愛と幸せ

 

朝晩はまだ寒いですが、だんだん春の気配を感じるようになりましたね。

今月の下旬には桜の開花が見られるのが楽しみです。

 

私の住んでいるところは田舎なので、密になることもなく、コロナ禍でも

お花見を楽しむことができます。

 

お天気のいい日にお弁当を持って、桜の木の下でお花見をするときの気分は

大自然のありがたさをこころから感じます。

 

お弁当を食べ終わって、寝転んで、青空を背景に見上げる桜の花の美しさは

生きている幸せを感じる最高の瞬間です。

 

私は桜が咲くころの春のシーズンが1年の中で一番好きです。

 

話しは過去に戻りますが、私の子供が小学校に入った頃のことです。

この頃も、毎年春には家族みんなでお花見を楽しんでいました。

 

私は会社のお昼休憩の時、同期入社の同僚に、もう今年はお花見に行ったかと

聞きました。

 

するとその同僚は、お花見なんて興味はない、忙しいのだと言いました。

私は彼に、何がそんなに忙しいのかと聞きました。

 

「若いうちはどんどん仕事の勉強をしないとそのうち大きな差がついて

取り返しがつかなくなる」と社長がいつも言っている。

 

彼はその言葉を肝に銘じて、遊んでいる暇はないと言いました。

 

私は彼に、桜と梅の違いは知っているかと聞きました。

すると彼は、桜も梅も同じように見える、咲いて散ればそれで終わりだと言いました。

 

私は彼に、桜とは枝から枝分かれし、ひとつの花柄から複数の花が咲き、

梅はひとつの花柄からひとつの花が咲くと教えました。

 

私が多くの人にこころの優しい純潔な桜なら、君は会社一筋で忠実と忍耐の

梅だと言いました。

 

桜や梅の花を見て、美しいなと感動することのない君の人生は惨めだと言いました。

 

彼は私に、アリとキリギリスの童話を知っているかと切り返してきました。

私はそんな童話は聞いたことがないと答えました。

 

夏の間、アリは冬にそなえて食べ物をせっせと集めていたのに、キリギリスは

遊んでいて、働くアリをあざ笑っていたが、冬になると食べ物がなくなり、

 

キリギリスはアリに謝って食べ物を分けてもらったという話だと彼は言いました。

そして俺はアリ、お前はキリギリスだと言いました。

 

私がキリギリスのようにお花見を楽しんでいたら、そのうちアリのように勉強する

彼に助けを求めるようになると言いたかったのでしょう。

 

ふたりの人生に対する考え方はまったく違っていました。

そのうち彼は出世し、同期入社の私の上司となりました。

 

彼が言っていたように、本当に彼はアリになり、私はキリギリスになりました。

でも私は彼に助けを求めることはありませんでした。

 

私は桜の花を見て、きれいだなと感じるこころの豊かな人生を選んだことを

後悔しませんでした。

 

その後、彼は他の支店に異動することになりました。

 

そのとき私は、彼に、きれいな桜の花柄で飾られた色紙に「愛と幸せ」と

書いて、お別れのプレゼントとして渡しました。

 

彼は「愛と幸せ」の意味は理解せず、私からのお別れの気持ちだけは理解しました。

彼はありがとうと言って受け取ってくれました。

 

それから彼は他の支店で営業成績を上げるために、部下に理不尽な命令をし

仕事の成功は自分の手柄にし、仕事の失敗は部下の責任にしました。

 

彼は頑張って仕事の勉強をしてきましたが、人のこころについての勉強は

してきませんでした。

 

そんな事を続ける彼には部下はついてこなくなり、営業成績は下がり続け、

結局彼は降格人事となりました。

 

そして彼は再び、私のいる支店に戻ってくることになりました。

私は彼がどんな気持ちで戻ってくるのかとても心配でした。

 

そして彼が私と再会した時、開口一番彼は私に言いました。

以前私が彼に言った、お前が桜で俺が梅だという意味が分かったと言いました。

 

彼は降格のショックで、今までの彼の人生を深く反省したようです。

 

そして、お別れにもらった「愛と幸せ」の色紙を大切にして、これからは

人にやさしく生きていくと言いました。

 

彼はそのときやっと私の生き方を理解してくれたようでした。

 

あなたは、桜の花を見て、生きていることの幸せを感じることができますか?