夜明けのウォーキング

 

私はウォーキングが大好きで健康のためにもよく歩きます。

 

場所はどこでもいいのですが、好奇心旺盛の私は、知らない場所を

歩くことで新たなことを発見したり感動することを求めてさ迷います。

 

同じ場所でも、朝歩くのと夕方歩くのではまったく違う世界に見えることがあります。

また、晴れの日と曇りの日でもそうです。

 

私自身の気持ちが晴れていたり曇っていることでも違って感じることがあります。

なので私はいつも新鮮な気持ちでウォーキングを楽しんでいます。

 

夏の暑さの中では、さすがにウォーキング好きの私でも、外を歩くのはつらいです。

10分も歩くと汗びっしょりで、それ以上歩くと熱中症になりそうです。

 

なので最近私は冷房のよく効いたショッピングセンターの中を歩くようにしています。

お店の中は過ごしやすい快適な環境ですが、やはり自然の魅力には勝てません。

 

そこで私は考えました、仕事のお休みの朝、4時半に起床し5時前から家を出て、

気候のいい昼間によく歩いた場所にクルマで行きました。

 

さすがにこの時間は涼しいのですが周りは真っ暗で昼間とはまったく別世界でした。

その先には 信号が見え、その明かりが私の心細い気持ちを勇気づけてくれました。

 

先の見えない人生に迷った時に、こんな明かりが人を救うのだと感じました。

 

それから20分ほど歩くとだんだん明るくなり、空には雲とその境い目が明るさで

わかるようになりました。

 

さらに15分ほど歩くとすっかり夜が明け、朝の新鮮さが心地よく感じました。

 

私は落ち込んだ時、夜明け前が一番暗く明けない夜はない、と自分に言い聞かせて

きましたがこの時それを実感しました。

 

夜明けの散歩は、私に、生きていることのしあわせを十分感じさせてくれました。

 

すると私の目の前に、腰の曲がったお婆さんがこちらに向かって歩いてくるのが

見えました。

 

そのお婆さんは大きなリュックを背負って、その重さで倒れそうになりながらも、

歯を食いしばって一生懸命に歩いていました。

 

しあわせな気分に浸っていた私は、彼女の苦しそうな様子を見て、何かお手伝いが

できるのであればしてあげたいと思いました。

 

私はその重そうなリュックを持ってあげましょうかと彼女に話しかけました。

すると彼女は、これは大切な宝物だから人に渡すことはできないと言いました。

 

それなら少し休んでいきましょうと私は近くの公園のベンチに彼女を誘いました。

 

早朝のウォーキングは昼間と違って、お互いがすがすがしい気持ちなのか、話を

したこともない見知らぬ人とも仲良くなれる独特の雰囲気があります。

 

私は彼女と話をしましたが、とてもジョークが好きで気さくな人でした。

 

彼女が子供の頃、両親が亡くなり親戚に育てられ成人して結婚したけれど、

子供が小学生の時、主人に病気で先立たれたそうです。

 

それからの彼女の人生はつらいことばかりで、何度も死んでしまいたいと

思ったそうです。

 

彼女は冗談で言いました、私は昔、人から神と呼ばれていたのよ、疫病神、死神、

貧乏神と。

 

でも、彼女は苦労しながら、女手ひとつで子供を育て上げ、その子も結婚して、

今ではふたりの孫がいるそうです。

 

彼女は私の人生を悲劇のドラマにしたらきっと大ヒットするんじゃないのと

笑いながら冗談を連発しました。

 

楽しくて時間が経つのを忘れて話が続きました。

 

私はふと、以前ウォーキングをした時、小さな赤ん坊を背負った若い女性を

見かけたことを思い出しました。

 

その女性が背負っているのは、これから将来が楽しみな赤ん坊でした。

 

おなじ背負ったものでも、片や希望で、片や絶望のように思えました。

私は彼女に冗談で、そのリュックの中身は人生の重荷でしょうと言いました。

 

すると彼女は笑って、とんでもないこれはたくさんの人からもらった愛なのよ、

私は今まで多くの人から助けられたの、その愛がこのリュックにたくさん

 

入っているのよ。

 

私はたくさんの愛をもらって助けられ、その愛の入ったリュックの重みで腰が

曲がってしまったのよと笑いました。

 

彼女の人生はとてもつらかったのでしょう、でも私は、涙を流したつらい思い出を

冗談で笑いに変える彼女の生き方に感動しました。

 

冗談好きな彼女は最後まで私をしあわせな気持ちにさせてくれました。

その頃には空にはすっかり陽が昇り、今日も暑くなりそうでした。

無料ライスの価値

 

私はお盆休みに妻とお墓参りに行き、帰りにファミリーレストラン

お昼ご飯を食べました。

 

11時半頃お店に入りましたがお客が多くて注文した料理がなかなか出て

きませんでした。

 

私は野菜の入ったチーズカレーのドリア、妻は唐揚げ定食を注文しました。

15分ほど待ってやっと料理がきました。

 

熱々のカレードリアの上に生卵が乗っていて、かき混ぜながらふうふうと

息をかけて冷ましながら食べるのは、暑い夏でもとても美味しいものでした。

 

私たちは入り口近くの会計レジのすぐそばの席で楽しく食事をしていました。

 

私たちが食事をしている間にお客が増え、たくさんのお客が順番待ちの

用紙に名前を書いて待っていました。

 

するとすぐそばのレジで中年男性のお客が大声を出して、店員に何かクレームを

言っているのが耳に入りました。

 

そのお客はとても興奮していて、私たちだけではなく近くの席で食事をしている

人や、順番待ちをしている人も険悪な雰囲気を感じているようでした。

 

店員は男性でしたがそのお客の剣幕に受け身になって黙って話を聞いていました。

私はこのお客が何を怒っているのか食事をしながら興味深く聞いてみました。

 

話しを聞いてみると、このお店では、お昼にランチを注文するとライスが無料で

セットになっているようでした。

 

しかしながらそのお客がお勘定をしようとした時、ライスの料金を請求されて

どうして今回はライスは無料ではないのかと怒っていました。

 

店員はお盆の期間はランチのライスは無料にならないとメニューに書いてあると

説明しました。

 

するとそのお客は、お盆期間である一昨日に来てランチを注文した時には

ライスは無料だったと言い返しました。

 

店員は、最近新しく入った人が何人かいるのできっと間違ったのでしょう、

でも、メニューにきちんとお盆期間はライスは無料ではないと書いてありますと

 

毅然とした態度でお客に対応しました。

 

店員は前回の新人の対応には責任を感じましたが、たくさんのお客が聞いている中、

今回だけは無料にしますが次回からは有料になりますと言えば、他のお客に不公平に

 

なるので絶対に言えなかったのでしょう。

 

お客はそれを聞いてますます興奮して、そんなレベルの店員に仕事をさせて

いるのはどういうことか、新人教育もできないのかと怒鳴り上げました。

 

そのお客と店員のやり取りを聞いていた順番待ちのお客のうち何人かは、

嫌気がさして、順番待ちをキャンセルしてお店を出ていきました。

 

ふたりのやり取りは数分続きましたが、私はそれ以上に随分長く感じました。

 

私たちは次に行く予定があり、お客の興奮が少し鎮まるのを見計らって

恐る恐るレジに行きました。

 

私はお客の怒りの矛先がこちらに向けられなければいいと思いながら、店員に

お勘定お願いしますと小さな声で言いました。

 

