こころの付加価値

 

私はうどんが好きなのでよくうどん屋さんに行きます。

 

かけうどんだけでも食べられるのですが、トッピングで、おにぎりや

揚げたてのいろいろな天ぷらもいっしょに選んで食べられます。

 

また、そこのお店は麺をその場で作るので作り立てが食べられます。

こころのこもった手作りのお店という感じがします。

 

工夫次第で、ただのうどんが付加価値を生み、お客に感動を与えるのでしょう。

お昼時になるといつも行列ができています。

 

このうどん屋さんはただお腹を満たすだけのうどんから、食事を味わうことの

楽しさを創造することができたと思います。

 

私はこの付加価値について考えてみました。

 

 私はあまり高いものはあまり買いませんが靴だけは高いものを買います。

 

機能性が工夫されていて、足にやさしく、疲れにくく、履きやすいものです。

作りも丁寧で安物に比べて長く持ちます。

 

ブランドの革靴などは、古くなっても靴底を張り替えてさらに長く履けます。

 

原材料はそんなに高くなくても製造面で付加価値をつけるので高く売れるのでしょう。

それで靴を大切に使えば資源の節約にもなると思います。

 

安っぽいものでも、工夫して手を加えて価値が高まるのなら、資源の無駄遣いをする

ことなく、みんながものを大切にして長く使うのではないかと思います。

 

ではこころの付加価値はどうなんでしょうか?

 

前回でもお話ししましたが、私の先輩で、こころは優しいのですがとても

不愛想な人がいました。

 

私が朝、先輩にあいさつをしても、そんなことは必要ないと思うのか、いつも

一方通行で返事がありません。

 

機嫌が悪そうでいつも無口で表情を変えません。

勿論、不愛想でも生きてはいけますが、なにか空しいような気がします。

 

何か話のきっかけにと先輩に「外は急に雨が降り出しましたよ」と言うと、彼は

「たまには雨ぐらい降るだろう」と言います。  

 

期待した反応が全くなく、そんなふうに言われると話が先に進みません。        

別に悪気はないのですがそういう性格です。

 

仕事の面でも、「いちいち言わなくても分かるだろ、俺の気持ちを察してくれ」

と言います。

 

でも人の気持ちをその態度から察するのは至難の業です。

 

不愛想な先輩ですが長く付き合っているとやさしさがわかります。

でも、初対面のひとはそのものの言い方に違和感を覚えます。

 

私は先輩のこころはいくら優しくても、こころの付加価値はまったくないと

思いました。

 

一言が不足したために誤解が生まれ、決別することがよくあります。

 

やはり言葉は大切なのです。

 

いくらこころに、愛と感謝があっても言葉がないとなかなか相手に

伝わりませんね。

 

私はこころに付加価値をつける重要な要素は言葉だと思います。

 

そしてそれに素敵な笑顔が加わればとても強力な援軍となります。

薄っぺらなお世辞では相手のこころに伝わりません。

 

私がよく行くお店でも、ただいらしゃいませだけではなく、「いつもご来店いただき

ましてありがとうございます」と付け加えられればまた今度も利用しようと思います。

 

病院で治療を終え、会計が済んだあとの「お大事に」の一言は、何倍も早く元気に

なりそうな気がします。

 

やはりこころをこめた言葉からは付加価値が生まれると思います。

 

話しは変わりますが、私は妻に何かの頼みごとをしたとき、こころの中では感謝して

いるのですが、照れくさくて、ありがとうとは言っていませんでした。

 

いつも妻は、ありがとうと言わないが感謝の気持ちはないのかと私に尋ねました。

 

何年も一緒にいるのだからありがとうと言わなくても、感謝している気持ちはわかる

でしょうと私は言っていました。

 

しかし、なんどもなんども、ありがとうと言ってくれと言うので、今では私が折れて

ありがとうと言っています。

 

私の妻は、こころだけではなく言葉も付け加えないと、愛情が感じられないようです。

 

今の世の中、3組に1組が離婚する時代ですが、こころの付加価値の積み重ねが、

私たち夫婦を長続きさせているのかもしれませんね。