たり聞いたりして、こころの準備をしてから

やっと初回の接種を受けたので、3回目も遅くなり、先月の中旬に接種しました。

 

1、2回目はモデルナでしたが、3回目はファイザーでした。

 

仕事の関係で、休みが取れた日はあいにくモデルナを接種する病院が見つからず、

不安でしたがファイザーのワクチンを接種することにしました。

 

途中でワクチンをかえても大丈夫と聞いていたので覚悟を決めて打ちました。

 

モデルナを注射した時は、針を刺してからワクチンを注入し終えるまで少し

時間がかかったように思います。

 

ファイザーの時は、注射針を刺した瞬間にワクチンが注入され、あっという間に

接種が終わったような気がしました。

(注射を打つお医者さんの打ち方でそう感じたのかもしれません。)

 

私はワクチンの接種を終えて家に帰るまで、今までのことを思い起こしました。

 

もう、新型コロナの感染拡大が始まって、2年以上経ちましたが、最初の頃は、

見えないウィルスによる感染と死の恐怖、自由に移動できないストレスがありました。

 

不安な毎日が続きましたが、今ではワクチンのお陰で、少しは安心して生活

できるようになりました。

 

私は今回の新型コロナによって、よかったなと思うことがあります。

 

世界中の人々が年齢や性別や貧富に関係なく、みんなでコロナを克服しようという

気持ちになったことです。

 

私は世界中の人々のこころがひとつになることは平和に繋がると期待しました。

しかし、ロシアとウクライナの争いが起きたのはとても残念です。

 

私の周りのことでは、みんながマスクをする生活では、相手の顔を十分見ることが

できないので、なかなか気持ちが伝わりません。

 

なので、上司によく叱られる私は、上司の表情がよくわからないので、その怒りが

半分になったような気がします。

 

そして、今までのように上司の顔色を伺いながら仕事をしなくていいので気が楽です。

マスクは私の大切なお守りのような気がします。

 

そして私には、行き交う人々の顔が、とてもきれいに見えて楽しくなりました。

私も人前に出る時にはマスクは欠かせないものとなりました。

 

職場のみんなは、私にはマスクがよく似合うと言うので複雑な気持ちになります。

 

でも、私はこころにもマスクをして、汚れたこころをうまく隠している人を

見かけるととても残念に思います。

 

また、お葬式についてですが、コロナが流行する前では、あまり会ったこともない

遠い親戚でも、知らせがあれば、いかなければならないことが多くありました。

 

急な知らせに、会社を休むための段取りやお葬式のための服装やお金の準備

などで大変でした。

 

でも、コロナ禍では、家族葬が増え、集まる人数も少なくなったと聞きます。

 

私はお葬式に参列することが減りました。

そして、年回忌の法要にも招かれることも少なくなりました。

 

お経を聞いても、退屈で、早く終わらないかとお祈りする私は助かります。

(お寺関係の人がいたら不謹慎な私でごめんなさい。)

 

そのほか家にいる時、訪問セールスが来なくなったり、あまり好きではない

会社の飲み会の誘いなどがなくなりました。

 

今回の接種はまったく熱も出ず平熱で、肩も全然痛くなりませんでした。

私はだんだんワクチンに慣れてきたのかもしれません。

 

不便なことはたくさんありますが、コロナが収束しなくても、田舎暮らしで

密にならない環境の私は、ウィズコロナで生きていけるのかもしれませんね。

足の人差し指

 

私のブログは、今までの人生の中でこころに残ったことを思いだして

書くので、現在のことよりも過去のことが多くなっています。

 

今回は、以前、私がある支店に人事異動で赴任したばかりの頃のことです。

 

新しい環境と、初めて会った気ごころが知れない人たちと仕事をするのは、

慣れるまでとても神経を使います。

 

私の所属する部署の人たちとは1週間も経てば大体の性格はわかってきます。

大まかに、にぎやかな性格とおとなしい性格くらいはわかります。

 

その中間の人はそれから時間をかけて微妙な違いを理解していきます。

 

私は小心者なので、仕事をしながら、無難に思えるおとなしいタイプの人と

最初に仲良くなろうとします。

 

しばらくすると、そのタイプだけではなく、私に好意を持ってくれる人が

自然と見つかります。

 

私は相手がどんなタイプの人でも、私と仲良くしてくれる人は拒みません。

 

また、私とは性格が真逆で、私にはないものを持っている人にはとても

魅力を感じます。

 

話しは変わりますが、職場に慣れた頃、他の部署にとてもきれいな女性社員が

いるのに気付きました。

 