するとそのお客は、態度が一変して、ごめんなさいねどうぞ先にお勘定して

下さいとやさしく私に気を遣ってくれました。

 

私はそのお客が今までとは別人のような気がしました。

 

私は一瞬、彼は本当はやさしい人だけど、店員の態度が気に入らなかったのか

虫の居所が悪くて、たまたまこんなことになってしまったのではないかと思いました。

 

人はみんな一生懸命に生きています、時には人間関係に摩擦が生じることも

あるでしょう。

 

でも、私はこの世の中には悪い人はいないといつも思っています。

 

私のこころが声になって、この方のライスの分も一緒に取ってくださいと言って

お勘定を済ませました。

 

ライスの代金は200円くらいだったと思いますが、普段100円、200円をけちる私でも

この場が丸くおさまるなら、それ以上の価値のある行いだと思いました。

 

私たちが駐車場に戻ってクルマに乗った時、さっきのお客が興奮が冷めたかのように

お勘定を終えてお店から出ていくのが見えました。

 

私は少しはいいことをしたのかなと思いましたが、残念なのは、せっかくの

熱々のカレードリアが、怒声の中で食べたのでちっとも美味しくなかったことです。

 

お盆休みで少し時間が取れたのでブログを書いてみました、またしばらく

仕事に専念したいと思います

愛のメタボ

 

私は毎年健康診断を受けています。

 

でも、それを受ける前はとても不安で憂鬱な気持ちになります。

何か重大な病気が見つかったらどうしようかと心配です。

 

私は時どき下痢をして胃腸薬のお世話になることがあるので、胃の健康が心配です。

胃検査のために、前日の夕飯は軽くて消化のいいものにします。

 

胃の検査の前に飲むバリウムの苦しさはとても辛いです、げっぷくらい

させてほしいのに、それも我慢させられます。

 

そして台の上に乗って空中アクロバットのように体を回転させます。

 

終わると下剤を飲んでバリウムを出すわけですが、近くにトイレがないと

不安なので、自由にすきな場所に行くこともできません。

 

ところで話は変わりますが、最近、私が住んでいる地方では食べ放題・飲み放題が

選べる飲食店が増えてきたような気がします。

 

先日私は、会社の同僚と、焼肉の食べ放題のお店に行きました。

いろいろなコースがあり、お肉や料理の種類や内容によって値段が違っていました。

 

私たちは中くらいのランクの食べ放題のコースを選び、飲み物は飲み放題に

しないで単品で注文しました。

 

お酒はそこそこにして、食べるほうを中心にしたかったからです。

私たちは料金の元を取るためにたくさん食べようと決めました。

 

お肉や料理を選んで注文して焼いて食べて、また次のものを選ぶことの繰り返しです。

その間にビールを飲みながら会話をするので結構忙しく感じました。

 

120分の時間制限で、ラストオーダーは100分だったと思います。

 

あっという間にラストオーダーの時間がきました。

最後にデザートを一品選べます。

 

はち切れそうになったお腹に、最後の締めに、アイスを食べました。

みんな食べ過ぎで、お店を出た時はとても苦しそうでした。

 

私はこんな生活をしながら健康診断を受けているのです。

診断結果はメタボリックシンドロームで、腹囲その他が基準を越えていました。

 

人は、私のことを、しあわせ太りと言いますがそうなんでしょうね。

不幸でやつれるよりはいいのでしょうが、身体の健康面では問題がありますね。

 

私はその時ふと思いつきました。

 

身体の健康診断があるのに、なぜ、こころの健康診断がないのかと不思議に

思いました。

 

こころの病気にはうつ病発達障害パニック障害PTSD統合失調症など

様々な病気があるようです。

 

こころの病気は原因がはっきりわからないことがあり、困っている人もたくさん

いるようです。

 

私はブログを読んでいてこころの問題で悩んでいる人がたくさんいるのが

わかりました。

 

私はそんな人たちに救いの手を差し伸べることができたらいいなと思います。

 

私は身体の健康診断があるように、こころの健康診断があってもいいのでは

ないかと思います。

 

こころの病気は愛の欠乏度合いで判定できたらいいなと思います。

私は愛があれば救われる病気があるのではないかと思います。

 

こころの痛みで苦しんでいる人には、痛み止めの愛の注射を打ちます。

自分勝手で人の気持ちを考えない人には、とても苦い愛のお薬を飲んでもらいます。

 

愛でこころの病気が治ればいいと思います。

 

話しは戻りますが、もし、私がお店を開くなら、愛の食べ放題・飲み放題の

お店を作りたいです。

 

お店には家族愛、兄弟愛、夫婦愛、友愛、師弟愛、隣人愛、人類愛など様々な

愛がそろっています。

 

時間無制限の食べ放題・飲み放題のお店です、みんなで楽しくお話をして、

愛をたくさん吸収してもらいたいですね。

 

そしてお帰りの際にはみなさまにもれなく、永遠の愛をプレゼントします。

 

そして私は、多くのみなさまに、愛のメタボになってもらいたいと思います

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私は明日から仕事が忙しくなりますので、ブログを書く時間がありません、

しばらくの間ブログをお休みさせていただきます。

 

私のブログを読んでいただいてありがとうございました。

人生の試験

 

私にはスーパーに10年勤める友人がいます。

 

彼はその前に証券会社に10年以上勤めていましたが、家庭の事情で故郷に戻り

地元のスーパーに再就職した人生のベテランです。

 

私は彼に久しぶりに会って、コメダ珈琲でランチをしながら話をしました。

 

私はサンドイッチとコーヒー、彼はみそカツパンとコーヒー、そしてふたりで

シロノワールをひとつ注文しました。

 

ここの食べ物は結構ボリュームがあってお腹は満腹でした。

しかし、彼のこころは満たされていないようで、私に仕事の愚痴を話しました。

 

彼の会社では、従業員全員の接客技術の向上を目指して、従業員の接客技術の

レベル認定の試験を行うこととなったようです。

 

彼のようなベテランも新人も勤務年数に関係なく研修を受け、接客技術が

一定レベルに達するまで、何度も試験を受けて合格しなければならないようでした。

 

彼の所属するお店に、入社3年目の本社人事部の女子社員が来ました。

 

彼女は従業員を集めて研修をし、その後、別の日にまたお店に来て一人ずつ

順番に試験をしました。

 

笑顔ができているかどうか、目線がお客に合っているかどうか、声がはっきり

聞こえるかなどの多くの項目をチェックして合格・不合格を決めるようでした。

 

若い彼女は顔は可愛いのですが、こころはとても厳しいようでした。

 

彼はこういう試験はバカらしく思い、手を抜いて試験を受けたので不合格

だったようです。

 

彼はどうしてあんな入社して3年目の小娘に試験をされなくてはいけないのかと

腹を立てていたようです。

 

そして彼は、自分は彼女よりも勤務年数は長いし、人生経験もはるかに長いので

お客の気持ちに深く入れば、お客のこころは掴めると思っていました。

 

さらに彼は苦情を言ってきたお客でも、うまく対応して、常連客に変えて

しまうだけの接客技術はあると接客には自信があるようでした。

 

マニュアルどおりの接客は苦手だけど、こころを込めて接客すればお客も

おなじ人間、きっと喜んでくれるはずだと思っていました。

 

しかしその後も、彼女は彼に厳しく指導し、試験を受けさせましたが不合格でした。

 

