愛の代筆

 

この前の休みの日に、恋愛ドラマを見ていると、昔の思い出が蘇ってきました。

その懐かしい記憶を辿ってブログを書いてみました。

 

もう随分前のことで、私が大学生の時のことです。

 

私は文系の学部だったので、理系とちがって自由な時間が多くあったような

気がします。

 

勿論、時間に関係なく勉強すればいいのですが、私の場合、学生である自分の

ことを忘れて、遊び人になってしまうことがよくありました。

 

そして、試験が近づくと、急に目覚めて、学生に戻ったものでした。

私には同級生の友達がたくさんいました。

 

さぼって授業に出ていない講義内容のノートをみんなでコピーし、試験の前には

助け合いました。

 

大学で一番学んだことは、この助け合いの精神だったのかもしれません。

 

話しは変わりますが、私が大学に入学してからすぐに、とても親しい

友達ができました。

 

その友達は遠方の高校を卒業し、自宅から通えないのでアパート住まいでした。

 

私はよく彼のアパートに遊びに行き、泊まり込んで、朝方まで人生について

真剣に語り合ったものです。

 

そんな彼ですが、3年生になったばかりのころ、彼女ができました。

ふたりは、気が合ったようで、彼のアパートで同棲することになりました。

 

私は遠慮して、それまでのように気軽に彼の部屋に遊びに行くことは

なくなりましたが、時どき、彼らの部屋に招かれてご飯をごちそうになる

 

ことがありました。

 

彼女の作る手料理は家庭の味がして、とても美味しかった記憶があります。

ベランダにはふたりの洗濯物が干してあり、家庭のしあわせを感じました。

 

3人での食事はとても楽しく、彼も彼女も、私を家族のように大切にしてくれました。

彼女は彼より1歳年上で、学生ではなく社会人で、しっかりしていました。

 

私は彼女の優しくて、明るく、気さくな性格が気に入って、彼女と同棲している

彼が羨ましくてたまりませんでした。

 

もし彼がいなかったら、きっと、私は彼女のことを好きになっていたでしょう。

 

それから数か月後、彼が深刻そうな顔をして、私に相談があると言って来ました。

私が何かと聞くと、どうやら彼は彼女に逃げられてしまったようです。

 

理由を聞くと、社会人の彼女の収入を当てにして、遊び過ぎたのが原因だった

ようでした。

 

彼女は、自分は頑張って働いているのに、真面目に勉強もしないで遊んでばかりいる

彼に愛想をつかしたようです。

 

彼は私に、「お前は彼女とは何度も会っていて、面識があるから、彼女がなんとか

俺のところに戻ってくるように手紙を書いて欲しい」と頼みました。

 

私は落ち込んでいる親友を見捨てることはできませんでした。

 

その頃にはまだブログというものはありませんでしたが、ブログを書くのと

同じようにこころを込めて彼女に手紙を書きました。

 

私は手紙に、彼の人間としての魅力を余すところなく表現しました。

そして同様に、私が思う、彼女の素晴らしさをこころを込めて書きました。

 

そして、私は彼に対して、男女の愛を越えた、人間としての愛を持っているので

悲しんで落ち込んでいる彼を何とか助けてあげたいと伝えました。

 

ふたりがしあわせになることが私にとってもしあわせなのです。

お願いです、私の熱いこころを感じ取って下さい。

 

私は最大限の情熱を持って、彼女に私の想いを伝え、彼の元に戻ってくるように

お願いしました。

 

彼は私が書いた手紙を送る前に読んで、これはまるで彼女へのラブレターだなと

苦笑いをしました。

 

しばらくして、彼女から私のところへ手紙の返事が届きました。

 

「彼の親友のあなたへ・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい、私はもう彼の

ところには戻れません。でも、あなたのお手紙を読んで感動しました。・・・・

私は愛情あふれるあなたが好きになりました・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

私はまさかこんな結果になるとは思いませんでした。

 

私は彼女とは付き合うことはできません、彼女を愛することは親友である彼を

裏切ることになります。

 

私は彼を人間として愛したのです。

私にとって、人間としての愛は彼女への愛よりも強いのです。

 

私は彼に黙ってこの手紙を破りました。

こころのアルバム

 

私は写真を撮るのが苦手で、ブログに写真を載せるのにはいつも躊躇します。

今まで何度か写真を掲載しましたが、とても恥ずかしく思います。

 

ブログに写真を掲載するのは、私の思い出をアルバムのようにブログに残して

おきたかったからです。

 

それで私は、いい写真を撮るにはどうしたらいいのかと考えました。

 

カメラ屋さんに行けばいい写真の撮り方がわかるかもしれないと思い、

約束した日時に、私の知人が勤めているカメラ屋さんに行きました。

 

そこにはカメラだけではなく、家電や寝具、携帯電話、薬に化粧品、そして

お酒まで品揃えされていました。

 

私はその品揃えを見て、最近のカメラ屋さんは何でも揃っているんだなと

驚きました。

 

私はカメラのことは全然わからないので、売場の説明書を見ながら知人が

来るのを待ちました。

 

しばらくして知人が私を見つけて、笑顔で近づいてきて、「どんなカメラを

お探しですか」と聞いてきました。

 

私は、「ブログに載せる写真を撮りたいのですが、今までスマホで撮っていたせいか

いい写真が撮れないので困っているんです」と言いました。

 

すると知人は私に、「どんなブログを書いているのですか」と聞いてきました。

 

私は、「写真が苦手なので、ほとんど文章でこころを込めて書いています」と

答えました。

 

私はこころに残るブログを書きたいから、それに合った写真が撮りたかったのです。

私はスマホを取り出し、ブログに写った写真を見せました。

 

知人は写真を見て私に、「全然こころが入っていませんね、これでは読者に

気持ちが伝わらないでしょうね。

 

たとえあなたが感動したとしても読者は共感しないでしょう。

この写真ではあなたが読者に何を伝えようとしているのかわかりません。

 

せっかく書いたブログも、写真を掲載することでぼやけてしまいます。

そもそもあなたのブログに写真を入れる必要性があるのですか」と聞きました。

 

私は知人に、「他のブログを書いている人の写真を見るととても素晴らしく思い、

私もあのようにきれいな写真を載せたいんです」と答えました。

 

知人は、「あなたがブログをこころで書くのなら、写真もこころで撮りなさい、

真心のこもった写真ならどんなカメラで撮っても同じですよ」と言いました。

 

私はそれを聞いて、はっと気がつきました。

 

私がブログに載せている写真は、スマホで撮っているからではなく、こころが

入っていないから読者のみなさまに伝わらないのに気がつきました。

 

私が知人に、「では、こころで写真を撮るためにはどうすればいいのですか?」と

聞いてみました。

 

知人は、「人生を勉強しなさい、そこにはドラマがあり、感動の瞬間があります。

その瞬間を逃さず写真に撮って伝えれば共感が生まれます。

 

いい写真とは人生の感動の瞬間にうまくピントを合わせることです。」と

教えてくれました。

 

こころで写真を撮ったら文章なんて最低限でいいようです。

 

知人は私のブログを読んで、「もっと人生を勉強して文章でこころを表現できる

ようにしなさい、写真を掲載するのはまだ1年早いでしょう。

 

こころで文章を書けるようになったら私のところに来なさい、写真の撮り方を

教えてあげるから」と知人は私に言いました。

 

さすがカメラ屋に勤めて20年、写真の奥深さを理解していますね。

 

