最後のこころの繋がり

 

昨年のことですが、私の妹の主人である妹婿に、癌が再発しました。

長い間の闘病生活でしたが、先日、病院の手厚い治療にもかかわらず

天国へと旅立ちました。

 

妹家族とは家族ぐるみの付き合いで、盆正月だけでなく、住んでいるところが

近かったので、子供が小さい頃はキャンプや海水浴などよく一緒したものです。

 

そんな彼を悲しく思い、何度も病院にお見舞いに行きました。

最初の頃はまだ元気で普通になんでも話をすることができました。

 

やがて、お見舞いに行く度に体力がなくなり、横になったままで、話をするのも

苦しそうです。

仕事が忙しかったせいもあり、しばらく、お見舞いを遠慮していました。

 

そんなある日、妹から電話。主人が危篤、すぐに来てくれという。

急いで病院に到着して、彼の病室に入り、ベッドに横たわる彼を見ました。

 

その瞬間、驚きのあまり後ろへ一歩後ずさり、これが本当にあの妹婿なのかと

目を疑いました。

 

激やせで、まさに別人です。頭には全く髪の毛はなく、血の気もなく、

顔もやつれ、目玉は2倍に膨れ上がり飛び出しているように見えます。

 

本当に妹婿なのか疑心暗鬼で恐る恐る耳元で彼の名前を呼びました。

すると、なんとか聞こえたようで、軽くうなずいてくれました。

 

私は思わず両手で彼の手をかたく、かたく握りしめました。

すると彼の目から涙がひとしずく、以前の面影は全くないのですが、

こころは通じました。

私もつられて涙が出ました、別れの寂しさの共感です。

 

神よ、あなたは情けというものを持っていないのですか、彼をこんな変わり果てた

姿にして平気なのですかと心で叫びました。

 

彼とこころが繋がったのはそれが最後でした。

 

その時、彼が元気なら、「これから行く世界は見たことはないけれど、

そこにはこころときめくブログのような世界があり、溢れんばかりの

愛と感動できっと私をやさしく迎えてくれるでしょう。」

 

そんなことを私に伝えたかったに違いないと思います。

 

 

 

なかったことに。

 

私は今まで数えきれないくらい失敗をしています。

今から振り返ると恥ずかしくて、なかったことにしてほしいことが山ほどあります。

 

 

仕事帰りに、会社の近くの飲み屋に同僚とちょっと一杯、お酒を飲みに入る。

上司の悪口を酒の肴に飲む酒はどんな美酒よりも最高に美味しい

盛り上がり、大きな声ではしゃぐ、そしてそのあとお勘定。

 

振り向けば、近くの席に噂の上司がにやりと笑う。気が付かなかった。

もうだめだ穴があったら入りたい、なかったことに。

(コロナがはやる前の事です) 

 

仕事が休みの日、ブログを途中まで書いたが、お昼時、下書きボタンを押して

ちょっとお昼ご飯、休憩済んで、ブログを続けようとすると、☆が付いている

 

間違って公開ボタンを押していたのに気が付いた、まだ半分も書いていないのに

うれしくもあり恥ずかしくもあり、なかったことに。

 

 

今日という日が、妻の誕生日と、なぜか思い出す。数年ぶりにプレゼントしようと

会社帰りに花屋に入り、誕生日用に花を束ねてもらう。家に帰りそっと花束を

 

差し出すと、変な顔して何なのかと。誕生日プレゼントだと言うと、目を吊り上げ

花束を差し戻す。私の誕生日は来週よ、何年一緒にいるのと怒り出す。

 

プレゼントなんか買って帰らなければよかった。なかったことに。

 

 

 出張に行ったとき、おいしそうなお菓子を見つけ、お土産に、部署の社員分

買って帰る。お土産にと仕事場のテーブルに置いたとき気が付く、たまにしか

 

来ない本社社員が一人。どうしよう、一人分足りない。実にいやな雰囲気、

一番若手の子が気をきかせて辞退してくれた。余分に買っておくべきだった。

なかったことに。

 

 

スーパーで買い物が終わり駐車場に戻り、ドアを開けようとリモコンキーを

ピッと押すも反応なし。電池が切れたらしいので、鍵穴にキーを差し込み

 

