セミのように生きたい

もう7月も半ばです、今年も半分が過ぎましたね。

暑い日が続きますが、もうすぐセミの鳴き声がうるさくなりますね。

 

でも、セミの鳴き声を聞くと夏だという実感が湧き、それはそれでいいものです。

 

盛夏にジリジリと激しく鳴くアブラゼミ、夏の終わりを告げるツクツクボウシ

風情があっていいですね。

 

私が小学生の頃は、夏休みには木にとまっているセミを見つけては

網で捕まえて、羽の振動を強く感じながら虫かごに入れたのを覚えています。

 

そんな季節が来るまでにと、私は今年の前半を振り返り、反省をして、

後半をどのように過ごそうかと考えてみました。

 

私の友人は、給料の不足分を補うために、副業のためのプログラミングの

勉強を始めました。

 

彼はうまくいけば、会社を辞めて、独立したいという夢を持っています。

 

私の姪は、結婚が決まり、新婚生活の準備のために、料理を習いに料理学校に

通っています。

 

きっとご主人は、彼女の愛情のこもった手料理に、しあわせを感じることでしょう。

 

それに比べて私はどうだったんでしょう。

 

私は仕事でいつも上司に叱られていましたが、それでも私はマイペースです。

大した仕事の成果もなく、だらだらと時間が過ぎていく、給料泥棒のようでした。

 

仕事に疲れて、家に帰ってお風呂上りに飲む一杯のビールが最高のしあわせで、

 

あとは、仕事の休みの日に趣味の家庭菜園で作る、採れたての新鮮な野菜を

食べることくらいが楽しみでした。

 

私は何ごともなく、毎日平凡な日々を過ごしたように思います。

 

平凡な生活って、本当はしあわせなのかもしれませんね、なくして初めて

その大切さがわかることでしょう。

 

愚かな私は、今まで何度も人生の計画を立てましたが長続きしませんでした。

 

年初に立てた、今年こそは素晴らしい人生を送ろうという新年の抱負は

1月の終わりには雲消霧散という結果となりました。

 

私はそれを反省して、今年の後半をどのように生きたらいいのかと考えました。

するとセミのことを思い出しました。

 

セミの一生は3年以上は地中で過ごし、地上に出てからの寿命はわずか

1週間程度のようです。

 

でも、地上での生活はとても精力的に生きているように見えます。

あれだけ一生懸命に鳴いているのですから。

 

それを見て、私はセミの生き方を参考にしようと思いました。

 

今年の後半は、素晴らしく生きようとするのではなく、セミのように、

一生懸命に生きようとこころに決めました。

 

セミセミでも、セミの王様クマゼミではなく、どこにでもいるアブラゼミです。

私はクマゼミのようにスマートには生きられません。


食べ物に例えれば、フランス料理のフルコースよりも、屋台のおでんのほうが

私にはよく似合います。

 

おでんの魅力は、フランス料理の見た目の豪華さよりも、じっくり煮込めば、

見栄えが悪くても人情の味が沁み込むような気がします。

 

私ができるのは、ゆっくりと、汗と涙で人情の世界を渡り歩くことくらいです。

 

額に汗をかき、こころが震えて涙が出るとき、そのしょっぱさを味わうのが

私の人生です。

 

汗と涙は人生の潤滑油、どんな摩擦も滑らかにしてくれます。

誠意を尽くせば、こころが伝わるのが人情の世界だと思います。

 

こんな能力のない私でも、セミのように、短い命を大切に生きたいですね。

鳴きやまないセミの声に生きる力を感じます。

 

私はたくさんの仲間と愛の大合唱することができればいいなと思います。

 

人は一生懸命に生きることで感動し、愛としあわせを見つけることができる

ような気がします。