私は知人の話を聞いて、感動する写真とは、時間と空間とこころが調和する

一瞬を逃さずとらえることだと思いました。

 

私はもっと人生を勉強して、こころのこもったブログを書きたいと思います。

それまで私の思い出のシーンは、こころのアルバムに残しておくことにしました。

人生のフロアガイド

 

私は先月、ショッピングセンターにクルマでひとり買い物に行きました。

そこの駐車場は平面駐車場がいっぱいだったので、私は立体駐車場に止めました。

 

4~6階までと屋上駐車場があり、多くのクルマが駐車できる広い駐車場でした。

私は5階の駐車場で、お店の入り口から少し離れたところにクルマを止めました。

 

私は広い店内をぐるぐる回りながら、2時間くらい買い物や食事を楽しんで、

さて帰ろうと思い、駐車場に戻ると私のクルマがありませんでした。

 

広い駐車場をくまなく探しましたが見つかりませんでした。

 

私は止めた階を間違えたのかと思って、4階、6階も探しましたが見つかり

ませんでした。

 

暗くて広い駐車場を30分以上歩き回っても見つかりませんでした。

自分が止めた場所などお店の人に聞いてもわかりません。

 

クルマのキーは持っているので盗難されるはずもありません。

私は疲れ果てて、お店に戻り、カフェに入ってどうしようかと途方に暮れました。

 

コーヒーを飲みながらお店に置いてあったフロアガイドを見てみました。

するとこのショッピングセンターは建物がふたつに分かれていて、

 

3階の連絡通路で繋がっていました。

 

方向音痴の私は気がつきました、駐車場から3階に降りて連絡通路を通って

別の建物に移っていたのを忘れていたのです。

 

見つかるはずはありません、私は隣の建物の駐車場を探し回っていたのです。

 

話しは変わります。

 

私の部署に、今年入社したばかりの、新入社員がいます。

入社して3か月が過ぎましたが、会社に馴染めなくて元気がありません。

 

私が新入社員だった頃のことを思い出すと、社会に出たばかりで何もわからず、

先輩にいろいろ教えられて、汗をかいてがむしゃらに仕事をしていたと思います。

 

私はどうして元気がないのかと聞いてみました。

 

すると彼は、なかなか仕事が覚えられない、職場の人間関係がむずかしい、

仕事の責任感で重圧を感じる、学生時代と違って自由な時間が少ないなど、

 

学生時代に思っていたこととはずいぶん違う、社会人生活のギャップに

戸惑っているようでした。

 

彼はこのままこの会社で働き続けることが正解なのだろうかと悩んでいて、

先の見えない将来に対して不安を持っているようでした。

 

そして彼の最大の悩みは、自分の人生はこれから一体どこに向かって歩いて

行けばいいのか迷っていることでした。

 

私は人生に迷っている彼に人生の先輩として何とかしてあげたいと思いました。

 

まず彼の今までの生き方を整理して、自分の立ち位置をしっかり把握してみては

どうかと考えました。

 

そして彼の周りをじっくり見渡すことで、きっと彼にふさわしい場所が

見つかるのではないかと思いました。

 

そこは今の会社でも別の会社でも構いません、もしかしたら、そこには彼を

必要とする世界が待っているかもしれません。

 

そのふさわしい場所とは、みんなが彼のことをこころから愛してくれる

しあわせな世界です。

 

もちろん彼がすべての人を愛さなければその場所は見つかりません。

 

彼のいる場所と目的地がわかれば、きっと、しあわせな世界に到着するまでの一番

近い道を見つけることができるでしょう。

 

もし途中で道に迷ったら人に聞くといいでしょう、彼に大きな愛があれば、人は皆、

彼をしあわせな世界に導いてくれることでしょう。

 

人生のフロアガイドを見ることと大きな愛を持つことで、彼は迷わずしあわせへの

道を見つけることができると思いました。

 

私はショッピングセンターで迷ったことを思い出して、このように思いました。

 

人生に迷ったときはいつでも、自分のいる場所と目的地を知ることが大切です。

私は彼にこのようにアドバイスしましたが、私の気持ちが伝わったでしょうか。

 

先の見えない真っ暗なトンネルに明かりが見えればそれだけで人は救われます。

私は愛を持って彼を長いトンネルから出口へと導いたつもりです。

お星さまにお願い

 

私の知人は、いつも忙しそうで、時間が足りないと言っていました。

彼は仕事が大好きで、家庭を顧みず、早朝から深夜まで働きました。

 

営業成績が会社でトップクラスの彼は、働けば働くほど成績が上がり、

仕事にとてもやりがいを持っていました。

 

家にはただ寝に帰るだけで、家族との会話がほとんどありませんでした。

彼の奥さんは、うちの家庭はまるで母子家庭のようだと嘆いていました。

 

彼の仕事の休みの日は、仕事の疲れを取るためにお昼すぎまで眠っているので

家族で一緒に外出することはめったにありませんでした。

 

彼が家族サービスをしないので、彼の奥さんは6歳になる仁美(ひとみ)ちゃんという

女の子を連れて、ふたりで遊園地に行ったりショッピングに行きました。

 

彼は目が覚めるといつもひとりでお留守番でした。

 

彼は用意してあったお昼ご飯をひとりで食べて、忙しくて訪問できなかった

お客のところに、約束した時間に合わせて出かけます。

 

営業のつらいことは、お客の都合に合わせるので、休みの日でも

仕事が入ることがよくあります。

 

お客との打ち合わせが長引き、家に帰ると、仁美ちゃんは先にご飯を食べて

寝ていることもありました。

 

奥さんは、せめて休みの日くらい、仁美ちゃんと遊んで欲しいと思いました。

 

仕事の時は朝が早いので、彼が朝食をとる時間にはまだ仁美ちゃんは眠って

います。

 

帰宅は深夜になるので、用意してあったご飯をひとりで食べます。

 

そんな母子家庭のようなふたりですが、七夕が近づき、彼のいないふたりだけの

夕食の時、彼の奥さんは寂しそうな仁美ちゃんに七夕のお話をしてあげました。

 

むかし、はた織りが上手な神様の娘おり姫と、働き者の牛飼いであるひこ星は、神様の

引き合わせで結婚し、仲良く過ごしましたが、楽しさのあまり、仕事をしなくなり、

 

遊んでばかりのふたりを神様は激怒し、ふたりを天の川の両側に引き離し、

ふたりが1年に1度だけ七夕に会うことを許しました。

 

これを聞いて仁美ちゃんは、「私がおり姫なら、パパはひこ星なのね」と言いました。

仁美ちゃんは、めったにしか話をしてくれない父親に、寂しさを込めた言葉でした。

 

家族3人で一緒に遊園地に行ったのは3か月前が最後で、それ以来、1度もみんなで

外出することはありませんでした。

 

仁美ちゃんはその時のことがとても楽しくて、もっとパパが一緒に遊んで

くれればいいのになと思いました。

 

七夕の日、彼は早く起きてきた仁美ちゃんに「今日は七夕だね、欲しいものが

あったら短冊に書いておきなさい、パパがお願いを叶えてあげるから」と言って

 

仕事に出かけました。

 

仁美ちゃんは、彼が仕事に行っている間に、一番欲しいものを短冊に書きました。

 

その日の夜、彼はたまたま、夜の仕事がキャンセルになり、久しぶりに

早く家に帰ることになりました。

 

彼は仕事の帰りに、仁美ちゃんの大好物のイチゴのショートケーキを

おみやげに買って帰りました。

 