開けようとしても開かない。もがいていると心配そうにどうしましたと

他のお客。車のドアが開かないで困っていると伝えると、これは私のクルマです

 

よく見ると、私のクルマは隣の隣、同じ車種の同じ色

ナンバーを確認すればよかった恥ずかしい。なかったことに。

 

私の人生、失敗ばかり、どうかなかったことに

 

夢と熱意と感動

 

 感動するってことは素晴らしいことですね。

こころの震えは凝り固まった心臓を解きほぐしてくれるんですね。

 

年齢を重ねるとだんだん感動が少なくなってくると言われますがそうなんでしょうか?

若くても感動の少ない人もいれば、お年寄りでも感動でいつも涙を流す人もいますね。

 

となると、感動の多さは年齢に関係ないようにも思えますね。

 

感動の場面と言えば、

 

期待してもいなかった野球のまさかの逆転満塁さよならホームラン。

 

日常から飛び出して、コンサートホールで聞く名曲の演奏、美術館で見る絵画の展示。

 

不治の病におかされ、最愛の人に残す最期の言葉、「ありがとう」。

 

出産直後の無事に生まれた赤ちゃんとの「こんにちは」の初対面。

 

などなど数えればきりのないくらいの感動の場面がありますが、すべての人が

同じ場面で感動するわけではありません。こころが伝わらないと感動しません。

 

私にはお金も能力も何もありません。

私が持てるものは、夢と熱意だけです。

 

このふたつで額からの汗と目からの涙を合流させて感動を創り出します。

人生、感動を忘れたら終わりとも言われます。

  

現実の世界はとても厳しく、一寸先は闇、夢なんて怒りでどこかへ蹴っ飛ばした。

所詮この世はままならない、将来の設計なんてくそくらえ、夢で飯が食えるか。

そんな人の気持ちもよくわかります。さぞかし辛いでしょう。

でも、ゴミ箱のなかから夢を拾い戻してほしいと思います。

 

現役でバリバリ働いていた人が、仕事から引退後、夢や目標がなくなり、

家でぶらぶら、奥さんに邪魔者扱いされ、急に老け衰える人もいるようですね。

もう一度夢を取り戻してほしいですね。

 

夢を持つことができればいいことがあるかもしれませんね。

大きな夢を持っている人って、目が輝いてイキイキしていると思いませんか。

 

そんなこと言っている私ですが、現実の世界ではなかなか思うようにいかない

こともたくさんあります。まだまだ努力が足りないのでしょう。

 

 しかし、 自分の想いを自由に書いて、その想いを多くの人に伝えることができる

ブログの世界では、夢と熱意をもって、こころを伝えることで共感と感動が生まれ、

現実の世界とは違ってイキイキとしています。 

 

こんな私でもブログの世界では夢が広がり感動できるんです。

 私はブログを始めてから気持ちが若返って、健康になったような気がします。 

人情味あふれる裁判官

 

私は裁判を受けたことも、裁判所に行ったこともありません。

 

テレビドラマなどで裁判所における「被告人を〇〇の刑に処する」というシーンが

見られますが、被告人の表情を通して心の変化が見て取れますね。

 

実際にはテレビでは法定画家により裁判の様子がイラストなどで描かれており、

プライバシーの問題などにより、その撮影は裁判長の許可が必要らしいですね。

 

被告人の罪を訴追する検察官、検察官の訴追から被告人を守る弁護人、

被告人、そして裁判官で裁判は行われるようですね。

 

判決は証拠による事実認定と法解釈だけでなく世論や裁判官の人格によって

決まるようです。

人を裁くのも最終的に裁判官の人間性によるとも言われています。

その人間性で判決はいかようにも変わるとのこと。

 

判決のあと、訓戒と言って裁判官が被告人に対して行いを改めるようにと

心のこもった言葉をかけることもあるそうですね。

 

裁判ってドライなものかと思っていましたが人情味があるんですね。

 

 

被告人を死刑に処する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

最後に私から一言、言わせてください。

 

法の解釈により今回の判決となりましたが、私は決してあなたの命を

軽く考えているのではありません。

あなたの人生に終止符を打つことに穏やかな気持ちでいられるはずはありません。

 

