子供たちへの言葉

 

先日、私は仕事でお客さんの自宅を訪問し、その帰りに、少し休憩しようと

小学校の近くにクルマを止めて缶コーヒーを飲んでいました。

 

天気のいい午後の昼下がり、仕事を忘れて(さぼって)飲むコーヒーは何とも

言えない解放感があります。

 

グランドのすぐそばだったので子供たちが遊んでいるのが見えました。

もう今日の授業も終わり、そろそろ下校の時間です。

 

近くの横断歩道を見ると町内会の人でしょうか、子供たちの通学路で

黄色い旗を振って下校を見守っています。

 

同じ小学生でも学年が違うと随分背丈が違いますね。

同じランドセルでも大きさが違って見えます。

 

私にもこんな頃があったんだなと懐かしく思いました。

この頃私は、汚れを知らない純真なこころだったと思います。

 

それがいつの間にか大人になるにつれ、その純真さをどこかに置き

忘れてしまったようです。

 

この厳しい世の中を生き抜くために、私のこころはだんだん濁ってきました。

今ここにいる子供たちには、きっと私のこころは濁ったドブ色に見えるでしょう。

 

ふとグランドのネットに張り出されているスローガンが目に入りました。

 

「支え合い いたわる心 忘れずに」と大きく書いてありました。

私はこれを見ていい言葉だなと思いました。

 

私は世界中の人々がこれを実践すれば地球はもっと暮らしやすくなる

だろうと思いました。

 

現実は、人は便利さを求め、今がよければと、成長の速度を加速しています。

停滞をすることが許されない人類の悲しい宿命でしょうか。

 

これからますますコンピュータの計算は速くなり、もう、電卓やそろばんの

時代には戻らないでしょう。

 

人類は何をしたいのでしょうか、AIとロボットが何もかもやるようになり、

生きていくための様々な悩みや苦しみもなくなるのでしょうか。

 

人生の困難を乗り越えることによる人の喜びや悲しみはなくなり

共感や感動によるこころの成長もなく、人はただ、動物園の動物のように

外敵から保護され、退屈に、次の食事を待つだけになるのでしょうか。

 

今見ている子供たちが2100年になると90歳くらいになりますがその頃

地球はどんなになっているんでしょうか。

 

さわやかな朝に、今日の幸せを感謝する気持ちはあるのでしょうか。

夏の日に、木陰で休む人たちに、心地よいそよ風が吹くのでしょうか。 

 

地球の暑さはひとのこころの熱さをはるかに越えているでのでしょうか。

 

私は人生の先輩として、子供たちに教えたいことがひとつあります。

 

人の幸せとは社会的地位を得ることや大富豪になることではありません。

 

身のほどをわきまえ、ほどほどのところで満足する「足るを知る」という

考えが大切です。

 

人の幸せは目に見えるものではなく、こころで感じるものなのです。

ありがたいと思う感謝のこころを大切にして生きなさい。

 

そうすれば、私にように人生の負け犬とよばれても、私らしく生きることができて

こころの豊かな人生が送れるんだよ。

 

だいじょうぶだよ、君たちが君たちらしく生きれば、この地球は救われるんだよ。