家に帰ると仁美ちゃんがお帰りなさいと大喜びで出迎えてくれました。

 

彼は仁美ちゃんに、「仁美ちゃんが一番好きなイチゴのショートケーキを

買ってきたよ」と言って渡しました。

 

すると仁美ちゃんは、「私が一番好きなのはショートケーキじゃない」と言いました。

 

玄関には笹飾りが置かれ、仁美ちゃんが七夕飾りの短冊にお願いを書いていました。

 

「お星さまお願いです、大好きなパパが早く帰って、一緒にご飯を食べることが

できるようにしてください」と書かれていました。

 

彼が早く帰ってきたので仁美ちゃんは、お星さまが私のお願いを叶えてくれたと

大喜びをしました。

 

いままで彼は自分の娘がこんなに自分のことを愛しているのに気がつきませんでした。

彼は一生懸命に仕事をしてお金を稼ぐことが家族のしあわせだと思っていました。

 

その喜ぶ我が子の姿を見て、彼は深く反省し、仁美ちゃんをもっともっとかわいがって

あげようと心底思いました。

 

それから彼の家庭は、寂しい2人家族から楽しい3人家族に変わりました。

 

いくら仕事が好きでも、家族を大切にしないといけませんね。

本当のしあわせは家庭にあるのかもしれません。

セミのように生きたい

もう7月も半ばです、今年も半分が過ぎましたね。

暑い日が続きますが、もうすぐセミの鳴き声がうるさくなりますね。

 

でも、セミの鳴き声を聞くと夏だという実感が湧き、それはそれでいいものです。

 

盛夏にジリジリと激しく鳴くアブラゼミ、夏の終わりを告げるツクツクボウシ

風情があっていいですね。

 

私が小学生の頃は、夏休みには木にとまっているセミを見つけては

網で捕まえて、羽の振動を強く感じながら虫かごに入れたのを覚えています。

 

そんな季節が来るまでにと、私は今年の前半を振り返り、反省をして、

後半をどのように過ごそうかと考えてみました。

 

私の友人は、給料の不足分を補うために、副業のためのプログラミングの

勉強を始めました。

 

彼はうまくいけば、会社を辞めて、独立したいという夢を持っています。

 

私の姪は、結婚が決まり、新婚生活の準備のために、料理を習いに料理学校に

通っています。

 

きっとご主人は、彼女の愛情のこもった手料理に、しあわせを感じることでしょう。

 

それに比べて私はどうだったんでしょう。

 

私は仕事でいつも上司に叱られていましたが、それでも私はマイペースです。

大した仕事の成果もなく、だらだらと時間が過ぎていく、給料泥棒のようでした。

 

仕事に疲れて、家に帰ってお風呂上りに飲む一杯のビールが最高のしあわせで、

 

あとは、仕事の休みの日に趣味の家庭菜園で作る、採れたての新鮮な野菜を

食べることくらいが楽しみでした。

 

私は何ごともなく、毎日平凡な日々を過ごしたように思います。

 

平凡な生活って、本当はしあわせなのかもしれませんね、なくして初めて

その大切さがわかることでしょう。

 

愚かな私は、今まで何度も人生の計画を立てましたが長続きしませんでした。

 

年初に立てた、今年こそは素晴らしい人生を送ろうという新年の抱負は

1月の終わりには雲消霧散という結果となりました。

 

私はそれを反省して、今年の後半をどのように生きたらいいのかと考えました。

するとセミのことを思い出しました。

 

セミの一生は3年以上は地中で過ごし、地上に出てからの寿命はわずか

1週間程度のようです。

 

でも、地上での生活はとても精力的に生きているように見えます。

あれだけ一生懸命に鳴いているのですから。

 

それを見て、私はセミの生き方を参考にしようと思いました。

 

今年の後半は、素晴らしく生きようとするのではなく、セミのように、

一生懸命に生きようとこころに決めました。

 

セミセミでも、セミの王様クマゼミではなく、どこにでもいるアブラゼミです。

私はクマゼミのようにスマートには生きられません。


食べ物に例えれば、フランス料理のフルコースよりも、屋台のおでんのほうが

私にはよく似合います。

 

おでんの魅力は、フランス料理の見た目の豪華さよりも、じっくり煮込めば、

見栄えが悪くても人情の味が沁み込むような気がします。

 

私ができるのは、ゆっくりと、汗と涙で人情の世界を渡り歩くことくらいです。

 

額に汗をかき、こころが震えて涙が出るとき、そのしょっぱさを味わうのが

私の人生です。

 

汗と涙は人生の潤滑油、どんな摩擦も滑らかにしてくれます。

誠意を尽くせば、こころが伝わるのが人情の世界だと思います。

 

こんな能力のない私でも、セミのように、短い命を大切に生きたいですね。

鳴きやまないセミの声に生きる力を感じます。

 

私はたくさんの仲間と愛の大合唱することができればいいなと思います。

 

人は一生懸命に生きることで感動し、愛としあわせを見つけることができる

ような気がします。

こころ温まるアイスキャンディー

 

                                              木陰を求めて

    

 

私は先日、友人の家に遊びに行きました。

彼の家は、田舎の私の家と違って、町なかで便利な場所にあります。

 

彼の家で楽しい時間を過ごしましたが、冷たいものが食べたくなりました。

私は暑い中、歩いてコンビニにアイスを買いにいきました。

 

家から歩いて5分くらいのところにコンビニがあるのですが、たった5分歩いても

汗が流れ出て体が熱くなります。

 

コンビニに入ると、冷房が効いていて、とても気持ちがいいですね。

 

特に暑い時には、アイスクリームよりも、アイスキャンディーのほうが

さっぱりして好きです。

 

私は彼と一緒に食べようと思い、数本入りの箱に入ったアイスキャンディーを

買いました。

 

私がアイスを買って帰る途中、おばあさんが汗をかきながら辛そうに歩いていました。

帽子をかぶっていますが、この暑さでは、あまり役に立たないように思いました。

 

足取りが重く、よろけながら歩いているので私は心配になり、「おばあさん、こんなに

暑いのに外を歩いても大丈夫ですか?」と声をかけました。

 

私は少し休みましょうと、彼女を木陰に誘いました。

木陰に吹くさわやかな風は、少し彼女を落ち着かせました。

 

私はどうしてこんなに暑いのに歩いているのかと聞いてみました。

彼女は亡くなったご主人のお墓参りに行って、その帰りのようでした。

 

彼女はご主人を今年の初めに亡くし、毎日欠かさずお墓参りをしているようでした。

季節の移り変わりを感じることに少し鈍感になっているのかもしれません。

 

私は、「こんな暑い日はお休みしたほうがいいですよ」と言ったところ、彼女は、

「主人が亡くなる前は、病気で苦しんでいるのに何もしてあげられなかった、

 

それを思うと、これくらいの暑さなんかで、お墓参りを休むことはできない」と

言いました。

 

今彼女にできることは、一日も欠かさずお参りをすることだそうです。

彼女のご主人に対する愛情は、暑い日差しよりも熱かったのです。

 

彼女はひとり暮らしで、家にいても誰とも話すことがないので寂しくて、

ご主人のところに行って、話をするのが一番の楽しみだそうです。

 

この暑さの中を歩いて、汗びっしょりになった彼女を見て、私は熱中症

ならないかと心配になりました。

 

私は、「こんな暑い日には、お墓参りはしないで、家でゆっくりして

いたほうがいいですよ、そのほうが天国のご主人もあなたの健康を考えて

 