あなたも私も同じ人間、命の価値には違いがありません。

あなたを生んでくれたお母さんの気持ちを考えるとやり切れません。

同じ人間として耐え難い判決です。 

 

慎重に時間をかけて考え抜いた判決ですが、私も人の子、絶対に間違いがない

とは言えません。

 

もし、私の判決が間違っているなら、いつかあの世で一緒になった時、

お互いの立場を入れ替え、この私の犯した罪で、あなたが私を裁いてください。

 

私はあなたの判決に迷うことなく従います。

 

私はあの世の命を懸けるほど重大な覚悟で今回の判決を下したことを誓います。

 

私が裁判官なら、こんな人情味のある裁判官になりたい。

 

いくら技術が進歩してもAIにはこのような人情味あふれる裁判は到底

できないと思います。 

レストランとブログ

 

初めて入るレストランや食事処は、入るのになかなか勇気がいりますね。

大きな窓があって中の様子がよく見えるお店なら少しは安心して入れます。

 

窓がなく中が全く見えなくて、入り口だけのお店はドアを開けなければ

中の様子がわかりませんね。とても不安です。

 

こういうお店では、お客が男性ばかりなのか女性ばかりなのかわかりません。

 

また、お店の雰囲気やカウンター席なのかテーブル席が多いのかわかりません。

 

はじめてのお店なので何もわからない私にやさしく丁寧に接客してくれるのか

どうかもわかりません。

 

どんなメニューが美味しいのかわからないし、値段がどうなのかも心配です。

 

常連客ばかりで一見客お断りのようなお店なら、初めてのお客はよそ者扱い

されるかもしれません。

 

高級レストランではカジュアルな服装で大丈夫なのかも心配です。

 

なので、心配性の私は怖くて一人で初めてのレストランや食事処にはほとんど

行きません。

初めてのお店で一人で美味しく楽しく食べる自信は全くありません。

 

友達に紹介されて一緒に食事してよかったと思えば次から一人で行くことはあります。

 

 

私はブログをいつも読んでいますが、その中にレストランのブログがあります。

 ブログでお店を紹介されるととても安心です。

 

店内の雰囲気や明るさ、広さやレイアウトが写真でよくわかります。

ブログで紹介された、雰囲気のいいお店ではなにを食べてもおいしいでしょうね。

 

お店の方の接客が笑顔で親切かどうかも書かれています。

笑顔で案内されるとそれだけで安心して食事ができますね。

 

また、丁寧なコメントで美味しい料理やどんなお客が多いのかも紹介されています。

家族と行くのか友人と行くのか、どんな料理を注文するのかあらかじめ決められる

ので本当に助かりますね。

 

おすすめ理由もしっかり書いてあるので十分楽しめそうです。

料理も含めてどんなところがおすすめなのか逃さず楽しめますね。

 

営業時間や定休日、テイクアウトの有無やお店の場所の案内もありとても親切です。

まるで私がお店に行くのを待っているように思えますね。

 

ブログって、友達以上に親身になって私に いいお店を紹介してくれるんですね。

どこのどなたか知りませんが、私好みのお店をたくさん紹介してくれます。

そんなふうに心と心がつながるのがブログのいいところなんですね。

 

みなさんがブログを続ける気持ちがよくわかります。

私のブログには写真がありません。

 

みなさんのブログにはたくさんのすてきな写真がありますね。

 

白銀の世界・雪景色にまぶしく輝く太陽、西の空に真っ赤に染まった沈む夕陽。

 

春の訪れを告げるピンクの桜、秋には鮮やかに赤く色づく紅葉。

 

真心こもった手作りの温かい料理、すてきな雰囲気のおしゃれなレストラン。

 

無邪気でかわいい黒いうさぎ、水辺に浮かぶ美しい白鳥の親子。

 

こんなにきれいで素晴らしい写真を撮る人がとても羨ましく思います。 

本当は、私もブログに写真を載せたいのです。

でも、私にはそんな能力はありません。

 

私が思うには、いい写真とは、空間と時間とこころの3つのピントが合う瞬間

だと思うのです。

文章では表しきれない美しい技ありの瞬間こそ写真の醍醐味。

 

