父の教え

 

父の日が近づいてきましたね。 

私の父はもう20年以上前に亡くなりました。

 

私が物心がついたころよく父に言われていました。

自分を愛するより人を愛しなさいと。

 

父は個人事業主として土建業を営んでいました。

小さなことを少しずつ積み上げ事業を拡大してきました。

 

でも、事業はなかなか軌道に乗らず、苦労したようです。

工事の途中で地中に思いもよらぬ大きな岩が見つかり、それをどけるのに

多大な労力と時間を要し、赤字になったこともあるようです。

 

また他の工事業者に騙されお金をもらえなかったこともあるようです。

 でも父は騙された自分が悪い、もっと相手を理解しなかった自分が悪いと

言っていました。

 

母は次にいつお金が入るのかわからないのでいつも心配していました。

私は小学校の給食費が払えるのかどうか心配で、それを集める日が近づくと

いつも不安でした。

 

母はいつも私に言っていました。

あなたはこんなにお金のことに苦労しなくていいように、安定した収入のある

サラリーマンになってほしいと。

 

父は家族にはとても厳しく、人には優しかったと覚えています。

 

私の家は貧乏で、食べることもままならないのに、困っている人には

なけなしのお金で食べ物を与えていました。

 

私が小学校の時、授業参観では他のお母さんはきれいなよそ行きの洋服を着て

教室に来ていましたが、私の母はいつも着ている普段着で貧乏丸出し。

周りがおしゃれをしているので特に目立ちます。

 

とても恥ずかしく、私の母親だと言うことをほかの子に知られたくありませんでした。

私はもう今度から授業参観に来てほしくないと思いました。

 

母も恥ずかしい思いをしながら私のために来てくれたのだと思います。

普段、私は優しい母親が大好きでした。

 

でも、子供心に、母親を遠ざける貧乏のつらさを心の底から感じました。

父はどうして母にもっときれいな洋服を買ってあげないのかと怨みました。

 

私は心の中で、自分が稼げるようになったら母親にもっといい洋服を買って

あげると誓いました。

 

でも父は立派でした。いくら人に裏切られても父は人を怨みませんし、

いくら貧乏でも、人を愛し続けることできっと将来、自分が幸せになれると

いつも言っていました。

私はその言葉にいつも希望を感じていました。

 

私の家庭は裕福にはなりませんでしたが、こころは豊かだったと思います。

貧しいことで家族がみんなで協力して節約し、助け合いました。

 

家族は愛で結ばれていました。

これが本当の幸せというものでしょうか。

 

そのうち自分を愛することよりも人を愛しなさいという言葉がだんだん

理解できるようになりました。

 

今頃、父は天国で、日本は物は豊かになったが、こころは貧しくなったなと

言っているのではないかと思います。