しあわせってどこにあるの?

 

前回の続きです、彼はアラフォーの独身男でした。

 

子供の頃、父親を亡くし母親に育てられました。

しかし母親は病弱で、なかなか思うように働けませんでした。

 

なので彼は、高校に入学しましたがお金が続かず、1年で中退しました。

中卒の彼を雇ってくれたのは肉体労働の建設現場でした。

 

厳寒の冬と酷暑の夏は、彼に生きることの厳しさを教えてくれるには、

十分な環境でした。

 

彼は気性の荒い先輩たちに厳しく鍛えられ、身もこころもヘトヘトに

疲れ切る毎日でした。

 

そんな彼は、冷暖房の効いたオフィスで働く人たちを見て、仕事環境がいいことの

しあわせとはこんなことかと思いました。

 

そんな彼でもそこで10年勤務しましたが、不景気で勤めていた会社は倒産。

 

その後見つけて入った会社は、実は、ブラック企業で、数年間頑張りましたが

限界を感じて退職。

 

それから彼は学歴がないので、なかなか希望した会社に採用されず、いろいろな

仕事を転々としました。

 

彼は大学を卒業して安定した大企業に長年勤めるサラリーマンを見て、これが

同じ仕事を長続きできるしあわせなのかと思いました。

 

自分でもできる仕事はないかと探し、やっと見つけたのがスーパーのパート。

 

そこの精肉部門の仕事に就き、冷蔵庫の中の肉のかたまりを見て、気味が悪かった

のを覚えています。

 

早朝から開店準備のために時間に追われ、もたもたしていた彼は早くしろと

先輩から怒声を浴びました。

 

先輩に叱られ続ける彼は、ぶつ切り包丁で思い切り骨付き肉をたたくことが

唯一のストレス解消方法でした。

 

デスクワークでパソコンを操作しながらスマートに仕事をする人を見て

肉汁で汚れた白衣の彼は、きれいな仕事ができるしあわせとはこんなことかと

 

思いました。

 

彼女のいない彼は、仕事が休みの日に出かけたときによく見る、仲良く手を繋いで

楽しそうに歩きながらおしゃべりをする、彼氏と彼女を見てこれが愛することの

しあわせなのかと思いました。

 

お天気のいい日曜日、誰も友達のいない彼は、ひとりぶらぶら公園を歩いていました。

そこにはブランコがあり、乗っている子供を父親が押して勢いをつけていました。

 

そのすぐそばで母親が、きゃっきゃと喜ぶ子供の笑顔をみて、喜んでいました。

 

この仲のいい親子を見て、今でも独身の彼は、これが家庭のしあわせという

ものなのかと思いました。

 

今では彼の母親は、介護が必要となり、一日も母親をおいて外出できない彼は、

思う存分遊びまわれる人たちを見て、これが自由なことのしあわせかと思いました。

 

学歴はない、お金はない、自由な時間はない、結婚できない、ないないづくしの彼。

おなじ人間なのにどうして自分の人生にはしあわせがないのだろうかと思いました。

 

母親を息子がひとりで介護するのはとても大変なことでした。

彼は母親が元気なら自分はもっと違った人生だっただろうと思いました。

 

でもやさしい彼は、母親を老人ホームに入れればもっと自分の時間が取れるのに、

自分を育ててくれた母親の面倒は最期まで自分がみると決めていました。

 

ある時、母親の介護をしている時、母親が彼に、「ごめんね、私のせいであなたの

人生が台無しになってしまったのね、今までありがとう」と涙を流して言いました。

 

そのとき彼のこころに衝撃が走りました。

 

彼の母親が自分のことをこれだけ気遣ってくれたことにこころを打たれました。

彼は感動で涙を流しながら、自分にとってしあわせとはこれだと気づきました。

 

世の中にはしあわせそうに思えても、実は、孤独で寂しい想いをしている人も

たくさんいます。

 

隣の芝生は青く見えていたのでした。

 

母親からこんなに感謝されている自分は本当はしあわせなんだと思いました。

そして自分の人生は決して間違っていなかったと思いました。

 

彼は、しあわせとは人のこころの中に潜んでいて、自分で見つけるものだと

気がつきました。

 

しあわせは彼の一番身近なこころの中にあったようです