笑顔がとても素敵で、時どき私に挨拶してくれましたが、そんな時の私のこころは

とてもさわやかになりました。

 

彼女は私にはない、美しさと品格を持った、私とは真逆な人に見えました。

私は彼女と一緒に仕事ができたらしあわせだろうなと思いました。

 

でも私のように、仕事ができなくていつも上司に叱られるダメ人間と比べて

彼女は同じ会社にいながら、住む世界が違う人のように感じました。

 

それから数か月後に、会社の飲み会がありました。

 

私はあまり会社の飲み会は好きではありませんでしたが、誘われると断り切れず

いつも参加していました。

 

そのとき、先ほどの彼女と偶然にも隣の席に座ることになりました。

 

私はラッキーと思う反面、何をしゃべろうかと緊張しました。

その前に、私と仲良くしゃべってくれるのかどうか不安でした。

 

最初、彼女は私を無視したかのように、私と反対側に座っている女子社員と

ばかり話をしていました。

 

そのうち飲み会も盛り上がり、私もアルコールが入り、だんだん気が大きくなって

彼女に話しかけてみました。

 

話しをしてみると、とても気さくな女性で、第一印象とはまったく違っていました。

とにかくおしゃべりで、友達と話すように、べらべらしゃべりました。

 

彼女は私に、昨日、家の中を歩いていた時、足の人差し指を椅子にぶつけてしまい

今でも痛いと言いました。

 

私は彼女に、あなたは足で人を指さすのかと言うと、彼女は、足に人差し指が

あるなんて変ですねと言い、ふたりは大笑いしました。

 

それをきっかけに彼女との会話は弾んでいきました。

私は彼女の足の人差し指に感謝したいと思いました。

 

しかし、彼女と話しているうちに、私がイメージしていた人とはだんだん

かけ離れてきました。

 

その美しさとは裏腹に、彼女は内面が乏しい人のように思えました。

本当はそうでもなくて、私の期待が高すぎてそう感じたのかもしれません。

 

私は彼女と親しくなったのと引き換えに、高貴なダイヤのようだった彼女は

そこらに転がっている石ころのように思えてきました。

 

彼女はいつまでも、私のこころの中できれいに輝いてほしかったのですが。

 

それから別の日、私は会社で会って彼女に挨拶をしたとき、あなたはきれいだけど、

それに合ったおしゃべりや行動しないとその落差に人は驚くよと言いました。

 

すると彼女は、私は気取って生きるよりも、ありのままに普通に生きるのが

好きなんですと言いました。

 

彼女の外見の美しさは、普通である彼女の内面と比較することで、彼女の品格を

引き下げてしまうような気がしました。

 

彼女は美人だけに、普通にしているとそのイメージとの落差で、損をするんですね。

 

もし私が美男子だったら、品格をそれに合わせるためには彼女以上に相当努力を

しなければならないでしょうね。

 

それを考えると、私は美男子に生まれなくてよかったとこころから思いました。

 

私は見栄えが悪いので、彼女とは正反対で、普通にしていても上品に見えるのです。

人生で一番高い買い物は私の出産費用

 

今週のお題「人生で一番高い買い物」

 

 

私は今回初めて、今週のお題について書いてみました。

 

いつもとは少し違ったブログになりましたがよろしかったら読んでみて下さい。

 

          空っぽのコーヒーカップ

 

 


私はこのコーヒーカップを買ってから心が満たされなくなってしまった。

 

熱しやすく冷めやすいこのコーヒーカップは私の心と一緒。

 

熱い心はほんのわずかなひと時、いつも冷たい私の心。

 

純白なコーヒーカップに注がれるのは、どす黒い濁った心。

 

赤ちゃんの頃の真水のような純真な心が噓のようだ。

 

辛くて苦い人生に、甘い砂糖となめらかなミルクでごまかす人生。

 

どうせ飲むなら、私のしょっぱい涙で酸味を増した方がいい。

 

香りの良さで人の同情を買い、人に助けを求めることで生き延びる私。

 

このカップで飲むコーヒーに幸せを求めるのはとてもつらい。

 

ブルーマウンテンを飲むふりをして、安いブレンドコーヒーを飲む人生には疲れた。

 

そんな心の隙を見せた私を、きっと、あなたはあざ笑うことでしょう。

 

コーヒーなんてぜいたく品、落ち着いて飲むコーヒーなんて私には似合わない。

 

こんなコーヒーカップを買ってしまった私はとても後悔している。

 

こんなにだらしなく生きている私にとって、このコーヒーカップは人生で

 

一番高い買い物だろうか?

