敬老の日

 

先日、仕事のお休みの日に、私は趣味のウォーキングを兼ねてスーパーに

買い物に行きました。

 

そのスーパーは家から歩いて20分ほどのところにあるのですが、ウォーキング

するにはちょうどいい距離です。

 

私はウォーキングをすることで日頃たまったストレスを解消することにしています。

 

果物コーナーを歩いていると、とてもおいしそうな桃が並んでいました。

よく見ると、皮が薄黄色のものや赤くて黒ずんだものがありました。

 

私は店員さんに、この皮の黒くなった桃は鮮度が悪いのですかと聞きました。

 

すると店員さんは、これは袋かけしないで育てると赤黒くなるのであって

糖度が14度以上で甘くて美味しいですよと教えてくれました。

 

桃について何も知らない私は、その時とても恥ずかしく思いました。

 

私はここまで歩いて来たご褒美に、2個入りの桃を1パック買いました。

私はウォーキングが大好きなのでいろいろ理由をつけて歩きます。

 

こうやって自分で目的を作って歩くのは楽しく、クルマでさっと行って買い物を

するのとは違って充実感があります。

 

私はもう少し歩いてみようと思い、いつもは歩かない、家とは反対方向の

道を歩くことにしました。

 

するとその先に、道路の横に生えている草を黙々とむしっているお年寄りの

男性を見かけました。

 

私はすれ違いざまに、こんにちはと声をかけてみました。

すると彼は少し恥ずかしそうに私のほうを向いてこんにちはと返事をしました。

 

私はその時の彼の表情に一抹の寂しさを感じました。

私は彼に、いつも草むしりをしているんですかと続けました。

 

彼はそうですよと答えながら草むしりを続けました。

私はさらに、どうしていつもここで草むしりをするんですかと尋ねました。

 

すると彼は手を止め、立ち上がってこちらを向き、何か用があるんですかと

怪訝そうな顔をして私を見ました。

 

彼はこんな年寄りにのんびりと話しに付き合ってくれるのは何かの訪問販売の

営業員くらいで、騙されないように気をつけていると言いました。

 

私は彼に、私は訪問販売員ではありません、あなたの表情を見ると悲壮感が漂って

いたので声をかけたのですと話しました。

 

彼の話を聞くと、こうやって草むしりすることで少しでも世の中の役に立てばと

思っているようでした。

 

私は、あなたはとてもいいことを続けているんですね、と彼に言いました。

 

私に対する警戒心がなくなったのか彼はすぐ目の前の自宅に私を誘いました。

彼の家の庭は美しい木や花で囲まれこころ安らぐ場所でした。

 

そこには椅子がふたつあって、亡くなった奥様と以前、バーベキューのために

使っていたようです。

 

私たちはそこに座って話をしました。

 

彼の奥様は数年前に亡くなり、子供たちは遠くに住んでいて彼は今、一人暮らし

のようです。

 

彼は買い物に行ってお勘定の時店員と話をするくらいで、ほとんど人と話をする

ことはないようです。

 

周りの若い人たちはいつも忙しそうにスマホを見ていて、話しかけるのも勇気が

いるそうです。

 

彼には親しい仲間や話し相手がいなくて物足りなく寂しい気持ちだったようです。

 

最初は人見知りのように感じた彼でしたが、こころを許すと堰を切ったように

話し始めました。

 

私はあまり話しをすることはなく、彼がほとんど話し続けたような気がします。

 

30分くらい話しを聞いてそろそろ帰ろうとしたところ、冷蔵庫によく冷えた

梨があるから一緒に食べようと言って皮をむいて持ってきてくれました。

 

ウォーキングで喉が渇いた時に食べる梨は、とてもジューシーで冷たく

美味しく感じました。

 

それから彼は、自分の懐かしい昔のことを思い出しながら、今までの長い人生の

喜怒哀楽のシーンを語ってくれました。

 

たまたま私が話を聞いてあげたのがとてもうれしそうで、彼の表情が生き生きと

しているのを感じました。

 

彼が今まで孤独でひとり、とても寂しい思いをしていたのがよくわかりました。

 

お別れにスーパーで買った桃をひとつ彼にあげました。

 

私は帰り道を歩きながら、私はいつも妻と口喧嘩をして負けてしまい家庭生活に

不満を持つこともありますが、本当はしあわせなのかもしれないと思いました。

 

人間って愛がないと楽しく生きていけないんですね、孤独の辛さを改めて感じる

出来事でした。

 

もうすぐ敬老の日ですが、お年寄りにはこころと体の両方を大切にして

元気で長生きしてもらいたいと思います。