父よ、本当にあなたは強かった

 

私の父は、私が結婚して数年後、60代で亡くなりました。

父の日が近くなってきましたので、その思い出を書きました。

 

私が小学生のとき、不景気で、父の勤めていた会社が倒産しました。

 

父が営業所の責任者だったせいか、私の家には怖い人たちが

たくさん押し寄せてきて、大声で怒鳴ったり、ドアをたたいたりしました。

 

そんな日が続くので、私たち家族は、怖くて親戚の家に避難した記憶があります。

それまでは割と裕福な家庭でしたが、その時を境に貧乏生活が始まりました。

 

勤めていた会社が建設会社だったので、多くの取引先があり、その関係から、

父は土木関係の自営業を始めましたが、とにかく、収入が不安定でした。

 

次のお金がいつ入るのかわかりません、いい仕事だと思って請け負っても、

騙されて、お金をもらえず、ドロンされたこともあったようです。

 

父は仕事の資金繰りでとても苦労していたようで、お金がない時は

親戚を回ってお金を工面し、眠れない夜もあったようです。

 

辛かったことは、給食費が払えなかったのと、小学校の参観日に来る母親の洋服が

あまりにもボロで、恥ずかしくて自分の母親だと知られたくなかったことです。

 

とにかくお金がないんです。

ぜいたくを望むのではなく、普通の人のような暮らしがしたかったのです。

 

仕事で泥だらけになった作業服で家に帰る父を見た近所の子は、私のことを

土方の息子だとバカにしました。

 

私は父親が家族のために汗水たらして働いているのを知っていたので、

私は何を言われても平気でした。

 

でも、世間の人が、父のことをそんな目で見ているのかと思うと、私は不憫で

仕方がありませんでした。

 

でも父は立派でした。いくら貧しくても正直で人に喜んでもらえる

仕事を続ければ、きっと、将来幸せになれるといつも言っていました。

 

私はその言葉にいつも希望を感じていました。

父はいくら貧しくても、愛があれば生きていけるんだと私に教えてくれました。

 

どん底の生活にはこれ以上落ち込む不安より、将来に対する夢と希望しか

ありませんでした。

 

家族みんなで一心となり、節約して貧乏な生活を耐えました。

そんな生活の中で物のありがたさ、大切さが十分わかりました。

 

今振り返ると、物がなんでも手に入る今の時代より、貧乏で質素な生活でしたが、

みんなで助け合ったその当時のほうが、よほどこころは幸せだったと思います。

 

その後、私は学校を卒業し、社会人となり、なんとか念願の普通の暮らしが

できるようになりました。

 

私が社会人になり、結婚して子供ができ、父は孫である私の娘をとても

かわいがりました。

 

私は父が娘を抱っこして、嬉しそうに笑っている姿は今でも忘れません。

 

ある時父は、息子にはまだまだ負けるはずはないと思ったのか、力試しに、

腕相撲をしないかと私に言いました。

 

私は建設現場で鍛えられた父に、今まで一度も勝ったことはありませんでした。

私は右手に力を入れ身体を傾け、思い切り父親の手を押さえました。

 

しばらくはいい勝負だったのですが、歳のせいか、だんだん父の力が抜けて

いくのがわかりました。

 

ここで一気に力を入れれば、生まれて初めて父に勝てると思いました。

 

でも、私にはできませんでした、力の衰えている父が悲しくなり、涙が出そうに

なりました、私も力が抜け、今までのように父が勝ちました。

 

私はそれまで父の背中を見て育ちました。

それまでの父の生き様を思うと、父に勝ってはいけないと思ったのです。

 

私にとって父は、いつまでも追い越してはいけない偉大な人なんです。

 

その数か月後、父はクモ膜下出血で病院にはこばれましたが、治療の甲斐もなく

帰らぬ人となりました。

 

私は天国にいる父に感謝するとともに、あの時、父に勝たなかったことが

本当によかったと思います。

 

父は今でも、私のこころの中で強くたくましく生きています。

 

お父さんありがとう、今年の父の日には、お父さんが甘くてしあわせの味がすると

言っていた、大好きだったメロンをお供えするからね。