ペットとブログ

 

ある日のことです、仕事をしていると職場の若い女性が病院に行くので

午後から早退したいと言ってきました。

 

私は彼女に、どこか具合が悪いのかと聞いたところ、自分ではなく、

昨夜から、家で飼っているウサギの体調が悪いので病院に連れて行くとのこと。 

 

そのウサギは餌をほとんど食べなくなり、水も飲まなくなり、体温が下がって、

元気がなくなり、丸まって動かなくなっているようです。

 

彼女は一人暮らしのため、ウサギを家族のように可愛がっているそうです。

 

 

 他にも私の部署には犬を飼っているパートの女性がいます。

 

共働きのため、その犬は日中、一匹で家の中にいますが、健康を考え

夏にはエアコンをつけっぱなしで仕事に出るようです。

 

また、食べ物にも気を遣っていてよく鶏レバーを買って帰るそうです。

鶏レバーには鉄分とビタミンAが含まれていて、貧血予防や体の調子を整える

ために加熱して適度に与えているようです。

 

ふたりに共通しているのはペットをかわいがるのと同様に人にも優しいのです。

ペットを自分の子供のように愛しているのでしょう。

 

私はペットを飼っていないのでよくわかりませんが、ペットに接することで

人の気持ちが和らぎ、ストレスが無くなるのかもしれませんね。

 

私はペットのことについて書かれているブログを読むのも大好きです。

犬、猫、ウサギ、ハリネズミ、リス、小鳥・・・・・・・。

 

私はブログの中にいるペットよりもそのブログを書いている飼い主との関係に

興味がわきます。

 

 飼い主になついているペットの写真を見ると、小さい頃から今まで時間をかけて

可愛がり続けた結果としての愛情の深さがわかります。

 

貴重なお小遣いを削って、ペットの可愛さを保つためにサロンに行って

トリミングさせている写真は、とても大切にしているのがよくわかります。

 

ワンちゃんを連れて行く散歩も毎日続けるとワンちゃんの気持ちもわかるようで

写真のシーンごとにワンちゃんが人間の言葉で語りかけてくれます。

きっと心が通じ合っているのでしょうね。

 

テレワークで仕事をしていると子猫がキーボードの上に乗っかかり、

たまには私の相手もしてよと駄々をこねている写真は、切っても切れない

親子の縁のような感じに受け取れました。

 

高齢の愛犬の認知症のチェックをした結果、認知機能不全症候群「中程度」

とわかり、予防のための知能玩具の紹介がありました。

ペットは小さい頃は可愛くて飼いやすいと思いますが、年老いても変わらぬ愛で

大切にする気持ちは十分伝わってきます。

 

 

 

ブログの中には感動的な写真と熱い想いの言葉でペットに向けた大きな愛が

表現されています。

 

ブログのペットを介して愛とは何かを私は教えられました。

 

 

ところで私はペットを飼いません、というか飼えません。

やがて必ず来る悲しいお別れに耐えることができないからです。

 

私は両親にとてもやさしく愛されて育ちました。

その両親が亡くなった時の悲しさは今でも忘れられないほど辛かったのです。

 

よくペットとして飼われるウサギで8年、犬・猫で15年くらいが平均寿命です。

人の寿命と比較して短いので天国への旅立ちを見送る可能性が高いでしょう。

 

そのペットを家族のように愛せば愛すほどお別れが辛くなります。

私はきっとそのショックで心が乱れ、涙が溢れ寝込んでしまうでしょう。

 

なので私は、ブログの中で可愛がられるペットを見て愛と感動と幸せな気持ちを

頂いていますが、自分では飼わないのです。

 

私は罪な人です。

夢のない人

 宝くじってどんな人が買うのでしょうか。

人によってその目的は全然違うでしょうね。

 

借家住まいの人が自分の家を持ちたいとか、豪華に海外旅行をしたいとか。

また、仕事がつらくて辞めたいとか、生活が苦しくてお金がほしいとか。

 

私は最近、宝くじを買ったことがありません。

20年以上前に買ったのが最後です。

 

たまたまサマージャンボの当選金が一等5億円という記事が目に入りました。

以前買ったころは一等が1億円でもびっくりしたと記憶しています。

 

今回のは前後賞を合わせると7億円のようです。

なぜかその金額に魅了され、ちょっと買ってみようかと思いました。

 

もし当選総額が同じで一等が10万円で数多く当たるのなら宝くじも

今ほど売れないかもしれませんね。

新型コロナの特別定額給付金が10万円だったので、生活の足しにはなるでしょう。

 

ちょっと話はそれますが、もし、コロナの給付金が一人1億円だったら世の中

どんなに変わるのか想像するとおもしろいですね。

 

小心者で心配性の私は一等が当たった時のことを考えました。

参考に本やブログなどで高額当選者の体験談を読んでみました。

 

そうすると多くの不幸になった体験談が書かれていました。

 

今まで少ない給料で何とか生活していた人がいきなり数億円の大金を手にすると

まともな神経ではいられません。

 

特に若い人が当たるとその後の人生に大きく影響するかもしれません。

 

当選したことが人に知られると、今まで付き合いもなかったような人が

お金目当てにたくさん現れ、断れなくなって、お金を貸したり、寄付を

したようです。


ぜいたくな生活を続けるとお金が無くなっても生活レベルを元に戻せなくなり

借金地獄に陥る人もいるとのこと。

 

今まで何年もまじめに働いていた会社を辞め、すっかり怠け者になり

家族に見放された人もいるようです。

 

儲け話を持ちかける人も現れ、さらにお金を増やそうと、知識もないのに

大金を投資して大損をして失敗したと悔やんでいる人も。

 

お金持ちになったことで自分が偉くなった気になり今まで長年築いてきた

人間関係にひびが入ってしまった人もいるようです。

 

私は宝くじを買う前に、一等が当たっても不幸な結果にならないようにするには

どうすればいいのか紙に書いてみました。

 