彼の試験を見ていた同僚にどうだったか聞いてみると、「あなたの接客技術は

とてもすばらしい、不合格になるなんておかしい」と言ってくれたそうです。

 

彼は彼女に、「いったいどこがいけなくて不合格なのか」と聞いてみました。

 

すると彼女は、「あなたがいけないのは接客技術ではなく、人生に手を抜いている

からです。

 

あなたは確かに接客技術のレベルは合格です、でも、現状に満足して向上心の

ないあなたのことを考えると合格点は上げられません。

 

むしろ、あなたよりレベルが低くて少し点数が足りなくても、熱意があれば

それを加算して合格点をあげます。」と答えました。

 

彼は彼女のことを甘くみていたようです、そのように言われると彼は何も

言えなかったそうです。

 

彼女の指導をまじめに受けていない彼に注意喚起したんですね。

彼女は接客技術だけではなく、人の生き方まで試験していたのです。

 

なので彼女はこれからの彼の人生を考えると、合格点を与えることは

できなかったのです。

 

私は彼の話を聞いて彼女はなんて愛のある人だと思いました。

 

私は彼女のような人が人事部にいる限り、きっと、この会社は立派になる

だろうと確信しました。

 

人はいくら歳を取っても、社歴が長くても、手を抜くことなく誠実で一生懸命に

生きなければならないと私は思いました。

 

それがしあわせな人生への道筋なんですね。

 

彼女は若くても、彼よりもしっかり生きているようです。

今までありがとう

 

ここは人里離れた山奥にある老人ホームです。

ここではたくさんのお年寄りが様々な気持ちで暮らしています。

 

ある人は施設の環境に慣れて生活をエンジョイしていますが、ある人は集団生活に

馴染めず辛い気持ちで暮らしています。

 

ここにはひとりの若い女性が働いていました。

彼女は二十歳で、この施設で働き始めて2年目になったばかりです。

 

彼女は祖父が大好きなおじいちゃん子でしたが、この施設に来る1年前に

祖父は病気で亡くなりました。

 

彼女は優しかったおじいさんのことが忘れられず、お年寄りのお世話ができる

この施設に社員として入りました。

 

お年寄りのお世話は身体だけではなく、こころのケアまでしなくてはならない

ので大変です。

 

特に若い人にとって、お年寄りのこころの理解はとても難しいのです。

 

長い人生を経験してそれなりの考えを持っているお年寄りに、人生経験の浅い

人がお世話をするのですから大変です。

 

でも彼女は、できる限りのことをして、すこしでもお年寄りに快適な生活を

してもらいたいと思って頑張りました。

 

そんな時、施設に新しく男性のお年寄りが入所してきました。

彼女はその男性を見てとても驚きました。

 

なぜかと言うと、そのお年寄りは大好きだった彼女の祖父にそっくりでした。

 

彼女は大好きだったおじいさんが生き返ってきたような気がして、とても

しあわせな気持ちになりました。

 

彼は若いころからレストランの見習いで働き、苦労して料理長までのし上がった

人物でした。

 

多くの料理人が料理長である彼の下で働き、彼の権限は相当強いものでした。

彼の指示は絶対で、彼に逆らう人はいませんでした。

 

そんな彼は現役を引退しても、家庭で家族に厳しいことを言うので、家族から

ひどく嫌われていました。

 

彼は家族に絶対老人ホームには入りたくないといつも言っていたようです。

でも、だんだん彼は身体の衰えとわがままがひどくなり、家族の負担になりました。

 

そしてある時、彼の面倒をみきれなくなった家族が、一緒にご飯を食べに

行こうと嘘をついて、彼を老人ホームに連れて行きました。

 

そして入所手続きをして、彼を施設に入れました。

後で騙されたと知った彼は、怒りで暴れまくりました。

 

彼は車いすに座ったまま怒鳴り上げ、周りの人たちは怖がりました。

あまりにもひどい時は、彼から入居者を一時的に避難させることもありました。

 

でも彼女は彼のことが、大好きだったおじいさんと、イメージが重なり、

絶対にこの人と仲良くしようと思いました。

 

他の介護職員は、彼はあまりにも自分勝手だから、ほどほどにしておいた方が

いいと彼女に言いました。

 

彼女は例え人生経験が違っていても、愛を尽くせば、かつての祖父のように

必ず気持ちは伝わるものだと思いました。

 

彼女は彼がこの施設に早く慣れるようにと懸命に努力しました。

 

しかし、大好きだったおじいさんに対したのと同じ気持ちで、親身になって彼を

愛してもこころは伝わりませんでした。

 

例え姿かたちが似ていても彼と祖父はまったく別人、彼には愛の欠片もありません。

彼のこころはまるで死んでいるようでした。

 

こころが通じない人を相手に仕事を続けるのはとても情けなく思いました。

 

彼女は限界を感じ、自分は介護には向いていないと考え、転職することに

しました。

 

彼女は最後に、転職を決める原因となった、彼にお別れの挨拶に行きました。

 

「ごめんなさい、私はあなたをしあわせにしてあげることはできませんでした、

私の力不足を許してください」と言って彼の手を握りました。

 

するとその時、彼女の愛が彼のこころに伝わったようです。

彼は涙を流して、「今までありがとう」と短い言葉でお礼を言いました。

 

感謝の言葉を素直に表現できない彼にとっては、これが最大の愛情表現でした。

彼女は最後の最後になって彼女の愛が彼に伝わったことを知りました。

 

彼のこころに愛が伝わったからこそ、それが涙となって流れたのです。

 

それから彼女は、別の仕事に転職しましたが、人生が長くても短くても、

精一杯人を愛することは必ず報われるということを知りました。

しあわせってどこにあるの?

 

前回の続きです、彼はアラフォーの独身男でした。

 

子供の頃、父親を亡くし母親に育てられました。

しかし母親は病弱で、なかなか思うように働けませんでした。

 

なので彼は、高校に入学しましたがお金が続かず、1年で中退しました。

中卒の彼を雇ってくれたのは肉体労働の建設現場でした。

 

厳寒の冬と酷暑の夏は、彼に生きることの厳しさを教えてくれるには、

十分な環境でした。

 

彼は気性の荒い先輩たちに厳しく鍛えられ、身もこころもヘトヘトに

疲れ切る毎日でした。

 

そんな彼は、冷暖房の効いたオフィスで働く人たちを見て、仕事環境がいいことの

しあわせとはこんなことかと思いました。

 

そんな彼でもそこで10年勤務しましたが、不景気で勤めていた会社は倒産。

 

その後見つけて入った会社は、実は、ブラック企業で、数年間頑張りましたが

限界を感じて退職。

 

それから彼は学歴がないので、なかなか希望した会社に採用されず、いろいろな

仕事を転々としました。

 

彼は大学を卒業して安定した大企業に長年勤めるサラリーマンを見て、これが

同じ仕事を長続きできるしあわせなのかと思いました。

 

自分でもできる仕事はないかと探し、やっと見つけたのがスーパーのパート。

 

そこの精肉部門の仕事に就き、冷蔵庫の中の肉のかたまりを見て、気味が悪かった

のを覚えています。

 

早朝から開店準備のために時間に追われ、もたもたしていた彼は早くしろと

先輩から怒声を浴びました。

 

先輩に叱られ続ける彼は、ぶつ切り包丁で思い切り骨付き肉をたたくことが

唯一のストレス解消方法でした。

 

デスクワークでパソコンを操作しながらスマートに仕事をする人を見て

肉汁で汚れた白衣の彼は、きれいな仕事ができるしあわせとはこんなことかと

 

