悲しい運命

 

もう10年くらい前の話ですが、私が人事異動で新しい勤務地に赴任した時、

そこには100人くらいの従業員がいて、少しずつあいさつ回りをしました。

 

そのなかで飛びぬけて明るく親しみやすい人物がひとりいました。

初対面の私にまるで友達のように馴れ馴れしく話しかけてきます。

 

とても元気なおばちゃんという感じで、歳を取ればこんなふうに遠慮が

なくなるのかなと思いました。

 

数日後、彼女が仕事をしているのを見たところ何かぎごちないのです。

作業する手元を見ると、左手の親指がないんです。

 

彼女は私の視線に気が付いたようで、これは私が二十歳の頃、交通事故で

なくなったと言う、そして、それだけではなく、左目も失い、義眼だと言う。

 

その当時、彼女の両親は、嫁入り前のわが娘の運命をひどく悲しんだと言う。

私は死んでしまいたかったが、両親を悲しませたくないのでいつも笑顔で

何もなかったように振舞ったと言う。

 

その後、物好きな男がいて私と結婚してくれたと、あっけらかんとして言う。

その旦那も、数年前、病気で亡くなったと言う。

 

今、彼女は一人娘とペットの子犬と一緒に暮らしていると言う。

子犬がよくなついてまるで自分の子供のような気がすると言う。

 

彼女は一日4時間勤務のパートタイムで働いています。

夕方は晩御飯の料理を作りながら毎日缶ビールを6缶飲むと言い、

できたころにはもうほろ酔い気分と言う。

 

年に2回の自社商品の販売コンペでは常にトップの成績を残しています。

どうしてこんなに売れるのかと聞くと、私にはこころの通じ合う友達がたくさん

いるので、声をかければすぐ買ってくれると言う。

 

私は思いました、こころに大きな傷を負った彼女は、そのつらさを乗り越え

大きく成長し、人の何倍もの優しいこころが養われたのでしょう。

 

3年後、私は他の勤務地に異動することになりました。

お別れに、彼女は私に生食用のカキを食べてくれと渡してくれました。

 

レモンをかけると甘酸っぱく、濃厚な味は彼女の人生の味そのものでした。

今でもその味はこころに残っていて忘れることはできません。