喜んでくれますよ」と言いました。

 

そして、さっき買ったアイスキャンディーを取り出し、彼女に食べてもらいました。

 

すると彼女は、「今まで食べたアイスのなかで一番美味しい、身体が冷めるのに

こころは温かくなる」と驚き、感激しました。

 

こんな人情の味がするアイスは生まれて初めて食べたと喜んでくれました。

一人暮らしで寂しい彼女にとって、私の気持ちがうれしかったのでしょう。

 

彼女は、「このアイスキャンディーの棒を持って帰って、仏壇にお供えする」と

言いました。

 

私はそれはさすがに冗談だと思って、ポケットからサインペンを取り出して、

「私はあなたをこころから愛す(アイス)」と書いて彼女に渡しました。

 

私は冗談のつもりで書いたのですが、彼女は真剣に受け取って帰りました。

人生にはこんなギャグで、こころを和ませるのもいいのではないでしょうか。

 

きっと、天国のお爺さんも笑っていることでしょう。

しあわせの見つけ方

 

私はお天気のいい日に山道をウォーキングしました。

 

澄んだ空気にとてもきれいな高山植物 、沢から発せられるマイナスイオン 

大自然の癒しを求めて山歩きをするのは最高のしあわせですね。

 

私がしばらく歩いていると、若い男性が何かを探しているのを見かけました。

 

その男性は帽子をかぶり、背中にリュックを背負い、変わりやすい山の天候に

そなえて上着は重ね着をして、山登りには慣れているようでした。

 

彼は何か落とし物でもしたのでしょうか。

 

私は大自然 の中でこころが広くなったのでしょうか、彼のことが心配になり、

「何かお探しですか」と声をかけてみました。

 

彼の話では、今の自分の生き方にしあわせを感じることができないようでした。

 

彼は思うような仕事に就けず、いつまでも誰でもできる単純労働しか与えられなく、

そのため給料が少なく生活が苦しくて、将来に不安を持っていたようです。

 

彼はもっと自分に合った好きなことができて、たくさんお金があればしあわせに

なれると思っていたようです。

 

しあわせを探している彼は、本を読んで、しあわせとは向うからやって来る

のではなく、自分で見つけるものだと知りました。

 

彼はそれを理解することはできましたが、どうすればしあわせを見つけられるのか

その方法がわかりませんでした。

 

なので彼は気分転換に山登りをして、自然の中に何かヒントがあるかもしれないと

思い、しあわせの見つけ方を求めてここに来たようです。

 

彼は、「目の前にしあわせがあっても気付かずに通り過ぎてしまうことがあるのなら、

それは実にもったいないことだ」と言いました。

 

世の中にはしあわせを見つけられなくて苦しんでいる人がたくさんいる、

彼がその探し方を見つけてみんなに教えてあげたいと思っているようです。

 

「ところであなたはとてもしあわせそうに感じます、しあわせを見つけたのですか」と

彼は私に聞いてきました。

 

「私はあなたと同じで出世はしないしお金はありませんが、しあわせを見つける

ことができます」と答えました。

 

すると彼は、「僕にぜひそのしあわせを見つける方法を教えて欲しいです」と

私にお願いしました。

 

私は、「それは簡単なことですよ」と言いました。

 

それは多くの人を愛することです、どんな人でも人から愛されればしあわせです。

愛が多ければ多いほどしあわせな人は増えて世の中に広がります。

 

そしてしあわせである人々に囲まれる私は必ずしあわせになります。

 

私の言うことを聞いて、彼は、自分のこころの中にある愛をみんなに与えることで、

自分もしあわせになれるのだと気がつきました。

 

彼はしあわせの見つけ方を知って大喜びで山を下りていきました。

私は人やこの大自然を愛することでこころが癒されしあわせになれるのです。

 

みんなが人と地球を愛し、こころにも環境にも、やさしくありたいですね。

人生の公式

 

私は、最近仕事がとても忙しく、睡眠不足です。

やっと今日、ブログを書く時間が取れました。

 

私の甥で、高校でトップを争うくらい成績がよく、頭のいい子がいました。

彼は文系を選んで大学に進学しました。

 

彼は夏休みに私のところに遊びに来て、大学での勉強の様子を話してくれました。

彼が興味を持った授業は、哲学と心理学でした。

 

彼は前から人のこころの構造を詳しく知りたいと思っていました。

授業を熱心に聞いて、将来の自分の生き方を見つけたかったようです。

 

私は哲学と心理学はどう違うのかと彼に聞いてみました。

 

彼は私に説明してくれました。

 

心理学とは人のこころや行動のメカニズムを研究することで、哲学は認識や存在、

世界、言語など、根源的なことを追求することだと言いました。

 

彼はどちらかと言うと、哲学のほうに強く興味を持ったようでした。

私は彼に、実際、哲学でどんなことを学んでいるのか聞いてみました。

 

すると彼は、人生とはどうあるべきかと私に聞いてきました。 

頭の悪い私は、突然そんな事を聞かれてもすぐには答えられませんでした。

 

彼は、人類の歴史は長い、それを学者が研究し尽くして哲学として

考え出したのだから、生き方の公式はあるはずだと言いました。

 

私は、数学であれば、公式に従って計算すればひとつの答えが出るが、

哲学の問題には公式がなく、そんな大きな問題を解くのはムリだと言いました。

 

彼はもっと深く勉強して、よりよい人生を送るための公式を見つけ出したいと

思っているようでした。

 

彼は私に、分厚い哲学の教科書を見せてくれました。

 

私は彼に、その教科書は全部読んだのかと聞くと、最後まで読んでいないと

言いました。

 

全部を読まなくても、哲学者のゲーテの名言を学べば、人生とはどうすべきかが

わかったと言いました。

 

そうして彼は、哲学だけは誰にも負けない成績を取ることができました。

 

その後、彼は学生時代に学んだ哲学で、充実した人生を送ることができると思い、

自信満々で社会に飛び込みました。

 

彼の周りの先輩たちの仕事ぶりを見ると、とても辛そうで、将来が暗くなると

思いました。

 

人間関係や仕事の厳しさで、こころの病気になったり、身体を壊している人を

見ると、自分だけはもっとしあわせな人生を送りたいと思いました。

 

彼はゲーテの言葉の中で一番好きなのは「自分自身を信じてみるだけでいい。

きっと生きる道が見えてくる。」でした。

 

ところが彼は社会人となって、世の中は甘いものではなく、哲学で学んだ人生の

公式が通用しないことがすぐにわかりました。

 

彼は教科書で学んだことを実践しようとしましたが、それは彼のこころの傷と

なって苦しみました。

 

彼はゲーテの言葉を思い出しました、「涙とともにパンを食べたことのある者で

なければ、人生の本当の味はわからない」。

 

彼のこころの傷はだんだん深くなり、耐えられなくなり、私のところに相談に

来ました。

 

彼は私に、自分が生きていく道に迷ってしまった、どこに向かって行けばいいのか

教えて欲しいと言いました。

 

では君は一体どんな人生を送りたいと思っているのかと聞きました。

彼はそれがわからないから困っていると言いました。

 

社会人経験の浅い彼は、頭の中で漠然と将来の不安を抱えているようでした。

 

私は彼に言いました。

私は君のように教科書で勉強したことはないが、実際、体験したことから

 

私が社会に出て感じたことは、人はすべてのことはできない、だからそれぞれ

分担して仕事をしている。

 