思いました。

 

彼女のいない彼は、仕事が休みの日に出かけたときによく見る、仲良く手を繋いで

楽しそうに歩きながらおしゃべりをする、彼氏と彼女を見てこれが愛することの

しあわせなのかと思いました。

 

お天気のいい日曜日、誰も友達のいない彼は、ひとりぶらぶら公園を歩いていました。

そこにはブランコがあり、乗っている子供を父親が押して勢いをつけていました。

 

そのすぐそばで母親が、きゃっきゃと喜ぶ子供の笑顔をみて、喜んでいました。

 

この仲のいい親子を見て、今でも独身の彼は、これが家庭のしあわせという

ものなのかと思いました。

 

今では彼の母親は、介護が必要となり、一日も母親をおいて外出できない彼は、

思う存分遊びまわれる人たちを見て、これが自由なことのしあわせかと思いました。

 

学歴はない、お金はない、自由な時間はない、結婚できない、ないないづくしの彼。

おなじ人間なのにどうして自分の人生にはしあわせがないのだろうかと思いました。

 

母親を息子がひとりで介護するのはとても大変なことでした。

彼は母親が元気なら自分はもっと違った人生だっただろうと思いました。

 

でもやさしい彼は、母親を老人ホームに入れればもっと自分の時間が取れるのに、

自分を育ててくれた母親の面倒は最期まで自分がみると決めていました。

 

ある時、母親の介護をしている時、母親が彼に、「ごめんね、私のせいであなたの

人生が台無しになってしまったのね、今までありがとう」と涙を流して言いました。

 

そのとき彼のこころに衝撃が走りました。

 

彼の母親が自分のことをこれだけ気遣ってくれたことにこころを打たれました。

彼は感動で涙を流しながら、自分にとってしあわせとはこれだと気づきました。

 

世の中にはしあわせそうに思えても、実は、孤独で寂しい想いをしている人も

たくさんいます。

 

隣の芝生は青く見えていたのでした。

 

母親からこんなに感謝されている自分は本当はしあわせなんだと思いました。

そして自分の人生は決して間違っていなかったと思いました。

 

彼は、しあわせとは人のこころの中に潜んでいて、自分で見つけるものだと

気がつきました。

 

しあわせは彼の一番身近なこころの中にあったようです

悲劇のドラマの主人公

 

私が押し入れの中を整理していると、随分前に私の親しい友人からもらった

手紙を見つけました。

 

私は懐かしい手紙を読み返してみました。

そして彼の許しを得たので私のブログに使わせてもらいました。

 

「私はこの世のなかに生き続けていいのだろうか、私は世のなかの何にも

役に立っていない。

 

病弱な母親の面倒をみるのに精一杯で、責任ある仕事も任せてもらえない。

 

世間の人は私を見て、どうしていつまでも独身なんだとだらしのない人間の

ように思っているようだ。

 

どうせ私は男性の中の残り物、いまさら安くしても女性はもらってはくれない。

独身のほうが気ままでいいとうそぶいて、陰で寂しく惨めに泣く私。

 

歳を取っても非正規雇用で家庭も持てない希望のない人間だ。

 

友人の子供が小学校に入って、彼は運動会に行ってきたようだ。

 

子供の写真を見せてくれるが、所詮他人の子、かわいいどころか自分が

惨めになるだけ。

 

いつか前は母の日だったらしく、友人が花のプレゼントを用意して、子供から

彼の妻に手渡して贈らせたという。

 

自慢じゃないが、独身の私にそんな芸当はできないし、妻も子もいない。

親として家族を養う辛さはないが、その甲斐性もない自分が惨めだ。

 

先輩に生きる意味を聞いてみたところ、「お前のように、思うようにいかない

人生こそ、涙があり、ドラマとしては見ごたえがある」と言う。

 

私は悲劇の主人公なんだろうか、なんと無責任な解答だ。

でもよく考えると先輩の言うことも一理あるかもしれない。

 

私のような貧乏人は、経済の何の役にも立たない。

物を買うと言っても、売れ残りのような処分品ばかり。

 

少しは贅沢でもして、消費の役に立ちたいが、それは夢のまた夢。

 

仕事が終わって家に帰ると、母が私に、「今日は遅かったね、背中が痛くて

寝返りが打てない、あなたが早く帰ってくるのを待ってたのよ」と

 

悲しく痛々しそうな声で訴えてくる。

 

これを聞くと、やはり私は母のために生き続けなければならないと思う。

病弱でやせ衰えた母の面倒は、私がみなくて誰がみる。

 

自分の思うように生きるのも人生、そうでないのも人生。

悔いがあってもなくても、自分の気持ち次第でどうにでもなる。

 

人が私のことをどう思ってもいいし、同情してくれなくてもいい。

 

しあわせなんて私には無縁なもの、そんなもの探しても見つかりっこない。

人のしあわせを見て羨ましがることしかできないのが私の人生。

 

先輩が言っていた、見ごたえのある悲劇のドラマの主人公として私は生きていく。」

 

手紙の文章は彼の気持ちを伝えるために、私のこころで少し書き換えました。

 

多分この手紙は夜中に書いたのでしょう、とてもテンションが上がっていました。

でも私は彼の手紙から彼の気持ちが痛いほどわかりました。

 

彼についての詳しいこととその後の彼のことを次のブログに書いてみたいと

思います。

遺品の整理

 

私は先日、百貨店に買い物に行きました。

 

お客がいつもより大変多く、駐車場も駐車待ちのクルマでいっぱいでした。

この店は、もうすぐ店じまいをするようで、閉店セールをしていました。

 

食品の階に行くと、生鮮食品は充実した品ぞろえでしたが、日持ちする商品は

すでに棚が半分以上空いていました。

 

その棚には2~5割引きの表示された商品が歯抜けのように並んでいました。

それから衣料品や雑貨の階に行くと、値下げ品がワゴンに集められ、

 

最初はよく売れたようですが、残っている商品を見ると、あまり欲しいような

商品はなくて、更なる値引きをしないと売れないと思いました。

 

まだ大量の在庫が残っていて、店員さんは必死に売り込んでいました。

閉店するまでにほとんど売ってしまわないと、後片付けが大変だと思いました。

 

閉店セールを見て私は思い出しました、以前、同じ支店で働いていた私の上司が

病気で亡くなり、彼の奥様は遺品の整理が大変だと困っていました。

 

上司の彼が趣味で集めたものなどがたくさんあり、処分することなく亡くなった

ので、その多さにお手上げでした。

 

その遺品には彼の気持ちが入っていた物がたくさんあり、奥様はどれを遺して

どれを処分していいのか迷ったようです。

 

百貨店のように値引きしてお客に買ってもらうようにはいきませんでした。

遺品の価値は亡くなった彼にしかわかりません。

 

親族に遺品を見てもらっても、いつも彼と一緒に暮らしていなかったので、

遺品に対する彼の気持ちの入れ方がわかりませんでした。

 

四十九日の法要が終わり、業者に依頼して、遺品の処分をすることにしました。

私は、昔からの親友で、愛を持って仕事をしている適任者を奥様に紹介しました。

 

遺品の処分にきた私の親友は、「捨てないで遺して置くものはないですか」と

奥様に聞きました。

 

彼女は、「私はどれもこれも遺してあげたくてとても困っています、主人が

遺してきた物を処分するには忍びないんです」と申し訳なさそうに言いました。

 

