明日を夢見て今日を生きる

 

私の知人で、子供の頃、とても貧しい家庭に育った人がいました。

 

彼は裕福な家庭の子を見ると、おなじ人間なのに貧乏な家庭に生まれると

どうしてこんなに惨めなのかといつも思っていました。

 

彼は心無い子たちに貧乏が悪いことのように思われていじめられ、とても

悔しい思いもしました。

 

ひとりで悩むのはとてもつらく、誰かこの気持ちをわかってくれる人がひとり

でもいればどんなに救われることかと思いました。

 

彼は貧しいことの悔しさをばねにして必ずしあわせは自分の手でつかむと

こころに決めました。

 

彼は高校を卒業すると、運送会社に就職し、トラックドライバーとして

寝る時間も惜しんで働き、そこそこお金も貯まりました。

 

それを元手に事業を興し、苦労しながらなんとか軌道に乗せることができました。

その頃には従業員を数名雇い、彼は小企業ながら社長として頑張りました。

 

それこそ彼は死ぬ気になって頑張って自分でしあわせをつかみ取りました。

何もしなければ、貧困の連鎖で親とおなじ人生を歩むところでした。

 

彼は結婚し、しあわせな家庭を築き、妻も子供も、彼が味わってきた貧しさを

知ることはありませんでした。

 

貧しさによる劣等感や屈辱感を絶対家族には味わわせたくないと思ったので、

彼は自分の健康も顧みず家族のために懸命に働きました。

 

でもそんなしあわせはいつまでも続きませんでした。

 

彼は仕事中に急に体調が悪くなり、仕事を途中でやめて病院に行きました。

検査結果がわかり、彼はすい臓がんと診断されました。

 

すでに手術で切除することはできないほど進行していました。

薬物療法放射線療法を合わせた治療をすることになりました。

 

彼は一縷の希望を持ち、生きるためには何でもすると、頑張りました。

 

貧乏のどん底から這い上がった彼は、何事も、頑張ればできないことは

ないと信じました。

 

しかし、彼の意に反して、どうにもできない気力の衰え、食べることの

できない体力の衰えは、彼を骨と皮だけの肉体となって苦しめました。

 

彼は自分だけがなぜこんなに不幸なんだろうか、世の中不公平だと嘆きました。

こんな惨めな人生なら、生まれてこなかった方が良かったと両親を恨みました。

 

そして彼は、医師の懸命な治療にもかかわらず、帰らぬ人となりました。

 

彼の人生は何だったのでしょうか。

 

死ぬ気で頑張って生きることに成功し、生きるために頑張って死にました。

人生ってこんなに理不尽なのでしょうか。

 

彼が亡くなってしばらくして私は彼の奥様のところに行きました。

彼女は彼が死んでとても落ち込んでいました。

 

私は彼女のこころの痛みを察し、慰めの言葉を伝えました。

 

すると彼女は泣きながら私に、「夫がいなくなって私はもう生きていく

自信がなくなりました、私は夫の後を追って死んでしまいたい」と言いました。

 

私は彼女に、「彼は生きたくても生きることはできなかったのです、

あなたはこれからいくらでも生きることはできます、死ぬなんて考えては

 

いけません」と言うと、彼女は気を取り直して私にうなずきました。

 

彼は自分の思うように生きられませんでしたが精一杯生きました。

悔いが残ったかもしれませんが、彼は生きることの価値を十分味わいました。

 

人は生きることができるだけでもしあわせなんだと思います。

一度きりの人生、辛くても苦しくても、生きているからこそ感動が生まれます。

 

明日を夢見て今日を生きる、これは私が大好きな言葉です。

 

今日も暑くなりそうですね、でも私は、汗をかきながら頑張って、生きることの

しあわせを十分味わいたいと思います。

 

あなたは今、生きていることにしあわせを感じていますか。