怒りの中には訳がある

 

今週の日曜日、私は妻とクルマでショッピングセンターに買い物に行きました。

 

駐車場の矢印に沿って一方通行を、空きスペースを探しながら走っていました。

そのうち入り口近くに1台分のスペースが見つかり、ゆっくり進んでいました。

 

ところが急に前を逆走する車が現れ、私が止めようとしていたスペースに

駐車してしまいました。

 

なんてクルマなんだろうと思いながら、仕方なくそこを通り過ぎて、入り口から

かなり離れた場所に私のクルマを止めました。

 

そして入り口まで歩いていると、先ほどのクルマの人が、年老いたお母さんの手を

引きながらゆっくりゆっくりと入り口まで歩いていました。

 

お母さんの足腰が弱っているので、なるだけ入り口近くに駐車したかったのでしょう。

お母さんに対する愛情がそんな行動となったのでしょうね。

 

私は最初腹が立ちましたが、それには訳があったことを理解しました。

 

お店に入り、買い物をしていて鮮魚コーナーを通った時、お客が店員に大きな声で

クレームを言っていました。

 

不愉快に思いながら、私はどうしたんだろうかと、しばらくそばで聞いていると、

先ほど買ったお刺身の盛り合わせにお醤油が付いてなかったようです。

 

そのお客は、家族でお店の近くの山にピクニックに行くのに、途中でこのお店に寄り、

お弁当と一緒にお刺身を買ったようです。

 

お昼になってお弁当にしようと思って、氷で冷やしたお刺身を取り出したところ、

当然お刺身にはお醤油が付いていると思っていたのについていませんでした。

 

一人でお醤油を取りに引き返したため、せっかくの家族との大切な時間が台無しに

なったと嘆いていました。

 

その店員は、お醤油はお客が自由に取れるように、小袋を刺身コーナーの片隅に

置いてあり、お刺身のパックには付けていないと言っています。

 

お店が悪いのかお客が悪いのか私にはよくわかりませんが、私も彼の立場なら

やはり、お醤油なしのお刺身は考えられません。

 

彼の貴重な家族団らんの時間が台無しになったことに同情します。

怒りを店員にぶつけたお客にも訳があったんですね。

 

それから私たちは、買い物を終えて、お昼にお店の中のレストランで食事をする

ことにしました。

 

お昼時だったので、お店に入れないお客は名前を書いて順番待ちでした。

 

私たちが名前を書いて待っていると、お店の中から、お客が店員に向かって

怒鳴り上げているのが外からでも聞こえました。

 

私は様子を見に店内に入ってみました。すると、30代の男性が気の弱そうな

女性店員に文句をつけていました。

 

彼は家族連れで、奥さんと3歳くらいの子供と奥さんに抱かれた赤ん坊の

4人家族でした。

 

満席の店内のお客はみんな、そのすごい剣幕に恐れをなしていました。

 

私は女性店員がかわいそうになり、どうして彼はこんなに怒っているのだろうかと

思いました。

 

関わりたくないのかみんな、見て見ぬふりをしていました。

もちろん、私も怖くて積極的にみんなに同調しました。

 

数分すると、彼の家族は空いた席に案内されおとなしくなりました。

しかしそれまでの時間は、とても長く感じ、恐怖を感じました。

 

店内は平和を取り戻し、お客はやっと落ち着いて食事ができるようになりました。

 

私たちが席に着いて、先ほどの店員が注文を取りに来た時、なぜ彼が怒って

いたのか聞いてみました。

 

その理由は、その店員が間違って、順番に書いてある彼の名前を消してしまったため、

彼は何人ものお客の後回しになり、それに気づいた彼は激怒したようです。

 

それを聞いて私は、小さい子供を連れて長い時間待たされた彼の気持ちも

よく理解できました。

 

その日は不愉快なことがたくさんありましたが、その原因を探ると納得できる

ものばかりでした。

 

ひとつの現象だけ見て人を判断するのではなく、その因果関係をみてみると

世のなかには悪い人はいないような気がしました。

 

今日は、「ならぬ堪忍するが堪忍」という言葉を思い出しました。

 

私は家に帰って、毎週恒例の、テレビ番組「サザエさん」を見ながら、

今日も何事もなく無事に過ごせたことを幸福に感じました。