彼女は遺品をひとつひとつ手に取ってどれを遺してあげようかと悩みました。

そのうち彼女は、彼の生きていた頃のことを思い出し、涙が出てきました。

 

手にしたものは、ふたりで旅行した時ふたりでいいねと言って買った、幸福を招く

ふくろうの置物、ふたりの思い出が詰まった記念の品物でした。

 

ほかにも彼が大切にしていた物がたくさんありました。

 

彼女は天に向かって、あなたが遺してほしいものは何なの、と尋ねました。

しかし、いくら好きでも彼は今ではあの世の人、彼女の声は遠くて届きませんでした。

 

どうして私を残してそんな遠くに行ってしまったのと彼女は涙が止まりません。

 

親友は彼女に、「あなたはご主人をとても愛していたようですね、その愛が

強ければ強いほど、遺品を捨てることには抵抗があるでしょう」と言いました。

 

彼女は、「そうなんです、だから私は夫の遺品を捨てられないのです」と

涙ながらに答えました。

 

するとその親友は彼女に、「どれを遺すのかは迷っても、絶対処分して

いけないのは、あなたがご主人を愛するこころです、これを遺せばきっと

 

ご主人は喜んでくれるはずです」と助言しました。

 

さすが遺品の処分を仕事にしてきた親友はお客のこころを理解していますね。

私は親友の彼を紹介した甲斐があったと思いました。

 

彼女は夫婦ふたりが一番しあわせそうな笑顔で写った写真だけ遺し、

他はすべて処分しました。

 

彼女は私に、いい人を紹介してくれたと言って、喜んでくれました。

彼女も親友も私もみんなとてもいい気持ちになりました。

 

彼女はスッキリとした部屋を見てもこころ残りはありませんでした。

彼女にとっての一番の遺品はご主人を愛するこころだったのです。

 

彼女のこころの部屋には、いつまでも、大好きだった彼は生き続けています。

人を嫌いになること

 

私が今の会社に入社して2年目に、会社の同僚で、とても嫌な女子社員がいました。

彼女は私よりベテランで、長く勤めているだけあって、仕事はよくできました。

 

彼女は気が強く、よく言えばこころが熱くなる情熱家、悪く言えばすぐに頭に

血が上る瞬間湯沸かし器のような人でした。

 

彼女は自分勝手で、自分が忙しい時は、私の仕事に関係なく仕事を振ってきました。

 

私の仕事に余裕がある時ならいいのですが、忙しい時でもなりふり構わず

私に仕事を振るのでとても困りました。

 

そのくせ、私が忙しくて雑な仕事をしているといつも厳しく注意します。

私はいつも彼女に監視されているような気がしました。

 

でも、私がしたことのない仕事を頼まれた時、「この仕事はやったことがない」と

切り返すと彼女は「こんなことも知らないの」と言いますが丁寧に教えてくれました。

 

彼女のペースで仕事を振り回される私は、彼女が大嫌いでした。

私はいつか彼女にやり返してやろうと、いつも思っていました。

 

ある時彼女は、忙しかったのか、仕事で初歩的なミスをしてしまい、上司に

叱られていました。

 

私はそれを見た後、彼女に、「あなたでもこんな単純なミスをすることがあるん

ですね」と薄笑いをして言いました。

 

すると、彼女はみるみる顔色が変わって、怒りが顔に表れてくるのがわかりました。

私はそれを見てこれは大変なことになったと思いました。

 

プライドを傷つけられた彼女は、急ぎの仕事でなくても、どんどん私に仕事を

振ってきました。

 

私は仕返しをしたつもりでも、彼女から2倍になって返ってきたので、

私のこころは傷つき、あんな事言わなければよかったと悔やみました。

 

それから私のこころはだんだん重く沈んできました。

私は身勝手な彼女と一緒に働くことで、毎日がとても憂鬱でした。

 

特に日曜日の夜、テレビでサザエさんの放送が終わる頃になり、また明日

彼女の顔を見なければならないのかと思うと、とても気分が落ち込みました。

 

でも多くの同僚は彼女のことをとても親切でいい人だと言います。

私は彼女のどこが親切なのかまったくわかりませんでした。

 

ある時、私は仕事がお休みで、スーパーにクルマで買い物に行こうと思い、

途中、赤信号で停車していると、同僚の彼女が近くを歩いているのが見えました。

 

彼女の反対側の歩道には、車いすに乗ったお年寄りを若い女性が押して

歩いていました。

 

ところが、運悪く、そこには大きな段差があって女性は力が弱く、車いす

持ち上げられませんでした。

 

ひとりで困っている女性に気付いた彼女は、点滅していた青信号を、走って渡り

車いすを持ち上げるのを手伝いました。

 

彼女の手助けで、車いすはなんとか段差を乗り越えることができました。

 

その女性は助かりましたと彼女にお礼を言い、彼女は笑顔でお年寄りの手を

やさしく握りました。

 

私はこんな場面を見ると愛を感じ、とても感動する人間です。

 

私はそのとき、いつも悪魔のように見えた彼女の顔が、天使のように見えました。

彼女の笑顔はとても優しくて、私は、この世の中には悪い人はいないと思いました。

 

同僚が彼女のことを親切でいい人だと言っていた理由がわかりました。

私は感動し、これなら彼女とうまくやっていけるという予感がしました。

 

私にも大いに問題があったと思います、実は、私の仕事があまりにも遅いので、

私を鍛えるために彼女は仕事を振ってきたのです。

 

彼女を愛する気持ちが欠けていたのです、彼女の愛のムチに気付きませんでした。

そして、彼女の嫌な面ばかりを見ていた自分を反省しました。

 

それからは私は彼女のいい面を見るようにしました、すると私の気持ちが通じ

たんです、彼女の態度が変わってきました。

 

(実際は彼女は変わっていないのですが、私の気持ちが変わったのでそう思った

のかもしれません。)

 

私は彼女を受け入れることができるようになりました。

人を嫌いになるのは自分にも大きな原因があることがわかりました。

 

どんなに嫌だと思っても、人を愛する気持ちを忘れてはいけませんね。

明日を夢見て今日を生きる

 

私の知人で、子供の頃、とても貧しい家庭に育った人がいました。

 

彼は裕福な家庭の子を見ると、おなじ人間なのに貧乏な家庭に生まれると

どうしてこんなに惨めなのかといつも思っていました。

 

彼は心無い子たちに貧乏が悪いことのように思われていじめられ、とても

悔しい思いもしました。

 

ひとりで悩むのはとてもつらく、誰かこの気持ちをわかってくれる人がひとり

でもいればどんなに救われることかと思いました。

 

彼は貧しいことの悔しさをばねにして必ずしあわせは自分の手でつかむと

こころに決めました。

 

彼は高校を卒業すると、運送会社に就職し、トラックドライバーとして

寝る時間も惜しんで働き、そこそこお金も貯まりました。

 

それを元手に事業を興し、苦労しながらなんとか軌道に乗せることができました。

その頃には従業員を数名雇い、彼は小企業ながら社長として頑張りました。

 

それこそ彼は死ぬ気になって頑張って自分でしあわせをつかみ取りました。

何もしなければ、貧困の連鎖で親とおなじ人生を歩むところでした。

 

彼は結婚し、しあわせな家庭を築き、妻も子供も、彼が味わってきた貧しさを

知ることはありませんでした。

 

