お肉屋さんのお仕事

 

私の友人にお肉屋さんで仕事をしている人がいます。

今回はその友人のことを書いてみようと思います。

 

彼は学校を卒業して会社員として働いていました。

仕事もよくでき、順調に出世コースを歩んでいました。

 

ところが彼が40代半ばになった頃、彼の母親が高齢のため介護が

必要となりました。

 

彼は奥さんと数年前に離婚し、母親とふたり暮らしでした。

 

最初の頃、彼は仕事をしながら母親を介護していましたが母親はだんだん身体が

衰え、車いすとベッドの生活となりました。

 

身の回りのことができない母親をひとりにして放っておくことができなくなりました。

そのため彼は苦渋の決断をし、銀行をやめました。

 

そして、彼の家から歩いて数分のスーパーの精肉部門に勤め、もう5年になります。

朝の6時から11時までの勤務で週5日働き、給料は10万円ちょっとです。

 

不足分は母親の年金でほそぼそと暮らしています。

 

仕事が終わるとお昼ごはんの支度をし、午後からは家事をしながら母親の介護を

しているようです。

 

買い物はそこのスーパーで済ませられるので母親の介護の時間は十分取れるようです。

 

スーパーのお肉屋さんでは彼は5年の経験を買われて牛肉の担当をしています。

 

牛肉の担当には、すき焼き用やしゃぶしゃぶ用にスライサーで薄切りにするのと

ステーキ用や焼肉用に包丁で厚切りにする仕事があります。

 

彼はスライサーを使って肉のかたまりを薄切りにしてパックにきれいに

並べるのが仕事です。

 

牛肉は使いやすいように肩、バラ、もも、ロース、ヒレなどに分けられ

それぞれ真空パックされているようです。

 

そんな彼ですが、研修で屠殺場に行って牛の屠殺を見学することがありました。

 

そこで見たのは、屠殺人に強引に短い綱で屠殺場へと引かれる牛は

これから何が起こるのかわかるようで、後すざりをして抵抗していました。

 

しかしながら、そのうち観念したのか抵抗をやめました、そしてその目には涙が

浮かんでいました。

 

屠殺人は銃のようなものを取り出し、眉間に一発、発射しました。

 

その牛は、一瞬で気を失ったように音を立てばたりと倒れました。

腹を切り裂くとまだ湯気の出る生暖かい内臓が地面に大きく広がりました。

 

それを見て彼はきっとこの牛にも温かいこころがあったはずだと思いました。

 

肉牛は食べられるために生まれてきたのだから、おいしく食べてもらって

感謝されることが幸せだと言う人もいますが、彼はそうは思いませんでした。

 

彼は、牛も人間とおなじようにこころを持ち、食べられるために生まれた

運命を嘆き、この世との別れを悲しみ、殺さないでほしいという願いと

 

怯えで思わず涙が流れてしまったと思いました。

 

涙を流していた牛の気持ちを考えると、とてもかわいそうで、彼は涙が止まらなく

なりました。

 

あの牛の、涙が溢れる目は、いまでも鮮明に脳裏に焼き付いているようです。

 

話しは戻りますが、彼女の母親は彼が銀行員をやめてお肉屋さんで働いている

ことを申し訳なく思っているようでした。

 

彼女は彼に「あなたはまだまだ若い、人生はこれからよ、私は老人ホームに入る

からあなたはもっと自分な好きなことをしてもいいのよ」と言って涙を流しました。

 

彼はその涙は、屠殺場の牛の涙とまったく同じように思いました。

彼女だって、好きで老人ホームに入りたいわけではありません。

 

彼の母親は自分を犠牲にして息子の役に立ちたいと思っているのでした。

 

彼は牛を助けることはできませんでしたが、母親を助けることはできました。

彼は今でも自分で母親を介護しながら一緒に暮らしています。

 

彼は牛肉をスライスしながら、いつも、こころの中で牛肉さんごめんねと

言いながらお仕事を続けています。

 

わたしは彼のことを人間としてとても素晴らしいと尊敬しています