私の夢は普通の生活

 

私はグループで歩くときは一番後ろを一人で歩くのが好きです 。

 

どこに行くのか決めなくてもいいし、方向音痴の私は後からついて行く方が

楽だからです。

 

もし私が先頭を歩けば、みんなが付いてくるかどうか不安です。

振り向いた時、誰もいなければとても寂しく思います。

 

私は前の人の後ろ姿を見て私の姿勢を正します。

 

私の後ろには誰もいないのでマイペースで歩くことができます。

 

まさしく私の人生そのものです。

 

私が子供の頃、家がとても貧乏で、食べるものも着るものもなく、とても不自由

な生活でした。

 

給食費が払えなくて辛かったのを覚えています。

 

お金がなくて払えないとは言えない私は、先生にいつも、持ってくるのを

忘れましたと言っていました。

 

お金が工面できるまで何日も忘れ続けることしかできませんでした。

 

私は毎月、給食費を払う日が近づくと、とても憂鬱でした。 

 

貧乏がゆえに、悲しい想い、悔しい想いがたくさんあり、いつもこころを痛めました。

どうして私の家だけがこんなに貧しいのかと神様を恨みました。

 

クラスで一番貧しいと思われる私は、他のクラスメイトの暮らしぶりを見て、

とても羨ましく思いました。

 

その頃の私の夢は、贅沢でなくてもいいから、とにかく普通の生活がしたいと

強く思っていました。

 

私は普通の生活ができることを目標としました、人並みの 暮らしが夢でした。

 

その頃、私は頭が悪く、成績はいつもびりに近かったのですが、勉強しないと

目標の普通の生活は実現しないと思い、人一倍勉強をし、何とか平均点が

取れるようになりました。

 

社会人になっても私は不器用で仕事が遅いので、なかなか他の社員と同じレベルの

仕事ができません。

 

他の社員に追いつこうと焦れば焦るほどミスが増え、自分を窮地に追い込みました。

なかなか普通の社員のように仕事ができませんでした。

 

私はその時思いました、能力がないのなら時間をかけてやるしかないと。

朝一番に職場に入り、最後まで残ってやっと普通の社員並みに仕事ができました。

 

私にとって、勉強も仕事も、普通にこなすことって、とても大変だと思いました。

 

ところで普通の生活とはどんなものでしょうか。

 

学校を卒業して会社に正社員として就職して結婚して子供が生まれ、ローンで家を

建て定年まで勤務し、たくさんの退職金をもらって残りのローンを支払って

老後は年金で悠々自適な生活を送る。

 

これが普通の生活だと言われればどうなんでしょう。

 

学校を卒業して就職してもその会社で定年まで勤められるのでしょうか。

 

また、運悪く、非正規雇用で働くことになった人は、収入が少なくて結婚もできない

かもしれません。

 

先行きが不安な中で長期のローンを組んだら、途中で行き詰まり、泣く泣く、

持ち家を手放さなければならなくなるかもしれません。

 

退職金なんてもらえるかどうかもわかりません。

年金だって生活が十分賄えるほど将来もらえるかどうかも不安です。

 

私は社会に出て、普通の生活をすることがどんなに大変なのかわかりました。

 

私はお金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、出世したいとかそういう

気持ちはまったくありません。

 

本を読んでいると、成功するためにはできない言い訳をするのではなく、

どうやったらできるのか考えろとか、最後まであきらめないで絶対やり切ると

いう気持ちが大切とか書いてあります。

 

この言葉でどれだけ多くの人が苦労したことでしょう。

無理をして身体を壊しては大変です、会社はその後の面倒をみてくれるのでしょうか。

 

 成功したいとも思わない私にとって、まったく無縁な世界です、別にどうにも

できなくても、諦めて途中でやめてもいいのです。

 

 

人並みの生活にあこがれ、私の夢だった普通の生活は断念しました。

 

無理して普通の生活をするより自分らしく生きたほうがいいと思うようになりました。

 

今の時代、私の子供の頃のように物がないわけではありません、贅沢をしなければ

十分生活ができます。

 

これから私は、人を愛することができる、こころの豊かな生活を目指します。

貧しくても、人間らしい生活がしたくなりました。

 

私は人の一番後ろを歩きます、ゆっくりマイペースで。

真ん中を歩かなくてもいいのです、それが私には一番合っています。

 

あなたの素晴らしいところを見つけ、あなたを愛するために。