貧しさによる劣等感や屈辱感を絶対家族には味わわせたくないと思ったので、

彼は自分の健康も顧みず家族のために懸命に働きました。

 

でもそんなしあわせはいつまでも続きませんでした。

 

彼は仕事中に急に体調が悪くなり、仕事を途中でやめて病院に行きました。

検査結果がわかり、彼はすい臓がんと診断されました。

 

すでに手術で切除することはできないほど進行していました。

薬物療法放射線療法を合わせた治療をすることになりました。

 

彼は一縷の希望を持ち、生きるためには何でもすると、頑張りました。

 

貧乏のどん底から這い上がった彼は、何事も、頑張ればできないことは

ないと信じました。

 

しかし、彼の意に反して、どうにもできない気力の衰え、食べることの

できない体力の衰えは、彼を骨と皮だけの肉体となって苦しめました。

 

彼は自分だけがなぜこんなに不幸なんだろうか、世の中不公平だと嘆きました。

こんな惨めな人生なら、生まれてこなかった方が良かったと両親を恨みました。

 

そして彼は、医師の懸命な治療にもかかわらず、帰らぬ人となりました。

 

彼の人生は何だったのでしょうか。

 

死ぬ気で頑張って生きることに成功し、生きるために頑張って死にました。

人生ってこんなに理不尽なのでしょうか。

 

彼が亡くなってしばらくして私は彼の奥様のところに行きました。

彼女は彼が死んでとても落ち込んでいました。

 

私は彼女のこころの痛みを察し、慰めの言葉を伝えました。

 

すると彼女は泣きながら私に、「夫がいなくなって私はもう生きていく

自信がなくなりました、私は夫の後を追って死んでしまいたい」と言いました。

 

私は彼女に、「彼は生きたくても生きることはできなかったのです、

あなたはこれからいくらでも生きることはできます、死ぬなんて考えては

 

いけません」と言うと、彼女は気を取り直して私にうなずきました。

 

彼は自分の思うように生きられませんでしたが精一杯生きました。

悔いが残ったかもしれませんが、彼は生きることの価値を十分味わいました。

 

人は生きることができるだけでもしあわせなんだと思います。

一度きりの人生、辛くても苦しくても、生きているからこそ感動が生まれます。

 

明日を夢見て今日を生きる、これは私が大好きな言葉です。

 

今日も暑くなりそうですね、でも私は、汗をかきながら頑張って、生きることの

しあわせを十分味わいたいと思います。

 

あなたは今、生きていることにしあわせを感じていますか。

愛の代筆

 

この前の休みの日に、恋愛ドラマを見ていると、昔の思い出が蘇ってきました。

その懐かしい記憶を辿ってブログを書いてみました。

 

もう随分前のことで、私が大学生の時のことです。

 

私は文系の学部だったので、理系とちがって自由な時間が多くあったような

気がします。

 

勿論、時間に関係なく勉強すればいいのですが、私の場合、学生である自分の

ことを忘れて、遊び人になってしまうことがよくありました。

 

そして、試験が近づくと、急に目覚めて、学生に戻ったものでした。

私には同級生の友達がたくさんいました。

 

さぼって授業に出ていない講義内容のノートをみんなでコピーし、試験の前には

助け合いました。

 

大学で一番学んだことは、この助け合いの精神だったのかもしれません。

 

話しは変わりますが、私が大学に入学してからすぐに、とても親しい

友達ができました。

 

その友達は遠方の高校を卒業し、自宅から通えないのでアパート住まいでした。

 

私はよく彼のアパートに遊びに行き、泊まり込んで、朝方まで人生について

真剣に語り合ったものです。

 

そんな彼ですが、3年生になったばかりのころ、彼女ができました。

ふたりは、気が合ったようで、彼のアパートで同棲することになりました。

 

私は遠慮して、それまでのように気軽に彼の部屋に遊びに行くことは

なくなりましたが、時どき、彼らの部屋に招かれてご飯をごちそうになる

 

ことがありました。

 

彼女の作る手料理は家庭の味がして、とても美味しかった記憶があります。

ベランダにはふたりの洗濯物が干してあり、家庭のしあわせを感じました。

 

3人での食事はとても楽しく、彼も彼女も、私を家族のように大切にしてくれました。

彼女は彼より1歳年上で、学生ではなく社会人で、しっかりしていました。

 

私は彼女の優しくて、明るく、気さくな性格が気に入って、彼女と同棲している

彼が羨ましくてたまりませんでした。

 

もし彼がいなかったら、きっと、私は彼女のことを好きになっていたでしょう。

 

それから数か月後、彼が深刻そうな顔をして、私に相談があると言って来ました。

私が何かと聞くと、どうやら彼は彼女に逃げられてしまったようです。

 

理由を聞くと、社会人の彼女の収入を当てにして、遊び過ぎたのが原因だった

ようでした。

 

彼女は、自分は頑張って働いているのに、真面目に勉強もしないで遊んでばかりいる

彼に愛想をつかしたようです。

 

彼は私に、「お前は彼女とは何度も会っていて、面識があるから、彼女がなんとか

俺のところに戻ってくるように手紙を書いて欲しい」と頼みました。

 

私は落ち込んでいる親友を見捨てることはできませんでした。

 

その頃にはまだブログというものはありませんでしたが、ブログを書くのと

同じようにこころを込めて彼女に手紙を書きました。

 

私は手紙に、彼の人間としての魅力を余すところなく表現しました。

そして同様に、私が思う、彼女の素晴らしさをこころを込めて書きました。

 

そして、私は彼に対して、男女の愛を越えた、人間としての愛を持っているので

悲しんで落ち込んでいる彼を何とか助けてあげたいと伝えました。

 

ふたりがしあわせになることが私にとってもしあわせなのです。

お願いです、私の熱いこころを感じ取って下さい。

 

私は最大限の情熱を持って、彼女に私の想いを伝え、彼の元に戻ってくるように

お願いしました。

 

彼は私が書いた手紙を送る前に読んで、これはまるで彼女へのラブレターだなと

苦笑いをしました。

 

しばらくして、彼女から私のところへ手紙の返事が届きました。

 

「彼の親友のあなたへ・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい、私はもう彼の

ところには戻れません。でも、あなたのお手紙を読んで感動しました。・・・・

私は愛情あふれるあなたが好きになりました・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

私はまさかこんな結果になるとは思いませんでした。

 

私は彼女とは付き合うことはできません、彼女を愛することは親友である彼を

裏切ることになります。

 

私は彼を人間として愛したのです。

私にとって、人間としての愛は彼女への愛よりも強いのです。

 

私は彼に黙ってこの手紙を破りました。

こころのアルバム

 

私は写真を撮るのが苦手で、ブログに写真を載せるのにはいつも躊躇します。

今まで何度か写真を掲載しましたが、とても恥ずかしく思います。

 

ブログに写真を掲載するのは、私の思い出をアルバムのようにブログに残して

おきたかったからです。

 

それで私は、いい写真を撮るにはどうしたらいいのかと考えました。

 

カメラ屋さんに行けばいい写真の撮り方がわかるかもしれないと思い、

約束した日時に、私の知人が勤めているカメラ屋さんに行きました。

 

そこにはカメラだけではなく、家電や寝具、携帯電話、薬に化粧品、そして

お酒まで品揃えされていました。

 

私はその品揃えを見て、最近のカメラ屋さんは何でも揃っているんだなと

驚きました。

 

私はカメラのことは全然わからないので、売場の説明書を見ながら知人が

来るのを待ちました。

 