 

いや違う、私の考えは間違っている。

 

私にとって人生で一番高い買い物は、私がこの世に生まれた時の出産費用だろう。

 

こんな私に命を授けるのはとても大変だったに違いない。

 

こんな私を産んでくれた天国のお母さんごめんなさい。

 

(内緒話、この写真のコーヒーカップは買ったものではなく、景品でもらった

ものです。嘘ついてごめんなさい。)

人情の味

 

私の友人でスーパーに勤めている人がいます。

先日、彼と会って食事をしたとき、とてもいい話を聞きました。

 

彼が勤務するスーパーには学生のアルバイトが何人もいるそうです。

その中で、4年間アルバイトを続けた男子大学生がいたそうです。

 

平日は授業が終わった夕方から、土日祝祭日、夏休みなどの長期休みは

朝から勤務していたそうです。

 

彼は母子家庭で、母親と彼と妹の3人家族でした。

 

彼が大学を卒業するためには、家から通える大学に入り、アルバイトを

しながら勉強をしなければなりませんでした。

 

彼の仕事は食品レジで買い物客の会計をする仕事でした。

 

彼はとてもまじめで気のやさしい性格であり、商品を大切に扱い、スムーズな

レジ打ちだったので、お客からよく褒められていたようです。

 

そして彼の笑顔がとてもいいので、女性客には好感を持たれていたようです。

私の友人がそのお店に人事異動で赴任した時にはアルバイトの彼は大学3年生でした。

 

その頃には彼は仕事に十分慣れていて、私の友人と気が合い、仲良く仕事をする

ようになりました。

 

レジが暇になると、お惣菜の割引シールを貼るのを手伝ったり、食品の補充を

手伝っていたようです。

 

そんな彼ですが4年生になったばかりの頃、母親が病気で亡くなり、お店を

2週間休みました。

 

彼は仕事に来るようになりましたが、以前のような明るさはありませんでした。

ある時友人は、夜の休憩時間に彼と一緒になり、ふたりで話をしました。

 

彼の父親は彼が中学生のとき亡くなり、母親が苦労しながらふたりの子供を

育てていたようです。

 

彼はいつも、父親が生きていれば、もっと母親が楽をすることができただろうにと

思っていたそうです。

 

彼は子供の頃、父親と近所の公園でよくキャッチボールをしていたそうで

今でもその時の楽しそうな父親の顔が目に浮かぶそうです。

 

彼は大好きな父親を失った上に、今回、頼りになる母親を亡くしてとても

不安そうでした。

 

お葬式の段取りは親戚の叔父さんがしてくれたのでとても助かったと言いました。

 

友人は彼に、これからの生活はどうするのかと聞きました。

 

母親が掛けていた生命保険が少し入るので、何とか就職が決まるまでこの1年間

高校生の妹とふたりで頑張るつもりだと言いました。

 

その話を聞いて涙が出そうになった友人は、話の途中、彼を待たせて売場に行き、

すぐに戻ってきました。

 

友人は、私には君に何もしてあげることはできないが、これは私の気持ちだと言って

売場で買ってきた、お店で一番値段の高いお寿司を彼に食べさせました。

 

彼は父親が亡くなってから、今まで家族以外からこんなに親切を受けたことは

ありませんでした。

 

そのとき彼は、親身になってくれた友人のことを、亡くなった父親のように

思いました。

 

そして1年後彼は卒業して就職することになりました。

友人は彼に、どこに就職することになったのかと聞きました。

 

すると彼は、お寿司のチェーンを展開する企業に決まりましたと言いました。

 

友人がどうしてそこに決めたのかと聞くと、友人がごちそうしたお寿司がとても

美味しくて、その人情の味が忘れられなかったそうです。

 

彼はお店をやめても時どきお店に来て、買い物をしながら、就職した仕事のことを

友人に話しましたが、まるで父親に報告するようでした。

 

友人は頑張って働いている彼の話を聞いて、実の息子のような気がしました。

 

それから4年後、彼はお店の店長となり、友人をお店に招待してくれたそうです。

友人がお店に行くと彼は元気な笑顔で迎えてくれました。

 

そして彼の握ってくれたお寿司を食べた時、友人も彼と同じように、人情の味を

とても美味しく感じたそうです。

 

私は友人の話を聞いて、お前のちょっとしたことが彼の人生に大きく影響を

与えたんだねと言いました。

 

私は、友人と彼は、こころの中で本当の親子のように繋がっていると思いました。

 

そして彼は私に、人情の味ほど美味しいものはないよと言いました。

花言葉の愛

 

少し時間ができました、ブログの書き方を忘れそうなので書いてみました。

 