みんなが協力して仕事をしているけれど、利害関係から人間関係がもつれる

ことがあり、それが生きていくことの辛さに繋がっている。

 

自分さえよければいいと言う考えはお互いを不幸に導いてしまう。

 

私は人生の先輩としてひと言だけ言わせてもらう。

 

君のできることを人を愛して全力で尽くしなさい、そうすれば、それ以外の

君の出来ないことは人が助けてくれる。

 

これが私が考える人生の公式だと言いました。

 

それを聞いて彼は、哲学の教科書を取り出し、再度読み返しました。

 

すると最後のページに、人は、人を愛することで最高のしあわせを得ることが

できると書いてありました。

 

彼は一番大切なことを見逃していたのでした。

 

おっといけない、私はブログを書く前にうたた寝をしていたようです。

夢を見ていました、疲れがたまったようです。

 

疲れを取るために、しばらくブログをお休みしたいと思います。

夏休みを取りますのでよろしくお願いします。

父よ、本当にあなたは強かった

 

私の父は、私が結婚して数年後、60代で亡くなりました。

父の日が近くなってきましたので、その思い出を書きました。

 

私が小学生のとき、不景気で、父の勤めていた会社が倒産しました。

 

父が営業所の責任者だったせいか、私の家には怖い人たちが

たくさん押し寄せてきて、大声で怒鳴ったり、ドアをたたいたりしました。

 

そんな日が続くので、私たち家族は、怖くて親戚の家に避難した記憶があります。

それまでは割と裕福な家庭でしたが、その時を境に貧乏生活が始まりました。

 

勤めていた会社が建設会社だったので、多くの取引先があり、その関係から、

父は土木関係の自営業を始めましたが、とにかく、収入が不安定でした。

 

次のお金がいつ入るのかわかりません、いい仕事だと思って請け負っても、

騙されて、お金をもらえず、ドロンされたこともあったようです。

 

父は仕事の資金繰りでとても苦労していたようで、お金がない時は

親戚を回ってお金を工面し、眠れない夜もあったようです。

 

辛かったことは、給食費が払えなかったのと、小学校の参観日に来る母親の洋服が

あまりにもボロで、恥ずかしくて自分の母親だと知られたくなかったことです。

 

とにかくお金がないんです。

ぜいたくを望むのではなく、普通の人のような暮らしがしたかったのです。

 

仕事で泥だらけになった作業服で家に帰る父を見た近所の子は、私のことを

土方の息子だとバカにしました。

 

私は父親が家族のために汗水たらして働いているのを知っていたので、

私は何を言われても平気でした。

 

でも、世間の人が、父のことをそんな目で見ているのかと思うと、私は不憫で

仕方がありませんでした。

 

でも父は立派でした。いくら貧しくても正直で人に喜んでもらえる

仕事を続ければ、きっと、将来幸せになれるといつも言っていました。

 

私はその言葉にいつも希望を感じていました。

父はいくら貧しくても、愛があれば生きていけるんだと私に教えてくれました。

 

どん底の生活にはこれ以上落ち込む不安より、将来に対する夢と希望しか

ありませんでした。

 

家族みんなで一心となり、節約して貧乏な生活を耐えました。

そんな生活の中で物のありがたさ、大切さが十分わかりました。

 

今振り返ると、物がなんでも手に入る今の時代より、貧乏で質素な生活でしたが、

みんなで助け合ったその当時のほうが、よほどこころは幸せだったと思います。

 

その後、私は学校を卒業し、社会人となり、なんとか念願の普通の暮らしが

できるようになりました。

 

私が社会人になり、結婚して子供ができ、父は孫である私の娘をとても

かわいがりました。

 

私は父が娘を抱っこして、嬉しそうに笑っている姿は今でも忘れません。

 

ある時父は、息子にはまだまだ負けるはずはないと思ったのか、力試しに、

腕相撲をしないかと私に言いました。

 

私は建設現場で鍛えられた父に、今まで一度も勝ったことはありませんでした。

私は右手に力を入れ身体を傾け、思い切り父親の手を押さえました。

 

しばらくはいい勝負だったのですが、歳のせいか、だんだん父の力が抜けて

いくのがわかりました。

 

ここで一気に力を入れれば、生まれて初めて父に勝てると思いました。

 

でも、私にはできませんでした、力の衰えている父が悲しくなり、涙が出そうに

なりました、私も力が抜け、今までのように父が勝ちました。

 

私はそれまで父の背中を見て育ちました。

それまでの父の生き様を思うと、父に勝ってはいけないと思ったのです。

 

私にとって父は、いつまでも追い越してはいけない偉大な人なんです。

 

その数か月後、父はクモ膜下出血で病院にはこばれましたが、治療の甲斐もなく

帰らぬ人となりました。

 

私は天国にいる父に感謝するとともに、あの時、父に勝たなかったことが

本当によかったと思います。

 

父は今でも、私のこころの中で強くたくましく生きています。

 

お父さんありがとう、今年の父の日には、お父さんが甘くてしあわせの味がすると

言っていた、大好きだったメロンをお供えするからね。

不老不死の薬

 

もし、この世の中に不老不死の薬があったら、あなたは飲みますか?

 

むかしむかしあるところに寂しがり屋の少年がいました。

彼には大好きなお爺さんがいました。

 

ところがそのお爺さんは病気で死んでしまいました。

彼は大好きだったお爺さんが亡くなってとても悲しみました。

 

彼だけではなく、お爺さんと親しかった人はみんな悲しくて泣きました。

 

彼は、人が死んでしまうということは、とてもつらいお別れだと思いました。

彼はなんとか自分が死なない方法はないかと考えました。

 

すると風の便りに、この世には不老不死の薬があると聞きました。

 

彼は近くに住むお年寄りに、不老不死の薬があったら飲んでみたいかと

聞いてみました。

 

お年寄りは彼に、そんなものは飲みたくないと言いました。

 

彼は、長生きできるのにどうして飲みたくないのかと聞きました。

するとお年寄りは、そこにいるキジについて行きなさいと言いました。

 

山奥に仙人が住んでいるから、欲しければ、不老不死の薬をくれるはずだと

言いました。

 

そうすれば、私がなぜ不老不死の薬を飲みたくないか、わかると言いました。

 

彼はキジに連れられて仙人の住む山奥に行きました。

そこには白髭をはやしたひとりの老人がいました。

 

彼は仙人で、身が軽く空を飛んだり、水の上を歩いたり、座ったままで千里の向こう

まで見通せたり、火中に飛び込んでも焼けないなど素晴らしい能力を持っていました。

 

仙人の一番素晴らしいことは、不老不死の薬を飲んでいるので、死なないことでした。

彼は仙人に、ここには不老不死の薬があると聞いてやってきたと言いました。

 

仙人は、ここにその薬があるのを誰から聞いたか知らないが、確かに一粒だけ

不老不死の薬があると言いました。

 

仙人は彼に、この薬を飲むと決して楽しいことばかりではないが、その覚悟は

できているかと聞きました。

 

彼は、自分が死ぬことほど悲しいことはないので、その覚悟はできていると

答えました。

 

それを聞いて仙人は彼に不老不死の薬を渡し、彼はそれを飲みました。

 

彼は十分すぎるほどの時間をかけて、たくさんの親友を作り楽しく過ごしました。

そして数十年が経ちました。

 

彼がいつまでも若いのに、彼が作った親友は、年老いて寿命が尽き、次から次へと

死んでいきました。

 

