死ぬまで自由でいたい

 

今年の初夏の頃のことです。

私は近所の畑を借りてちいさな家庭菜園をしています。

 

仕事のお休みの日曜日、まだ暑くならない早朝に、畑に行ってきゅうりや

トマトにナスなどの成長を楽しみながら追肥や水やりをしていました。

 

私がここの畑を借りて野菜作りを始めたのはもう10年以上前です。

そこへ畑の持ち主であるお婆さんがやってきて私に話しかけました。

 

彼女とは長い付き合いで、今まで野菜作りについて色々教えてくれました。

お陰で毎年美味しい野菜が作れるようになりました。

 

そんな彼女ですが、その時はいつもとは違って、とても深刻そうで暗い顔を

していました。

 

彼女の話しを聞いてみると、先日、遠く離れて生活している息子夫婦が

家に来て、ひとり暮らしをしている彼女のことが心配だと言ったそうです。

 

彼女はまだまだ元気なようですが、75歳をとっくの昔に越えていました。

それで息子は彼女にそろそろ老人施設に入ることを勧めたようです。

 

そしていくつかの老人ホームの入所案内のパンフレットを持ってきて説明

したそうです。

 

彼女はまだそんな気になれなく、説明を聞いてもうわの空でした。

どこの施設がいいか決めておいて欲しいと言って息子夫婦は帰ったそうです。

 

私は「老人ホームに入れば、食べることに不自由しないし、なんでも職員さんが

お世話してくれるから安心して暮らせるんじゃないの」と言いました。

 

彼女が今後のことを深刻に考えているのに、老後のことはあんまり考えていない

私は不用意なことを言ってしまいました。

 

彼女は私の言ったことに腹を立てて、彼女のご主人のことを話しました。

 

彼女のご主人は亡くなるまで老人ホームに入っていたそうです。

彼女はご主人の大好きだったりんごとプリンを持って面会によく行ったそうです。

 

ある時、彼女が家の近くで採れた柿を持っていくと、今年はいい柿ができたなと

家の近くの柿の木のある景色を思い浮かべ、懐かしそうに柿を食べました。

 

そして彼女がご主人に、今何か欲しいものはないかと聞くと、そこで聞く言葉は

いつも、家に帰らせてくれと願うこころの叫びでした。

 

ご主人は住み慣れた家での生活が忘れられなくて、家に帰りたくてたまらない

ようでした。

 

その施設では多くのお年寄りが生活していました、中には施設での生活を

エンジョイしている人もいましたが彼はそうではありませんでした。

 

毎日の変化がなく刺激のない生活は、だんだんこころが死んでいくようで怖いと

言っていたようです。

 

彼は施設のように冷暖房完備で栄養バランスの取れた食事や介護がなくても

外気の暑さ寒さを肌で感じ、採れたての新鮮な野菜を食べ、足を引きずりながらも

 

自分の生まれ育った家で生活をしたいと思っていたようです。

彼女は彼の気持ちが痛いほどわかったようでした。

 

でも彼は病弱で車いすでの生活なので、家に帰っても彼女が面倒を見ることは

できませんでした。

 

彼女が面会に行って帰るとき、ご主人に、一緒に連れて帰ってくれと涙ながらに

言われ、いつも後ろ髪をひかれるような思いで帰ったそうです。

 

私はそんな彼女の話しを聞いて、自分の思うように自由に生きれる環境がどれほど

素晴らしいものなのか理解ができました。

 

私は彼女の話しを聞いてもどうしてあげる事もできず、ただただ彼女の寂しそうに

帰っていく背中を見送るだけでした。

 

それから数か月が経ち、いつものようにお休みの日に畑に行き、私は秋植えの

野菜を植えるために畑を耕していました。

 

すると向こうから彼女が私に向かって走ってくるのが見えました。

 

彼女の顔を見るととても嬉しそうで、手招きをして私の話しを聞いてくれと

呼んでいます。

 

私は作業の手を止め、息を切らせてそばまで近寄った彼女の話しを聞きました。

 

彼女は開口一番、「今息子から電話があり、息子夫婦が帰ってくるのよ」と言って

私の手を強く握りました。

 

話しを聞くと、遠くに離れて住んでいた息子が、転勤で地元に戻ることに

なり、彼女は息子夫婦と孫と一緒に生活ができるようになったそうです。

 

私はそれを聞いて、自分のことのように嬉しく思い、感動で胸が震えました。

 

彼女はとても嬉しかったのでしょう、私に、近くで採れた栗をたくさん

くれました。

 

そして彼女は、今まで生きてきて、今が一番しあわせだと何度も言いました。

 

私はその時の彼女のとても嬉しそうな顔を死ぬまで忘れないでしょう。