愛の飢餓

 

テレビを見ているとよく近所の人へのインタビューの場面がありますね。

 

インタビュアー「今回近所であった、殺人事件のことご存じですか」

 

近所の人「ええ、知っていますよ、驚いています。」

 

インタビュアー「容疑者がどんな人物だったのか知っていますか」

 

近所の人「よく知っていますよ、いつも笑顔であいさつしていたし、

優しく真面目そうな人で、子供が好きでよく子供と遊んでいました。

まさかあの人がこんなことをするなんてとても信じられません。」

 

こんな場面を見るたびに心が痛んで涙が出ます。

どうしてこんな驚くようなことが起こったのでしょうか。

 

私は世のなかに悪人はいないと思っています。

善人と善人とがぶつかり合ってもその中から憎しみが生まれる。

欲がある限りいつも悲劇が生まれる。

 

私は他人ごとではないと思いました。

 

私は長年今の会社に勤めていますが、能力がないので時間をかけて

汗をかきながらでもきちんと仕事をやり遂げていました。

もちろん人一倍愛社精神はあります。

 

ところが不景気のせいで会社の業績が落ち込み、私より少し能力があっても

会社の悪口ばかり言って、手を抜いて仕事をしている若手社員が残り、

私がリストラされるとしたらどうでしょう。

私にも家族があり、辞めさせられたくはありません。

 私は会社を怨み、会社に火をつけるかもしれません。

 

世のなかには理不尽なことがたくさんあります。

人が生きていくことは大変なことです。

 

でも、私は思い直しました。

人はしばしば自己中心になり、争いがおこります。

 

もし、善人と呼ばれる人たちの心に愛があったらどうでしょう。

与えられる愛ではなく与える愛です。

 

そうしたらこのような事件は起こらなかったでしょう。

私はたとえ人に裏切られてつらくても、それでも愛を貫かなければ

ならないと反省しました。

 

今の世の中、食べものに対する飢餓よりも、愛に対する飢餓のほうが

大きいように思います。