私はよく、時と場所をわきまえず、今まで、たくさんの恥をかいてきました。

そんな私がブログに写真を掲載すれば、恥の上塗り間違いなしです。

 

でも、私はブログの写真を見るだけでとても楽しいのです。

ブログの写真は、この感動を是非とも読者に伝えたいという気持ちが表れています。

写真から気持ちが伝わってきて、共感し、私も感動を覚えます。

 

私は写真を撮って、見る人にその気持ちを伝えるだけの能力はありませんが、

ブログを読んで、写真からその気持ちを受け止めることはできるんです。

 

ブログって、書いて読んで、感動が伝わる素晴らしいものですね。

私はたくさんのブログを読みますがいつも感動でこころが震えます。

 

いつも感動をありがとうございます。

笑顔であいさつ

 

私はいつも笑顔であいさつをすることをこころがけています。

 

どんな人とでもあいさつをすれば とても気持ちがよくなります。

 

早朝の散歩で、すれ違う人との「おはようございます」のあいさつは

さわやかで新鮮な気持ちの共感が生まれます。

 

学校帰りの小学生、すれ違いざまの「こんにちは」のあいさつは

先生の愛情こもった教育の成果が伝わってきます。

 

会社の朝礼のあいさつは上司も部下も一体となって、今日も一日頑張ろうと

お互いを励ましあいながら気分が引き締まります。

 

パソコンに集中してあいさつしても返事がない人には、わざと耳元で

パソコンに負けないように優しくあいさつします。

 

仕事のミスで謝っても許してくれない同僚でも、翌日、何もなかったように

笑顔であいさつすれば、本当になかったことにしてくれます。

 

私は、いつも笑顔であいさつしている人の姿を見ると、イキイキとして

とてもかっこいいなと思います。

 

きっと、誠実で、人にやさしく、自分に厳しい性格の持ち主でしょう。

どんな美容師でもこの輝くようなかっこよさはつくれません。

 

私もそのようになりたいと思い、笑顔であいさつを心がけています。

 

 

笑顔は輝く心の詰まった宝石箱、あいさつは気持ちが通じる魔法の呪文 。

 

 

この宝石箱と魔法の呪文があれば私に勝てる敵はいません。

 

彼女、彼氏がいないと嘆く人たちも、いつもこのふたつを両手に持ち歩けば

きっとすてきな相手が見つかり、バラ色のきれいな恋の花が咲くでしょう。

 

笑顔とあいさつがつくる確かな愛は、すべての人に幸福への扉を開くでしょう。

 

満面の笑顔と元気なあいさつ、これが平和な世界への近道かもしれませんね。

 

もうウィルスの感染はいやです。

 

人類が地球の資源を浪費し続けたため、自然環境の激変や異常事態が発生しています。

世界中の野生の動植物が急激に減少しており、100万種のそれらが絶滅の

危機にあると言われます。

 

今世界中に拡散している新型コロナも新しく生まれたのではなく特定の

野生動物だけに棲みついていたのが自然破壊や気候変動により人間にも

感染するようになったと言われます。

 

ウィルスの専門家は、いまの経済・社会体制が続く限り、新たなウィルスは

次々とあらわれると警告しているようです。

 

 私はできるだけ地球環境にやさしい生活をしようと心がけています。

 私にできることは、小さなことでもやり続けることだと思います。

 

私は、将来の食糧危機に備えて、農園を借りて野菜づくりをしています。

曲がったきゅうりや二股に分かれた大根も採れたてはとてもおいしいです。

 

すこしぜいたくですが私の家の屋根には太陽光発電が設置してあります。

でも、トータルで考えれば、省エネになり、地球環境にはいいです。

 

町内会の活動では、社会福祉や町内美化・環境整備などに協力しています。

お互いに助け合い、近所とのコミュニケーションは大切にしたいですね。

 

資源節約のため本はほとんど買いません。図書館で予約すれば新刊本でも読めます。

みんなでシェアすれば資源を大切に使えます。

 

食料品の買い物は近くのスーパーにいつも夕方7時頃に行って、

3割引きから半額になったものを買います。

お店の廃棄ロスをなくすことに協力しながら、自分のお財布も助かります。

牛乳パックやトレーは回収ボックスにいれ、資源リサイクルに協力。

 