彼は気付きました、自分だけが長生きしても、楽しいのは数十年だけ、

それからは、周りの親しい人が次から次へと死んでいくのを見届けることになり、

 

それはとてもつらいことでした。

 

親友を作れば作るほど、お別れの悲しみは増えました。

彼はこんなはずではなかったと思いました。

 

以前、お年寄りが不老不死の薬を飲みたくないと言った理由がわかりました。

 

彼は仙人のところへ戻り、自分だけが長生きしてもつらいことがわかりましたと

言いました。

 

彼はこれからどうしたらいいのでしょうかと仙人に聞きました。

 

すると仙人は、ここに不老不死を止める薬がある、これを飲みなさいと言いました。

彼は、それを飲むと自分は死んでしまうのですねと仙人に言いました。

 

仙人は、そうではない、たとえお前の肉体は死んでも、お前が人を深く愛せば、

お前は人のこころの中でいつまでも生き続けるのじゃと言いました。

 

仙人は彼に、永遠に長生きするよりも、人を愛して今を大切に生きなさいと

教えてくれました。

 

彼は、そのとき、天寿を全うするという言葉の意味を知りました。

 

彼は仙人からもらった薬を飲んで、寿命が来るまでの限られた時間の中で

多くの人を深く愛しました。

 

そして彼は死にましたが、彼は愛した人のこころの中で、子孫に受け継がれ、

今でも永遠に生き続けています。

 

実は、愛こそ彼が探していた、不老不死の薬だったのです。

世の中には鬼はいない

 

私がまだ若くて独身で、今の会社に入社して7、8年目の頃のことです。

 

本社の社員で、いつも機嫌が悪く、支店に来るとみんなから嫌われる人がいました。

その人は私の課の課長で、支店を回り、できていないところを見つけて叱ります。

 

彼は数年前に奥さんと別れて、ひとり暮らしでした。

 

社員の噂では、奥さんが彼の思うように動いてくれないので、いつも

小言を言っていたところ、奥さんは嫌気がさして出て行ったとの事です。

 

そんな彼ですが、ある日、私が出社したところ、彼はすでに支店に来ていて

私の職場をチェックしていました。

 

私は彼に、おはようございます、今日は随分早いんですねと挨拶しました。

 

彼は私の顔をチラッと見ましたが、挨拶も返さず、無表情で職場のチェックを

続けました。

 

そして報告書にびっしり改善点を書いて支店長に提出して本社に帰りました。

 

その報告書には点数がつけられていて、私はいつも平均点以下でした。

その後、私はその報告書を見た支店長からのお叱りを受けます。

 

あるとき、別の支店の、私より優秀で真面目な、仲のいい社員から電話がありました。

何事かと思うと、その社員は会社を辞めると言うのです。

 

私は驚いて、どうして急に辞めるのかと聞きました。

 

彼は仕事熱心で、自分で考えて工夫し、成果が出ると思えば自分の判断で仕事をし、

会社の決めたことを守らないことがありました。

 

そんな彼の支店に例の課長が来て、彼が努力してきた仕事をまったく評価せず、

それどころか、決まり事を守っていないと支店長に報告しました。

 

報告書の点数は0点に近いものでした。

そして課長は支店長に、部下の管理ができていないと叱責しました。

 

血の気の多い支店長は、自分が責められたことに腹を立て、彼を呼びつけ、

課長の前で「お前のような、会社のやり方を守れない人間は会社を辞めてしまえ」と

怒鳴りました。

 

彼は強いショックを受け、仕事の途中、そのまま家に帰ったそうです。

それを見た課長は、彼が悪いのだ、仕事には情けは無用と思っているようでした。

 

そして彼は退職することにしたそうです。

今ではパワハラで問題になったでしょうね。

 

私には、課長は血も涙もない、鬼のような上司に思えました。

 

その話を聞いた数日後、その課長が私の支店に来ていつものように私の職場を

チェックしました。

 

私は優秀ではないので、課長から、たくさんできていないことを指摘されますが、

それは仕方がないと割り切っていました。

 

たくさんある仕事を決められた通りにするのは、言うは易し、行うは難しです。

 

でも、私は退職することになった社員から話しを聞いたばかりだったので、

私は課長の無情な仕事ぶりには腹が立ちました。

 

私は出世などまったく考えない人間です、嫌われてもいいと思って、

 

課長に、「あなたは鬼ですか、悪いところばかり見つけて支店長に報告する。

あなたの本来の仕事は、支店の人たちが仕事がしやすいようにすることでは

 

ないのでしょうか。あなたには愛がない、人の気持ちも考えて下さい。

これではあなたに誰もついてこなくなりますよ。」とハッキリ言いました。

 

私のこころはスッキリして、澄んだ青空のように晴れ渡りました。

私も課長も同じ人間、本音で話せば、きっとこころが通じると思いました。

 

課長は今まで部下からは、誰にもこんなことは言われたことはないでしょう。

その時彼は、思うところがあったようですが、何も言わないで帰りました。

 

私は彼が帰った後、少し言い過ぎたかなと思い、不安な気持ちになりました。

 

そして1か月後にまた課長が私の支店にやって来ました。

いつものように無言で職場をチェックしました。

 

その冷酷そうな表情を見て、私は前回のことで嫌われてしまったと思いました。

そして彼は書き上げた報告書を私に手渡し、私の目を見てひとこと言いました。

 

彼は穏やかな表情で、「何か心配事があったらいつでも相談してくれ」と言いました。

私は彼の言葉に驚きました。

 

彼は寂しかったんですね。

 

彼は奥さんに逃げられ、誰も彼のことを心配してくれる人がいなかったようです。

彼には、親身になって言葉をかけてくれる人が、誰もいなかったようです。

 

それで私の彼に真剣に訴えた言葉が、こころに染みたようでした。

彼が帰った後、報告書を見ると100点満点でした。

 

誰でも愛を感じるこころはあるんですね、私は世の中には鬼はいないと思いました。

ゴミ人間

 

私はブログをすらすら書けるときは楽しいのですが、書けないときはとても

つらく思います。

 

他の人が毎日記事を書いているのに、ただ読むだけ、情けないです。

 

勿論、読むことは書くこと以上に楽しいのですが、野球に例えれば、

観客として見るのも楽しいのですが、私も一緒にプレーしたくなるのです。

 

今回は野球選手として試合にはでませんが、練習に参加するような気持ちで

書きました。

 

            ゴミ人間

私はいつも仕事に行く途中、妻から頼まれてゴミを捨てます。

 

妻は私に、家のことは何もしないから、せめて、ゴミ捨てくらいしなさいと言います。

曜日によってゴミの種類が決まっているので、間違えないようにします。

 

私の家庭からは、可燃ごみとペットボトルがたくさん出るような気がします。

牛乳パックと食品トレーは、妻が、買ったスーパーに持っていくようです。

 

ゴミは収集日の朝8時半までに出さなければなりません。

 

私は捨てられたゴミの山を見て、よくもまあこんなにゴミが出るものだと

驚きます。

 

資源の枯渇が問題になっているようですが、私はとても心配になりました。

そんなに不要なものならば、家に持ち込まなければいいのにと思います。

 

私がゴミを倉庫に入れた時、横から、近所のお医者さんの奥様がゴミを持ってきて、

「お早うございます、ゴミ捨てですか大変ですね」と言って私のゴミ袋の横に

 

捨てました。

 

私は「お早うございます、ええどうも」と返事をしました。

 