しばらくして知人が私を見つけて、笑顔で近づいてきて、「どんなカメラを

お探しですか」と聞いてきました。

 

私は、「ブログに載せる写真を撮りたいのですが、今までスマホで撮っていたせいか

いい写真が撮れないので困っているんです」と言いました。

 

すると知人は私に、「どんなブログを書いているのですか」と聞いてきました。

 

私は、「写真が苦手なので、ほとんど文章でこころを込めて書いています」と

答えました。

 

私はこころに残るブログを書きたいから、それに合った写真が撮りたかったのです。

私はスマホを取り出し、ブログに写った写真を見せました。

 

知人は写真を見て私に、「全然こころが入っていませんね、これでは読者に

気持ちが伝わらないでしょうね。

 

たとえあなたが感動したとしても読者は共感しないでしょう。

この写真ではあなたが読者に何を伝えようとしているのかわかりません。

 

せっかく書いたブログも、写真を掲載することでぼやけてしまいます。

そもそもあなたのブログに写真を入れる必要性があるのですか」と聞きました。

 

私は知人に、「他のブログを書いている人の写真を見るととても素晴らしく思い、

私もあのようにきれいな写真を載せたいんです」と答えました。

 

知人は、「あなたがブログをこころで書くのなら、写真もこころで撮りなさい、

真心のこもった写真ならどんなカメラで撮っても同じですよ」と言いました。

 

私はそれを聞いて、はっと気がつきました。

 

私がブログに載せている写真は、スマホで撮っているからではなく、こころが

入っていないから読者のみなさまに伝わらないのに気がつきました。

 

私が知人に、「では、こころで写真を撮るためにはどうすればいいのですか?」と

聞いてみました。

 

知人は、「人生を勉強しなさい、そこにはドラマがあり、感動の瞬間があります。

その瞬間を逃さず写真に撮って伝えれば共感が生まれます。

 

いい写真とは人生の感動の瞬間にうまくピントを合わせることです。」と

教えてくれました。

 

こころで写真を撮ったら文章なんて最低限でいいようです。

 

知人は私のブログを読んで、「もっと人生を勉強して文章でこころを表現できる

ようにしなさい、写真を掲載するのはまだ1年早いでしょう。

 

こころで文章を書けるようになったら私のところに来なさい、写真の撮り方を

教えてあげるから」と知人は私に言いました。

 

さすがカメラ屋に勤めて20年、写真の奥深さを理解していますね。

 

私は知人の話を聞いて、感動する写真とは、時間と空間とこころが調和する

一瞬を逃さずとらえることだと思いました。

 

私はもっと人生を勉強して、こころのこもったブログを書きたいと思います。

それまで私の思い出のシーンは、こころのアルバムに残しておくことにしました。

人生のフロアガイド

 

私は先月、ショッピングセンターにクルマでひとり買い物に行きました。

そこの駐車場は平面駐車場がいっぱいだったので、私は立体駐車場に止めました。

 

4~6階までと屋上駐車場があり、多くのクルマが駐車できる広い駐車場でした。

私は5階の駐車場で、お店の入り口から少し離れたところにクルマを止めました。

 

私は広い店内をぐるぐる回りながら、2時間くらい買い物や食事を楽しんで、

さて帰ろうと思い、駐車場に戻ると私のクルマがありませんでした。

 

広い駐車場をくまなく探しましたが見つかりませんでした。

 

私は止めた階を間違えたのかと思って、4階、6階も探しましたが見つかり

ませんでした。

 

暗くて広い駐車場を30分以上歩き回っても見つかりませんでした。

自分が止めた場所などお店の人に聞いてもわかりません。

 

クルマのキーは持っているので盗難されるはずもありません。

私は疲れ果てて、お店に戻り、カフェに入ってどうしようかと途方に暮れました。

 

コーヒーを飲みながらお店に置いてあったフロアガイドを見てみました。

するとこのショッピングセンターは建物がふたつに分かれていて、

 

3階の連絡通路で繋がっていました。

 

方向音痴の私は気がつきました、駐車場から3階に降りて連絡通路を通って

別の建物に移っていたのを忘れていたのです。

 

見つかるはずはありません、私は隣の建物の駐車場を探し回っていたのです。

 

話しは変わります。

 

私の部署に、今年入社したばかりの、新入社員がいます。

入社して3か月が過ぎましたが、会社に馴染めなくて元気がありません。

 

私が新入社員だった頃のことを思い出すと、社会に出たばかりで何もわからず、

先輩にいろいろ教えられて、汗をかいてがむしゃらに仕事をしていたと思います。

 

私はどうして元気がないのかと聞いてみました。

 

すると彼は、なかなか仕事が覚えられない、職場の人間関係がむずかしい、

仕事の責任感で重圧を感じる、学生時代と違って自由な時間が少ないなど、

 

学生時代に思っていたこととはずいぶん違う、社会人生活のギャップに

戸惑っているようでした。

 

彼はこのままこの会社で働き続けることが正解なのだろうかと悩んでいて、

先の見えない将来に対して不安を持っているようでした。

 

そして彼の最大の悩みは、自分の人生はこれから一体どこに向かって歩いて

行けばいいのか迷っていることでした。

 

私は人生に迷っている彼に人生の先輩として何とかしてあげたいと思いました。

 

まず彼の今までの生き方を整理して、自分の立ち位置をしっかり把握してみては

どうかと考えました。

 

そして彼の周りをじっくり見渡すことで、きっと彼にふさわしい場所が

見つかるのではないかと思いました。

 

そこは今の会社でも別の会社でも構いません、もしかしたら、そこには彼を

必要とする世界が待っているかもしれません。

 

そのふさわしい場所とは、みんなが彼のことをこころから愛してくれる

しあわせな世界です。

 

もちろん彼がすべての人を愛さなければその場所は見つかりません。

 

彼のいる場所と目的地がわかれば、きっと、しあわせな世界に到着するまでの一番

近い道を見つけることができるでしょう。

 

もし途中で道に迷ったら人に聞くといいでしょう、彼に大きな愛があれば、人は皆、

彼をしあわせな世界に導いてくれることでしょう。

 

人生のフロアガイドを見ることと大きな愛を持つことで、彼は迷わずしあわせへの

道を見つけることができると思いました。

 

私はショッピングセンターで迷ったことを思い出して、このように思いました。

 

人生に迷ったときはいつでも、自分のいる場所と目的地を知ることが大切です。

私は彼にこのようにアドバイスしましたが、私の気持ちが伝わったでしょうか。

 

先の見えない真っ暗なトンネルに明かりが見えればそれだけで人は救われます。

私は愛を持って彼を長いトンネルから出口へと導いたつもりです。

お星さまにお願い

 

私の知人は、いつも忙しそうで、時間が足りないと言っていました。

彼は仕事が大好きで、家庭を顧みず、早朝から深夜まで働きました。

 

営業成績が会社でトップクラスの彼は、働けば働くほど成績が上がり、

仕事にとてもやりがいを持っていました。

 

家にはただ寝に帰るだけで、家族との会話がほとんどありませんでした。

彼の奥さんは、うちの家庭はまるで母子家庭のようだと嘆いていました。

 

彼の仕事の休みの日は、仕事の疲れを取るためにお昼すぎまで眠っているので

家族で一緒に外出することはめったにありませんでした。

 

彼が家族サービスをしないので、彼の奥さんは6歳になる仁美(ひとみ)ちゃんという

女の子を連れて、ふたりで遊園地に行ったりショッピングに行きました。

 