衣料品は夏物は9月、冬物は2月に買います。処分価格で買えます。

デザインはよくなくても品質のいいものがあり、サイズが合えばお買い得。

 

自動車は中古の軽自動車を使っています。できるだけ大切に長く使うつもりです。

環境にも資源の有効活用にもいいことだと思います。

 

また、どんな商品・サービスでも同じものなら地球環境のことを考えた

企業のものを選びます。

これが社会を変える大きな力となるのではないかと思います。

 

 当たり前の事ばかりですが、自分にできることを続けることで少しは

地球環境に役立つと思い、貧しいながらも心は豊かな生活を送っています。

 

若い世代は将来、自分たちに環境破壊のツケが回されるのを心配しています。

いまの世代の欲望を満たすことを優先して、将来の世代の可能性を奪っては

いけないと思います。

 

この若い世代の人たちや、そのまた後の世代の人たちにも、人にやさしい

地球環境が続くことを願います。

料理とブログ

 

最近はコロナの影響もあって、テレワークなどで自宅にいる時間が多くなり、

自宅で料理をする人が増えていると言われますね。

 

私はブログを読むのが大好きなので、料理のブログもよく読みます。

写真や動画などを使って作り方など紹介されているブログもあり

とてもおいしそうで読者の興味を引きますね。

 

そんなブログを読んだ感想を言いますと、

 

毎日の栄養バランスを考えた、まごころのこもったお弁当は一日の活力の源ですね。

 

いろどりもよく手間暇かけて作った自慢の料理は写真を見るだけでよだれが

出てきそうですね。

 

地元でとれた新鮮な素材を使った素朴な料理は、鮮度が落ちる前にできるだけ早く、

今すぐにでも食べてみたいですね。

 

手ごろな値段で買える材料を使い、味付け次第で美味しくなる料理は

お財布にやさしくとても助かりますね。

 

お酒の肴としての少し濃いめのしっかりした味の料理はビールが欲しくなります。

 

キャンプ場でテントを張って大自然の中で食べるバーベキューは、おいしい空気と

静かな環境が一番の調味料ですね。

 

健康にいいヘルシーな料理は、私の食生活の反省材料がたっぷり使われています。

 

 

私はたくさんの料理のブログを読みましたが、どのブログもとても気持ちが

こもっていて素晴らしいものだと思いました。

 

レシピの料理とは上手においしく作るための教科書であって

ブログの料理はこころをこめて作り、楽しく食べるための教科書だと思います。

 

 忙しくて時間が取れなくて、電子レンジで温めて食べる冷凍食品、お湯をかければ

すぐ食べられるカップ麺、仕事帰りに買う出来上がった惣菜、そんな食生活を

送っている人の中には、時間があれば手作りの料理を楽しみたいという人も

いるでしょう。

 

ブログの料理はそんな人たちに代わって手作りの料理の楽しさを伝えてくれます。

 

私は料理のブログを読むと、どんな人がどこで作っているのかなと想像しながら

出来たてのおいしい料理を共通の話題として、一緒に楽しく会話をしながら

食事をするシーンがあたまに思い浮かびます。

 

ブログって楽しいですね。

涙する牛

 

随分前ですが、私は一度だけ屠殺場見学に行ったことがあります。

 

血の気のない無表情の男性に短い綱で引かれる牛はこれから

何が起こるのかわかるようで、後すざりをして抵抗していました。

 

しかしながら、そのうち観念したのか立ち止まり、その目には涙が。

屠殺人は銃のようなものを取り出し、眉間に一発。

 

一瞬で気を失ったように音を立てばたりと倒れました。

腹を切り裂くとまだ湯気の出る生暖かい内臓が地面に大きく広がりました。

 

私はあまりにもショックで気分が悪くなりました。

そのあとの見学は何があったのか全然覚えていません。

 

私は2度と屠殺場には行きたくありません。

 

 

地球上には約15億頭の牛がいます。

 

地球で暮らす人間全体の水の消費量は1日200億リットル、食料は10億トン。

15億頭の牛は1日に1700億の水と600億トンの食料が必要とされています。

牛を一頭育てるのに必要な水は年間4万1600リットル必要のようです。

 