1、誰にもしゃべらない。

2、今まで通り給料の範囲内で生活して当たったことを周りに気付かれない。

3、会社はいまままで通り、まじめに働き続ける。

4、無駄なものを買ったり、無駄なサービスは利用しないで必要なものだけにする。

5、今まで付き合ってきた人との関係を壊さないように、今まで通り付き合う。

 

ここまで書くと、別に宝くじが当たらなくてもいいのに気付きました。

当たっても、貯金通帳に記載された9桁の数字を見てニヤリと笑うだけですね。

 

宝くじの高額当選は将来の不安をなくすかもしれませんが、代わりに

人生の醍醐味もなくしてしまうような気がします。

 

 私の読んだ本の最後に、お金を使いこなせない人は宝くじは買わないほうが

いいと書いてありました。

 

私も同感です。

私は夢のない人です。

 

 

自由のない生活

私が新入社員の時、人里離れた山奥で3か月の研修がありました。

これは入社時の新入社員研修ではなく、専門技術や知識の習得のための

研修でした。

 

研修前に先輩社員からその研修のことを聞かされていて、山奥での自由のない

監禁されたような生活は正直、憂鬱に思っていました。

 

私の会社からは全部で5名。全国から集まり、男性ばかりの総勢40数名です。

研修施設の隣は工場で男性従業員が働いており、女性は食堂のおばちゃんのみ。

 

入校式のあと研修の内容を説明され、暗い気持ちになりました。

先輩社員に言われていた通り、自由のない毎日です。

 

朝6時に起床、洗面と身支度を整え、グランドでラジオ体操、その後、

山道を2Kmのランニング、走り終えた人から工場の食堂で朝食。

 

8時から実技研修、結構むずかしく、あっという間にお昼。

昼食後、少し休憩があって午後からは専門知識習得のための講義。

17時に講義が終わり、夕食と入浴。

 

ここから少しまとまった休憩が取れます。

と言っても周りには家もろくにないような田舎でお店もありません。

宿泊のための寮は6畳の部屋に二人ずつ。ここがゆっくりできる唯一の場所。

 

20時から22時までは部屋で自習時間、先生が巡回するので、さぼれません。

22時から消灯で電気を消さないと先生が注意します。

 

こんな生活が3か月も続くかと思うと目の前が真っ暗になりました。

過去には何人かこの生活に耐えられなくて脱出した人もいるようです。

 

日曜日が唯一の休日です。みんな街に出かけて、美味しいもの食べたり、

遊んだり、自由を謳歌します。

 

夕方になると門限があるのでみんな暗い顔をして寮に戻ってきます。

20時からはいつものように自習時間です。

 

でも、人間の適応能力は素晴らしいですね。

2週間くらいが過ぎると、みんなこの生活に慣れ笑顔も出るようになりました。

 

知らない人同士でも、2週間も共同生活をすれば気軽に話せるようになります。

だんだん集団生活にも慣れ、時間が過ぎるのが速く感じてきました。

やがて2か月半も過ぎると研修期間も残り少なくなってきました。

 

最初はいやでいやで仕方がなかったこの研修ですが、規則正しい生活は

慣れると楽なんです。

でも、慣れって、現状に甘えてしまう怖いものかもしれませんね。

 

これからまた、職場に戻り、忙しい仕事をしなければならないと思うと、

このままもっとここで研修を続けたいと思うようになりました。

 

3か月の研修が終わって、元の世界に戻った時は、自由ってこんなに素晴らしい

事だったのかと心から思いました。

街中を歩くと何もかも刺激的で輝いて見えます、心はウキウキ気分です。

 

私の人生の中で、これほど自由のない生活は初めてでしたが、いい思い出です。

 

 今でも私のまわりには自由のない生活の場面がありますね。

 

毎日仕事が忙しくて、朝から夜遅くまで寝る間も惜しんで働いているあなた、

自由のない生活に慣れていても健康には十分気を付けてください。

 

新型コロナで人と人の交流が制限される自粛生活の不自由さ、いつまで続くので

しょうか、慣れてきても悲劇は続かないことを祈ります。

 

いつもスマホが手離せない情報社会、その情報の速さと多さで人は振り回されます。

便利なようで、実は自由のない、心にゆとりのない悲しい世界かもしれません。

メールがなく、郵便が数日かかって届くのんびりした時代がなつかしいです。

 

ブログを書いたり読んだりする時間が十分ある私は、今、自由のある生活を

満喫しています。

ブログの世界にいる私は本当に幸せだと思います。 

年下の上司

 

私が今の会社に入社して20年目の頃、5年後に入社した後輩が私の上司として

同じ支店に異動してきました。

 

私は特別能力もなく、出世意欲もなく、こつこつと仕事をこなしていくタイプでした。

なので、後輩に追い抜かれても仕方がないと思いました。

 

私は以前から、同じ課の社員が本社に集まる会議で彼のことは知っていました。

彼の発言はとても建設的で素晴らしくみんなは一目置いていました。

彼とわたしとは全くタイプが違う人間で、個人的に話をするのは遠慮していました。

 

彼は昇進したばかりで目が輝き、仕事に対する意欲は満々で張り切っていました。

 

最初に言われたことは、あなたは先輩ですが、私のやり方に従ってください、

いやなら辞めてもらっても結構ですというきつい言葉でした。

 私もサラリーマン、食べていくためには上司に逆らえません。

 

他の部下も彼の厳しい仕事の指示には精神的に参っていました。

 私と同じように生活がかかっているし、家のローンを抱えている人もいます。

彼はその弱みを十分認識しているようで、厳しく指示します。

 

私は、彼が人間ではなく鬼に見えました。

職場はだんだん暗くなってきました。

 

ある時、部下が、家族ぐるみで付き合っていた親友の奥さんに不幸があったので

休ませてほしいとその上司に言っていました。

 

上司は、会社の慶弔規定には当てはまらない、みんな今月の目標を目指して

頑張っているのにやる気があるのかと部下を怒っていました。

 

私はそれを聞いて、とても我慢ができなくなり、上司を別室に連れていき、

あなたは仕事はできるが人間としては失格だと説教しました。

 

それからは先輩の私には少し遠慮するようになりましたが、他の部下には

以前と同じように厳しくしていました。

 