私は彼女が立ち去るのを見ながら、同じゴミ袋でも、貧乏な私の家のゴミと

裕福そうなお医者さんの家のゴミは中身の質が違うんだろうなと思いました。

 

私は比べられるのが嫌で、そっと私のゴミを遠くに離しました。

 

私はいつも、ゴミのような人間だと思われているので、ゴミの気持ちは

よくわかります。

 

私の妻が機嫌が悪い時、あなたを処分するときはお金がかかるので、直接

大型ごみセンターに行きなさい、そうすれば無料で引き取ってくれると言います。

 

どうやら妻は私を粗大ごみとして処分に困っているようです。

 

ゴミを捨てたら会社に向かいます。

多くの社員がいる会社では、ゴミもたくさん出ます。

 

上司は私のマイペースな仕事ぶりを見て、仕事に燃えない君は不燃ゴミだと言います。

 

私はそんな時、その時の気分でコロコロ変わる、理不尽な仕事の指示を出して、

いつも部下の仕事を邪魔するあなたは、捨て場のない、有害ゴミだとこころの中で

 

叫びます。

 

会社には不燃ゴミ可燃ゴミの大きなナイロン袋が用意してあって、

各自のゴミ箱にあるゴミはそれぞれ分けて捨てます。

 

私は同僚に、私のゴミはどちらの袋に入れたらいいのかと聞きました。

すると同僚は、あなたはゴミとくずの違いを理解していませんねと言いました。

 

私は同僚に、どう違うのかと聞きました。

 

すると同僚は、ゴミとは利用価値がなくて細かくて汚いもの、くずは良い部分を

取り去った後の残りかすと教えてくれました。

 

じゃあ私のゴミはどちらなのかと聞きました。

 

すると同僚は、あなたは人間のくずだから、燃える可燃ゴミの袋でいいのじゃないと

言いました。

 

私はゴミ人間かと思っていたら人間のくずだったようです。

 

ある日、ゴミを出すのが遅くなって、ゴミの収集場所に行くと、業者さんが

ゴミをトラックに積んでいるところでした。

 

私が急いでゴミを出すとそのまま受け取ってトラックに積み込みました。

 

私はせっかくゴミ業者さんに会えたのだから、私がゴミならどんなゴミかと

聞いてみました。

 

すると業者さんは、あなたは汚いゴミだね、こころを再生するために資源ゴミと

してなら引き取るよと言いました。

 

それを聞いてホットしました、どうやら私はまだまだ再生すれば使い物に

なるんですね。

 

次回はなんとか試合に出られるように普通のブログを書きたいと思います。

ペットの価値

 

私と妻は、昨日、ショッピングセンターに買い物に行きました。

 

妻は洋服を見たいと言うので、私は妻と別れて、ぶらぶら歩きながら他のお店を

見て回りました。

 

日曜日のお昼前とあって、お客が多くて、私は通路を歩くと人混みで、人酔い

しそうになりました。

 

私はどこでもいいからと思い、人が少なそうなお店に入りました。

そこはペットショップで、かわいい子犬がたくさんいました。

 

お店の中には10人くらいお客がいて、ペットを見ながら楽しそうに話を

しているのが聞こえました。

 

独身の女性らしきふたりは、ペットは赤ん坊のようで、母性本能がくすぐられる

ようなことを言っていました。

 

また、ひとり暮らしに見えるお年寄りの女性は、店員に、ペットと一緒にご飯を

食べることでこころが癒されると言っていました。

 

私はペットにはあまり興味がないので、なんとなく、ガラスのお部屋にいる

子犬が、動きまわったり、寝ているのを見て回りました。

 

するとその中の黒い一匹が、私が近づくと、ガラス越しに立ち上がりました。

目が大きくて耳が柴犬のように立っている、ブルドッグのような子犬でした。

 

その子犬はガラスが割れんばかりに、ガラスに体を預け、私の胸に飛び込んで

きそうなくらい夢中になって、前足をバタバタ動かしました。

 

私の目を見つめ、まるでお父さんに、早く抱いてほしいと訴えているようでした。

私はその時、目の中に入れても痛くないほどかわいい子犬に、こころが動揺しました。

 

ペットがこんなにかわいく思えたのはその時が初めてでした。

 

この子犬との運命的な出会いは、この子は私に飼われるために生まれてきた

のかもしれないと思ったほどです。

 

ガラスの上の面に説明書が貼ってあり、その子犬はフレンチ・ブルドッグ

生まれたのは今年の3月、今の体重は2kgで、成長すると10㎏くらいになるようです。

 

私は今までペットに興味がなかったので、その価値にはまったく無知でした。

そのペットの値段を見ると40万円くらいでした。

 

人の価値はお金で決まるものではないのに、ペットの価値には値段がつくんですね。

私にはその値段が高いのか安いのかまったくわかりませんでした。

 

妻との待ち合わせの時間になったのでお店を出ましたが、その人懐っこい

子犬のかわいらしさが忘れられませんでした。

 

家に帰って夕飯の時、ご飯を食べながら、その子犬のことを妻に話しました。

そしてペットを飼ってもいいかと聞きました。

 

妻は私に、ペットってお金がかかるのよ、美容のためにトリミングサロンに

連れて行ったり、病気になったら病院にも連れて行かなければならないし、

 

犬の食事代も高い、そして毎日お散歩にも連れて行かなければならないのよと

言いました。

 

わたしは妻にその子犬のかわいらしさを説明し、見たらきっと飼いたくなると

言いました。

 

妻は私に、その子犬の値段はいくらかと聞きました。

 

私は妻に、ワクチン代とかいろいろ合わせると50万円近くになると言いました。

 

すると妻は私に、100万円出しなさい、あなたがそれだけ払うだけの価値があると

思うのなら、私がその犬を買ってきますと言いました。

 

私は半値に値切ることはあっても、その子犬に100万円も払うだけの価値が

あるとは思いませんでした。

 

私は妻の言葉を聞いて、自分には子犬に対する愛情が小さいことに気づきました。

私はその子犬のかわいさに目がくらみ、危うく衝動買いしてしまうところでした。

 

私のような愛のない人間に飼われなかった子犬は、幸運だったと思いました。

 

私の性格では、かわいいうちは面倒をみるけれど、飽きてしまうとほったらかしに

して、その後の面倒は妻任せになっていたでしょう。

 

私は人を愛することも十分にできないのに、ペットを愛するなんて無理ですね。

 

ペットの価値とは、ペットを愛する人の気持ちで決まることがわかりました。

その愛が大きければ大きいほどその価値が高まるのです。

 

私は皆様のペットのブログをよく読んで、ペットに対する愛情を学んでから

ペットを飼いたいと思いますので、よろしくお願いします。

こころのお掃除

 

香織が目覚めると、外はとてもいいお天気でした。

カーテンを開けると、まぶしい陽の光が差し込んできました。

 

香織は両手を上に大きく開き、背伸びをして、大きなあくびをしました。

そして窓を開けるとさわやかな風が、香織に、こころのお掃除をしようと誘いました。

 

香織は最近こころのお掃除をしていなかったのに気付きました。

香織のこころの中には、お家と同じように小さなお部屋がありました。

 

さっそくこころのお部屋のお掃除です。

 

まずは冷蔵庫です、冷凍室には彼氏に裏切られて凍ったこころがありました。

こんなもの、いつまでも保存しないで、溶かして水に流してあげましょう。

 

冷蔵室には結婚したいという未練のこころがあります、そんなものとっくに

賞味期限が切れています、惜しまずさっさと廃棄しましょう。

 

