なってみなければわからない

 

私は家の近所に小さな畑を借りて、家庭菜園で野菜を作っています。

 

そろそろ秋植えの野菜で何かいいものがないかと思って、近くのホームセンターに

行きました。

 

今の時期では大根、キャベツ、ハクサイ、ほうれん草、春菊、ブロッコリー

などがいいようですね。

 

私がどれにしようかと迷っていると、私の後ろから、「お元気ですか?」と中年の

女性が声をかけてきました。

 

私は彼女の顔には見覚えがあるのですが、すぐには彼女が誰なのか

思い出せませんでした。

 

私が困惑した顔で彼女を見ていると、「いつも義母のことで悩みを相談していた

○○よ、覚えていませんか」と笑顔で言いました。

 

私は思い出しました、もう10年以上前でしょうか、私の会社のある支店の

同じ部署で働いていた女性でした。

 

彼女に、「少し時間があるならお話をしませんか」ときれいなお花がよく見える

ベンチに誘い、自販機でコーヒーを買って座りました。

 

ふたりはコーヒーを飲みながら、一緒に働いていた当時のことを思い出しながら

話しが弾みました。

 

彼女は子供の頃から身体が弱く、よく病気で学校を休んでいたようです。

彼女の母親は病弱な彼女を心配して、やさしく彼女を育てたようでした。

 

そんな彼女は高校を卒業して私のいる会社に入社しましたが、病弱な彼女は

時々体調を崩して欠勤することがあったようです。

 

彼女が20歳の時、同じ支店の10歳年上の男性に、真面目な勤務態度が気に入られて

結婚することになりました。

 

彼は長男であり、ふたりは彼の実家で彼の両親と同居することになりました。

 

結婚当初、義母は彼女にやさしかったのですが、彼女の家での働きぶりを見て

だんだん厳しくなりました。

 

義母は学生時代スポーツ万能で身体を鍛え、家では母親から厳しく躾られ、

心身ともに頑強な女性でした。

 

若い頃は一晩、二晩徹夜しても全然平気なほど健康だったようです。

そんな義母から見る彼女は、とてもだらしなく思えたようです。

 

義母は朝早くから炊事、洗濯、掃除を完璧にこなし、率先して町内会の役員の

仕事に取組み、趣味でコーラスにも参加していました。

 

義母は彼女のすることなすことすべてケチをつけました。

 

ご飯の炊き方、洗濯物の干し方・たたみ方、掃除の終わったあとのホコリのチェック。

そして、あなたのお母様は今まであなたにどんな教育をしてきたのといじります。

 

病弱だった彼女をやさしく愛して育ててくれた母親の悪口を言う義母には

彼女は腹が立ちました。

 

彼女が一番悔しかったのは、親戚が集まるお正月、義母が親戚の人たちに、

「うちの嫁はさぼってばかりでちっとも仕事をしない」と陰口をたたいたのを

 

聞いた時でした。

 

でも彼女はいつも身体がだるくて、義母のように元気に振舞うことは

できませんでした。

 

彼女の旦那はいい人で、ふたりの仲が悪くてもどちらの味方にもならず中立でした。

もし彼が義母の味方をしたらきっと彼女は離婚していたと言います。

 

私は彼女の悩ましい話を聞いて、「まるであなたは悲しいドラマの主人公ですね」と

笑うと、「私の話しを茶化さないで」と真剣に怒られた記憶があります。

 

そんな彼女でしたが今はどうなっているのかと聞くと、あの鬼のようだった義母は

2年ほど前に脳梗塞で半身不随となったそうです。

 

母親からやさしく育てられた彼女は、身体の不自由な義母の面倒をみるのは

憎くても、人として当然のことだと思いました。

 

そんな彼女は義母の身の回りのお世話をすべてしていたようでした。

でもその義母も今年の春に亡くなったそうです。

 

私は彼女に、「やっとあなたの肩の荷が下りたね」と言ったところ、彼女は

「こころに穴があいたようでとても寂しい」と辛そうでした。

 

どうしたのかと思って理由を聞くと、彼女が身体の不自由になった義母のお世話を

していて、亡くなる少し前に言われた一言が忘れられないようでした。

 

「ごめんなさい、あなたはとても優しいのね、私はこんな身体になって初めて

あなたの身体の辛さがわかりました。

 

私は、あなたの体調が悪い時、怠けないで気合を入れて頑張りなさいと

カツを入れました、辛かったでしょう。

 

健康な私にはあなたの気持ちがわかりませんでした、どうか今までの私を

許してください」と涙を流して謝りました。

 

それを聞いた彼女は、今までの苦しみや義母に対する恨みがすべて消えました。

こころがつながることは憎しみが愛へと変わる瞬間でした。

 

私は彼女からいい話を聞きました、こんな話を聞くと生きることって

とても素晴らしいことなんだと感動しました。

 

その日はきれいなお花に囲まれて、とてもしあわせな気分でした。