パート社員の中には厳しさに耐えきれず退職する人も出てきました。

 

その噂が本部の人事部に届いたようで、1年後、降格人事があり、彼は

他の支店に異動になりました。

 

みんなやっと平和になったと大喜びでした。

 

そして2年後、私は他の支店に異動することになりました。

赴任してビックリしました、なんと、そこには元鬼上司がいるではありませんか。

別の課に所属していましたが、私と同じ地位です。

 

私がお昼に食堂で食事をしていると、彼が私に気付き、目の前の席に座りました。

以前と違って、とても穏やかな目で私に話しかけてきました。

 

あの頃はまわりがりが全然見えていなくて無我夢中でした。

私は今の立場になって、初めて、先輩に注意されたことの意味が分かりました。

今では先輩にあのように言われたことをとても感謝していますと言いました。

 

そんな彼は今では部下の気持ちを理解し、愛をもって部下を指導しています。

 

数年後、彼は今の会社を退職し、自分で事業を立ち上げ、従業員を大切にすることで

今では順調に業績を伸ばしているようです。

 

上司というものは仕事だけではなく、人間としても立派でなければ誰にも

尊敬されないものだとよくわかりました。

 

 

早朝の散歩

 

私は今朝5時前に目を覚まし、カーテンを開けて外を見たところ、空には雲が少なく

いい天気になりそうだったので、散歩に出かけました。

 

車で5分ほどの山の上にある新興住宅地に行きました。

そこには広い公園があり、野球ができる広いグランドとテニス場などがあり

歩いて一周すると5、6分かかります。

 

30台くらい止められる無料駐車場もあります。

今朝は少し肌寒く、もう一枚、上着を着てきた方がよかったかなと思いました。

 

公園には木がたくさんあって、小鳥の鳴き声が聞こえます。

多くの鳴き声が聞こえますが、ウグイスの鳴き声が特に目立って聞こえます。

 

家を出るころはまだ薄暗かったのですがだいぶ明るくなりました。

青空には白い絵の具で書いた筆のあとが残っています。

 

前からジョギングする女性とすれ違いました、彼女はマスクをしています。

こんな早朝の田舎で人がいないのにマスクなんかしなくてもいいのにと思いました。

 

コロナが日常化したのでしょうか、悲しいことです。

でもその走る姿を見ると、元気な身体で人生を乗り切ろうという意欲を感じました。

 

しばらく歩いているとこちらを見ている動物がいました。

何かと思って近づいてみると鹿です、すぐに山の中に逃げていきましたが

鹿を見たのは10年ぶりです。

 

足元を見ると落ちた木の葉の間を小さなコガネムシが歩いています、

一寸の虫にも五分の魂、そっとよけました。

 

遠くの山を見ると上半分に太陽の光が当たり、下半分はまだ影です。

住宅地をあるいてみました、新しいピカピカの家が並んでいます。

 

メイン道路にはバス停がありました。

時刻表を見ると平日の運行は1日17便、休日はもっと少なかったです。

なので、ほとんどの家にはクルマが2台あります。

 

こんな田舎でも新築で土地が50坪程度なら2千数百万円はするでしょう。

ローンの支払いのことを思うと、辛いだろうなと思いました。

 

後戻りできないし、人生の選択肢を狭めるかもしれませんね。

食べるだけならもっと自由で違う人生があったかもと思います。

 

子犬を連れて私とすれ違う中年男性、面識のない私に笑顔であいさつ。

私も返す、街中では感じられない生きたこころとの出会い、朝から気分がいい。

きっとこの男性、愛でこころが生き生きしているのでしょう。

 

そのうち、老夫婦が手をつないで並んで楽しそうに歩いています。

私はこれが人生の幸せな終着駅かなと思いました。

 

過去にはたくさんの苦労もあったでしょう、でも、終わりよければすべてよし。

生きていくことさえ厳しい今の世の中、朝日に伸びる長い影に隠れて、そこまで

行けず脱線する人の数知れず。

 

 約1時間散歩しました、少し体が熱くなりました。

 

その頃には太陽がすっかり昇り、東の空にまぶしく輝いています。

そろそろ西の空に沈む夕日が似合う私は、輝いていた頃がなつかしいです。

 

朝寝坊をしているあなた、さぞかし疲れているのでしょうね、同情します。

せっかくの日曜日、ゆっくり休んで下さい。

 

家に帰って飲んだコーヒーは、甘くもあり、苦くもある、人生のような味でした。 

父の教え

 

父の日が近づいてきましたね。 

私の父はもう20年以上前に亡くなりました。

 

私が物心がついたころよく父に言われていました。

自分を愛するより人を愛しなさいと。

 

父は個人事業主として土建業を営んでいました。

小さなことを少しずつ積み上げ事業を拡大してきました。

 

でも、事業はなかなか軌道に乗らず、苦労したようです。

工事の途中で地中に思いもよらぬ大きな岩が見つかり、それをどけるのに

多大な労力と時間を要し、赤字になったこともあるようです。

 

また他の工事業者に騙されお金をもらえなかったこともあるようです。

 でも父は騙された自分が悪い、もっと相手を理解しなかった自分が悪いと

言っていました。

 

母は次にいつお金が入るのかわからないのでいつも心配していました。

私は小学校の給食費が払えるのかどうか心配で、それを集める日が近づくと

いつも不安でした。

 

母はいつも私に言っていました。

あなたはこんなにお金のことに苦労しなくていいように、安定した収入のある

サラリーマンになってほしいと。

 

父は家族にはとても厳しく、人には優しかったと覚えています。

 

私の家は貧乏で、食べることもままならないのに、困っている人には

なけなしのお金で食べ物を与えていました。

 

私が小学校の時、授業参観では他のお母さんはきれいなよそ行きの洋服を着て

教室に来ていましたが、私の母はいつも着ている普段着で貧乏丸出し。

周りがおしゃれをしているので特に目立ちます。

 

とても恥ずかしく、私の母親だと言うことをほかの子に知られたくありませんでした。

私はもう今度から授業参観に来てほしくないと思いました。

 