また、牛が排出するメタンガス(げっぷやおならなど)は世界の温室効果ガスの

総排出量の10%を占めると言われています。

 

私たちが牛肉を1Kg食べるごとに、車で100Km走るのと同じ量の温室効果ガスが

排出されるとも言われます。

 

牛を食肉用に育てるということは、資源の問題や環境に大きな負荷がかかります。

それでも人間は、ステーキや焼肉のおいしさに負けて、わがままを続けています。

寒い夜、家族団らんで食べるすき焼きは最高においしいと言う声も。

 

肉牛は食べられるために生まれてきたのだから、おいしく食べてもらって

感謝されることが幸せだと言う人もいますが、私はそうは思いません。

 

私は、牛も人間とおなじように心を持ち、食べられるために生まれた

運命を嘆き、この世との別れを悲しみ、殺さないでほしいという願いと

怯えで思わず涙が流れてしまったと思います。

 

涙する牛の気持ちを考えると私も涙が止まらなくなります。

 

あの牛の、涙が溢れる目は、いまでも鮮明に脳裏に焼き付いています。

愛といじめ

 

私は小学校の4年生の時、いじめにあいました。

 

私が通う小学校では、二人用の机に男の子と女の子が

隣り合わせに座って、勉強したり給食を食べたりします。

 

3学期の席替えでA子と隣り合わせになりました。

それまであまり話したことはなかったのですが、かわいい子で表面的には

まじめで感じのよさそうな子でした。

 

ところが席替えをした初日から私を毛嫌いするのです。

私がすることをいちいち文句を言うのです。

 

もっと背筋を伸ばして座れとか、消しゴムで鉛筆の文字を消すのに

もっときちんと消せとか、服がよごれて不潔とか、給食の時は

嫌いな食べものを残すといやな顔をして私を軽蔑のまなざしで見ます。

私のすることが全否定されたような気がしました。

 

そんなことがいつまでも続くので私は休憩時間にはなるだけ席から離れ、

始業のベルが鳴っても、先生が教室に入ってくるまで、友達とおしゃべり。

 

先生が教室に入ってきて、仕方なく席に着くと、もっと早く席に着きなさいと、

A子は不機嫌そうに言います。

 

もういやです。毎日毎日がとてもつらかった。

 

私は毎週、日曜日の夕方、テレビでサザエさんを見るのが大好きでした。

ところがこの頃、この時間になると、また明日からA子と

一緒かと思うと、サザエさんを見るのが憂鬱な時間となりました。

 

私は先生に席を替えてほしいと言いたかったのですが、小心者の私には言えません。

でも、春休みになればA子と離れられると思い、いじめられてつらいながらも

春休みまで我慢して、やっと春休みになりました。

 

そして5年生になりました。

クラス替えで幸いにもA子とは別のクラスになりました。

隣の席から解放されただけではなく、同じクラスからも解放されほっとしました。

 

ある日、A子と廊下ですれ違いました。私は無視して通り過ぎようとしました。

A子が声をかけてきました。満面の笑みで「おはよう、元気でやっている?」

なんか今までとは違うなと思いながら通り過ぎていきました。

 

それから会う度に笑顔で挨拶してくれます、不思議な気持ちになりました。

 

ある日、運動場で走って遊んでいた時のことです。

バランスを崩して転んでしまい、擦り傷を負い、足から血が滲んでいました。

たまたま近くにA子がいて、近づいてきて「大丈夫?」と言ってすぐ保健室の

先生を呼んできてくれました。

 

隣の席にいた時とは全く別人です。私には何が何だかわかりませんでした。

 

そのうちA子の姿を見かけなくなりました。

 

どうしたのかと思い、A子のクラスの子に聞いたところ、お父さんの

転勤のため、転校して行ったとのこと。

私の心にぽっかりと大きな穴があきました。大切なものを失ったように。

 

今思えば、A子は隣に座る前から、私がだらしないのに気づいていて、

私をまるで母親のように愛情を持って厳しくしつけをしていたのでしょう。

 

そして、クラスが替わって、まるで親元から離れた子を会う度に優しく迎える

母親のような気持だったのでしょう。

 

