最期の幸せ

 

先日、私がショッピングセンターで買い物をしていた時、以前私の会社に

勤務していた女性に出会いました。

 

5~6年くらい前に彼女は家庭の事情で会社をやめましたが、私とはとても仲が

よく、楽しく仕事をしていました。

 

午後の2時過ぎだったので、席が空いているフードコートに行き、コーヒーを

飲みながら近況を聞いてみました。

 

彼女は今、高齢者施設で看取りケアの仕事をしていると言いました。

 

私は看取りケアという仕事についてはまったく知識がないので、興味深くなり、

どんな仕事なのか彼女に聞いてみました。

 

彼女の仕事は、終末期に入ったお年寄りに、安らかに過ごしてもらうことだそうです。

延命治療は行わず、痛みや不快感の緩和とこころのケアが主な仕事だそうです。

 

お年寄りが人生の最期をどんなに迎えたいかということを考えるのが大切のようです。

 

現在は多くのお年寄りが病院で亡くなっているようですが、本当は住み慣れた自宅で

最期を迎えたいと思ってる人が多いようです。

 

しかし、自宅に戻ることは家族の負担がとても大きくなり、なかなか難しいようです。

 

そういうお年寄りは、自宅ではないけれど、医療と生活の両方が満足できるようにと

彼女が働いている看取りができる施設に希望して入所するようです。

 

私は彼女に、人の最期を見届ける仕事って、精神的にとても辛いのじゃないかと

聞きました。

 

彼女も最初の慣れない頃は、お年寄りがだんだん衰弱して亡くなっていくのを

見ていると、こころが落ち着かず、ショックを感じていたと言いました。

 

個人差はありますが、亡くなる3か月くらい前から物事に興味がなくなり、

テレビを見たり人に会うことを欲しなくなり、眠った時間が長くなるようです。

 

そして食事量も減って、だんだん体力もなくなるそうです。

 

亡くなる2週間くらい前になると、血圧が下がり、脈拍数や体温は大きく変化する

ようです。

 

実在しない人に話しかけたり、興奮して手足を大きく動かしたりすることも

あるようです。

 

亡くなる数日前からは呼吸のリズムが不規則になり、間隔が長くなることも

あるそうです。

 

最期が近づくと水分も取らなくなり、血圧が下がり、脈拍も弱くなり、

数回長い間隔をあけた呼吸に続いて最期の呼吸となるようです。

 

私はなぜ今まで、こんな辛いような仕事を続けてこられたのか聞いてみました。

 

彼女は愛があるからこそ、この仕事が続けられるのだと言いました。

 

人生の終末期にできるだけ、お年寄りが人間らしく生きたいという希望を

叶えてあげたいと思ったそうです。

 

衰弱したお年寄りをお風呂に入れてあげるのは難しいのですが、なんとか

お風呂にいれてあげたり、それができなければ清拭をして、気持ちよくしてあげます。

 

目が見えなくなったり、こころが混乱した時にはやさしくスキンシップをして

こころを落ち着けてあげるそうです。

 

衰弱したお年寄りが、時に、元気になり、反応が薄れていた人がはっきりと話したり、

あまり食事を欲しがらなかった人が好きな食べ物を欲しがったり、食べたりする

ことがあるそうです。

 

そんな時はその残された大切な時間にできるだけ、好きなものを食べてもらったり、

お話をじっくり聞いてあげるそうです。

 

時には念願のお墓参りにも連れて行くこともあるそうです。

 

彼女だけではなく、医師と看護師と家族が連携してお年寄りが望むような

生活ができるように努力しているようです。

 

彼女が愛を持って看取ってあげたお年寄りは、最期の亡くなる直前には

苦しむこともなく、とても安らかで幸せに見えるそうです。

 

ありがとう、とてもいい人生だったよ、と言っているように感じるそうです。

 

そして、やさしい家族に見守られて安らかに天国へと旅立つのです。

家族の方には涙を流しながら、よくここまでケアしてくれましたと大変感謝されます。

 

彼女は、この仕事をしていて辛いこともあるけれど、とても幸せだと思うそうです。

 

私は彼女に、私でも看取りの仕事ができるかと聞いてみました。

 

すると彼女は、あなたが、あなたの両親を愛するのと同じ気持ちでお年寄りの

お世話をすればきっとできると言いました。

 

この仕事は看護・介護の技術よりも人を愛する気持ちの方が大切だと言いました。

 

これを聞いて私は、きっと彼女は今後大きく成長すると確信しました。

 

彼女の目は、私と一緒に働いていた時よりも輝いて見えます。

 

私は彼女の話を聞いて、あらためて愛の大切さを感じた貴重な時間でした。