母も恥ずかしい思いをしながら私のために来てくれたのだと思います。

普段、私は優しい母親が大好きでした。

 

でも、子供心に、母親を遠ざける貧乏のつらさを心の底から感じました。

父はどうして母にもっときれいな洋服を買ってあげないのかと怨みました。

 

私は心の中で、自分が稼げるようになったら母親にもっといい洋服を買って

あげると誓いました。

 

でも父は立派でした。いくら人に裏切られても父は人を怨みませんし、

いくら貧乏でも、人を愛し続けることできっと将来、自分が幸せになれると

いつも言っていました。

私はその言葉にいつも希望を感じていました。

 

私の家庭は裕福にはなりませんでしたが、こころは豊かだったと思います。

貧しいことで家族がみんなで協力して節約し、助け合いました。

 

家族は愛で結ばれていました。

これが本当の幸せというものでしょうか。

 

そのうち自分を愛することよりも人を愛しなさいという言葉がだんだん

理解できるようになりました。

 

今頃、父は天国で、日本は物は豊かになったが、こころは貧しくなったなと

言っているのではないかと思います。

こころのお化粧

女性はなぜお化粧するのでしょうか?

素顔ではいけないのでしょうか?

 

もちろんお化粧すれば肌の色は白くなり、頬は赤く染まり、目もパッチリ

大きく見え、色のついた唇は顔を引き立てるでしょう。

 

男性はその美しさに惹かれて思わず振り向くこともあるでしょう。

でもそれって、外見を飾って心の中をごまかしているような気がします。

 

外国人から見た日本女性のいいところは

優しい、誠実、もの静か、おしとやか、協調性がある、場の空気を読む、

誠実、礼儀正しい、規則や時間を守る几帳面さ、仕事熱心などと

言われています。

 

外国人は日本女性の容姿ではなく中身のすばらしさを評価しています。

日本の女性はお化粧に頼らなくても、もっと自分に自信を持ってもいいのでは

ないかと思います。

 

コロナが流行る前のことですが、私は夜、ジュースを買いに近所のコンビニに

行きました。

 

その時ある女性と目が合いました、彼女は軽く会釈をして、さっさとレジを

すませ、逃げるように帰っていきました。

 

私は驚きました、彼女は私の会社に勤める従業員でした。

いつもの彼女とは別人のように見えました。

 

会社では色白で目はパッチリ、鮮やかな唇でひときわ目立つ美人です。

ところが、今見た彼女は色黒で顔全体がぼやけていて髪はぼさぼさ。

ノーメイクの彼女は素顔をみられて恥ずかしかったのでしょう。

 

 

そんな女性ですが、最近はサスティナブル(持続可能な)を意識した

ファッションやくらしかたを選択することがおしゃれな人と考えるように

なってきたようです。

 

外側を飾るのではなく中身を磨くことが美しい生き方という価値観に

なってきたようですね。

 

私はこれからはこころのお化粧がもっと大切になると思います。

 

愛という口紅と感動というチークカラーで仕上げる、こころのお化粧。

 

こころのお化粧は、恥じらいで頬を赤く染め、涙で目を美しくし、人を愛する

ことで肌がつやつやし、すばらしい笑顔で唇を魅力的に見せてくれるでしょう。

 

こころのお化粧はやがて染みつき洗っても取れなくなるでしょう。

 

女性がお化粧するのは、周りには素晴らしい女性がたくさんいるのにそれに気が

付かない男性が悪いのかもしれません。

 

外見だけ見て女性を判断するから女性はお化粧をせざるを得ないのかもしれません。

 

世界に誇れる日本の女性、男性も女性もその価値に気付かなければなりませんね。

基本に忠実な人

 

私の職場には清掃作業するパート社員がいます。

建物が広いので4人のパートで一日かけて清掃します。

 

全員女性で、一人は50代のリーダー、40代が二人、そして20代の新人です。

20代の新人については、若いのによくこんな地味な仕事についているなと

感心していました。

 

ほうきと塵取りと雑巾そして大きなごみ袋を持って回っています。

従業員の仕事の邪魔にならないように気を付けて清掃しています。

 

私は自分の仕事に集中しているときにはその人たちの存在は忘れています。

まるで空気のような存在です。

 

私は清掃作業は体が丈夫であれば誰にでもできる簡単な仕事だと思っていました。

ただし、きれいな仕事ではないので大変だと思いながら感謝はしていました。

 

ある日、清掃パート社員のリーダーが新人のパートをきつく叱っています。

私は何があったのだろうかと聞いていました。

 

窓ガラスのふき方が雑で全然きれいになっていないと言っています。

私はその窓ガラスを見てもそんなに汚れているとは思いませんでした。

 

そのリーダーは窓枠の角の部分に少し残ったほこりを指摘しています。

よく見なければ、遠くからではわからないほどの少量のほこりです。

 

私はこれくらいのことでそんなに叱らなくてもいいのにと思いました。

 

そんなある日、新人はリーダーにきつく叱られて涙を流していました。

他のふたりはこのリーダーの厳しさを知っていて黙っています。

 

私はそれ見て、我慢ができなくなり、彼女は一生懸命にやっているのだから

そんなにきつく叱らなくてもいいのではないかとリーダーに言いました。

 

 

どこがいけないのかと聞いたところ、この新人は全く清掃の基本ができて

いないし心が全然こもっていないと言います。

 

また、自分の仕事は誰のためにやっているのか理解できていないと言います。

 

ここの従業員の皆さんはお客様のために、朝から晩まで一生懸命に頑張って

働いています。

清掃の仕事をしながらでもその気持ちはひしひしと伝わってきます。

 

私たちの仕事はそんな従業員の方に少しでもきれいな環境で快適に働いてもらえる

ようにきちんと清掃することが大切です。

そのためには清掃の基本をしっかり身につけなければなりません。

 

彼女は今まで何度も転職をし、ひとつの職場に長続きできませんでした。

ここに来た時も、ほかで雇ってもらえないので、仕方なくいやいや清掃の仕事を

しているのが見え見えでした。

 