次は洗濯機のお掃除です。

 

汚れたこころを、清楚な洋服を着て隠している香織は、しっかり汚れの染みついた

洋服を洗う度に、洗濯機が汚れて真っ黒です。

 

お掃除が大変だった香織は、洗濯の前に漂白剤でこころの汚れを落としましたが、

強すぎて、大切なこころ模様まで消えてしまいました。

 

お風呂のお掃除は大変です。

 

身の毛もよだつほど嫌いな会社の同僚にいつもいじめられていた香織は

そのこころの抜け毛の多さでいつも排水口が詰まっていました。

 

こころの育毛剤を使う前に、排水口の汚さを毛嫌いしないで、きちんと

お掃除しないといけません。

 

お風呂の出入り口の扉は入念にきれいにしましょう。

 

香織のありのままの姿を見られないように隠してくれる大切な扉です。

ありのままのこころを見られたら、恥ずかしくて香織は世間に顔向けできません。

 

それからキッチンです。

 

まな板が傷だらけで、洗っても洗っても汚れがきれいに落ちません。

香織のこころも傷ついていてなかなか治りません。

 

香織は知っています、傷ついたこころには、やさしくしてくれる人がいれば

治るのです。

 

彼女はこころを込めて包丁を砥いで、切れやすくしました。

 

よく切れる包丁は力を入れなくても、まな板を傷つけず、やさしくお肉が

切れるのです。

 

でも、よく切れる包丁は、人のこころもズタズタに、みじん切りにするので

気をつけましょう。

 

やさしさに飢えている香織は、よく切れる包丁で、肉を切らせて骨を断つような

傷つけ合う人生には疲れたようです。

 

次は洋服ダンスです。

 

汚れたままハンガーにかけられた香織のこころは虫食いだらけ。

防虫剤は効き目がなくならないうちに取り換えましょぅ。

 

でも、こころで感じる、かんの虫、腹の虫は防虫剤では防げません。

それでも香織の虫の居所が悪い時には有効かもしれません。

 

季節変りには、春物は片づけて、夏物を取り出し、中をきれいにお掃除です。

でも、自分のこころを入れ替えられない香織は、季節に関係なく、着たきり雀です。

 

そして最後はトイレのお掃除です。

 

香織のこころと同じで、掃除しないとすぐ汚れます。

 

こびりついたトイレの汚れは塩素の強い洗剤で落としますが、

優柔不断な香織のこころと同じで、取り扱いがとても難しいのです。

 

そして、都合の悪いことはすぐに隠してしまう香織は、臭いものにはふたをする

ように、消臭剤で念入りにこころの臭いにふたをしました。

 

さてこれでお掃除が終わりました。

 

お掃除が終わってこころがすっきりするはずなのですが、香織のこころはなにか、

やり残したことがあるような気がしました。

 

不完全燃焼のこころのまま香織は、押し入れから出てきたゴミを捨てようとしました。

するとその中からきらりと輝くものが見えました。

 

香織は何かと思って取り出してみると、それはなんと愛でした。

香織は愛を押し入れの奥にしまい込んだまますっかり忘れていました。

 

なくしてしまったと思った愛が見つかり、香織は大喜びでした。

香織のこころは愛によって完全燃焼となりました。

 

香織はこころのお掃除をすることで、大切な愛を見つけることができたのです。

そして香織のこころは、お掃除で、きれいに入れ替わりました。

 

こころのお掃除はこまめにしないといけませんね。

こころの物差し

 

この春に、ふたりの男女が私の職場に新しく入って来ました。

ひとりは20歳の女性社員で他の支店から異動で入って来ました。

 

もうひとりは60歳の男性で、定年退職後、年金だけでは生活できないので

アルバイトで入社してきました。

 

彼と彼女のふたりは年齢が離れているせいかあまり話をすることはありませんでした。

私はふたりとの間の年齢なのでふたりとはよく話をします。

 

若い彼女は多くの先輩の下で働くので、仕事に慣れていても、多くの先輩に

気を遣い、こころに余裕がないようでした。

 

私の若い頃を思い出すと、先輩の目を気にして、とにかく身体を動かし、

彼女と同じようにがむしゃらに仕事をしていたと思います。

 

年配の彼は、入社したばかりで仕事には慣れていませんが、人生の大先輩であり、

仕事が遅くても、きちんと仕事をしてもらえればいいと思っていました。

 

私がそれぞれふたりに仕事の指示をすると、彼女は私の言ったことをすぐ理解して

思った通りの仕事をしてくれます。

 

一方彼は、私が教えたことを時間をかけてでもきちんとやってほしいのですが、

なかなか思うようにできなくて、早く済ませようとして手を抜いてしまいます。

 

私が注意するといつも言い訳をして反省がありませんでした。

決して無理はせず、自分のペースで働き、身体は動かないが口だけはよく動きました。

 

彼は、少し仕事がきついと、歳を取ると若い頃のように体が動かないし、すぐ疲れると

言ってみんなの同情を買います。

 

私は彼に、なんども仕事の取り組み方を教えましたが、年下の私が細かく指示を

するのが嫌になったのかすぐに会社をやめてしまいました。

 

人は歳を取るとやる気も体力も衰えてしまうんだなと情けなく思いました。

私もそのうちあんなふうになるのかと思うと、とても暗い気持ちになりました。

 

その後、彼の代わりに別の男性が入社してきました。

その人は、少し若く見えましたが65歳の男性でした。

 

今までいた男性よりも5歳も年上で、私はもう勘弁してよと思いました。

どうせ私のことは聞いてもくれないし、すぐやめてしまうだろうと思いました。

 

ところが実際、一緒に働いてみると、思っていたのとは違って、前にいた男性よりも

元気でとても生き生きと働くのです。

 

彼は私が教えたことをよく理解してくれて、気持ちよく働きました。

仕事は若い人ほど早くはありませんが、私の教えた通りきちんとていねいにしました。

 

同じ部署の人が器用にこなしている仕事を見て、あのように自分もやってみたいと

言って、気持ちが若く好奇心と向上心があふれる彼でした。

 

そして彼は、なぜか20歳の彼女と話しがよく合うんです。

 

仕事中、彼は彼女に話しかけることがありますが、微妙な乙女ごころを

理解して、彼女のこころを惹きつけました。

 

彼女は緊張した仕事の中でも、彼が存在することで、こころが安らぎ、彼との

会話には笑顔が見えました。

 

私は彼に、どうしてそんなに年が違うのに彼女の気持ちを理解できるのかと

聞いてみました。

 

彼は熟年離婚をし、そのとき自分の身勝手さに気づき、こころから反省し、

若い頃の純真な自分に戻ろうと決めたようです。

 

彼は、若さを保つために、毎日ジョギングを欠かさないことと、恥ずかしながら

この年でブログを書いていると言いました。

 

ジョギングは身体の健康を維持するのに役立ち、ブログは読み書きすることで

共感が生まれ、感動で胸が震え、こころを若返らせると言いました。

 

私は彼がブログを読むことで老若男女問わず、人の気持ちを理解できるように

なったに違いないと思いました。

 

なので彼女のこころを読んで、彼女のこころに熱い気持ちで飛び込めば共感が

生まれるはずです。

 

私はそれを聞いて、こころとは年齢で測るのではなく、その熱さで測るものだと

思いました。

 

同じブログを書く私は、彼に共感しました。

そして私と彼とは、これから長い付き合いになるだろうと予感しました。