彼は目が覚めるといつもひとりでお留守番でした。

 

彼は用意してあったお昼ご飯をひとりで食べて、忙しくて訪問できなかった

お客のところに、約束した時間に合わせて出かけます。

 

営業のつらいことは、お客の都合に合わせるので、休みの日でも

仕事が入ることがよくあります。

 

お客との打ち合わせが長引き、家に帰ると、仁美ちゃんは先にご飯を食べて

寝ていることもありました。

 

奥さんは、せめて休みの日くらい、仁美ちゃんと遊んで欲しいと思いました。

 

仕事の時は朝が早いので、彼が朝食をとる時間にはまだ仁美ちゃんは眠って

います。

 

帰宅は深夜になるので、用意してあったご飯をひとりで食べます。

 

そんな母子家庭のようなふたりですが、七夕が近づき、彼のいないふたりだけの

夕食の時、彼の奥さんは寂しそうな仁美ちゃんに七夕のお話をしてあげました。

 

むかし、はた織りが上手な神様の娘おり姫と、働き者の牛飼いであるひこ星は、神様の

引き合わせで結婚し、仲良く過ごしましたが、楽しさのあまり、仕事をしなくなり、

 

遊んでばかりのふたりを神様は激怒し、ふたりを天の川の両側に引き離し、

ふたりが1年に1度だけ七夕に会うことを許しました。

 

これを聞いて仁美ちゃんは、「私がおり姫なら、パパはひこ星なのね」と言いました。

仁美ちゃんは、めったにしか話をしてくれない父親に、寂しさを込めた言葉でした。

 

家族3人で一緒に遊園地に行ったのは3か月前が最後で、それ以来、1度もみんなで

外出することはありませんでした。

 

仁美ちゃんはその時のことがとても楽しくて、もっとパパが一緒に遊んで

くれればいいのになと思いました。

 

七夕の日、彼は早く起きてきた仁美ちゃんに「今日は七夕だね、欲しいものが

あったら短冊に書いておきなさい、パパがお願いを叶えてあげるから」と言って

 

仕事に出かけました。

 

仁美ちゃんは、彼が仕事に行っている間に、一番欲しいものを短冊に書きました。

 

その日の夜、彼はたまたま、夜の仕事がキャンセルになり、久しぶりに

早く家に帰ることになりました。

 

彼は仕事の帰りに、仁美ちゃんの大好物のイチゴのショートケーキを

おみやげに買って帰りました。

 

家に帰ると仁美ちゃんがお帰りなさいと大喜びで出迎えてくれました。

 

彼は仁美ちゃんに、「仁美ちゃんが一番好きなイチゴのショートケーキを

買ってきたよ」と言って渡しました。

 

すると仁美ちゃんは、「私が一番好きなのはショートケーキじゃない」と言いました。

 

玄関には笹飾りが置かれ、仁美ちゃんが七夕飾りの短冊にお願いを書いていました。

 

「お星さまお願いです、大好きなパパが早く帰って、一緒にご飯を食べることが

できるようにしてください」と書かれていました。

 

彼が早く帰ってきたので仁美ちゃんは、お星さまが私のお願いを叶えてくれたと

大喜びをしました。

 

いままで彼は自分の娘がこんなに自分のことを愛しているのに気がつきませんでした。

彼は一生懸命に仕事をしてお金を稼ぐことが家族のしあわせだと思っていました。

 

その喜ぶ我が子の姿を見て、彼は深く反省し、仁美ちゃんをもっともっとかわいがって

あげようと心底思いました。

 

それから彼の家庭は、寂しい2人家族から楽しい3人家族に変わりました。

 

いくら仕事が好きでも、家族を大切にしないといけませんね。

本当のしあわせは家庭にあるのかもしれません。

セミのように生きたい

もう7月も半ばです、今年も半分が過ぎましたね。

暑い日が続きますが、もうすぐセミの鳴き声がうるさくなりますね。

 

でも、セミの鳴き声を聞くと夏だという実感が湧き、それはそれでいいものです。

 

盛夏にジリジリと激しく鳴くアブラゼミ、夏の終わりを告げるツクツクボウシ

風情があっていいですね。

 

私が小学生の頃は、夏休みには木にとまっているセミを見つけては

網で捕まえて、羽の振動を強く感じながら虫かごに入れたのを覚えています。

 

そんな季節が来るまでにと、私は今年の前半を振り返り、反省をして、

後半をどのように過ごそうかと考えてみました。

 

私の友人は、給料の不足分を補うために、副業のためのプログラミングの

勉強を始めました。

 

彼はうまくいけば、会社を辞めて、独立したいという夢を持っています。

 

私の姪は、結婚が決まり、新婚生活の準備のために、料理を習いに料理学校に

通っています。

 

きっとご主人は、彼女の愛情のこもった手料理に、しあわせを感じることでしょう。

 

それに比べて私はどうだったんでしょう。

 

私は仕事でいつも上司に叱られていましたが、それでも私はマイペースです。

大した仕事の成果もなく、だらだらと時間が過ぎていく、給料泥棒のようでした。

 

仕事に疲れて、家に帰ってお風呂上りに飲む一杯のビールが最高のしあわせで、

 

あとは、仕事の休みの日に趣味の家庭菜園で作る、採れたての新鮮な野菜を

食べることくらいが楽しみでした。

 

私は何ごともなく、毎日平凡な日々を過ごしたように思います。

 

平凡な生活って、本当はしあわせなのかもしれませんね、なくして初めて

その大切さがわかることでしょう。

 

愚かな私は、今まで何度も人生の計画を立てましたが長続きしませんでした。

 

年初に立てた、今年こそは素晴らしい人生を送ろうという新年の抱負は

1月の終わりには雲消霧散という結果となりました。

 

私はそれを反省して、今年の後半をどのように生きたらいいのかと考えました。

するとセミのことを思い出しました。

 

セミの一生は3年以上は地中で過ごし、地上に出てからの寿命はわずか

1週間程度のようです。

 

でも、地上での生活はとても精力的に生きているように見えます。

あれだけ一生懸命に鳴いているのですから。

 

それを見て、私はセミの生き方を参考にしようと思いました。

 

今年の後半は、素晴らしく生きようとするのではなく、セミのように、

一生懸命に生きようとこころに決めました。

 

セミセミでも、セミの王様クマゼミではなく、どこにでもいるアブラゼミです。

私はクマゼミのようにスマートには生きられません。


食べ物に例えれば、フランス料理のフルコースよりも、屋台のおでんのほうが

私にはよく似合います。

 

おでんの魅力は、フランス料理の見た目の豪華さよりも、じっくり煮込めば、

見栄えが悪くても人情の味が沁み込むような気がします。

 

私ができるのは、ゆっくりと、汗と涙で人情の世界を渡り歩くことくらいです。

 

額に汗をかき、こころが震えて涙が出るとき、そのしょっぱさを味わうのが

私の人生です。

 

汗と涙は人生の潤滑油、どんな摩擦も滑らかにしてくれます。

誠意を尽くせば、こころが伝わるのが人情の世界だと思います。

 

こんな能力のない私でも、セミのように、短い命を大切に生きたいですね。

鳴きやまないセミの声に生きる力を感じます。

 

私はたくさんの仲間と愛の大合唱することができればいいなと思います。

 

人は一生懸命に生きることで感動し、愛としあわせを見つけることができる

ような気がします。