基本が身について初めて仕事に愛を持つことができるのです。

 

それだけではありません、将来、彼女がどこか別の仕事のついたとしても

仕事に対する基本の大切さを身につければ、どこでも通用します。

 

私は彼女をいじめてはいません、愛をもって教育しているのです。

 

 

 

清掃の仕事を安易に考えていた私は自分が叱られているような気がしました。

私がもしこのリーダーの下で一緒に仕事をしていたら彼女と同じように

コテンパンに叱られたでしょう。

 

私の部署にもこんなに仕事に対する愛と厳しさを持った人はいません。

どんな仕事でも愛をもって仕事をする人は素晴らしいと思いました。

 

 私は未熟な人間です、この歳になってやっと職業には貴賎がないという

本当の意味が理解できました。

 

もし私が社長なら、基本を忠実に守り愛と信念を持って仕事を貫く彼女を

きっと人事部長に抜擢するでしょう。

それだけの力のある人物だと思いました。

 

でも私にはそのような権限がないのがとても残念です。

ブログって書くものですか?

 

昨日は雨の日曜日、外出しないでのんびりしていました。

私は雨の日はいつも心が沈んで暗くなります。

 

ことしから始めたブログについて考えてみました。

 私は人に読んでもらうつもりはなかったので、遊び心で、思ったことを

メモ用紙に書いて放課後の教室の黒板に貼るような気持ちでした。

 

案の定、私の書いたブログは宛先のない手紙のように誰にも届きませんでした。

 

星の数ほどたくさんあるブログの中から私のブログが読まれるはずがないと

思っていましたが、ある日、なぜか、私のブログに☆がついていました。

ビックリしましたが、その時の嬉しさは今でも忘れません。

 

私は今までブログを続けてきましたが、いつも、こんなブログを公開しても

いいのだろうかと思いながら、これが最後だという気持ちで「公開する」を

クリックしていました。

 

ところがありがたいことに私のブログを読んでくださる方がいるんですね。

そうすると勇気が出てまた次を書くと言う繰り返しでした。

 

私のブログいつまで続くんだろうと思いました。

書くことが決まっているわけではないのでいつまで書けるかわかりません。

 

 何年もブログを書き続けている方はとても尊敬します、素晴らしいことです。

もし、私が1年後、2年後にもブログを書き続けていたらそれはそれで怖いです。

 

私のブログは写真もない動画もない色もない質素なもので、こころを込めて

書くことでなんとか続けることができました。

 

続けることの義務感だけでこころのこもっていないブログになってしまうのなら

やめた方がいいと思うのです。

 

プロではないのでそんなに堅苦しく考えなくてもいいのかもしれませんが。

 

ブログも人生と同じでいつかは終わりが来ます。

長く続ければ続けるほどやめ時が難しくなるように思いました。

 

私は初めてブログを読んでもらったときのあの嬉しさを思い出すとブログを

やっていてよかったなと思いますし、いままでこころも充実していました。

ブログをやめると寂しくてこころの拠り所がなくなるような気がします。

 

初心に帰ってみますと私がブログを読んでもらった時の嬉しさは、

私以外のブログを書く人も同じだと思いました。

 

 どちらかというと、私はブログは書くことより読むことの方が好きです。

 

よく考えた結果、たとえ私がブログを書けなくなっても、読者として多くの人の

ブログを読み続けることなら、これから5年10年先まででも続けられます。

読むことで愛と感動を伝えてもらえます。

 

私がブログを読んでコメントや☆をつけることで喜んでもらえるならそれもいいなと

思うとなんだか気持ちが楽になりました。

 

知らない間に、その時まで降っていた雨がやんで空が明るくなっていました。

 

明日、天気の良い晴れの日ならまた気持ちが変わるかもしれません。

こんにちは赤ちゃん

 

今年の初め、まだ寒い頃、私の知人に悲しい出来事が起こりました。

 

彼女は2年前、病気でご主人に先立たれ、母一人、娘一人のシングルマザー。

娘は小学校3年生、とてもかわいがっていました。

 

娘を一人前の人間に育て上げるため、食品会社に勤め、事務の仕事をしていました。

 

ある日、スマホに着信音、メールかと思って見ると、電話の呼び出し、

急いで電話に出ると病院から電話。

 

あなたの子供さんが交通事故で重体、持っていたスマホでからあなたの電話番号を

調べて連絡しました。

 

お母さんですか、それならすぐ病院まで来てくださいとのこと。

彼女は気が動転しましたが急いで病院に向かいました。

 

病院に到着すると娘は意識不明の重体で人工呼吸器を装着し、集中治療室に運ばれて

救命治療を受けていました。

 

医師から子供さんの命の保証はできませんと言われる。

 

今朝、学校に出かけるとき、元気で行ってきますと言っていたのに信じられません。

彼女は胸が痛くなり悲しくて悲しくてたまりません。

 

お願い神様、私の娘を何とか助けてください、私の命と引き換えてもいいです。

いつの世の中でも親の子供に対する愛情の大きさは変わりません。

 

この続きは悲しくてとても書くことができません。

 

 

 しかし今、この地球上では同じような悲劇が起こるかもしれません。

今年生まれた赤ちゃんはこれから元気で健康に育っていくことができるのでしょうか。

 

この子が5歳になったころ、スマホはもっと便利になったり、IOTで物と物が繋がり

どんな情報も知ることができ、病院もオンライン診療が当たり前なっている

かもしれません。

 

10歳にもなれば、クルマは自動運転になり、AIやロボットが人の仕事の大部分を

代わりにしているかもしれません。

 

世の中が便利になるのと引き換えに地球環境がだんだん悪くなっています。

世界の平均気温は産業革命以前と比べて1℃上がっています。

 

最後の氷河期からの気温は3℃から8℃上がっていますが、それは10万年かけた

自然のサイクルから起きてきた自然現象です。

 

この子が80歳くらいの2100年には平均気温が今より最大4.8℃上がるとも

言われています。

 