 

以前私の部下でとても快活な性格の女性がいました。

 

とても器用な女性で仕事をテキパキこなす頭のいい人でした。

私は彼女のおかげで仕事が順調に進み、いつも感謝していました。

 

私が食事休憩の時、ふたりの若い女性社員が近くで食事をしながら、部下の彼女の

ことを話していました。

 

私は聞くつもりはなかったのですが、自然に話しが耳に入り、彼女に好きな

男性ができたようでした。

 

その男性は、私がよく知っている、彼女とは部署が違う同い年のイケメンでした。

私は恋愛感情が芽生えたせいなのか、最近彼女がきれいになったような気がしました。

 

彼女は彼とは部署が違っていましたが、仕事で移動するときに通路ですれ違ったり、

休憩時間に食堂で出会うことはよくありました。

 

彼女は誰にでも、すれ違う時には笑顔で「お疲れ様です」とあいさつをしていました。

 

彼女は彼とすれ違う時は胸がドキドキしたようですが、いつも満面の笑みで

彼の目を見て、やさしく「お疲れ様です」とあいさつをしました。

 

でも彼は彼女に無関心で、ちっとも彼女に振り向いてくれませんでした。

 

ある時彼女は髪を切って、彼の前でさりげなくその変化に気付いてもらおうと

しましたがまったく彼は無反応でした。

 

なんとか彼と親しくなりたかった彼女はあきらめきれませんでした。

そのうち、彼女の彼に対する態度は変化してきました。

 

彼とのすれ違い様には、彼の名札を見て「名札が傾いていますよ、きちんとなおして

下さい。」と厳しく注意しました。

 

また、彼が食堂で手を洗ったあとに拭くハンカチを見て「不潔ね、何日同じハンカチを

使っているの、くしゃくしゃじゃない」と軽蔑をしたような顔で言いました。

 

彼女の母性本能を刺激し、それがこのような愛情表現となったのかもしれませんが

私はその時の彼の困惑した顔を見て、彼女の気持ちが理解できませんでした。

 

私は彼女に、どうして彼にそんな態度をするのかと聞いてみました。

彼女は彼に対して、こころの中の本音を打ち明けることができなかったようです。

 

それで彼女は、やさしくしても振り向いてくれない彼に、きつい言葉をかける

ことで彼女の存在を気付いてもらいたいと思ったようでした。

 

彼女のそんな気持ちを理解してくれない彼にだんだんいらいらしてきたようでした。

でも普通に考えれば、そんな愛情表現が彼に理解されるはずはありません。

 

そんな頃、彼は人事異動で他の支店に赴任することになりました。

 

それを聞いた彼女は急に彼に優しく接するようになりましたが、

今までの彼女の態度を見てきた彼には、その気持ちはまったく伝わりませんでした。

 

残り少ない時間に焦る彼女は、なんとしても自分の気持ちを彼に伝えようと思い、

私にどうしたらいいのかと聞きました。

 

私の過去の経験から、そんな彼女の切ない気持ちは十分わかりました。

私は彼女に、変な小細工はしないで正直に自分の気持ちを伝えなさいと言いました。

 

でも彼女はストレートに愛の告白はできない気弱な性格でした。

 

彼との最後のお別れに、彼女は思い切って、白やピンクと紫色のきれいな花束を贈り、

これは私の気持ちですと言いました。

 

その花束はマーガレットとアゲラタムで「この花の花言葉は、真実の愛と

お返事くださいです」と書かれたメッセージカードが添えられていました。

 

彼が異動でいなくなった後、彼女は彼からの返事をこころ待ちにしていました。

そして2週間ほど過ぎた頃、彼から宅配便が届きました。

 

メッセージカードに「先日きれいな花束ありがとうございました、これは僕の

気持ちです受け取って下さい」と書き添えられていました。

 

そして彼女に届いたお返しは紫色のきれいなムシトリナデシコの花束でした。

 

その目立つ紫色の花びらは、その美しさに近づく虫たちを茎から出る粘液で

捕まえると言われています。

 

花言葉を熟知している彼女は彼の気持ちがすぐにわかりました。

その花の花言葉は「偽りの愛」でした。

 

彼女の「真実の愛」に対して彼は「偽りの愛」と解釈したようです。

 

結局彼女の気持ちは彼に伝わることなく、恋ははかなく消えてしまいました。

 

私は彼女からそれを聞いて、どうして自分の言葉で愛を伝えなかったのかと

とても残念に思いました。

 

きっと彼女には、彼のこころを捕まえる愛の粘液が不足していたんですね。