株で1億円稼いだ友人

 

私の友人に、株式投資で1億円以上稼いだ人がいます。

 

私と彼の関係は、小学校、中学校の同級生でクラスメイトでした。

私が彼のいる小学校に、5年生の時に転校した時が初めての出会いです。

 

彼は私と同様に、貧しい家庭に育ち、お互いに貧しさの辛さを共有していました。

 

彼の父親は事故で亡くなり、母親と彼と妹の3人で暮していました。

小さな食料品店を経営していて、それで何とか貧しいながらも生活していました。

 

私の家にお金がなくなって食べるものがないとき、彼はお金は後でいいからと言って

私にお店のパンと牛乳をくれたこともあります。

 

彼は貧しいけれど心はやさしく親切な子でした。

 

ふたりは貧しいがゆえにクラスメイトにいじめられることがよくありましたが、

私は、彼がいることでとても心強かったことを覚えています。

 

私は彼の愛情に感謝し、お金では買えない強い信頼関係が生まれました。

 

その頃は、お金とは、生きていくためにはなくてはならないものだと思っていました。

私も彼も子供の頃は、お金持ちとは無縁で、人並みの生活をするのが憧れでした。

 

ふたりは、大人になったら頑張って、贅沢な生活はいらないから「普通の生活」を

しようと励まし合いました。

 

その後、私の父親が経営する仕事が順調になり、私は大学まで行くことができました。

一方、彼は高校を卒業して建設会社に入社しました。

 

私は大学で遊び半分、勉強半分で楽しく学生生活を送り、彼とは4年遅れで今の

会社に入りました。

 

その間、不景気で彼の会社は倒産し、私と彼の人生は大きく違ったものに

なっていました。

 

私は今の会社に入社してからは、出世とは全く縁がありませんが、なんとか

「普通の生活」を実現していました。

 

しかし、彼はそれから何度も転職し苦労しましたが、今では定職に就いています。

 

彼は安定した仕事をしながらも、先行き不透明な世の中に危機感を感じ、

もらった給料の一部を株式に投資するようになりました。

 

しかし、株はそんなに甘いものではありません、最初の頃は損ばかりでした。

そのうち彼は自分には株式投資には向いていないと思うようになりました。

 

生き馬の目を抜くような、欲と欲が儲けを奪い合う株式市場に、自分が勝てる

わけがないと感じたようです。

 

そこで彼は、同じ株式投資をするなら自分の利益ではなく、社会や人に役立つ投資を

しようと考え方を変えました。

 

将来性があって、社会や人にやさしく、誰も注目していない小さな企業に

投資すれば自分のお金も役に立つかもしれないと思いました。

 

彼は自分が愛を感じる企業を、応援する気持ちで長期投資しました。

 

あまりお金がない彼は、相場が大暴落した時、たくさん買えるチャンスと思い、

お金をたくさんつぎ込みました。

 

彼は株で儲けるという気持ちを捨て、世の中に役立つ、人にやさしい企業に、

大きな愛を持って投資し続けました。

 

5年、10年経つとそれらの会社はだんだん成長し、株価が10倍、20倍と上がって

きました。

 

中には100倍近く値上がりした株もありました。

 

彼は株を売ったり買ったり頻繁にはしません、よほどのことがない限り、買ったら

ずっとそのまま持ち続けました。

 

あまりにも高くなった株は一部を売却し、成長初期の企業に再投資しました。

それを繰り返している間に、だんだん企業数が増え資産が膨らんできました。

 

彼の欲のない、愛ある株式投資は、気が付けば、1億円以上の利益を稼いでいました。

 

彼が子供の頃に、困っている私にパンと牛乳ををくれた時のやさしい気持が残って

いて、そんなやさしい気持ちで企業を応援した結果が利益を生んだのだと思います。

 

最近、彼と会ったときの言葉です。

 

「お金は生きるための必要最低限でいい、しかし、愛はいくらあっても

余ることはない。」

 

彼は将来、稼いだお金を、飢餓で苦しんでいる貧しい国の子供たちのために寄付する

ことでお金を愛に変えたいと言っていました。

 

彼は株式投資をすることでお金持ちになりましたが、まったく贅沢をすることなく

子供の頃の念願だった「普通の生活」で満足しています。

 

お互いに「普通の生活」ができるようになったふたりはいまでも仲のよい友です。

 

ふたりともお金よもり愛の方がはるかに大切だと心の底から思っています。

 

貧しさの中から見つけた愛は今でも続いています。