人類の産業活動によって、現在、地球温暖化による気温上昇はとても短期間で

起きているため、多くの野生生物が環境の変化についていけず、減少・絶滅する

おそれが非常に高いとみられています。

 

そんな環境でこの子が天寿を全うすることができるでしょうかとても心配です。

 

人類は停滞を許容することができない悲しい生き物です。

もう元には戻れないのでしょうか、さらに便利さを求めて加速度を増すのでしょうか。

 

日本は少子高齢化が進んでいますが、これからの若い世代が地球で暮らすには

リスクが高いと人の本能がそうさせるのかもしれません。

 

先ほどの交通事故の時のような母親が娘を思うような気持ちがあるなら、

こどもの将来を守るためにも地球にやさしくしなければならないと思います。

 

 

真夏の太陽が照らす暑い日、屋上の駐車場に ドアをロックし子供をクルマに残した

あなた、涼しい店内で楽しく買い物をしていますが、あなたの命より大切な子供は

車内で暑くてもがいて助けを求めています。

 

気が付かないのですか早く駐車場に戻ってドアを開けて下さい。

残された時間はもう少ししかないんですよ。  

スーパーの店長さん

 

あるスーパーマーケットの話です。

 

そこにはとてもまじめで本部の言うことを忠実に実行する店長さんがいました。

彼は一流大学を卒業し、頭もよくとてもまじめな人物でした。

 

彼はマニュアルを重視し従業員にもそれを徹底していました。

売り場も整然としていて商品は碁盤の目のようにきちんと並んでいます。

 

接客時のあいさつはマニュアルの写真通りできているかチェックします。

口角を上げた笑顔、頭を下げる角度、視線の方向、手の位置などです。

 

商品の廃棄ロスについてもとても厳しいです。

売れる金額を過去のデータに基づき発注量や製造量を決めさせます。

 

それに従って社員やパートは販売します。

実に合理的な店舗運営です。

 

彼は朝早くから出勤し、閉店近くまで各部門の応援などで忙しそうです。

部下はそれを見て店長の仕事は長時間でとてもつらそうなので自分は店長には

なりたくないと思います。

 

しかし、店長がこれだけ頑張って働いてもお店の業績はよくありませんでした。

社員やパートもがんじがらめのマニュアルに縛られ覇気がありません。

 

そのうち人事異動があり店長が交代することになりました。

前の店長と違って高卒ですが笑顔が素晴らしくイキイキしています。

 

その店長の言うことには、お客の気持ちを理解するのが一番で、マニュアルは

時と場合によっては必ずしも守らなくてもいいと言います。

 

若い頃、苦労したんでしょう、とても人間味のありそうな店長です。

しかしながら仕事はとても厳しいのです。

 

常にお客の立場に立って考えろと言います。

気持ちのこもっていない接客や商品づくりをすると鬼のように怒ります。

 

お店でお客と接するときは満面の笑顔ですが裏にまわると別人のようになります。

指示に通り動くパートさんには優しく、それを指示するリーダーに厳しく当たります。

 

しかし教育熱心で、商売とは何かをこころと身体で教えてくれます。

接客時のあいさつも写真ではなく店長が自ら心を込めて見本を示します。

 

そのうちだんだん店長のやり方も従業員に浸透し業績もよくなってきました。

売場は以前と比べて、躍動感や季節感が出てお客がびっくりするほどです。

 

ところがどこの世界にも、ひとりやふたり、そのやり方が気に食わなくて

おもしろくないと考えるのがいます。

 

ここでは鮮魚のリーダー。

入社歴20年で店長より先輩。

 

来週はお刺身祭りで鮮魚がメインのチラシ広告が出る。

売り込み商品はお刺身盛り合わせ1パック598円。

 

店長は彼を事務所に呼びその打ち合わせ。

店長は愛情をこめて売りたいから目標数量を言ってくれという。

 

リーダーは無難に昨年の10%アップの数字を提示。

店長は激怒して、あなたの愛情はこの程度かという。

 

彼は、お前はたまたま店長だが、鮮魚歴20年の俺に後輩のくせして生意気言うな、

愛で魚が売れるなんてそんなに世のなか甘くはないと言う。

 

店長は強い口調で私の責任で去年の2倍売りたいからその分仕入れてくれという。

彼はその熱意に負けて店長が責任を取るならと渋々昨年の2倍発注をする。

 

当日、鮮魚リーダーはどうやってこの商品を売ろうかと考えた。

今までのように売っていたのでは売れるわけがない。

 

考えた末、一番目立つ場所に今までの倍のスペースを取り商品を並べたところ、

何故か今までとは違うボリューム感ある、生きた売り場ができてしまった。

 

おもしろくなってPOPや販促物をさらに加えるとますます目立つ売り場になった。

お客がたくさん集まってくるので声を出して呼び込みをすればさらに活気づいた。

 

結局、目標の数が夕方19時には売れて品切れになった。

 

彼は知らない間に愛ある売り場を作っていたのです。

 

愛に気付いた彼は、まるでエビが飛び跳ねるような活きた心で愛を伝える仕事を

続け、その後、店長の推薦で本部の課長に昇進し、今では部下を指導しています。

 

この店長、仕事にはとても厳しいが、人にはとてもやさしい。

 

愛と感謝を込めてお客や従業員に対すれば誰も店長を裏切らない。

 

こんな店長なら部下も早く店長になりたいと思うでしょう。

飲み頃のワイン

 

私は読書が趣味なのでいつも図書館で本を借りて読んでいます。

毎週通って2、3冊本を借りています。

 

図書館にはその中で本を読んでいる人もたくさんいます。

平日は70歳くらいに見えるお年寄りの方が多いように見えます。

 

よく見ると本を読んでいるのではなく眺めているような人が多い気がします。

あるとき図書館の帰りに、たまたま、いつも本を読んでいるお年寄りの方と

お話しする機会がありました。

 

彼が言うには、

自分は家族を養うために命懸けで働いてきた。

朝早くから夜遅くまでくたくたになるまで働き、家に帰るのはただ眠るだけ

の生活だった。

 

