希望退職してみたのはいいけれど

 

 数年前、私の会社で希望退職者の募集があった時のことです。

 

 私が会社に残って、同僚が退職しました。

 

その同僚とはとても仲が良かったのですが、その時彼は、私に言いました。

 

「この年齢で失業するのは大変なことはわかっている、しかし、何とかする、

たとえいい仕事がなくても警備員くらいならできるだろう」と言っていました。

 

先日、久しぶりにその彼に会って居酒屋で飲みながら、その後どうなったのか

話を聞きました

 

彼は退職後2、3か月はのんびり自由に気ままな生活を楽しんでいたそうです。

そのうち、彼は社会に属していないことで生活に張りが無くなり、仕事が終わった

あとの達成感や解放感がたまらなく恋しくなりました。

 

それから、失業保険の支給期間も残り少なくなり、彼は再就職のためにいろいろ手を

尽くしましたが、現実はとても厳しかったようです。

 

中高年にとって、特別な資格がなければいい条件の仕事は少なかったようです。

人間的にいくら性格がよく真面目でも雇用の面では中高年はガラクタ扱いされる

ように感じたそうです。

 

それまで貰っていた給料と同じくらい貰える会社はほとんど条件が合いません。

仕方なく、ワンランク下げて履歴書を送っても面接までたどり着けません。

 

彼はもう、人間として必要とされていないのではないかと悩みました。

 

そのうち何とか見つけたのが介護の仕事でした。これはたくさん募集がありました。

介護の経験はまったくありませんでしたが、人手不足な業界のようで、

ヘルパーの資格を取って老人ホームに応募したところ採用されました。

 

ところがこの仕事、思ったよりハードで精神的にも肉体的にも負担がかかり

その上、日勤、夜勤の繰り返しは生活のリズムを崩しました。

 

お年寄り、その家族、他の従業員にも気を遣うことはとても大変です。

 

特にお年寄りの家族には気を遣います。

 

少ない人数で介護しているのにもかかわらず、自分の家庭で介護するような

優しさを求められても手が回りません、そして施設長にクレームが届きます。

 

とても耐えきれなくなり、1年で辞めました。

それから仕事を探しましたが思うような仕事は見つかりません。

 

そしてその後、「警備員くらいなら」、と言っていた警備の仕事に就きました。

ショッピングセンターの店内を巡回する警備の仕事です。

 

誰にでもできる店内巡回の仕事は気楽だと思っていた彼は、その認識の甘さを

思い知らされました。

 

まず鍵の種類の多さです。人が通る扉の鍵だけではなく、自動ドアの鍵、

エレベータの鍵、空調・電機設備の鍵、テナントの鍵など1000近くあります。

 

なにか異常があった場合、マスターキーも何個もあり、どのマスターキーを使う

のかも覚えておかなければなりません。

 

店内が広いので何もない日はありません。お客や設備のトラブルなど常に起こります。

店内巡回のほか監視室での警備もあります。

非常警報が鳴れば鍵を持って、急いで現場に駆けつけなければなりません。

 

そこは24時間勤務で翌日は明け休、その翌日は公休となっていました。

仮眠の時間は19時、23時、翌日の3時に交代でとりますが、19時の時はさすがに

なかなか眠れません、朝の勤務終了まで一睡もできないときもあります。

 

なにが起こるかもわからない緊張感のなかでする仕事は常に神経を使い、

店内巡回は一日歩くと相当な歩数となり、1か月で体重が7kg瘦せたそうです。

 

警備くらいならと考えていた彼は警備もできないと思い退職しました。

 

そして、警備の仕事をしていた時、施設内で清掃をしていた清掃職員を見て

楽そうだと思っていた彼は、今度は清掃の仕事に就きました。

 

ほうきと塵取りと雑巾で適当に掃除すればいいのだと思っていました。

 

ところがそこには厳しい清掃の基準があり、限られた時間内に効率よく

かつ、基準以上にきれいにしなければ先輩に厳しく注意されます。

 

体力的にとてもきつく、はたから見るような気楽な仕事ではありませんでした。

もしここで頑張らなければ次は人間をやめるしかないと思ったそうです。

 

最後に彼は言いました、やってみてわかった、どんな 仕事も楽なところはない、

お前は決して今の仕事を辞めるなと。

 

彼の実感を伴った言葉に私は思わずうなずきました。

人が生きていくことはつくづく大変なことだと思いました。