美味しい料理の決め手はダシですね

 

私は大人になるまで味噌汁はあまり好きではありませんでした。

 

私の母親が作る味噌汁の具は、大根、ワカメ、豆腐、玉ねぎ、ジャガイモなど

日によっていろいろ違っていましたが、どれも美味しく感じませんでした。

 

私が社会人となってまだ独身の頃、ひとり暮らしの私は、夜は自炊しないで、

アパートの近くの食べ物屋さんを食べ歩いていました。

 

ある時、小さな定食屋さんで定食を食べた時のことです。

メニューには、本日のおすすめ定食として煮魚定食がありました。

 

カレイの煮付けとほうれん草のお浸しとひじきの煮物だったと思います。

それに味噌汁とご飯がついていました。

 

私はこれが美味しそうだったので注文しました。

 

味噌汁嫌いな私ですが、せっかく作ってくれた味噌汁を飲まないで残すのは

お店の人に悪いし、その日は少し寒かったので、体が温まると思い飲みました。

 

飲んでみて私は驚きました、味噌汁ってこんなに美味しいものだと初めて知りました。

家で母親が作ってくれた味噌汁とはまったく違っていました。

 

私はそのお店の味噌汁が大好きになり、週に2、3回そのお店で食事をすることに

なりました。

 

そのお店は小さなお店でしたが、小綺麗でいつも多くのお客で賑わっていました。

半年くらい通ってそこのご主人と気心が知れるようになりました。

 

私はお店のご主人に、「この味噌汁はとても美味しいのですが何か工夫を

しているんですか」と聞いてみました。

 

するとご主人は「こんなの当たり前だよ、煮干しを一晩水に浸けておき

ダシを取って、そのダシで作っているだけだよ」と言って笑いました。

 

私は後から知ったのですが、私の母親は家が貧しかったので、ダシを買う余裕が

なく、お湯に具を入れて味噌を入れるだけでダシが入ってなかったのです。

 

でも、いつも熱々の体が温まる味噌汁を作ってくれたので不味くても飲んでいました。

 

そしてご主人は「実はもうひとつ決め手のダシがあるんだよ」と私に言いました。

私がそのダシは何かと聞くと「それは企業秘密だから教えない」と笑いました。

 

そして彼は「そのダシが何かわかったら私に言いなさい、それが正解だったら

この店で一番高い、特上の焼肉定食をごちそうしてあげる」と言いました。

 

それから私はアパートでいろいろなダシを組み合わせて味噌汁を作りましたが

定食屋さんのような美味しい味噌汁はできませんでした。

 

私はしばらくして今の妻と結婚することになり、夕飯は家で食べるようになり、

しばらく、このお店に行くことはありませんでした。

 

私の妻は料理が下手で、美味しいものを作ってくれませんが、私に美味しいかと

聞くので、家庭の平和のために、いつも美味しいと言っていました。

 

そのため、いつまでたっても料理は上手になりませんでした。

 

ある時、私はひどい風邪をひいてしまい寝込んでしまいました。

高熱が続き体がだるく食欲がまったくありませんでした。

 

しかし、病院に行って注射を打ってもらって寝ていると、だんだん風邪の症状が

軽くなり、食事も少しできるようになりました。

 

その時妻は、私の風邪が早く治るようにとこころを込めて、熱々の茶碗蒸しを

作ってくれました。

 

私はそれを食べた時、いつもは料理下手な妻なのにとても美味しく感じました。

私は妻に、「この茶わん蒸しのダシはいつもとは違うの?」と尋ねました。

 

すると妻は、いつも作るのと同じだと答えました。

 

私は定食屋のご主人の言ったもうひとつのダシのことを思い出しました。

私はこれだと思いました。

 

私は風邪が治ってさっそく定食屋のご主人のところへ行きました。

そして「あの時あなたが企業秘密だと言っていたダシは愛でしょう」と言いました。

 

「大正解」、彼は笑顔で「よくわかったな」と言って特上の焼肉定食にビールを

つけてごちそうしてくれました。

 

美味しい料理とは熱いこころで食材を愛し、お客を愛し、ダシを加えることで

最高の味が出るそうです。

 

その料理を食べたお客に彼の想いが伝わり、お勘定の時、「美味しかったよ

ありがとう」と言って帰って行く時が最高にうれしいそうです。

 

そう言いながら私のコップにビールを注ぐ彼の目は輝いていました。

 

それから何年も過ぎた今、妻の作る茶碗蒸しは、あの時ほど熱くて

美味しくはありません、あの時のこころはどこに行ったのでしょう?

 

そうではないですね、せっかく作ってくれた妻の料理を感謝して美味しく食べない

私のほうが悪いのかもしれません。