土日の休みもどちらかは仕事で会社に行きもう一日は疲れてずっと家で寝ていた。

本当はもっと家族との時間を取り、楽しい時間を過ごしたかった。

 

そんな私も定年退職、趣味もないので家でゴロゴロ、会社にいた時のように妻に

いろいろ指図、亭主元気で留守がいいを満喫していた妻はとても嫌がり、私に

家にずっといないで外に出かけろと言う。

 

行く当てもない私は午前中は図書館で時間を潰し、お昼は家に帰ってご飯を食べ、

午後からは天気がいい日は公園に行ったり、近所をウォーキングして時間を潰す。

 

公園のベンチに腰を下ろし、行き交う人を眺めていると、みんな何か目的をもって

急いで歩いているように見える。

 

羨ましい、私は何もすることがない、たとえあっても今日ではなく、

明日でも明後日でもいい。病院に行くことだけが決まった仕事。

 

元居た会社に顔を出すも、最初は丁寧に対応してくれたが何度も行くと邪魔者扱い

される。忙しいからもう来ないでと顔に書いてある。

 

町内会の集まりで現役時代のように建設的な意見を言い偉そうにすると場の雰囲気を

壊し顔を背けられる。

 

心身ともにまだまだ元気なのに自分の居場所がなくとても寂しいと言う。

若い人にはわからないだろうこのやるせない心の寂しを。

 

こんな人、周りにたくさんいると思いませんか?

 

日本の社会、少子高齢化で年金や医療費が増大し財政がひっ迫すると言われています。

お年寄りが長生きするとこれからどうなるのでしょうか?

 

お年寄りの価値って何でしょう。

 

生まれたての赤ん坊もやがて大人になり最後にはお年寄りになります。

それまでに人生の荒波を乗り越え、心はとても豊かになります。

私が思うに、お年寄りの心は熟成された今が飲み頃の高級ワインと同じで味わい深い。

 

今の時代、スマホで検索すれば知らないことは何でも教えてくれます。

でも、スマホは人の心の中に潜む深い気持ちは決して教えてはくれません。

 

お年寄りは生きた心の百科事典。

自分で学んだ経験からその意味を教えてくれます。

時代が変わっても、生活が変わっても、人生には愛が大切だと言うことを。

 

今の世の中、お年寄りという宝物がたくさんあるのに気付かれないのが残念です。

 

若い人が同じ世代の人に心の悩みを聞いても解決しないとき、きっとその宝物は

輝きを増し、誠意をもってあなたに愛を注ぐでしょう。

 

お年寄りが毎日暗い顔をして暮らしているのを若い人が見たらどう思うでしょうか?

自分の将来と考えると寂しい気持ちになるでしょう。

 

ところが元気で生き生きしている姿を見れば、あんなステキなお年寄りなら

私もなりたいと思うでしょう。

 

 宝の持ち腐れはとても悲しいことです、見つけてくださいその輝きを。

 

 もっともっとお年寄りの価値に気が付いてあげたいと思うのは私だけでしょうか。

私は今日、カレーになりました

 

私はカレーです。

お客の来ないカレー屋のカレーです。

 

店主は朝早くから、夜遅くまで、寝る暇がないほど働いています。

今日も開店前に朝早くから私は作られます。

 

細かくきざまれた、玉ねぎとにんにく、生姜を炒め、トマトを加えます。

スパイスを加え、炒めたお肉と一緒に煮込みます。

 

私は店主の手間暇かけた作りで美味しく出来上がりました。

愛を込めて作られた私はどんなスパイスを加えるよりも味わい深いのです。

 

でも、開店して一か月が過ぎようとするのにお客はほとんど来ません、

開店休業状態です。

たまに来るお客も2度目は来ません。

スタッフも笑顔がなくなり暗い気持ちで働いています。

 

店主は厳しさで胃痛が続いていた会社員時代、とてもつらく辛抱できなくて、

好きなことで飯が食えたらと脱サラし、美味しければお客は来てくれる、

という安易な考えでカレー屋を始めたが世の中は甘くない、私のように辛いのよ。

 

辛い私は食べた後、時間がたって美味しさを感じると言うけれどそうなの?

いつになったら感じてくれるの、食べたお客は戻ってこないよ。

 

店主はこれでもかこれでもかと、美味しい私づくりに日夜頑張っているが、客足は

一向に遠のいたまま。

 

私の気持ちをわかってよ。

 

近所にあるカレー屋さん見てごらん、この店と同じように見えるけど、どこが違うか

見てきてごらん。

お昼のピークにはお店に入れないお客が外まで並んで待っている、なぜかわかる?

 

あなたは私に溢れんばかりの愛情を注いでいる。

そして完成したその味はライバル店と比較しても遜色ない。

 

よく見てごらんなさい、そのお店のスタッフの目の輝きを、イキイキとして働いて

いるでしょう。

お客も楽しく美味しそうに食べている。また来るねと満足して帰っている。

 

何が違うのかわかったでしょう。そこには確かな愛があることが。

愛があるからこそ常連客でお客が溢れるのがわかる?

 

あなたは私には特別に優しく愛を注いできました。

でも、お客やスタッフに対する愛情はどうでしたか?

 

あなただけが頑張っただけではだめよ。

私をお店の主役にしてくれるのはお客さんとスタッフのおかげ。

 

お客に愛を伝えるためには、スタッフの愛情ある接客や、清潔感ある店づくり。

手ごろな価格で美味しく私を食べてもらえる価値の提供。

 

スタッフへの愛は作業のしやすいお店のレイアウト、無駄のない作業手順の

教育、作業を楽にしてあげてその分お客に対する愛ある接客の教育。

 

 

カレー屋のカレーは美味しいのが当たり前、でも人によって好みは違うもの。

すべての人に私の味が好まれるわけではないけれど、少しでもお客がふえる

ように私の味を変えてね。

 

また、2度目に来たお客を、前より美味しく感じさせるように私を常に成長

させてね、それが固定客作りにつながるから。

 

そのうちお客さんが増えてきたら、さらに私を美味しくするように、値段は

変えないで価値を高めてね。

スタッフにも少し給料を上げてもっと働きやすくしてね。

 