今どこで何をしているかはわかりませんが、きっと、いい母親として子供が

立派になるように厳しく育て上げたに違いません。

 

しかしながら、愛といじめの区別がつかなかったあの頃、とても

つらかったのは忘れられません。

 

そんなわけで、私は今でもだらしなく生きています。

 

ブログを読むのが大好きです。

 

私はたくさんのブログを読みます。

書くことより読むほうが大好きです。

 

私はブログを書くのは不器用なのであまりうまく書けません。

 

何気なく気が付いたことを書いていますが、

その日の気分によって、タイトルはバラバラでまったく一貫性がありません。

 

みなさんとても素晴らしいブログを書いていますね。

 

少しでもいいブログを書けるように、他の人のブログを参考に

時間が許す限り読むようにしています。

 

それも楽しみながら。

 

ある日、とても感動するブログに出会いました。

 

それは、もう、2年以上続いていて、400以上の記事が書かれています。

 

その方は、大きな夢を持っていて、その夢をかなえるために、10年以上、

アルバイトをしながら現実の世界の中で悩み、苦しみ、時には喜ぶ。

 

多くの友を持ち、お互い励ましあって、夢の実現に向かっていく

その姿をすてきな文章表現で感動を伝えてくれます。

 

私は時間をかけてそのブログを全部読みました。

この方の喜怒哀楽に満ちた人生がブログに凝縮されていました。

 

いつも、平穏無事を願う私にとって、この波乱万丈の生き方は

驚きとともに、同じ人間としての親近感も感じます。

 

私は考え方を変えました。

 

ブログは書き方を学ぶのではなく、生き方を学ぶものだと。

 

 

 

 

 

私がみつばちだったら

 

もしも私がみつばちだったら、お花畑のブログの世界でおいしい蜜を

求めて飛びまわるでしょう。

 

ブログの世界にはたくさんの花がきれいに咲いています。

 

ガーベラのように希望と冒険心で常に前向きな花。

 

ひまわりのようにあなただけを見つめる情熱とあこがれの花。

 

さざんかのように困難に打ち勝つひたむきな花。

 

ローズマリーのように思い出や変わらぬ愛を表現する花。

 

ブーゲンビリアのように純粋な愛の気持ちや情熱を伝える花。

 

 

どんな花でも色や形が違うようにそれぞれ蜜の味も違います。

甘いものだけではありません。

 酸味のあるもの、塩味のあるもの、苦味のあるものもあります。

 

私はとても欲張り、いろんな花からたくさん蜜を吸いたい。

おいしい蜜の花には、おしべとめしべの愛の結晶作りのお手伝い。

やがて果実となってしあわせを感じるでしょう。

 

飾り気のない、素朴な花でも、心がこもった花はとても美しい。

時には、感動で胸が震えることも。

 

美しくても、まれにとげのある花も、そんな花を見つけたら

私のお尻から愛の針をチクリと刺すかもしれない。

 

初めての、咲いたばかりの花はとても純真で、不安で震えるこころがよくわかる。

私はこの花が大きく美しく咲くように、優しく見守ってあげたい。

 

誰もいないブログの片隅でぽつんとひとつ、きれいに輝く花もある。

こんな花見つけたら独り占めしないで、みんなに知らせてあげたい。

 

私はブログの世界では、きれいな花は咲かせられないけれど、

みつばちになって 花から花へと愛と感動を伝えたい。

もう言わせないで、察してよ。

 

悪友「あんた、最近、ブログ始めたんだってね。信じられな~い、どうせ

ろくなこと書いてないんでしょう。私が書き方教えてあげる。

私は読者が50人もついて毎回☆がたくさんつくのよ。どんなブログか私に

見せてごらん。」

私「いいえ、教えてもらわなくても結構、私は毎回、毎回、あなたの悪口を

こころをこめて書き続けていたら、共感してくれる人がたくさんいて

読者が100人になったのよ。どう、あなたも私の読者になって☆をたくさん

つけてくれる?」

 

採用担当「当社に応募していただき誠にありがとうございました。

慎重に審査した結果、今回の採用は見送らさせて頂きたいと思います。」

応募者「今回が見送りなら次回の採用はいつなのですか?」

 