愛があるからこそ商売が繫盛するのだとカレーの私は思う。

 

手を抜くとまた、会社員の時のように私の辛さで胃を痛くするからね。

必要とされない人

 

私の職場にはあと1年で定年となる独身の男性社員がいます。

母と一人息子の母子家庭で、病弱な母親の面倒をみていたため婚期を逃し

独身でしたが数年前、その母親も亡くなり、一人で暮らしています。

 

この男性はここの職場だけでなく同じ会社の3つの職場を掛け持ちしています。

いわゆる余剰人員、どこも引き取る職場はありません。

 

彼がいることで作業効率がかなり落ちます。なぜならば、他の作業している

人にしょっちゅう話しかけるので作業が遅れます。

 

一人暮らしで話し相手がいなく、唯一、職場で話すことでその寂しさを

紛らわしているのでしょう。

 

注意すればいいのですが、職場では彼が一番先輩社員のため、誰も黙認しています。

また、今ではコロナでできなくなっていますが、忘年会とか送別会とかの

飲み会には必ず参加します。やはり寂しいのでしょう。

 

私はクルマのことはあまりよく知らないのですが、彼はBMWとかいう高級な

クルマを持っていて通勤に使っているようです。

 

普段の食事は近所のスーパーやコンビニで質素な弁当を買って節約しています。

あるとき、彼になぜこんな高級車を買ったのか聞いてみました。

 

すると彼は、誰も自分のことを気にしてくれる人がいないので、せめて、

クルマでもいいものに乗って人の気を引きたいのだと言いました。

 

たまには仕事が終わって晩御飯はBMWで高級レストランにでも行って食事を

するのかと聞いたところ、一人で食事しても美味しくないので、いつものように

質素な弁当でいいと言います。

 

彼は、この世で一番不幸なことは何だと思うか、と私に聞きました。

この世に不幸なことはたくさんありますが、私には何が一番不幸なのか

よくわかりません。

 

彼は言いました、一番不幸なことは、自分がこの世で誰からも必要とされて

いないと思うことだと言いました。

 

親兄弟がいない自分は今死んでも、誰も悲しまない。

会社の誰からも必要とされていない。

そう寂しそうに私に言いました。

 

私は自動販売機で温かいコーヒーを買ってきて、一緒に飲みましょうと

差し出しました。

 

ありがとう、私にはBMWよりもこのコーヒーのほうがよほどうれしいと

言いました。

 

彼も定年まであと1年、退職した後の人生がどうなるのか心配です。

 

日本ではこれからますます単身世帯が増えるように言われています。

単身世帯の人がすべてではないでしょうが、彼のようにこの世で誰からも必要と

されていないと思う人が増えれば、悲しいですね。

 

独身貴族という言葉がありますが、どうなんでしょう。

私は家族と一緒に暮らしていて当たり前だと思っていましたが

彼を見て、つくづく家族のありがたみを感じました。

 

 

もしも、お花屋さんがブログを書いたら

 

お花屋さんってきれいなお花がたくさん並んでいますね。

お店の前を歩いて通ると、いつもその美しさに目が留まります。

 

私はお花屋さんで働いたことがないのでどんな仕事なのかわかりませんが

きれいに飾ってあればあるほど裏ではたくさん苦労されていると思います。

 

人から聞いたのですが、お花の水替え作業が大変らしいですね。

ただ水を替えるだけではなく、枯れかかった葉を取り除いたり、傷んだ茎の

切り口を整えたり、とても手間がかかる作業と聞きました。

 

花を挿すにしても、ただきれいな花ばかり集めるのではなく、原価を考え

いかにして、高い花と安い花を組み合わせてきれいに見せるかということは

腕の見せ所みたいですね。

 

お花は殺風景な場所を華やかに変えて、リラックスした気分にしてくれますね。

また、その美しさは人のこころを感動させますね。

 

結婚式や誕生日にはお祝いを、送別会やお葬式には悲しみを、こころを込めて

愛を伝える花束は、主役を飾るすてきなアクセサリー。

 

お花屋さんの仕事は大変そうですが、やさしく気持ちを伝える愛のメッセンジャー

とても素晴らしい仕事ですね。

 

もしも、お花屋さんがブログを書いたらどうでしょうか。

ブログの世界がお花畑になって、華やかさで満ち溢れることでしょうね。

 

 

お花のようにみずみずしく、生きたこころで書くブログはきっと読者に

新鮮さと感動を与えるでしょう。

 

お花を愛する美しいこころは、とても純粋で、愛することの本当の意味を

こころを込めて教えてくれるでしょう。

 

旬の花を使って、季節感を出し、甘い香りをにおわせる躍動感のあるブログは

読者のこころを躍らせることでしょう。

 

きれいなバラとグラスに入ったワインの組み合わせは、遊び心があり、

そのセンスの良さは読者をほろ酔い気分にさせるかもしれませんね。

 

素材のよさを生かしたシンプルな飾り付けのブログは、気取らない裸のこころで

なにも隠すことなく本音を語ってくれるでしょう。

 

情熱をもって花を切るときのような、その鋭い切り口と表現力は

読者のこころを熱く燃え上がらせるでしょう。

 

お花屋さんもおなじ人間、こころが枯れたときは、ブログのなかには

秋風が立つことでしょう。

 

花言葉を知り尽くしたお花屋さんは、その時の一番ふさわしい花を使って

ブログの中に物語を創り出し、読者のこころを釘付けにすることでしょう。

 

華麗なる表舞台を支える裏方さんは、人生の光の部分と影の部分を知り尽くし

喜びと涙で読者に共感を与えることでしょう。

 

毎日几帳面に書かれたブログは、読む人の傷んだこころや汚れたこころを

水替えのように毎日きれいに入れ替えてくれることでしょう。

 

 

 

お花屋さんが持つ豊かな感性で書く、素晴らしいブログはきっとあなたに

愛と感動を伝えることでしょう。

 

 お花屋さんとブログはとても相性が合うと思うのは私だけでしょうか。