医者「とても言いづらいのですが、落ち着いて聞いてください。

あなたの病気は癌の末期です。」

患者「言いづらいのなら黙ってそのままにしてほしかった。」

 

 

 

看護師「先生、親族の方がみんな揃いました。」

医師「わかった、すぐ病室に行きます。」

瞳孔の反応や胸部聴診、心電図を確認し、しばらくして

医師「ご臨終です。」

親族「ありがとうございます。親族が死に目に会えるように

死亡時刻を合わせてもらって。」

 

先生「皆さん、これからどんどん勉強して、どんどん経験をして人間味の

ある人になってくださいね。」

生徒「先生、人間には味があるの、それはどんな味なの、ケーキより美味しいの?」

 

 

女性「ありがとう、あなたが私を愛してくれる気持ちはよくわかりました。

でも、私はあなたとお友達の関係でいたいの」

男性「わかりました。これからも今まで以上に仲の良い友達の関係で

お付き合いしてもいいってことですね。」

 

お客「あなたが作ったこの料理、今まで食べたことがないような不思議な

感覚ですね、個性的で独特な味わいですね。」

料理人「そんな変な言い回しはしないで、美味しいかどうか言って。」

 

銀行員「(お金持ちの)お客様、こんなにたくさん普通預金に入れた

ままではもったいないですよ、いい話があります、お時間大丈夫ですか?

どうぞ応接室までご案内します。」

私「私も(貧乏な)お客だよ、時間はたっぷりあるから、私にも

さっきのお客のように応接室でいい話を聞かせてください。」

 

仕入れ先「いつもお世話になっているので今日は楽しく飲んで食べてください。

これからも気持ちよくお仕事ができることを期待します。」

バイヤー「こんなに接待してもらって、気持ちよく仕事ができるとは

どんなことでしょうか?」

 

人が生きていくことは大変ですが、ちょっとした瞬間をみると結構

おもしろいことがたくさんありますね。

ものの見方や考え方ひとつで人生楽しくなりますね。

 

笑顔のおかげ

 

 私が今ままで、生まれながらにして病弱で何の才能もなく

お金がないのに生きてこれたのは、笑顔のおかげです。

 

笑顔は免疫力を高め、からだの健康や命を守ることにつながるようなので

病弱な私は笑顔を続けることで大きな病気もしないで何とかやってこれました。

 

笑顔は顔の表情筋を活性化し若さを保つので、私は実際の年齢よりは

少し若く見られることがよくあります。

おかげで若い人たちとのおしゃべりの仲間に入りやすく、気持ちも若返ります。

 

 顔の表情筋は刺激を受けると気持ちがポジティブになるようなので

つらいことが多かったのに落ち込みは少なかったと思います。

 

笑顔のキャッチボールをすることにつとめ、コミュニケーションを

スムーズにすることでみんなと仲良くできました。

 

会議のときは笑顔を周りに広げ、場の雰囲気をやわらげ、

多くの人がなんでも発言しやすいように気配りしました。

 

笑顔はこころが健康になり幸福度が高まるそうなので

わたしはいつもしあわせいっぱいな気持ちで過ごしました。

 

口角を上げて作り笑顔をするだけでもそれなりの効果があると

言われるので悲しく辛い時でもこころで泣いて顔で笑っていました。

 

私は人の笑顔をみるのも大好きです。

 

顔をくしゃくしゃにして喜ぶ満面の笑み。

私も一緒に喜びます。

 

笑ってはいけないときの顔をそむけたクスクス笑い。

私も一緒にクスクス笑います。

 

真顔で仕事に集中している人に声をかけたときの振り向きざまの笑顔。

その大きな変化に感動を覚えます。

 

初対面の人とのあいさつで、目が合い顔を赤らめる恥じらいの笑顔。

誠実さを感じます。

 

笑顔をするのも笑顔をみるのもそれが目的ではありません。

私が世界一しあわせなひとになるために笑顔は欠かせません。

私だけではありません。みんながしあわせになります。

 

みんなの笑顔で満ちあふれる世界になれば、きっと、愛でご飯が

食べられるすてきな世界になるでしょう。

 

もっと暮らしやすい地球になるように。